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ヤミ物資の第三期的症状時代
食糧事情を筆頭に、生活物資の総てがヤミの時代

《昭和二十年》 終戦後の日本の社会状況を概括すると、昭和二十年の終戦時を契機にし
て、その年の十一月頃から、物ごとの動きが始められたと見ていいようだ。
だから昭和二十年の暮は、これまで経験したことのない淋しい越年であったわけである。つまり、正月という明日への光明も持ちえない哀れな状況下であったからである。だから正月の元旦だからといって、正月らしい風景もなければ又そういう気持にもなれなかったものである。
然しヤミ物資の動きのお陰で細々ながらではあったが、オトソとお餅という程度で正月気分を味わうことが出来たという情景だったのである。ただし、この程度は良い方の生活環境であったと見たいもの。従ってこの頃を過ぎてからは、何ごとにつけても物の動きにはヤミというものが付きものになっていったわけである。
食糧事情を筆頭に、生活物資の総てがヤミということで動くようになっていたのであるから、勢い業界関係の商品の動きについても、総てヤミ値がついて回っていたのである。それらを終戦後第二期の頃といえばいえるのであろう。このような状況は、昭和二十五年頃まで続いたといっていいだろう。
つまり、ヤミ時代の中期とでもいえようか。誰もかもヤミという気分には馴れて来ていた。昭和二十六年頃からはその第三期という頃合いになる。

輸入時計業者団体「輸入時計業者懇和会」を設立した
有力な輸入業者13社を集めて

《昭和二十七年》 昭和二十七年頃になってからは、時計の購買力がだんだん伸びていったように見られていた時だ。然しヤミ時計の市場進出は、依然として低まってはいないようだったので私は考えてみた。
如何に敗戦したからとはいえ、何時までもヤミ時代そのままの状態であってはよくない。時計界の改善のためにも、必要な範囲の時計の輸入量は認めさすべきであると決断がついたので、さっそく私はその面の活動に移ることにした。
その最初の段階として企画したのは、第一に時計の輸入を行っている業者を集め、業種団体を作ることであると考えた。そこで業界のメンバーを一応調査した上で、昭和二十七年六月七日を期してスイス時計の輸入をしている業者に対して「輸入時計業者懇和会」開催の案内を出した。そして上野・精養軒に集合してもらった。
この日集まったメンバーは、当時の大手輸入業者の椛蜻商会(岩沙、増田)、日本デスコ梶i加藤)、ヘラルド・コーポレーション梶i草日)、潟Xイコ(鹿野)、シーべルヘグナー梶i小倉)、リーべルマン・ウェルシュリー・カンパニー梶i亀田)、樺央時計商会(肥田)、平和堂貿易梶i高木)、竃x田時計店(小田切)、潟Vュルテス商会、太洋貿易梶A相互貿易梶Aシュリロ貿易鞄凾ナあったと記億している。
会談の結果は、私の抱いていた時計の輸入許可陳情運動を起こして、広く時計業界に認知してもらうという点で一同賛意を表してもらい「日本輸入時計懇話会」なるものの団体の設立にこぎつけた。確かこの席に小売業者を代表して、銀座の金山重盛さんも参加してもらった。
国内における時計の需要は、月間ザット六十万個ぐらいと予想されていた。ところが、この頃、国内における腕時計の生産量は、次のような状況が記録されていた。

昭和二十七年:百二十一万個
昭和二十八年:百六十一万個
昭和二十九年:二百万個
昭和三十年年:二百二十四万個

輸入時計懇和会が設立されてからは、事業活動のために1ヵ月二千円宛の会費を徴収して会の運営を行った。そしてその結果、日本の時計界では有史以来始めての輸入時計の大展示会を開催することに決め、一切の企画は私の手で進めることになったのである。写真は当時の有力な輸入業者の顔ぶれ。

