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昭和四十年当時の株式会社長谷川時計店 長谷川英夫社長
戦後高島屋の時計小売部を担当する

東京都中央区日本橋室町一の十八
電話=(二七一)七三四八
代表者=長谷川英夫
業種=時計、貴金属宝石類の小売

業歴=創業は、先代により明治二十八年に始まる。爾来大正十二年の関東大震災を経て戦争中は応召、戦後高島屋の時計小売部を担当する中に業務伸展、昭和四十年秋、東京・八重洲の三井ビル小売り部を開設、盛業を続ける。
更に、東京・文京区千駄木五ノ三八に轄kM商会を、東京・豊島区西巣鴨に且O立舍を経営している。現社長の長谷川英夫は、先代の長男にあたり、信望の厚い人。

昭和四十年当時の株式会社カジノ時計店 梶野光秋社長
藤沢市会議員の他、関東セイコー連合会長も

神奈川県藤沢市藤沢五十三
電話藤沢(二二)二三四八・五二二五
取締役社長=梶野光秋
業種=時計・貴金属、楽器類小売

業歴=同店は、時計・貴金属、眼鏡の他楽器、レコードの販売を兼業しており、地域的にも信用が高く、且ては藤沢市会議員の経歴をもつだけ、全般にわたり精通している紳商である。業界関係の公職は、関東セイコー連合会長を現任しているのを始め、関東時計眼鏡組合連合会の要職にあるなど衆望を担っている。

昭和四十年当時の株式会社荏原時計店 荏原満壽夫社長
明治時代に創業している古参の業界歴を持つ

川崎市砂子町二丁目三番地
電話=川崎(三)四○四六番
代表取締役=荏原満壽夫
業種=時計、貴金属製品の販売業

業歴=当店の創業は先人代に始まり、明治時代に創業している古参の業界歴を持つ。
現況は業績隆昌の傍ら、組合団体の公職が多く、川崎時計眼鏡商協同組合の相談役、神奈川県時計眼鏡組合連合会常任顧問をつとめ、関東セイコー連合会副会長の要職にもある信望が厚い。

