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昭和四十年当時の株式会社富尾時計店
シチズン時計全般各種時計卸

本社=大阪市南区安堂寺橋通り四の一
電話:大阪(二五一)四七三四番(代表)
東京店=東京都台東区上野六丁目二番十二号
電話(八三一)八九七二番(八三二)八五三〇番
広島店=広島市堺町一丁目五―九
電話:広島(三一)三五八〇番
取締役社長=冨尾清太郎
取り扱品種=シチズン時計全般各種時計卸、リズム、栄計、愛工、アルテミス、手塚各製品、△電池時計=シチズン、ジェコー、光星舎、フラックス△置時計=東京時計、リズム

昭和四十年当時の栄光時計株式会社
米国、欧州、東南アジアの関連施設の調査をいち早くした商社

本社=大阪市東区博労町五丁目三十六番地
電話:大阪(二五二)二五五一〜五番
取締役会長=山岡光盛
取締役社長=小谷稔(写真)
創業=昭和二十一年十二月
取扱品目=セイコー製品を主力とする国産時計及びロレックス等の輸入時計卸。
取引銀行 富士銀行、三和銀行、神戸銀行
支店・営業所所在地=仙台、秋田、名古屋、広島、北九州、福岡、熊本
関連会社=東京栄光時計梶A香港栄光洋行、EIKO THE AILAND CO‘LTD、栄光美術梶Aオリエンド販売梶A日本美術時計販売梶A近代時計商事梶A東栄食器梶A栄光交易公司等。
略歴=小谷稔社長は、明治四十一年十月二十五日兵庫県に生れ、兵庫県立神戸商業に学ぶ。大正十二年、兜桾博梃v店大阪支店入社。昭和八年兜桾博梃v店の姉妹会社である鞄潔h商会大連支店長を拝命、同十三年、東栄商会天津支店を創設、支店長として赴任。同十八年北支那天において服部時計店傍系の渇リ北精工眄を設立、取締役社長として現地軍指導の下に医療機器の製造を始める。同二十一年、終戦引揚者として帰国、同年八月に服部時計店本社了解の下に元服部時計店重役であった山岡光盛氏の支援を受け、日本国内各種機器卸販売業である栄光産業鰍設立、取締役社長に就任。同二十三年東京、二十八年福岡に各支店を開設、二十九年に社名を栄光時計鰍ノ変更した。
その後仙台、広島等に営業所を開設、現在国内支店・営業員総数は四百名を数える。なお昭和三十七年、東京支店を分離、原喜一郎氏を専務として東京栄光時計株式会社を独立させ、取締役社長に兼任している。
更に、オリエント時計専門卸商としてオリエント販売株式会社を、また宝石のコストを下げるために、宝石の原産地に出張買い付け、輸入事務・国内小売部門の機能を一社で行う栄光美術鰍設立、一方で香港、バンコクに現地法人を設立している。
昭和三十一年には、中国本土の市場調査の為、社長自ら北京・天津・上海を視察、帰国後中共政府の認可を受けて友好商社栄光交易公司を設立している。
昭和四十年、北京で開かれた日本工業展覧会に参加、商談に成功。同Ξ十八年スイスを始めとするヨーロッパの時計・宝飾業界を視察、三十九年アメリカの時計工業を視祭、四十年インド・セイロン等東南アジア各地を訪ねる等、海外市場の近代化を始め、時計業界発展の為に特に意を用い、現在まで大阪時計卸組合の理事長を二期にわたり勤めている。

昭和四十年当時の東邦時計株式会社 河合周三社長
時計関連団体の常任理事を務めている

本社=大阪市東区博労町三丁目十九番
電話=大阪(二五一)○四九四〜七番
取締役社長=河合周三
資本金=一千二百万円
株主=四十二名、年商=十億八千万円
設立=昭和二十五年十一月
取扱品種=セイコー、シチズン、掛置時計、リズム、東京時計、明冶時計、フラックス、ジェコー、光星舎、西日本時計、名巧−卸収売及び舶来時計直輸入並びに国産時計の卸販売。

