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僅か三十億円で日本の養殖真珠事業が全部外国資本に独占される可能性が
真珠業界に特別融資をお願いする理由

《昭和二十九年》 【真珠は日本独特もの】我国の養殖真珠は、世界に類例の無い独特の産業であり、欧米は勿論のこと、未開国の文化が進むに従って、その需要は益々増大し、輸出産業としての真珠は、将来永久に外貨獲得の面で、国家に大きな貢献が出来るものと確信いたします。
【真珠と他産業との異る点】日本の貿易を振興させる何れの産業と雖も、常道とするころは、生産原価を国際物価の水準にまで引き下げるか、独り真珠の輸出を増大するために、これと反対に、価格の安定を図るか、乃至は、暫時の歩調を辿るかの何れかの途を選ぶことが絶対に必要であります。
その理由としては、この真珠は生活必需品ではないが、ひとたび価格が下落すれば世界の人に、一般大衆は、その価値を疑い、買入れを差し控える。その結果、輸出は困難となり、相場が上昇する機会を失うことになり、輸出が不可能になる危険性もある。真珠を買い求める人々の心理は、装飾品として文化生活上必要であり、且つ、何時でも換金の出来る資産とも考えているので、他の消費物質とは異る。以上の如くして、真珠の輸出増進を計るには価格の安定が絶対条件である。
更に一歩進めて、浙謄の歩調を辿るよう施策を講ずることが絶対必要である。従ってこの際、国家が積極的に、真珠の価格を安定し、浙膤の傾向が進まないようあらゆる施策を施すことが当然の義務であると考えます。
【外資の導入】真珠業界には外資を導入することは極めて容易である。既に、その交渉も受けている。外国資本を僅か三十億円導入すれば、日本の養殖真珠事業は挙げて全部外国資本に独占される可能性があり、国家の前途に非常な打撃を与えることは明らかであるので、現在業界は資金に苦しみながらもこの外資の導入を拒んでいる。
この見地からも、日本独特の真珠事業を育成助長する意味で、特別の金融処置を講ぜられることが至当と考えます。
【真珠業界の現状】真珠業界は、政府のデフレ政策の結果、短期資金と雖も市銀の圧迫により非常な困難を来たし、その結果、手持品の投げ売りとなり価格の漸落を来たし、輸出面で多大な被害を受けている。今後このまま放置すると、やがては真珠業界に倒産者が続出、乱売戦が展開され、価格は日ごとに下落するのみではなく、再び反謄への歩調を辿らしめることは永久に困難となる。就いては、この急場をしのぐために速やかに特別の金融施策が必要と存じます。
【真珠に対する根本策】真珠の養殖には、五年乃至七年の永き歳月を費やすので、去る二十七年の国会に於ては、「真珠事業法」までも成立させているが、未だにその施策は水産当
局並に真珠審議会で審査研究中である。現下、急変の激しい経済界の対象には、なお縁遠いことは誠に残念である。
養殖資金が一回転するには、同様に五年から七年の長期問を必要とする。また加工の面では、六ヵ月乃至十ヵ月一回転の長期資金がなければ出来ない事業である。従って、現在の業界の状能、即ち、中小企業体では荷が重すぎて、国家が特別の保護政策を行わねば、事実上価格の安定を期することは困難である。
これが根本対策としては、国家が専売制を行なうか、一括購入の政策を取るか、或はまたダイヤモンド政策、共販制の如き根本対策を立てるかにある。現段階にあっては、取り敢えず前途有望な輸出商品であるから、輸出に対する相当額の一時的金融の道を講ずることが当然である。
【輸出の現状】現在輸出量が増加しても、金額が増大しない。その理由は、市価が下落し、
商品自体の将来に不安を感じさせている点にある。その証拠としては、バイヤーが前途に不安を感じ、手持商品をたえず買控えをしている結果である。従って、輸出量は増加しても外貨取得の金額が増大していない、これが現在の状況である。もし、これと反対に市価が安定し漸謄の傾向にあれば、各バイヤーは安心して手持商品を多く仕入れ、市価も自然上昇し輸出の振興にもなる。その証拠に別表を参照すれば明瞭である。
【輸出振興上、多量の手持ちが必要】真珠の輸出を増大するには、国内に多量の手持品があることが必要である。然るに、現在の日本内地には手持ち品は極めて小量で、多くは海外に輸出されている。そのため真珠は日本で生産されながら、その完全な加工品、即ち、その時々の流行品は何れも欧米で作られ極めて有利に販売されている。若し国内に多量の手持ち品があれば、日本で発案した流行品を輸出することができて外資獲得上、極めて有利となる。完成した流行品を輸出するために国内に、多量な手持品が必要であるが実際にはその反対である。
その理由は、業者が金詰りの結果、換金に迫られ。その年に浜揚げされた品物をその年に売却してしまうからである。もし、業者に金融の道が開かれているならば出来るだけ多量の品物を手持ちとし自己の手許で完全なる選別、即ち品種別の選別、巻完成、厚巻は厚巻、薄巻は薄巻と、大小それぞれに応じた流行品を作り、有利な立場で輸出することが出来るのである
就いては、輸出を有利に、しかも増大させるためには
I、養殖業者の資金回転は五年乃至七年に一回転、極めて長期にわたる仕込資金が必要で
あること。
2.加工輸出業者も、資金五ヵ月に一回転、しかも、色・巻・大小等の点で多量の手持ち
品、多額の運転資金を必要とする。
以上の点を充分認識して、真珠業界にそれ相当の特別融資の道を開くことか当面の急
務であります。
【漸落の原因】現在の業者は前述の通り、資金の面で非常な困難を来している。即ち業者と金融機関との関係を見るに、たとえ、金融の道があると雖もそれは六十日乃至九十日が常道で、六ヵ月一回転の特殊商品として、自然に僅少の利益でも換金を急ぐから、乱売の結果、漸落歩調を辿ることになる。その証拠には、本年六月別表の如く僅か一億六千万円の担保付金融を受けたのみで二割から三割五分の漸勝歩調に移っている亊実に照らして明瞭であります。
【結論】要するに、養殖真珠の輸出を盛んにし、外貨をより多く獲得するには、価格の安定を計り、いわゆる漸落の傾向を未然に防止することである。価格の安定を図るには、業者に簡単にして容易に金融の道が開けること、また融資は確実に返済出来ることは過去において証明している。言い換えれば、特別融資による相場の平漸、即ち輸出振興策であるとの結論が生まれてくる次第であります。
これらの事情を検討の上、速やかに特別融資の道が開けるようお願い致す次第であります。
日本真珠振興会
日本真珠輸出組合
協同組合日本真珠交換会
以上、第二回目の融資が成功したことにより三輪豊照氏の真珠業界における存在は、弥が上にも高められた。その結果、日本真珠の養殖事業は、目ざましい発展をとげ、昭和三十二年に到っては「日本真珠祭り」を敢行して不良品を海に投げ捨てる実演を敢行するなど日本真珠業界の歴史を飾ったのであるが、三輪氏は昭和三十三年五月、六十五才を最後に他界され惜しまれている。