明治二十三年、京都で柱時計製造業として創業した総合商社 株式会社大沢商会
オメガやブルーリバーダイヤなど常に一流ブランドの扱い業者

創業=明治三十三年、株式設立=大正八年四月十日、資本金=五億円、決算期=六月、十二月、の年二回、従業員数=八百六十二名。(昭和四十年六月現在)
役員:取締役会長及び社長=大沢善夫、専務取締役=木原道雄、大沢善朗、常務取締役=浜本正勝、高橋三郎、取締役=増田驚、斎藤義雄、鳥井康一、加藤二郎、大倉治一、白洲次郎、川喜多長政、監査役=田中尚義、倉石治七郎。
○支店及営業所=札幌支店、名古屋支店、大阪支店、福岡支店、仙台支店、京都支店、米国大沢商会。
【営業品目】各種時計、精密機械、光学機械及感光材料、自動車用品、スポーツ用品、産業機械、事務用機械、宝石及貴金属等の製造販売並びに輸出入
【会社のあゆみ】明治二十三年年、京都で柱時計製造業として創業。明治二十七年、京都三条に当社の店舗を設け、時計卸小売業を開始。同時に神戸に支店を設け絹製品、綿製品及び雑貨品の輸出を開始した。明治三十ニ年、濠洲にシドニー支店を開設すると共に、上海・香港・広東などに支店及び出張所を開設し、東南アジア、濠洲への輸出貿易を拡大する一方、スイスより懐中時計、イギリスより自転車工業用ベルト、アメリカより石油ランプ等、当時の我国にとって漸新的な欧米商品を輸入して、国内に卸販売をした。明治三十五年大阪支店。 明治四十一年、東京支店設置。
大正六年 京城支店設置。大正八年 従来の個人経営を変更して三〇〇万円の株式会社に改組。昭和二年 この時期に至ってからは、外国関係が悪化し、貿易が次第に困難をきわめ、海外の支店、出張所を漸次閉鎖し、貿易部門を縮小したが、新たにゼネラルーモークースの自動車を取扱うと同時に、映画機械製造会社であるベルー・アンド・ハウエル社の日本総代理店となって、映画機械の輸入、販売を開始した。
昭和七年、京都にJOスタジオ(昭和十二年PCLと合併、東宝株式会社となる)設立、映画への道を開く。
昭和12年第一次世界大戦に入り、海外の取引が暫時減少したので、輸入に代って国産品の取扱いに転向した。
昭和十八年 株式会社満州大沢商会を設立。昭和二十年 我国産業界が復興するにつれて、国産時計、国産カメラ及び感光材料、自動車用品等の国内卸販売を一層充実拡大した。
昭和二十四年、福岡支店を設立、八月に資本金六百万円に増資、更に十二月には一千万円に増資している。海外取引か再開されると同時に戦前の海外取引先との関係を復活し、従来の取引商品の外に、新たに映画並びにTV関係機械設備、その他、事務機械、精密機械、産業機械等の輸入を開始した。
昭和二十六年、資本金を二千万円に増資(十一月)、昭和二十九年、名古屋支店を設置。資本金を六千万円に増資(四月)、更にニューヨークに現地法人大沢商会を開設、アメリカ、中南米、カナダへ国産カメラ及び附属品の販売に従事した。
昭和三十年、資木金を八千万円に増資。昭和三十一年、資本金一億円に増資(二月)、更には十二月には、資本金を一億一千万円に増資している。
昭和三十二年、 札幌支店設置、虎の門に営業所を設置した。昭和三十三年、米国ベル・アンド・ハウェル社と資本並びに技術提携により日本映画機械株式会社を設立して、べル・ハウェルカメラの国産化を計り、これを世界に輸出することにより、当社も国際分業の重要な役割を果たした。
昭和三十四年、仙台営業所を開設。資本金を二億二千万円に増資(三月)。小倉
業所を設置。昭和三十六年二月、資本金を三億三千万円に増資。昭和三十七年、本社を京都から東京に移した。昭和三十九年一月、資本金を五億円に増資、株式第二市場に上場した。同時に本社ビルを東京・港区の虎ノ門に建設、五月に移転現在に至る。
【時計部歴】当社の時計類の扱いは、明治二十三年創立以来であり、当社掛時計の製造から始まり、その後輸入時計並びに国産時計を中心に全国に卸販売を拡大し、確固たる地位を形成している。
昭和三十七年フランス、クロック界の名門ジャズ社と東京時計との技術提携の仲介により、フランス生れのおしゃれな高級トランジスタクロックを開発、広く国内販売を行っており、更に昭和三十九年2月、オメガ時計の日本総販売元を取得し次で同四十年十一月にオメガ、チソット、バセロン時計直販の新会社「オメガ時計株式会社」をジーベル・ヘグナー鰍ニの共同事業として設立、会長に大沢善夫会長が就任している。
其の後、着々と成果を上げ、近年の新分野開発事業として世界のダイヤモンドの中心地であるベルギー・アントワープのダイヤモンド研磨工場と契約を提携し、ブルーリバーのブランドで斯界に卓越せる優秀なダイヤモンドを日本市場に紹介、今迄の宝石業界に新風を吹き込んだ。
今後の当社時計部の方針は、新たに貴金属品の取扱いと、当社独自の開発商品に力を入れることによって競争条件の排除につとめ、長期安定性ある発展に努める。

明治十二年創業の時計宝石貴金属の製造、販売、輸出入商 株式会社堀田時計店
昭和三十年には優良問屋として中小企業庁長官表彰を受く

本社=東京都台東区上野五ー二十三―十二
電話:八三三―一二三四
名古屋店=名古屋市中区錦三丁目十九〜二十九
電話(〇五二)代表九七一-五五六六
大阪店 大阪市南区順慶町三 −五十一
電話(〇六)代表二五二-〇九九一

取締役会長=堀田六造、取締役社長=堀田両平、常務取締役=小田切長、二木武一、鈴木八郎、取締役=春日井孝一、新葉一郎、監査役=片岡健彦
創業=明治十二年、昭和二十三年二月十七日会社設立、資本金六千万円(授権二千四百万円)。