業歴沿革=河合周三社長は、昭和十年大阪で二葉商会の名称で時計バンド、時計ケースの卸業を個人経営で開始、西日本の販売網を拡大して、朝鮮、満州等にまで伸長した。
昭和十六年大阪時計バンド商会を設立、時計バンド、時計ケース、時計付属品の製造販売を開始、百名の従業員を従えて大阪と東京に延長、支店出張所を設置し、生産高日本一を誇るに到った。
昭和二十一年、国産時計の卸売を開始、昭和二十五年、東邦時計株式会社に組織を変更して内容の充実を図り、販売網を全国的に拡大した。昭和二十八年、東京地方に出張所を開設、三十四年有限会社三洋時計商会を吸収して東京東邦時計株式会社に改組、同時に現在社屋の東邦ビル(地下一階地上五階)に移り、関東地区全域に及ぶ販売網を確立した。
同時に静岡市に出張所を開設、東海地区に販路の確立を求めた。
一方、輸入時計関連では、昭和二十九年の輸入時計の許可成るのに佯って、有名商社とエージェント契約を結び、三十一年、輸入時計部門を独立、株式会社河合商店を設立した。輸入高級時計と貴金属宝飾品の卸業務は日と共に進展し、三十六年東邦ビル完成に伴い、三階に東京営業所を開設、関東地域に及ぶ販売網を確立した。また、昭和三十六年十二月に到って時計バンド等の付属品部門を分離、独立、せしめ、創業当時の意義を持つ株式会社二葉商会の名称で、時計付属品と宝石、貴金属類の卸業として再発足、情熱を燃やして一路発展に努めている。
その結果、昭和四十年六月通産省産業構造審議会提唱によるボランタリーチエーンの結成に踏み切り、「クロバーズクラブ」を発足せしめ、初代会長に大阪の尚美堂社長の江藤順蔵氏が就任、以下時計小売界第一人者のほとんどを網羅、権威あるクラブ活動を開始している。河合周三社長の役職次の通り。
☆大阪時計卸協同組合理事、全国時計卸商組合理事、財団法人日本時計輸入協会常任理事兼大阪支部長、日本輸入時計卸商業協同組合理事、大阪税関密輸防犯協力委員、なお傍系会社の大要次の如し。

東京東邦時計株式会社 河合周三社長

取引先=東京都内、関東一円、神奈川、静岡の有力販売店及び百貨店   

本社=東京都台東区台東四丁目三十一の八
電話=(八三二)○四八九(代表)
取締役社長=河合周三
取締役店長=高橋陸司
静岡出張所=静岡市鷹匠町二丁目三九
電話=静岡(五四)○○三六〜七
資本金=四百万円、株主=二十四名
設立年月日=昭和三十四年三月
従業員=男子:四十一名、女子:十七名
取扱商品=セイコー、シチズン等国産時計と国産掛置き時計(セイコー、シチズン、リズム、東京時計、明治時計、フラックス、光星舎製品の国難販売
取引先=東京都内、関東一円、神奈川、静岡の有力販売店及び百貨店

株式会社河合時計店 河合周三社長

年商=二千四百万円の総合輸入商社

本社=大阪市南区須磨町三丁目五十一(島の内ビル内)
電話:大阪(二七一)五四五一番
役員=取締役社長:河合周三、外五名
東京店=東京都台東区台東四丁目三十一番八号
電話:東京(八三二)八三二七番
資木金=九百万円、株主=四十五名
設立年月日=昭和三十二年三月
年商=二千四百万円
取扱商品=(舶来腕時計)ゼ二ッ卜、ドクサ、サッカー、バテック、ロレックス、エニカ、シーマ、ジュベニヤ、(舶来掛、置、目覚時計)スイザ、ドークサ、アトランタ、ケルン、テレノーマ、エリオッ卜、ワルミング・シュナイダー、ウールラビニュー及貴金属・宝飾品の国内卸売販売
取引先=近畿一円、山陽、山陰、四国、九州地方及び関東地区(静岡県を含む)の全域の有名時計小売店(三百店)及有力百貨店

株式会社二葉商会 河合周三社長

各種貴金属並びに宝飾品全般、舶来時計バンドを扱う

本社=大阪市南区順慶町Ξ丁目五十一(島の内ビル内)
電話:大阪(二五一)七五七六(代表)
取締役社長=河合周三

取扱商品=有名時計バンド、各種貴金属並びに宝飾品全般、舶来時計バンド、グラナエップ、レインフイルス、クライスラー、レノックス。

東邦商事株式会社 河合周三社長

不動産賃貸業など多彩な業務で年商千五百万円を

木社=大阪市東区博労町三丁目十九
電話:大阪(二五一)〇四九四〜七番
代表取締役=河合周三
資本金=千二百万円
設立年月日=昭和三十六年三月
従業員=男子九名、女子五名計 十四名
年商=千五百万円
業務内容=舶来時計輸入並びに舶来腕時計、掛、置き時計、国内仲間卸販売及び不動産賃貸業。
日本総代理店=《スイス》ゼ二ッ卜社、ドクサ社、サッカー社、スイザー社(置き時計)、レーンフィル社(時計バンド)、ゴレーブッシェル社(金属バンド自動切断機)、《ドイツ》ケルンゾンネ社(四百日巻置き時計)、リチャードロー社(アトランタ掛時計)、グラナーエップ社(高級時計バンド)、《フランス》ウールラビニュー社(置き時計)、シュナイダー社(クリスタルガラス製品)、《イギリス》エリオット社(マントルクロック)、ワーミング社(掛・置き時計)。
取引先=全国の有力時計卸店