日本初の「輸入時計大展示会」を開催した
東京・銀座の松屋デパートの七階で

《昭和二十八年》 以上のような経緯によって、輸入時計を正規のルートによる輸入を促進するという意味から、輸入業者団体の懇話会の設立を見ることになった。
その翌年の昭和二十八年六月六日より十五日間に亘って、東京・銀座の松屋デパートの七階で「輸入時計大展示会 」を開催した。最初の計画では、会場を日本橋の三越にしたいと
思って交渉したのだが、時間的な関係でうまく行かなかったのである。
銀座・松坂屋の選定には、金山重盛さんの協力も大いに役立っていた。とにかくこの計画は図に当った。何故ならば日本で輸入時計専門の展示会を開いた例は、一度もなかったのである。私が神戸、大阪方面をとび廻って輸入関係業者とは、既に四十年を過ぎる深い馴染を持っていたが、その間にも一度の催しを見たことがない。それに又、戦後の混乱期の中にあった頃だっただけに、この計画は大成功した。
従って、この時の展示会に参加した企業は、服部時計店、シチズン時計等の国産メーカーを始め、輸入時計を取り扱う全商社が参加、盛況を収めた。
六月六日の開場式当日は、スイス公使(この頃は公使館)が出席して祝辞をのべられたので一段と意義づけた。そして六日間の期間は大過なく済んだ。このときの展示会の光景をカラー印刷にして、日本の全業界はもち論のこと、スイスの全メーカーにまで本紙(時計美術宝飾新聞)を通して宣伝したので、日本の時計界の存在がいやが上にも光彩を放ったことはいうまでもない。だから本社に宛てて数々の賛辞が寄せられた。

「輸入時計大展示会 」に協賛した当時の15の商社名

大展示会への出品商社名は次の通り。
太洋貿易KK(ラコー・ブライドリング、)ヘラルド・コーポレーション(エニカ、オレオール、ドクサ、ウイトナー、バルカン、マーテイ、チソッ卜、モリス、インビクター)、 オメガ・サービスステーション、天賞堂、平和堂貿易KK(ウォルサム他)、服部時計店輸入部(ロンジン)、大沢商会(モバード)、シチズン商事KK(ミドー、セーフト)、シュリロ貿易KK(インターナチョナル、シーマ、ナルダン、サンドーズ、ギラード、ポールビューレ)、中央時計商会(ブローバ)、KKスイコ(ウイラー、エキセルシヤパーク)、デスコドシユルテス商会(オーデマ・ピケ.エテルナ、ホイヤー、グレドス、コラル、チユガリス、サーティナ、エンヂュラス、ルービング)、リーベルマン、ウエルシユリー商会(ロレ
ックス、マービン)、日光商会(ユニバーサル、ウエコ)、相互貿易KK(ウオッチ・マスクー)。写真は、銀座の松屋デパートの七階で行われた「輸入時計大展示会 」の会場入り口とスイス公使が祝辞を述べているところ。右側が本紙の藤井勇二社長。