沿革=当社は明治十二年に現社長祖父堀田良助が名古屋に於て創業、昭和二十三年二月現社長が資本金十五万円の株式会社を設立し、数次の増資を経て三十八年十一月六千万円となり、又近く増資計画中である。昭和二十三年東京支店開設、二十五年貿易部新設、三十五年明豊時計を吸収合併して大阪店を開設、三十七年宝石貴金属部を新設し、翌三十八年傍系会社パプリカ足立を設立した。この間三十年には優良問屋として中小企業庁長官表彰を受く。現在、東京都時計卸、中部時計卸、仲問連、全国時計卸、日本時計輸入協会各理事。現社屋は東京店三十七年、名古屋店三十一年、大阪店三十九年に完成 (四十一年二月記)
傍系会社=パブリカ足立株式会社
本社=東京都足立区保木間町二三六五―二
電話(〇三)代表八八七―六五一一

株式会社東信商会(セイコー舎製品専門卸販売)
東京都時計卸商業協同組合の五代目理事長に就任した=依田忠雄社長

取締役社長=依田忠雄
本社=東京都豊島区池袋東一丁目三十八番地
電話(九八四)○五七一 代表

業種= セイコー舎製品専門卸販売
業歴=長野県小諸市出身の依田社長は、長野県小諸高等学校を卒業後、当時の下谷時計業界では有名で大御所といわれていた鶴巻時計店に入店した。ここの店主である鶴巻栄松氏は類なれな努力家であった。その恩師の教育により販売方面に努めて精励格勤しつつ、終戦の昭和二十年まで続き、その勤勉ぶりは最高を記録したほどの努力家であった為、認められて鶴巻社長から特別の寵愛をうけたことは自他共に認めている。
かくして十五年間を勤め上げた鶴巻時計店は、同店の工場である栄工舎時計製造所と共に終戦後は閉鎖する運命に遭遇したのである。この時を契機に依田社長の独立の決意が固まり、昭和二十一年四月池袋の現所に於て時計卸業を開設した。然しこの当時は、国産も舶来品も共に時計さえあれば売上げは面白いように伸展していった時代ではあったが、然し時計業が今日ほどの隆盛を見るとは誰しも予想することは出来なかった時代である。だが然し、この頃は何といっても精工舎製品の売行きに一つの望みがかけられていた。
従ってセイコー時計の取扱いについては同業者の誰もが望んでおり、しもその好機を得られなかった折柄、幸にして依田社長は戦前における小売業界から受けた人格的好評が結局買われることになり、服部時計店の業勢拡張当時の視線に登場したことから服部時計との取引を開始、今日の著大勢力を持つようになったのである。
東信商会としての販路は、主として東京都内、関東、東北、北陸地方を中心にしており、取引先は何れも堅実精選本位に行われているようである。かくて時計卸界に重きをおいていた依田社長は、「東京都時計卸商業協同組合」に所属し、昭和三十四年の総会で東京都時計卸商業協同組合の五代目理事長に就任した。以来、組合事業を中心にして、業者間の連絡と協調によく努め、小売業関係の諸般の交渉に当ってはたゆまない努力を払っており、常に卓越した円満策が発揮され好評を博している。従って組合においても信認が厚く、理事長に就任してから既に四選目を経過しても信任が厚く、引続きその重真を果たすことになっている。
一面、この依田社長の店員諸君に対する訓育が注目される。仕事に対しては情熱を傾けて打当り、手をつけた仕事はあくまで、どのような障害があろうとも、まとめあげて終うことだ。という自己性を強く発揮するところに人としての伸長性があると説いている。寛永年間時代から信州小諸の庄屋の旧家に生を受け、筋がねの通った家訓、そして信州人特有の勤勉、風雪に耐え貫くという気概はよく善良な店員の育成に役立っているようである。だから、このことは組合内でも共通して用いられ店員諸君に対するゼミナールなどの場に際しては、チームワークのとれた業績を、という点にしぼって平和を保ちながら発展隆昌に導くという貴重な氏の体験を施す場合があり、感激をものにしている。明治四十五年一月十一日生れ。業歴は服部時計店の特約系列卸店として特級の地位にあり、繁栄している。

元オリエント時計の前身 株式会社吉田時計店
明冶三十四年上野元黒門町で時計の卸業を「吉田時計店」としてスタート

本店=東京都台東区上野二―十二―三
電話:八三二:二三二一代表
大阪営業所=大阪市南区塩区通り三―十四
名古屋営業所=名古屋市中区伊勢町三―九
札幌営業所=札幌市南二条西五丁目

