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大阪時計卸協同組合とその沿革
昭和二十二年四月親睦中心の任意組合として創立

一、昭和二十二年四月親睦中心の任意組合として創立、初代組合長に当時服部時計店大阪支店長の椿七十氏が就任した。
二、翌昭和二十三年五月、滋賀県石山のホテル三ヶ月において、第一回総会を行い初代理事長に中上礼三氏を選出、当時は食糧不足の折柄、主食を持ち込んでの開催と記憶する。その後、毎月例会を開催した。
三、昭和二十六年四月、中小企業等協同組合法の制定により、「大阪時計卸商業協同組合」に改組し発足、これを機にメーカー企業は、客員となり協力することとなった。当時の組合員数は十九社。
四、昭和二十六年四月二十四日、大阪中央公会堂において、第一回輸入時計展示即売会を開催、セイコーより目覚まし時計四百個、腕時計四百個、又、シチズンより腕二百五十個の特別出展を受け、小売店に対して謝恩引換券を各一千名に組合行事として販売した。当時の商品払底の模様が偲ばれる。
五、昭和三十六年十一月六日から八日まで、組合結成十五周年記念行事として、約二千名を大阪の新歌舞伎に招待した。この日に「大阪時計卸協同組合」と改称、理事七名を増員、事務局を開設した。
昭和四十一年三月一日現在の組合員構成は三十三社。

▽理事長=小谷稔(栄光時計)、▽理事=今岡亀治(轄。岡時計店)、岡清(岡時計店梶j、松下保次(且O光舎)、蓮池節雄(太陽興業梶j、河合周三(東邦時計梶j、▽監事=中上礼三(中礼時計梶j、比田勝豊(鞄本堂)。
組合員=活髑コ時計商会大阪支店(磯村整司)、叶谷時計店(泉谷武宣)、乾時計梶i乾義孝)、轄。岡時計店(今岡亀治)、栄光時計梶i小谷稔)、椛蜻商会大阪支店(桑鶴光夫)、
椛蜊纉圏m時計商会(鷹崎正見)、岡時計梶i岡清)、株崎時計商会(尾崎正三)、栄商会大阪支店(西応文一)、且O光舎(松下保次)、叶ウ美堂(真貴田公平)、正光産業梶i竹中久二)、大和時計梶i客野勘一)、太陽興業梶i蓮池節雄)、東邦時計梶i河合周三)、兜y尾時計店(冨尾清太郎)、中井梅梶i中井梅次郎)、樺上時計店(中上礼三)、中礼時計椛蜊緕x店(中上礼三)、西浦時計梶i西浦文康)、叶シ村時計商会(西村正年)、鞄本堂(比田勝豊)、轄L島時計店(広島一夫)、兜沒c時計店(福田初次)、竃x田時計店大阪店(小田切長)、椛コ上商店(村上仁)、村木時計梶i村木正明)、潟<Cコー商会(岩瀬義一)ユオ時計椛蜊緕x店(関口敏男)、潟ーエス商会大阪営業所(請昌一)、葛g田時計店大阪営業所(尾本正次)、オリエント販売梶i小谷稔)。

昭和四十年当時の日本輸入時計卸商業協同組合
理事長は小野正男(鰹ャ野金商店)

一新時計梶i西村隆之)、(抜)(有)伊膿時計店(伊藤金次郎)、褐エ徳商店(原実樹)、
服部時計店梶i中村智)、東海時計商事梶i石黒勇)、(採)東神時計梶i田中恵三)、千代田時計梶i高橋良充)、鰹ャ野金商店(小野正男)、大阪時計梶i久保田義則)、川村時計店(川村卓三)、渇ヘ合時計店(河合周三)、椛蝸m商会(山崎三男雄)、第一時計梶i福島利春)、椛蜩s商会(内田昇三)、中野商会(中野清八)、中村商会(中村康男)、竃屋時計店(山本連)、(有)越光商店(越光滋)、国際時計梶i下村キク)、東商事梶i小池周一郎)、協和時計宝飾梶i小黒勲)、葛竝タ三和商会(林栄)、久松商会(久松藤吉)、鞄笠商店(日笠上)、鞄笠商店京橋店(日笠光輝)、大信商事梶i斎藤益男)。