昭和二十七年頃の時計の需要状況
漸次ヤミ取引時代が精算されていったようである

《昭和二十七年》 この頃時計に対する日本人の愛好心はすこぶる強められていた。戦争のために死んだ人の数もあるにはあるが、それでもなお八千万人は降らない人間が、この限られた日本の狭隘な地域に生き長らえていかなければならないのであるだけに、働かなければ喰えない時代であるという観念からか、人間的活動上に必需品となって来た時計は、誰の眼から見ても欲しがられていたものである。だからヤミであろうが、正規であろうが構わない。人々は自分の許すサイフの力の限度において、買い求めたいものと願っていたのであった。
ところが時計の供給力はどうか?というと、吾国ナンバーワンの世評にある精工舎製品が何と月産六、七万個という時代であったのだから、大約月産量六十万個位の消化を欲求していたこの頃の需要力には、ほど遠いものであったのだ。
ヤミの時計のルートに関係を持つ業者筋では、この状況を見たためか特別非常にこの時計の面に力を入れたものであるようだ。
この二十六年頃から二十七、八年ごろに及んだこの間のヤミ実績を衙かれて東京税関につかまえられた某輸入商社の罰金額が、なんと三百七十八万円にも達したというのだから、この間の輸入量の程度が想像出来たであろうと思う。
だが然し、日本の時計界でも何日までもこのヤミ事情が続くわけには行かなかった。昭和二十七年ごろには、世情が段々平静の状態に回復していった。
時計関係の部門でもこの頃は、OSSの払下げに続いて、私の新聞社が主催して出来た輸入業者による懇和会という団体の設立などを機会に、漸次ヤミ取引時代が精算されていったようである。それはヤミ物資を取り扱うことによって利益する反面、そのヤミ行為により罰せられる場合の事件代を算定したときは、利害相反する結果ともなり、一面では、未だにヤミ物資を取扱っているという非難を避けようという気持になって来たからでもある。だから旺盛を極めていた時計関係のヤミ時代は昭和二十七年の頃をもってス。キリした時代への転換期に移ったといえるのである。

「日本時計輸入協会」の設立と大蔵省関税部の活動
正式に輸入許可を認めて貰った数量は二百万個位

《昭和二十八年》 日本の国内事情が漸次整備されてきた関係で、治安方面の取締りも前進してきた。ヤミ物資の取扱高についても、当局の活動が見られるようになって来た。
昭和二十八年に入ってから、遂に社団法人組織による「日本時計輸入協会」が設立されることになった。理事長には、戦時中、商工省の物資局長官を任じていた千葉県出身の衆議院議員の始関伊平氏を招聘してスタートした。この日本時計輸入協会の発会式には、輸入時計懇話会設立者の関係もあって私も列席した。
この協会のメンバーに連なったものは、時計輸入協会というハッキリした団体が出来たことによって、明るく開かれた時代への再スタートを切ったような輝きに満ちていたのである。
然し、この当時この時計輸入協会に加入したメンバーは、俗にいって、猫も妁子もという程度で、確か七十余名という多数に及んでいたようである。この頃の大蔵省側でもやっと諸物資の取扱状況について特に注視するようになり、関税部の中の審理課というのを監督して、ヤミ物資の摘発に乗出した。勿論、時計とダイヤモンドの関係についても、当然輸入してくるルートについて細かい調査などを進めたものである。
そこで、この調査によって当面の問題に取り上げられたのは、輸入時計の古物品についての処理ということであった。勿論大蔵省側では、古物品なる時計の関係についても、事前に調査をしていたようである。
そこで、小売店頭に現に列べて販売に供している時計については、どう取扱うか等の点で東京時計小売組合側の代表などとも打合せた結果、兎に角、進駐軍将兵からの横流れ的な処分という特例の下に処理することにして貰い、それを組合が一括処理する方式をとったので、昭和二十八年から働きかけた、この処理事項は昭和三十年にまで及んだので大した騒ぎを演じたものである。それでも、表面上は当然違反事項に取上げられるべき問題であったものを特別処理ということで、ケリつけることになったことは甚だ仰幸であった訳であり、この当時が終戦後のヤミ時代から絶縁することになった最大のヤマ場であったのである。
但し、このような画期的な騒ぎを演じつつあった中で、一方では日本時計輸入協会としての立場で、正式に輸入許可を認めて貰った。その数量は二百万個位になっていたようである。従って時計の輸入許可量が僅少ということから、輸入許可証書だけでも、相当にプレミアがついたという時代であった。業者間では、この輸入許可証をめぐってプレミアつき取引時代が展開されており、賑やかな風景であった。この頃、輸入時計を専門に取り扱っていた商社と当時のブランドは大体次のようにあげられる。
△日本シーべルヘグナー梶iオメガ、チソット)、△リーベルマン・ウエルシュリー商会(ロレックス)、△シュリロ貿易梶iインターナショナル他)、△ヘラルド・エンド・カンパニー梶iエニカ、シーマ、グルエン、ジュべニャ、オレオール、あとで日東貿易が継承)、
△日本デコスシユルテス商会(エチル六サーテイ六才Iデマピケ)
△椛蜻商会(モバード、ジャズ)、△兜桾博梃v店輸入部(ロンジン、ジラード外)、一新時計梶iブローバ)、△平和堂貿昜梶iテクノス、モンディア、ローヤル、ピアジェ、ウオルサム)、△潟Xイス時計輸入商会(ウイラー、ナルダン、エキセルシャパーク)、△瑞穂商事梶iビュ1‐レン、レビュー、ユーハンス)、△竃x田時計店(エレクション)、△村木時計梶iプレシマックス、ユニバーサル)、△東邦時計梶iゼニット、ドクサー、ニバダ)、△洒田時計貿昜梶iラドー)、△豊陽商事梶iキャミー)、△潟Gデイキン商会(フレコ)、△活髑コ時計商会(リップ、グリシン)、梶「大洋商会(モットー)、△新日本時計梶iべンラス、イメージ)、△シチズン時計梶iミドー、エンベ)、△リコー時計梶iハミルトン)。