業種=輸入及び国産時計の卸売り販売と貴金属類の販売
資本金=3千万円
代表取締役社長=高木勲、取締役会長=吉田壽太郎、専務取締役=岡田政人、常務取締役=高木孝、取締役=森川幹造、成瀬勝、高木克二、監査役=水野福徳、堀江賢三。
株主=百五十名、従業員=百五名。
沿革=明冶三十四年三月、吉田庄五郎が上野元黒門町で時計の卸業を「吉田時計店」としてスタート、大正九年に置き時計の製造に着手した。東洋時計製作所を設立、大正十二年、時計類の直輸入を開始、昭和六年大阪に支店を開設、昭和七年次いで東洋時計の上尾工場と日野工場を竣工、腕時計、タイマーなどの製造を開始した。これが元オリエント時計の前身で、昭和十八年、東洋兵器鰍ニ商号を変更、腕時計の製造販売を再開する。昭和二十五年、事業の不振により各工場を独立させ、東洋時計は閉鎖、昭和二十六年四月、卸部門のみを再開、葛g田時計店として吉田寿太郎氏を社長にして設立、昭和三十三年三月、高木勲社長に変更して現在に至る。

創業以来セイコー専門売り捌き所として発展を遂げている山田グループ
山田徳蔵氏をヘッドに四人兄弟が仲良く経営

沿革=現社長の山田徳蔵氏が個人営業にて山田時計店を創立、創業以来セイコー専門売り捌き所として発展を遂げている。昭和二十一年、株式会社に改組、三十五年に地上五階地下一階建ての現社屋を建設、同時に仙台に且R田時計店を開設して東北地区を開拓した。
昭和三十八年、ロンジン、オリエント時計の卸商社として且R五時計店を新設、四十年山田時計店より雑品類を移動させ、且R田商会を設立した。

株式会社山田時計店(セイコー専門卸)

本社=東京都台東区上野五丁目十五番十四
電話:(八三二)五二八一(代)
取締役社長=山田徳蔵、取締役副社長=山田秀夫

株式会社仙台山田時計店(セイコー専門卸)

本社=仙台市東八番丁一〇七〜七六
電話*仙台(五七)二四六一(大)
取締役社長=山田徳蔵、取締役副社長=山田盛三


株式会社山五時計店(ロンジン、オリエント時計の卸)

本社=東京都台東区上野五丁目十八番九号
電話=八二二:六六五九
取締役社長=山田徳蔵、取締役副社長=五味邦友。

株式会社山田商会(貴金属、真珠、ブラウン、シックカミソリ等耐火宝庫卸)

本社=東京都台東区上野五丁目十五番九号
電話=八三四:〇九三一
取締役社長=山田徳蔵、取締役副社長=山田照雄

ピアジェはじめ高級ブランドの直輸入商社 平和堂貿易株式会社
明治時代に高木時計店を継承して昭和二十七年四月に時計卸業を再開

本社=東京都中央区銀座西八丁目七番地
 電話(五七二)四四六一代表
代表取締役=高木克二
業種=時計とダイヤモンドの輸入並び雑貨類の輸出入。

業歴=兜ス和堂は、明治時代に創業した祖父高木庄兵衛氏による高木時計店を継承して昭和二十七年四月に時計卸業を再開した。この頃は物資の取揃え困難な時代であったので、この間難渋を重ね、昭和三十一年貿易部門強化のため資本金四百万円を以て平和堂貿易株式会社を設立した。
時計類の輸入部門では、テクノス、ローヤル、モンディア、ウォルサム、ピアジェの各種に及び日本総発売元として堅固な販売地盤を築いている。この間、昭和三十三年に吉田時計店(資本金九百五十万円)の経営を継承、続いて同三十四年にウォルサム、エレクトロニック株式会社を設立して輸入業務の拡大を図る。
輸入業務の関係では、昭和二十八年設立した「日本輸入時計懇和会」のメンバーに参加して、その後「社団法人日本時計輸入協会」の設立に際しては、率先して参加協力して、輸入時計業界の円滑なる進展に備え、諸般に渡り積極的に努めている。現在は、日本時計輸入協会の常任理事の要職にある。