昭和二十九年 東京組合が関時連から分離
 
八県連に加え中央時計宝飾品協同組合を合わせ当時の勢力は、二千八百余名

《昭和二十九年》 関時連は本部と支部ともに固定的な組織体ではなかった。そのために東京組合の指示方針に追随して活動するように馴らされて来ていた。従って組合活動に関する所要経費の支出面についても、時として東京組合側との意見が折合はないという場合も見られた。時に昭和二十九年の総会が湯ヶ原温泉で開催されたのを契機にして東京組合は関時連から離脱して、以降独立の存在として全時連傘下にその籍を移すことになったのである。
このため同日の席上で再び金山氏を関時連会長に選任をすることになった。この時代の役員名は次の通り、会長金山重盛、副会長=千葉豊、梶野光秋、永井万吉、坂木幸吉、監事=石川哲次郎、本村政吉の諸氏。
但し、東京組合が分離したことにより関時連としてのブロック内容は次の如くになった。神奈川、千葉、埼玉、栃木、茨木、群馬、山梨、長野の八県連に、東京地区は中央時計宝飾品協同組合を合わせ当時の勢力は、二千八百名と推算された。
▲関時連の事蹟=関時連は以上のような段階を経てから毎年の総会を各県持廻りで開催するようになってから、組織部内の平静と親密度が高まり和やかな情景を展開して
いる。事業部では、永年勤続者の表彰、役員に対する在任中の感謝状贈呈、技術講習会の開催、セールスマネージメントの開催、新学期における宣伝売出し等々を毎年の行事とし、この外にも近江神宮奉賛会員として東部漏刻会を設立、関誠平氏が会長に就任以来奉仕している。