落ち着いてきた古物品旺盛時代の業界
物資面におけるヤミ価格での取引状態はまだやみそうもなかった

《昭和二十五年》 いろいろな変貌を見せて来た時計業界も昭和二十五年を過ぎて二十六年頃からは、何れともなく所次落ち着きを見せて来たようだ。だが、物資面におけるヤミ価格での取引状態はまだやみそうもなかった。この当時の業界は次のような状況をみせていた。
時計が表面切って入荷を証明出来るものは、腕時計では国産のセイコー、シチズン、オリエントだけである(オリエントは昭和二十五年に再組織して発足した高野時計だった)。
この他に舶来時計はあるにはあったが、何れ正統に入荷された筋合のものではなかったのである。それだけに、しいてあるとすれば、外国から持ち帰ったものか、又は進駐軍からの横流れのモノであった。
従って、舶来時計は仮に、その品物が店頭に列べられていたとしても、それを統一した価格はつけられなかった性質のものだ。だから客筋は舶来時計の陳列品があれば、その店の中に入って行って、時計の値段を聞いてから買ったものだった。だから店内における客との応対ぶりは、その客が素人であるか、または玄人筋かを一応警戒しながら取引に応じなければならなかった。
だから陳列時計の殆んどは、古物品として取扱われていたのである。この頃の古物業者への供給筋では、案外小売業者の側からは、人気を博し、珍重がられた存在であったのである。

古物時計の取引上の標準相場を新聞紙上に掲載した
流通史上に革命的所産を示したことになった

《昭和二十五年》 そのような当時の時計業界の状況に対処するため、私はこの頃から古物時計の取引上の標準相場を私の新聞紙上に掲載することにした。つまり、新品同様の品物を一として、二位は、古さが二番手、機械がキレイで側替えを要する程度のもの等、内訳して中庸の値段を出したものだ。それを実行したことによって、地方の小売店や時計卸の仲間業者からは、特別な称賛を博した。
ところが、仲間の業者の中には、自分らの取引している現品の取引値段がそのまま新聞紙上に発表されるのでは、具合が明らかになってしまうから取引上うま昧がないと言った考え方を持った向もチラホラあったようである。
然して、日ならずしてこの雰囲気も解消して、この標準相場表そのものが取引上に大いに役立つようになり感謝されるようになった。これなどは、取引上一つの新しい型を打出したことになった。いうなれば、流通史上に革命的所産を示したことになる。この標準相場表は、時計の場合だけでなく、ダイヤモンドについての取引価格でも同じようなことがいえるのである。ダイヤモンドに対する価格を本紙上に掲載し、取引値段を公表することになったそれ自体が、何となく業者らの取引上の権益を侵すような感覚を持つ向もあったようである。現実には地方業者間では、本紙上の公表値段が大いに中値式の価格に役立つものだと喜ぶようになったのである。
このように、一つの改革とそれを断行するということは、当初はショックらしい感じを受けるが、それらが自然にならされるまでは、一種の錯覚を生みやすい。
だから、それから後の時計界は、古物時計に関する相場表の活用が強くなり、現在でも、それに馴れて利用している向が多くいる。

