| モバード、ナルダン、ドクサ、チソット、シーマ、ゼニット、モンディアなど
《昭和三十八年㉔》 私が生存して以来、最大に努力した日であった。前日の疲労も一夜の熟睡によって翌朝七時半には起床することが出来た。手早に身支度をして八時にはホテルを出発した。そして時計の街ロックルとラーショード・ホン地方を順次訪問するプランが出来ていたのである。従って、あと一日位はこの地域に滞在を続けたい気持であった。 ー行の半数は、既にジュネーブに先行しているのを思うと団長という立場上では、万止りを得ないことになって終っこのである。従ってこの日のプランは、何もかも超スピーディにやり遂げなければならないことになっていたのである。 大型セダンの自動車に乗り平均時速百キロ以上で突走った。最初は、ラーショード・ホンの近くにあるロンジン時計会社を訪問した。ロンジン社の役員は、目下工場を直しており、それにオメガ工場を見た後では見学の要もあるまい、とハッキリ意表されたので階上のルームで挨拶したあと記念撮影をしただけで辞去した。 少しおかしな話だとは思っていたが、先を急ぐ必要のあった時だけに、先方の意のまま 引あげたのだ。スイスの時計会社は、オメガ以外は、こんな気持でいるのだろうと心の中で描いてみる気になった次第である。 その後、またも車はフルスピードですっ飛したのである。スイスは、時計と共に酪農の国でもあるので、道幅いっぱいに牛の群が列をなしてやってくるのには驚きの眼をもって見守ったのである。頸の下に大きな鈴をぶら下げているのだから、その鈴がじゃらじゃらんと鳴らしながら歩いて行くその光景は、正に農村らしいのどかな風景でもある。だから午が通っている間は、自動車は片すみに寄り添いながら静かにその通過を待って いるという光景である。それらは酪農スイスのエピソード。 やがて自動車は、時計の街ロックルにやって来た。道路が少し高台になっているので、その上から見下ろしたロックルの街は、時計会社が軒並みに詰め切っているという感じである。 ここにはモバードはじめ、ナルダン、ドクサ、チソット、シーマ、ゼニット、モンディアなど、その他沢山の時計会社があり、インカブロックなどは街の中央にデンと大きなPR標が突き出してある。 時計材料店で古いのれんの国際商店があり、ここが松田商会の出張所になっているという話をハンドルマンのマックス氏から聞かされたのだが、この話は私自身も昔から聞いていたのでうなずくことが出来た。それから街中を一回りしてからモバード時計会社を訪問することにした。写真は、モバード時計を訪れた記事が新聞に掲載された。 |
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