明治・大正・昭和三世代史 後編
昭和初期における時計・宝飾業界の現況

《昭和三十年から三十五年頃》 明治、大正、昭和の三世代に跨がる時計・宝飾業界の動きを中心に絡めてきたが、四十有余年にも亘る長い期間の出来事が浮かんでくるので各業界のことなど複雑多岐に及ぶものになった。しかし業界の公知に属する範囲のものは、大体において記述したことになるが、業界の動きの中には筆者自身が登場する機会が案外多く、見方によって本編は著述者の自叙伝的なものという考え方をする人があるかも知れない。しかし、そのように私の業界における活動状態は、他の人が想像する以上に多面に及んでいたのであった為、これを取り去ることは生きた記述をしていこうという望みからでは当を得ないことになる。従ってこの点ご諒承願う次第である。

然して本編記述の後半、昭和世代の巻では、昭和の前記(戦争前)、中期(戦争中)、後期(終戦後)の三区間に大別しているが、その中の後期、終戦後について分類すると、終戦後のドサクサ時代を前段に、世の中が殆ど平静化されて来た昭和三十年から三十五年頃からの動きを後編に分けることが記述上妥当ではないかと想定している。その意味では昭和
三十六年当時、わが社主幹のもとで東南アジア各国業界視察団を編成したことなどは、後編期としての動きの中ではその始まりの頃だと言っていいようだ。以下この頃からの業界の概況を記し、結論編としてまとめることにする。

昭和三十一年「社団法人日本時計輸入協会」設立
各ブランドをもとに集録した総合カタログの発行にも力を入れる

《昭和三十一年》 時計の中の腕時計がどの位売れるものか、という商品流通上の判断をつけるのは難しいことだが、そのポイントとしては、日本の選挙制度に示されている実例をとって考察することも一考ではないかといわれる。
参議院議員の選挙の場合、有権者はザッ卜六千万人を算えている。実数は少し出ているようだが、その選挙権を有するものの中でも、六十歳を出た年令層では、時計を使う需要が大したものではないという見方をとっているようである。だからこの面にプラスするものとしては、選挙権を持たない学生層の中の需要をこの面に振向けることなども考えられる。
そういうことになると大体のアンバランスがとれることになる。
こんな観測に基いて、ではそれらの年齢別に分類した中で、どの年齢層のものがどのような好みを示しているかについては、各ブランドのそれぞれが特秘録であり、寧ろ観察点を異にしているであろうとも思う。最近における傾向は、漸次高級品への需要という形を示しているようにも見られるものがあるとあって、輸入商社筋では、神経をこの方面に使っていたようだ。
輸入時計を取り扱う商社筋を傘下に取りまとめている「社団法人日本時計輸入協会」は、
東京都港区西久保明舟町二七の六信和ビル四階に事務所を構えている。
始関伊平氏(衆議員議員)が理事長に任じている。氏はこの協会が設立した昭和三十一年の当初から引続いている。協会の事業は、会員の輸入業務に閼する政府当局などへの連絡に必要な処置をする外、最近では、毎年一回行う産業見本品に出品するための総合的取扱事務やまた各ブランドをもとに集録した総合カタログの発行にも力を入れるなど、有効な方法が編まれている。
この輸入時計の総合カタログは発行してから既に三、四回を経過しており、その成績を認められてスイス時計協会(FH)では、その事業支援のために印刷費用の一部を提供している。昨年度は、二百万円、一九六六年度後の製作費用として、二百二十五万円が今年の二月十日に寄贈された。
また、同協会が通産省当局とタイアップして実行することになった商標法第三十条基づく、専用使用権者の登録規定は、協会加入者の権益を確立するものであり、将来の発展に備え、期待が持たれている。その第一回として昭和四十年八月十三日付、通産省公報に掲載され規定に基づき保護されたブランド名は、エニカ、ラドー、インターナショナル、オメガの四種である。
因に同協会の役員陣営は、次の通り。(昭和四十一年三月末現在)
★理事長=始関伊平、★専務理事=白石健次、★常務理事=河合周三(東邦時計)、川上一男(日東貿易)、川瀬善博(スイス交易)、増田●(大沢商会)、西村隆之(一新時計)、坂田武敏(坂田時計貿易)、鈴木康治(服部貿易)、高木克二(平和堂貿易)、★理事=堀田良平(堀田時計店)、小谷稔(栄光時計)、ジョンリード(リーベルマン・ウエルシー・カンパニー)、岡清(岡時計)、湯尾富雄(湯尾時計店)、★監事=磯村甲(磯村時計商会)、伊藤広司(天賞堂:伊藤時計店)、ハンス・メトラー(日本デスコ)他会員四十二名。