関時連の定時総会に東京時計組合役員が殴り込み
金山重盛氏以下、河内録幣、千野保氏等も同調して結局二十余名

《昭和二十六年》 時計界の団体の種類には、全国を統括する「全国時計宝石眼鏡小売連合会(全時連:略称)」があり、その外に地区ブロック団体に次いで、県単位の連合会が生れている。従って、東京を中心に近接してつながる関東地区の県連を集めたブロック団体が「関東時計宝飾眼鏡小売連合会(関時連)」という名称で営まれ、関誠平会長がここの主班に当っていた。
ところが昭和二十六年、千葉県の船形において関時連の定時総会が開かれることになった。このとき東京時計組合の理事長は金山重盛氏が就任していたので、東京時計組合首班即関時連会長という慣例から見て、東京時計組合の理事長を辞めた関誠平氏が依然として関時連の会長をやっているのはケシからんということになった。しかこの時の総会はお盆にならない前たったから、六月の下旬のように思える。
とにかく、関時連の会長は、東京時計組合の代表が兼任すべきものだから、役員の協力を求めたいとの希望が打出されたものだ。所謂、関時連会長のイスを奪取しようというのが狙いだったといえる。
一人分の費用として五百円を組合から支出したほかは、金山氏個人が全部負担するからということで役員に総会への出席を求めた。河内録幣、千野保氏等も同調して結局二十余名が大挙して千葉県の船形に押しかけ、さながら殴りこみをかけるようなその場の情景を想いうかべると笑いたくなる。
ところが関誠平氏を掲げる千葉県時連側では、特にこの日、館山地区の業者に出動を請い、強力な抵抗を張ったのであった。この事態に関心を深めた今野神奈川県連会長が立上って鋳を入れ、両者の激突を寸前で押えたのである。
つまり決戦の結果では、面白くないことになるということを見抜いたからである。そして今野氏は、その場で言明した。「もしも私のいうことを聞き入れないならば、神奈川県時連は、関時連を即時脱退する」と態度を明確にした。このことがあったので、席上の空気を一変させた。
その結果、「それでは次期首班の選任は今野神奈川県連会長にお預けしようではないか」ということになり、その場は無難に切り抜けた。しかし重荷を背負わされた今野氏は、それから約半年苦しんだ結果の挙句、ついに横浜市の野毛山公園の迎賓館に関誠平、金山重盛他数名の関係者を集め、懇談調整に努めた結果、金山重盛会長就任ということで一先づは業界の平静化を計ることになったのである。
こういう形がとり続けられたのを利用して、山岡猪之助氏の東京時計組合の理事長時代にも、関東時計宝飾眼鏡連合会の会長を以前把握したままであったなど、この間いろいろな感情の縺れが起こり、湯河原での総会を契機に決別することになった。
以来、東京時計組合は、関時連とは別に、東京単独のブロックを形成して、全時連傘下に入ったというのがこれまで辿ってきた団体間のコースである。