株式会社服部時計店
昭和四十年当時のウオッチのトップメーカー 

資本金=36億円、従業員=4,257名のビッグメーカー

本社=東京都中央区銀座四丁目二番地六号 電話=561−2111(代表)
創業=明治十四年、設立=大正六年
資本金=三十六億円、従業員=4,257名。
▽代表取締役社長=服部正二、▽専務取締役=大口右造、服部謙太郎、▽常務取締役=服部礼次郎、最上務、椿七十、浜野清、▽取締役=服部武三郎、鈴木康治、岩井光彦、片山俊三郎、▽監査役=浜口吉兵衛、川瀬雅男。
支店=大阪、札幌、仙台、東京営業所、名古屋、広島、福岡。

シチズン時計株式会社
昭和四十年当時のウオッチのトップメーカー 

本社/東京都新宿区角筈2−74 永和ビル 電話342―1231
創立=昭和5年5月28日、資本金=30億円、
代表取締役社長山田栄一

シチズン商事梶Aシチズン事務機鰍昭和二十四年六月二十八日、昭和三十九年十二月四日に各々設立。
シチズン商事鰍ナは、@シチズン腕時計及びその時計部分品並びに付属品、A系列会社・関連会社製置時計・掛時計・電池時計・電気時計、Bシチズンレンズシャッター、カークロックおよびライトメーター、Cシチズン製工作機械・計測器・冶工具類、Dシチズン製ラジオタイマー、Eクライスラー製高級時計バンド、シチズン事務機鰍ナは事務用機械を販売している。
事業の現況としては、昭和五年五月二十八日創立以来、設備機械を輸入し、あるいは自社生産して設備の近代化を計り、品質の向上と生産の増強に力を注ぎ、戦後は常に他社に魁けて新製品、新技術の開発に尽力して来た。
昭和二十四年六月、中三針を、二十六年六月、六型腕時計を発表、二十八年六月には、写真機用シャッターの生産に着手、昭和三十一年四月、国産初の耐震装置パラショックを発表、三十三年六月には国産唯一のベルが鳴る腕時計アラームと八月に当時超薄型デラックスを、三十九年四月には各機能完全装備の「オートデーターセブン」、四十年十二月には自動巻き、曜日、日付、防水の各機能装備のものでは世界一薄い腕時計クリスタルセブンを発売した。
また国産としては最初の電子腕時計「エックスエイト」を開発、四十一年三月に発売する運びになり、一躍ブランドレベルを世界のトップクラスの地位を固めるに至った。
翰出関係も、昭和三十三年一月の中共輸出を皮切りに、次々と新市場を開拓、三十五年三月には、米国ブローバ社と腕時計の長期輸出契約を結び、大量のムーヴメントを翰出している。
時を同じくしインド政府との間で腕時計の技術援助契約を締結、国立時計工場建設に協力するプラント輸出も完了している。次いで、三十七年二月、世界第三位の大市場といわれる東南アジア輸出が決定し、香港の一流商社ギルマン社との契約が成立。最近では、ドイツに販売会社、アメリカのバージン島とオーストラリアに組立工場を設立、これ等を足場に欧米各国にも強力な輸出を推進している。
三十九年十二月には、事務用機械の販売会社シチズン事務機鰍設立、手始めに電動加算機を発売、国内、国外共に好評を博し、欧米各地より大口の引合いがあり、内需の生産まで応じきれないのが現状で、事務機の発展と共に、シチズンが総合精密会社としての大きな飛躍が期待されるのである。(写真はシチズン時計の田無製造所)