昭和三十八年「日本輸入時計卸商業協同組合」を設立
当時の組合員二十五社

《昭和三十二年》 昭和三十二年七月、東京在住の舶来時計を取扱卸商約二十社にて任意団体の「東京輸入時計卸商業協同組合」を設立、越光商店社長の越光保氏が理事長となりとなり爾来四年、昭和三十六年四月、小野金商店社長の小野正男氏が理事長を継承、昭和
三十八年二月大阪、名古屋方面の希望加入者を加えて協同組合に改組、名称も「日本輸入時計卸商業協同組合」と改称した。当時の組合員二十五社、共同仕入、組合貸出し等の事業を主体に、組合員相互の親睦と他同業種組合との調和と親睦を計り現在に至っている。

東京時眼小売協組は昭和三十三年に木村理事長時代に選挙制度を改正
なし昭和四十年に東京・台東区の時計会館が完成

《昭和三十三年》 東京時眼小売協組関係のことでは昭和三十三年に木村氏の理事長時代に選挙制度が改正され、全区選出理事十二名支部選出理事四十五名の計五十七名で
理事会を結成することに改めた。この時の組合首班陣営は次の通り。
▽理事長=木村信男、▽副理事長=河内録幣、松本賢次郎▽常務理事=十一名であ
る。続いて昭和三十五年の改選で理事長=木村信男、副理事長=河内録幣、大沢善次郎、御正政一の諸氏、昭和三十七年の改選期では河内、大沢両氏の首班対決選を行なった結果、河内理事長が選出された。副理事長=漆原延治,高木信治、小竹信太郎の諸氏、次いで昭和三十九年の改選期においても同陣営の再選結果が生んでおり、今年(四十一年)は、三月期で任期満了したので来る五月に改選が行われるというので新人登班の呼声があり、これに河内氏が三回出馬を表明したので混とんたる情勢を見せている。なお河内理事長時代に完成した東京・台東区の時計会館の建設は、昭和四十年度完成、木村理事長時代に提唱されたのが河内氏時代になってから実現の機会を得たので、会館建設のた
めの大展示会を繰り返して開催したその利益収入を資金に当てたのが大きな財源であり、この間に尽くされた役員諸氏の努力が高く評価されている。
写真は、当時の各地区主脳陣の顔ぶれがこの席上に珍らく揃っている。"

関時連と東京時計組合との関係
昭和三十九年の総会で茨城県時連の会沢義二関時連会長の時代に至る

《昭和三十三年》 東京時計組合が離脱したあとの関時連と東京時計組合との関係は、勢い上円滑に運ばれ難いものが見られていた。ところがこの頃、九州ブロックを代表して時たま上示して来ていた九州時連会長の安倍正人氏と金山氏との間にある種の提携があってか、業界騒動の種を作っており、この外にも関時連自体の行政面で芳しがらざる事象が発生したので、傘下各県代表役員の奮起するところとなり、遂に昭和三十三年を期して金山氏は引退せざるを得ない環境に陥った。
従って、このあと関時連の主脳陣営内では、諸事についてまとまりがつき難く、三年間を経過して終ったので、昭和三十六年に到って関誠平顧問が再び登場して関時連の正常化を促がさなければならないという事態に立到ったのである。
そんな関係で、それからまたまた関誠平氏の会長時代が続くことになったのである。昭和三十九年の総会の折、改選を希望されて現会長の茨城県時連会長の会沢義二氏が会長に就任することになり、爾来目覚ましい発展を続けているのが現状である。