昭和二十五年頃の舶来時計の標準価格表
懐かしいブランドが並んでいる

O六型大虫並物級銘柄品K18金側:5,800円以上。
   同       K18金側:6,200円見当。
O六型大虫中級銘柄品 18金側:13,000円以上。
    同      18金側:15000円見当。
    同      18金側:20,000円以上。
(註)ロンジン、オメガ、ナルダン級の品物は30,000円以上となる。
    る
O十二型丸変中三針 ステン側:3,800円以上。
    同      同  :4,200円見当。
    同    トップ金BS:4,500円以上。
    同    トップ金BS:5,000円見当。
O男物角型変形オール金張 べンラス番品:4,500円以上。
    同        同      :5,000円見当。
    同        同      :6,500見当。
    同      べンラス新品同様 :9,000円以上。
    同      べンラス新品同様 :12,000円迄。
    同      グルエン二番品  :5,500円以上。
    同      グルエン二番品  :6,500円見当。
    同      グルエン二番品  :8,500円程度。
    同      グルエン二番品  :10,000円位。
    同      グルエン新品同様 :13,000円以上。
    同      グルエン新品同様 :15,000見当。
    同      エルジン二番品  :8,000円以上。
    同      エルジン二番品  :9.000円見当。
    同      エルジン二番品  :12,000円程度。
    同      エルジン新品同様 :15,000円以上。
    同      エルジン新品同様 :17,000円見当。
    同    ブローバ二番品17石 :5,500円以上。
    同    ブローバ二番品17石 :6,500円見当。
    同    ブローバ二番品17石 :7,500円程度。
    同    ブローバ二番品21石 :8,500円以上。
    同    ブローバ二番品21石 :10,000見当。
    同    ブローバ二番品21石 :12,000円程度。
    同 ブローバ二番品21石新品同様:15,000円以上。
    同 ブローバ二番品21石新品同様:18,000円以上。
    同      ウイットナー二番品:6,500円以上。
    同      ウイットナー二番品:7,500円見当。
    同      ウイットナー二番品:9,000円程度。
    同  ウイットナー二番品K18金側:10,000円以上。
    同  ウイットナー二番品K18金側:12,000円見当。
    同         エニカ古物品:2,500円以上。
    同         エニカ古物品:3,000円見当。
    同        エニカ新品同様:4,500円見当。
    同         モリス古物品:3,500円以上。
    同         モリス古物品:4,000円見当。
    同         モリス二番品:5,000円以上。
    同         モリス二番品:6,500円見当。
    同       ロンジン新型古物:8,000円以上。
    同        ロンジン二番品:10,000円見当。
    同        ロンジン二番品:13,000円程度。
    同       ロンジン新品同様:18,000円以上。
    同       ロンジン新品同様:20,000円見当。
    同    ロンジンK18金側二番品:12,000円以上。
    同    ロンジンK18金側二番品:15,000円見当。
    同    ロンジンK18金側二番品:20,000円程度。
    同          メツバ古物品:2,000円以上。
    同          メツバ古物品:2,500円見当。

輸入時計の取扱量をいかに増やすかの許可運動
本社から発信したアンケートが功を奏して

《昭和二十六年》 然し何といっても、この頃はまだまだ総てがヤミ時代であったのである。従って、もし一斎手入れでもあった場合は、時計界はおよそ倒産してしまうというほどの危険を感じないわけにはいかなかった。今の中に何とか手を打つ必要があるという考えから、この面に関して手を打ったのは前に述べた警視庁特別捜査第三係の外人係に接衝して、舶来時計の取扱を防犯面から捜査に協力するという建前を以て、漸定的に黙秘するという形をとって貰うことにしたものである。いわゆる協力に対するお土産。
その効果は、全国の時計業界に偉大な効用をつくしたことになった。その結果に鑑みて、昭和二十六年には舶来時計の輸入許可促進についての意見を、各地区の組合代表者から集めることにした。当時、本社から発信したアンケートの内容を明記すると。

@ 現在の時計扱量で満足しているか、
A 舶来時計の輸入許可を希望するか、
B これらの許可の陳情を行うことの可否、
C その他、当局に対する意見の具申。
というようなものであったが、何れも現状の時計量では足りないという意見が圧倒的に回答されて来た。そこで、私はこの意見書を取まとめて当局に陳情し、輸入時計は業界の必要量に応じて許可されるべきものであることを強調し、業界の利益のために大いに努めたのである。



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