東京時計製造株式会社
各種目覚時計、オルゴール時計、電池時計などのメーカー

本社工場=神奈川県川崎市
村田工場(輸出専門工場)=宮城県村田町相山公園一番地
創業=大正十年八月、再建創立=昭和二十六年二月
代表取締役=佐藤守彦
 
取り扱品目=各種目覚時計、オルゴール時計、大理石置き時計、トランジスター時計、電池時計、交流電池時計、電波時計、デジタルクロック、タイムスイッチ、ストップウオッチ、メーター等。これらの部品並びに付属品の製造。
東京と大阪に販売会社を持ち、サービス部として本社はじめ大阪、名古屋、福岡、札幌、仙台に営業所を設けている。更に、電池時計専門の販売会社として、潟tラックス社を東京・銀座に設立している。

昭和四十年当時の全国東京時計製造の特約卸商社
北海道地区から九州地区まで幅広い販売網

▽北海道地区=椛蜻商会札幌支店、湯尾時計且D幌支店、活苟コ商会札幌支店、活苟コ商会釧路営業所、
▽東北地区=椛蜻商会仙台営業所、栄光時計鰹H田営業所、叶ウ光堂仙台店、叶ウ光堂青森店、叶ウ光堂郡山出張所、加賀屋商会盛岡出張所、
▽関東地区=活髑コ時計商会東京支店、今岡時計店東京営業所、鞄花、竃x田時計店、鞄血c商会、鞄血c商会横浜営業所、東慶商会大宮営業所、東慶商会千葉営業所、兜x尾時計店東京支店、東京東邦時計梶A東京栄光時計梶A東宝貿易梶A椛蜻商会、蒲O井商会、渇チ賀屋商会、(資)金森商店、樺上時計店東京店、中礼時計梶A潟mボル商会、兜x士屋時計店東京店、小泉時計店、渇z光商店、(名)東時計商会、湯尾時計梶A叶ウ光堂東京店、
▽中部北陸地区=活髑コ時計商会、竃x田時計店名古屋店、東海時計商事梶A椛蜻商会名古屋支店、栄光時計竃シ古屋営業所、且ツ田時計店、且ツ田時計店名古屋支店、湯尾時計竃シ古屋出張所、東京東邦時計叶テ岡出張所、兜y士屋時計店、兜y士屋時計店沼津出張所、兜y士屋時計店浜松出張所、渇チ藤時計店、渇チ藤時計店新潟出張所、渇チ藤時計店長野出張所、渇チ藤時計店駒ヶ根出張所、鞄本堂北陸営業所、
▽西部地区=活髑コ時計商会大阪店、轄。岡時計店、鞄木堂、鞄本堂姫路営業所、竃x田時計店大阪店、東邦時計梶A兜x尾時計店、椛蜻商会大阪支店、椛蜻商会京都営業所、岡時計梶A樺上時計店、樺上時計店京都店営業所、中礼時計椛蜊緕x店、栄光時計梶A湯尾時計椛蜊緕x店、叶ウ美堂
▽広島地区=鞄新商会、鞄新商会徳山営業所、鞄新商会松江営業所、鞄新、兜x尾時計店広島店、樺上時計店広島支店、湯尾時計轄L島出張所、栄光時計轄L島営業所
▽九州地区=椛蜻商会福岡支店、栄光時計兜汢ェ支店、栄光時計褐F本営業所、叶V栄商会熊本支店、叶V栄商会大分営業所、叶V栄商会鹿児島営業所、叶V栄商会長崎営業所、
叶ウ美堂福岡営業所、中礼時計竃k九州支店、中札時計褐F本営業所
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オリエント時計株式会社
歴代社長の努力と従業員の協力で発展を遂げた