▲最近の事業活動=時計と貴金属の販売を通じて共通した業者の希望点は、物品税法の問題である。第一種甲類に属した物品税についての撤廃または免税額の引上げ改正運動であった。この運動は全時連を主体として既に十余年間も続けられて来ていた。ところが昭和三十六年一月十一日の衆議院税制調査会で貴金属に関する免税額をオール一万五千円に引上げる決定を見たのである。そのあとは衆院本会議を通過することにより昭和三十六年四月一日からはそのまま実施することになり、全業界間では満足の意を表している。
この運動奏効のかげには、全時連会長の佐川久一氏と全宝連を代表する大平蔵吉氏、全貴連会長の三富平次郎氏らの努力もあげねばならないが、関時連会長の会沢義二氏が全時連機構の中の物品税担当委員会委員長を任じ、この間に努めた功蹟は真に著大であり、これは関時連としての誇りでもある。
関時連の現勢力は、全会員三千六百余名に達し、現在の役員は次の諸氏が就任している。
△名誉会長=関誠平、△会長=会沢義二、△副会長=渡辺明康(群馬)、村田国雄(神奈川)、鈴木武雄(茨城)、海老原恒吉(埼玉)、小原理一郎(千葉)、河合健治(栃木)、
天野寿太郎(山梨)、田中勘一(長野)、△常任理事=長江宗太郎、武藤丑寿、井上善助、 川名彦壽、大塚緑、村松豁、斎藤徳次郎、阿部藤二郎、松崎勲夫、永井干馬太、△会計=松尾又次郎、谷山栄、△監事=佐藤末悦、北村京治、猿田晴二、△顧問=金山重盛、
△相談役=千葉豊の諸氏。

昭和三十三年、日本シガレットライター協同組合として発足
初代理亊長に在間朋次郎氏が選ばれた

《昭和三十三年》 現在の日本シガレットライター工業組合は昭和三十三年、日本シガレットライター協同組合として発足、初代理亊長に在間朋次郎氏が選ばれた。
設立された目的は、@ライターの出荷数量の制限、A販売価格の制限、B販売方法の制限、C品質・意匠または品種に関する制限、Dこれらの制限を確保するための製品の検査、E生産、経営の合理化に関する指導、斡旋、F組合員に対する生産調整および経営の合理化のための資金の斡旋、G経営的地位の改善のためにする団体協約の締結、Hこれらの事業を行なうために必要な調査研究その他の事業を行なうというもの。
創立総会は三十二年九月十八日、喫煙具会館で開催、理事長以下の専務理事に望月宗一氏、理事に梶田久冶郎氏ほか十八名、監事二名を選出した。
かくして三十三年四月には、「日本シガレットライター工業組合」に名称を変えた。
次いで四十年度の総会で、在間三博氏が革新の意味で新理事長に選任され嘱望されている。関係団体種別次の通り。
「東京都喫煙具商業協同組合」、「日本喫煙具輸出振興会」、東京都台東区寿三丁目十九番五号、代表者=金丸文郎氏
「日本ガスライター振興会」東京都台東区寿三丁目十九番地五号、代表者=深代守三郎氏
「日本シガレットライター工業組合」、東京都台東区蔗二丁目十九番五号、代表者=在間三博氏。
「東京都喫煙具工業協同組合」、東京都台東区寿三丁目十九番五号、代表者=石黒重三郎氏。