《ダイヤモンド部門》 社会生活の平和な状態が進行すると人々のアクセサリー化も進んでくる。従ってダイヤモンドを主とした天然宝石類の需要が高まり、輸入統計部門を極度に膨張させている。この現況に対応する意味で、世界的に名声高いアムステルダムの超一流ダイヤモンドメーカー、アッシャーダイヤモンド社との特契に基き、同社ではプリンセス・ダイヤモンドの輸入販売を行なっている。このプリンセス・ダイヤモンドは、永遠に変ることのない世界的適貨に代る貴重な存在であると共に、このプリンセス・ダイヤモンドには独特の多面カットを施したまったく新しいカッ卜のダイヤモンドである。良品を求める希望のお店は同社で取扱っているこのプリンセス・ダイヤモンドを販売して、利益をあげてもらいたい、というのが平和堂の提言である。

スイス・ラドー腕時計日本輸入総代理店 酒田時計貿易株式会社
昭和三+九年度、舶来時計界宿願の市場占拠率第一位を占めた

本社=東京都台東区東上野一丁目十九の六。
ラドー東京オフィス=東京都台東区東上野一丁目十九の十。
サービスセンター=電話:(八三三)二八〇一代表。
支社=大阪市南区鰻谷仲之町四の一(二ュー長堀ビル)
資本金=三、六〇〇万円(四十一年二月一日現在)
代表取締役社長 酒田武敏

社歴=創業は、昭和二十三年二月、有限会社酒田時計店として発足。昭和三十年十二月株式会社に改組。昭和三十三年四月、予ねて折触中のシユラップ・アンド・カンパニーとスイス製ラドー腕時計に関し、日本総代理店契約を結ぶ。同年十月、初めて日本時計市場にラドー腕時計の真価を問い、そのユーニークな品質をもって市場にアピールした。以後同社は「王者の風格ラドー」腕時計の輸入卸の専門経営を志し、今日に至る。
概況=ラドー腕時計が一挙にその知名度をあげ得たのは、昭和三十七年に実施した広告キャンペーン「ラドー・ファミリー・コンサルタント」に負うところが大きい。当時ラドー腕時計は、その特異なデザインと、稀に見る高精度により高級スイス製腕時計としての評価はあったが、ユーザーにアピールするには至らなかった。しかしながら、商品モニターとして文字通り嚆矢を極めたこのキャンペーンの実施により、“王者の風格ラドー”の名声は全国に高まった。即ち昭和三十八年から三十九年に亘る両年度の平均伸び率(約五十%=消費者購入数量)は、その間の事情を如実に物語っている。とりわけラドーにとって記念すべきことは、昭和三+九年度に於いて、舶来時計界宿願の市場占拠率第一位を占めたことである。それは恰も新旧交替の厳しさにもたとえられよう輸入歴六年有余のラドーが堂々と戦前派を押え、四分の一の市場を占拠し得たことは、やはり特筆すべき事柄であろう。次いで四十年も更に躍進した。対流通作戦、対消費者作戦等の新戦略が、ことごとく寄与し、その市場占拠率は前年を上回り、三分の一強となった。しかしながら、ラドーに課せられた命題は、更に続く。より多くの消費者により、良いラドーを供給するという偉大なるテーマである。
経営理念=ラドーの顧客はつまるところ消費者である。したがって消費者に応えられざる経営はないと考える。そのためには、先ず精度の良いラドーを創ることであり、そして完全サービスを提供することである。もちろん現行のラドーパーフェクトサービス(品質保証、動産総合保険、交通事故傷害保険)が時代に応じて更に発展することは当然である。経営姿勢は、常にメーカーとしての思想に立ち、専門経営を旨とする。精力を分散することなく、力を集中することこそ大きな成果を得られるからである。しかしながら戦力の養成はエスカレーションしていた。日々の実績を積み重ね、一歩一歩慎重に歩をすすめる構えである。ここでは無理、無謀な経営はない。もちろん新しいものに対する追求は見逃さない。新手一生、先手必勝の信念の下、会得したアイデアは、販売、広告、人事、商品等あらゆる分野に応用する。それが経営の魅力であり、発展の礎であると信じる。



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