本社=東京都千代田区外神田二丁目四番四号
電話(二五一)九二五六(代表)
取締役社長=山村徳冶

取扱品種=時計、電機器具、精密機器具、計量器の製造、修理、販売。
【東洋時計時代】オリエント時計鰍フ前身は旧東洋時計鰍ナある。明治三十年に吉田時計店が発生し、大正中期に東洋時計製作所を設立、まず置時計、計器等の製造を始めた。昭和年代に入り、現在の日野工場が建設され、腕時計の製造が開始された。第二次世界大戦中はその特色を生かして軍需産業に転換したが、終戦と同時に再び腕時計の一貫生産工場に復帰した。然しながら日本労働運動史に一時期を画した上尾置時計工場の大争議のため、昭和二十四年十二月、東洋時計は解散し、傘下各工場は独立し夫々別会社として独自の途を歩むことになった。
【横山社長時代】昭和二十五年七月に旧東洋時計鰍フ従業員が結集し、資本金100一〇万円で多摩計器鰍設立、日野工場の施設一切を継承して腕時計の生産を再開し、翌二十六年四月にオリエント時計鰍ニ社名を変更、初代社長に横山公雄氏が就任した。昭和二十八年四月には、本社を中央区京橋に移したが、その間、増資を重ね昭和二十九年資本金一億円となり株式を公開(現在の東京第二市場)、更に翌三十年には大阪、福岡に出張所を開設するなど、ようやく近代的な会社としての形態を整えるにいたった。
【山田鉄之助社長時代】昭和三十年後半、山田鉄之助氏が社長に就任するや本社を現在の千代区外神田に移し、経営の一新を図ると共に意欲的な設備投資を推進し、更に昭和三十三年には国内販売網確立の目的で、北は札幌から山形(現在では仙台)名古屋に営業所を新設、その後広島も加え従来の東京、大阪、福岡と併せて七営業所による総合的な販売網が完成し、小売店向け直接販売も開始、また国産腕時計の使命は単に国内需要を充すだけでなく、究極において海外市場の先進国スイス製品と堂々と渡り合うことにあり、それが乂自らの繁栄に到るべきことを予測し、常務取締役である西川忠一郎氏をアメリカに派遣して結果、他社に先駈けてアメリカ、カナダとの間に大量の輸出契約が成立、これに基いて西インド諸島バージンアイランドのセントクロイにオリエントの技術指導による腕時計組み立て工場が始めて建設された。又米大陸における前進基地として、ニューヨーク市の中心であるブロードウェイに事務所を設置し、駐在員を派遣した。かくして国産腕時計のパイオニアとしての役割を果した結果、海外需蓄に応じるには日野工場だけでは手狭となり、生産面の充実を図るため、長野県岡谷市長地に第二工場を新設し、婦人用腕時計部品の生産を始めた。
この輸出強化態勢促進の結果は、ますますその実をあげ、アメリカに次ぐ第二市場として昭和三十七年には台湾、タイ、フイリッピン、シンガポール等東南アジア全域に強大な勢力を持つ香港ラップヘン有限公司と長期契約を成立させ、更に英国エルコ社、パキスタンのフレンド社、韓国の永明産業鞄凾ニも緊密に結びつく等、当初予期した以上の好結果を得ており、既に西ドイツを抜きスイスと互角に渡り合う基盤を築きあげることができた。
この間にも社内的には増資を続け、資本金八億円となり、現在のオリエント時代の基礎は名実共に固まったと言える。
【山村社長時代】昭和三十九年六月未に山田社長が急逝し、新社長に山村徳治氏が就圧したが、これより先四月には専務取郤役に金屋清次郎氏が迎えられており、この年を境にオリエント時計は新しい時代に入った。
当時の経済界は末曽有の不況に遭遇したこともあるが、今後の同社発展の原動力は堅実経営にありとして社内体制の整理をまず第一にとりあげ、同時に機構改革を行いオリエント商事鰍吸収して一本化したのである。