昭和三十三年に法人メンバーで「時計新聞法人協会」を設立
戦後の時計・宝飾専門紙群の動き

《昭和三十三年》 前述しておいたように時計・宝飾専門紙が終戦後に復活したのは昭和二十二年の頃からであるが、それが昭和三十六年の東京時眼小売猖組の理事長戦の時代になった頃は十数社にも及んでいたようである。もっともこれは在京の分だけで、大阪、中国、四国、九州方面のローカル紙を加えると二十四社にも達していたことがあった。
そんな中の一つに時計宝石専門紙群が続出していた昭和三十年の頃、時計専門新聞協会なるものを設立したことがある。このときのメンバーは、早川、藤松、染谷、岡崎、黒崎、高橋、江種(兄弟)、山下、黒川、清田、佐藤、安倍、加納、辻、鈴木、菱田、保坂、山口、吉田の諸氏。
それに組合広報の島君を加えた計二十四社位であったように記憶する。そして東京と大阪、四国の各地で懇親会を開催した後、物議が生じてこれを機に解散となった。
この頃の専門紙群の数が終戦後では最も多かったようである。それからあとで新設した団体は、骨筋の通ったものにしようではないかということで、法人組織の新聞社により設立した。昭和三十三年に次のメンバーで「時計新聞法人協会」を設立して今日に到っている。
当時の会員は、時計美術宝飾(藤井勇二)日本貴金属(染谷)、時計貴金属(岡崎)、中部時計(加納)、大阪時計(辻)の五社。本部は当社において、幹事は各社持ち回りの交替制に規定した。

昭和三十四年、佐川全時連会長時代にようやく全国統一機運が高まる
山岡猪之助、今野徳一両氏の労苦は筆舌に尽しがたいものがあった

《昭和三十四年》 全国の時計宝飾販売業者三万軒を呼称する小売団休「全国時計宝飾品連合会(全時連)」は、内容的にはまだ名称が存在していたという程度のもので、まだ実質の伴わない団体であった。
「東京時計小売組合」の理事長だった山岡猪之助氏と神奈川県時連会長の今野徳一氏がそれぞれ全時連会長に就任して業界の黎明期に灯をともしたが、まだその頃は全国統一というには立ち至らずして東北、関東、中部、近畿などのブロックが全時連傘下に名をつらねていたに過ぎない。全国組織づくりの過度期にあたった山岡猪之助氏、今野徳一両氏のこの間の労苦は筆舌に尽しがたいものがあった。
山岡氏が病に倒れたそのあとを受け継いだ今野氏も、また三年たらずの在任中に倒れて終ったなどの経過をみても、当時の時計業界指導者が全時運の育成指導の点で如何に苦心を重ねていたかを察することができよう。このような時期を経て、名実ともに全国連合としての全時連が築かれ始めたのは、現佐川久一会長の代になってからである。
昭和三十四年に就任した佐川会長時代になってから、それまで全時連の傘下に名を連ねていなかった北海道を先ず加入させるのに成功した。そのほかの四国、九州など遠隔地方の団体も全時連という活動母体の重要な時代性を認めて、漸次全国時計小売業者共通の時局問題などに取り組むようになって来たのである。
とくに全時連の事業活動の中心は「物品税の軽減運動」に置かれ、同運動に対する全業者の熱意が盛り上るに平衡して、全国連合としての組織力や結束の度合もまた強まったといえる。
物税軽減運動のほか、時計の需給不均衡による乱廉売問題の「スーパー時計部の進出」、流通革命の名のもとに波紋を呼んだ一部メーカー筋の直販計画など、全国の時計小売業者が共通の立場に立って速やかに対処すべき重要問題が続出した。
それらの問題は、いずれも時計販売業者の生活権の範囲にまで及ぶ課題であり、業界全体の進路を大きく左右する政治問題でもあった。それだけに全国連合の組織力、政治力が必要欠くべからざるものである点を全業者の個々が身をもって認識させられた時代だった。
それというのもこうした時計業界問題と取り組んだ全時連へ、それぞれの問題で一応の処置を打ち出し、何らかの形で成果を得てきた結果である。中でも全時連の金看板である「物品税運動」が予期以上の成果をあげ続け、政府当局が減税方針を打ち出す時期には必ず時計貴金属関係に対する“物品税を手直しする”という慣習まで出来上がっているような形となっていたころは、佐川久一会長を中心とする全時連の活気を一層ひき立たせ、今後一層強化していこうとする熱意の原動力になっていると言っても過言でない。
物品税運動の推進に当っては、貴金属、宝石、真珠など関係業者団体を抱合した全国宝飾品連合会(全宝連)も結成され、全時連はその一単位の団体という形で活動を支援、昭和四十一年度の物品税改正の時には、一率免税点一万五千円(旧制、宝石一万円、貴金属類五千円)を勝ち取った意気盛んな時である。
写真は昭和三十四年、佐川久一全時連会長就任の年に東京会館で開催した全時連大会。



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