昭和四十年当時の日東貿易株式会社 川上一男社長
輸入実績は業界最上位にランクされている

東京都中央区銀座西五丁目三番(対鶴館ビル四階)
電話(五七二)三五四一 代表
取締役社長=川上一男
資本金二千万円
営業内容=時計の輸入及びダイヤモンドの輸入卸・販売

社歴=同社は、戦後輸入時計の外貨割当許可と同時に昭和二十九年九月十日、資本金二千万円をもって創立され時計類の輸入を主たる業務とした新鋭型の輸入商社である。
輸入時計の全盛期には、縦横に活躍したヘラルド・トレーデイングコーポレーションの当時の立役者であるジョ−ジ・ブロック氏やスイス時計界でも世界的に有名なレオ・ボッパー氏らとの親交深いだけにスイス時計業界における同社の信頼度は特筆すべきものがあり、加えて日本総代理店として同社が輸入している主なブランド名は、エニカをはじめ、シー
マ、グルエン、オレオール、ジュべニア、インビクタ、モリスなど各種に及んでおり、特にエニカ、シーマ等は業界を席巻した感があった。また最近の社会的情態の変化を予見してダイヤモンドなど天然石の輸入を自由化と同時にいち早く開始し、イスラエル、ベルギー及びアメリカを主力とし、ロンドン、イタリー等広範囲にわたり同社の特色を遺憾なく発揮し、その輸入実績は業界最上位にランクされている。
これらは、貿易自由化後の日本国内の情勢の変化に対応した措置であり、輸入商社の柔軟性を発揮したものとして注目された。
ダイヤモンド並びにその製品の販売は、従来の時計業界に新規開拓を求め、なお正札制度確立等新鮮な措置をとったところに新風を送っている。
加えて同社の専務取締役には、川上社長との戦友であった大森力明氏を置き、ために経営陣営においても信頼性に富み、川上社長と大森専務がひく強力な組織による運営は将来共に期待されている。

昭和四十年当時の小野金商店 小野正男社長
日本輸入時計卸商業協同組合理事長

東京都台東区上野二丁目十三番二号
電話(八三四)四三一一代表
取締役社長=小野正男
資本金=六百五十万円
略歴=明治の末年、先代小野金次郎が浅草で中古品を主体とした時計、貴金属、宝石の卸商を経営、事業も順調に発展して使用人も十数人になったが、昭和十五年戦争激化に伴い、一時休業のやむなきに立ちいたった。現社長は、先代の長男で慶大を卒業後一時家業に従事しましたが、店の休業と共に東宝映画株式会社に勤務中、外地に出征、昭和二十一年内地復員と共に、既に昭和二十年三一月の大空襲にて戦災死した父の道志を継いで家業を再興、昭和二十三年株式会社小野金商店として法人組織に改め、店舗も上野の現在地に移して今日に到っている。
取扱商品は舶米時計全般に及び、現在日本輸入時計卸商業協同組合理事長の要職にあり、又先代からの経験を生かして、ダイヤ、ヒスイ、オパール等宝石類及貴金属製品等の在庫を豊富に揃え、堅実な卸商として、業界にその名声知られている。此の問、昭和二十九年に約一ヶ月にわたり、遠く欧州、米国業界の実情視察に赴き、その見聞を広めて常に業界の第一線で活躍している卸商である。

昭和四十年当時の株式会社日笠商店 日笠上社長
各種舶来時計、貴金属ダイヤモンド卸
 
東京都台東区東上野一丁目二十番一号
電話(八三四)三五一一〜四番
取締役社長=日笠上
業種=各種舶来時計、貴金属ダイヤモンド卸

略歴=戦前、千束町の小野金商店に務めてから昭和十二年に独立、兵隊としてシベリヤに転戦、二十二年復員と同時に、文京区の下谷光月町に業務を再開、続いて現在地に移り、発展している。京橋店は次弟その次弟大氏は当社の専務の任にある。