当時は異色の時計メーカー 株式会社コパル
時計及びカメラ用シャッター、他精密機器の製作販売

時計事業部=東京都豊島区池袋東一丁目
代表取締役=笠井正人
電話:984-2561
資本金=六億円

取扱品種=時計及びカメラ用シャッター、他精密機器の製作販売。
略歴=昭和二十三年、カメラ用シャッターおよびセルフタイマーの製造を開始。昭和二十四年五月、資本金六十万円の株式会社に改組。生産販売の増加にともない数次にわたる増資を重ね、昭和二十九年、板橋区志村に地下一階、地上三階の木社工場を完成。昭和三十六年、関係会社コロナ工業株式会社を発足。昭和三十七年、郡山市に敷地五万坪を購入して郡山工場を設立。昭和三十九年、資本金を六億円に増資。昭和四十年二月、長年にわたる研究開発の結果、国産で初めての文字時計、「キャスロン101」を発表。漸新なデザインと標準時計なみの時刻の正確さは、業界から注目をあびた。続いて九月に「キャスロン301」を、十月には生産の合理化により「キャスロン201」を破格的な値段にて発表。明けて昭和四十一年二月、チーク材に北欧風のオイル仕上げをほどこした「キャスロン501」を発表、その豪華な風格とデザインは、時計愛好家から驚嘆の目で迎えられた。
このようにコパルは、カメラ用シャッターを作る精密技術を基礎として次々と流行の卜ップをゆくグッドデザインの文字時計、キャスロンシーズを発表した。

ジェコー株式会社
独創的な製品を生み出しました時計メーカー

本社=東京都中央区日本橋室町二―四
電話(270)0631代表
目黒研究所、玉川工場、行田工場、大阪支店、名古屋営業所、福岡営業所
創業=昭和二十二年二月、資木金二億六千万円
営業品目=音さ時計(掛、置、目覚まし)、自動巻、電池時計(掛、置)、RC時計、自動車時計、小型直流モーター、テープレコーダー、シェバー、その他各種計器。
会社概況=昭和二十二年創立以米、常に新しいものに取り組み、時流に合った、市場性のある製品の開発を志して来た当社は、そのたゆみない研究により、数々の独創的な製品を生み出しました。
昭和二十七年には、モーターの常識を破る独創的な特殊小型モーターの開発に成功し、時計の歴史をゼンマイからモーター式電池時計へと変え、簡便精巧な大衆時計の推進力としました。
更に、昭和二十九年には自動車時計の生産、販売を開始し、性能と完備したアフターサービスにより市場を独占した。
昭型二十三年には、行田工場、三十六年には玉川工場を開設、六千万円に増額、東京第二市場に株式を公開した。そして昭和三十八年には、時計の革命といわれながら実現することの出来なかった音さ時計時を磁気脱進機構との結合により製品化し、この企業化に成功、時計界の夢を実現した。
当社の製品は、ことごとく文字通り独創的なアイデアと独自の研究により生み出されたものであり、その保有する特許実案は国内外を合せ百数十種類に及んでいる点、技術に生きる会社として常に若々しい創造と躍進を志している。

有限会社 黒木計器製作所
電池時計、親子時計、べルタイマー、交流時計専門製作所

代表取締役 黒木久義
本社=東京都品川区二葉一丁目三番二七号
電話(七八二)二二六八番

業種=電池時計、親子時計、べルタイマー、交流時計専門製作所
沿革=大正十五年、雄工社在に入社、電池時計の製造と研究を始めた。昭和十二年に独立、気象台用地震時計を製造、昭和十六年、(有)緑明測器製作所設立、地震計、落下傘時限時計、操縦適正試験器、プラニメーター、パントグラフを製造している。
二十四年、褐星舎設立に協力、電池時計の製造と研究を進め、特許発明二十点余。昭和三十五年七月、(有)黒木製作所を設立現在に到る。画期的な時計として回転式子時計(特許出願)及交流リモコン大型時計など(特許出願)を発明、生産販売をしている」。
製品種目 親時計、子時計、秒子時計、報時子時計、塔時計、世界時計、ベルタイマー、チャイムブザー、サイレン報時装置、大型交流リモコン時計、特殊タイマー、各種電源装置、配電盤、その他時計機構利用の特殊装置の製作に応ず。



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