日笠商店京橋店 日笠光輝社長

東京都中央区八重洲五丁目三番
電話=(二八一)三三八九・〇四〇八・八三二四番
取締役社長=日笠光輝

業種=各種舶来時計、貴金属指輪ダイヤモンド卸
略歴=日笠商店の本店にあって兄の業務を手助けしていたあと、昭和三十年七月に独立、現在盛業中である。

昭和四十一年度の物品税改訂に尽力した株式会社日本堂時計店佐川久一社長
全時連会長に就任して以来の佐川久一氏の活動は極めて多大なものがある

東京都中央区銀座五丁目
電話(五七一)五五一一
取締役社長=佐川久一

略歴=時計貴金属小売業の佐川社長は、秋田県の出身、幼少期に秋田の時計店に見習いに出て精励、その後日本堂名をもって開業している。上京してから目黒、大森地区を経て昭和二十年の戦災のあと現在の銀座に進出することになったのである。ことに処して果敢実践の性格を持つ佐川社長は、それからフルに勇気を奮い、諸般の進運に努めた。その現われは、先ず自店の敷地を裏通りにまで貫通させることを願った。そのためには想像もつかない高額な代価を払って、この間の障害など一挙に取除いた。
かくて店舗の形体思うようになるや、次には業界への一大飛躍を期して突貫した。昭和二十七年の頃の東京組合理事長に対する奮闘は、正に業界歴史に残るものがある。
更にまた昭和三十四年に全時連会長に就任して以来の氏の活動は極めて顕著、業者達を全国連そのものに魅力を持たせるための大集会を実行した。その結果は、全国地区の巡回大会開催を規制して遂に全時連の名を天下に知らしめたのである。
全時連傘下業者の総数は、三万軒を超えて、衆議院議員が各地方選出代議士連をも魅了し、業界の秩序を保持是正し、更に貴金属宝石に関する物品税の改訂を目がけて奮起し、一大業者運動の展開は正に業界史中特筆すべきであり、昭和四十一年度実施の物品税改訂は、貴金属と宝石類オール一万五千円まで免税する実効をあげたのである。
特に、また、昭和四十一年一月から実施した時計修理技術者に対する国家試験の施行については、画期的な現況を生み、全時連なくてはならない時代を顕現せしめ等、時代の変遷と共に佐川全時連会長の名声はいよいよ盤石な体制へと固まっていったのである。
然して日木堂の業績は、総敷地百六十坪の上に四階建店舗を築き、宛ら時計資金属品のデパートの観を呈しており、日本はおろか世界的にも堂々たる名声を輝かしている。
佐川社長と共に長男も相前後して欧州各国の業界視察を行い、営業上にかかる見聞を広くしている。公職は全時連会長の外、全宝連、全眼商工連会長の地位にあり、性格は常に明朗活達である。

昭和四十年当時の上野広小路角の好立地店 村松時計店主の漆原延治氏
銀座村松時計店に入社、支配人を経て昭和十三年に円満退社

東京都台東区上野二丁目一番
電話(八三四)○三八一
代表者=漆原延治
資本金=一千万円
略歴=大正十二年、銀座村松時計店に入社、支配人を経て昭和十三年に円満退社、昭和十五年に現在地、上野広小路角に村松時計店を設立、その間、兵役招集、戦災等を受け小売専門に経営、地道に手堅く一歩一歩積み重ね式の経営で財を成している。

昭和四十年当時の株式会社長谷川時計店 長谷川英夫社長
戦後高島屋の時計小売部を担当する

東京都中央区日本橋室町一の十八
電話=(二七一)七三四八
代表者=長谷川英夫
業種=時計、貴金属宝石類の小売

業歴=創業は、先代により明治二十八年に始まる。爾来大正十二年の関東大震災を経て戦争中は応召、戦後高島屋の時計小売部を担当する中に業務伸展、昭和四十年秋、東京・八重洲の三井ビル小売り部を開設、盛業を続ける。
更に、東京・文京区千駄木五ノ三八に轄kM商会を、東京・豊島区西巣鴨に且O立舍を経営している。現社長の長谷川英夫は、先代の長男にあたり、信望の厚い人。

昭和四十年当時の株式会社カジノ時計店 梶野光秋社長
藤沢市会議員の他、関東セイコー連合会長も

神奈川県藤沢市藤沢五十三
電話藤沢(二二)二三四八・五二二五
取締役社長=梶野光秋
業種=時計・貴金属、楽器類小売

業歴=同店は、時計・貴金属、眼鏡の他楽器、レコードの販売を兼業しており、地域的にも信用が高く、且ては藤沢市会議員の経歴をもつだけ、全般にわたり精通している紳商である。業界関係の公職は、関東セイコー連合会長を現任しているのを始め、関東時計眼鏡組合連合会の要職にあるなど衆望を担っている。



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