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時計、袋物、小間物の三業者を集めて明治十年に時計組合を作った
明治初期時代の時計商組合員名(明治三年以降)

《明治十年》 時計商=若松治助、小島房太郎、金森桝吉、小笠原文三郎、河北直次郎、渡辺兼次郎、伊勢梅、▽東京=小林伝次郎、京屋伊和造、宮田藤左衛門、金田市兵衛、高野周吉、高木大次郎、関岡由兵衛、玉屋菊次郎、大野徳三郎、金田友七、村井友七、小笠原近友、伊勢半、近常商店、竹内洽右衛門、京屋支店、小林支店、小島房次郎、吉沢又右衛門、田中仁吉、
若松支店、天賞堂江沢金五郎、服部時計店、伊勢惣、熊谷惣太郎、有賀利助、松浦玉甫、
松田啓太郎、橋都万吉、精工舎、東京モリ時計工場、中江幾次郎、吉川時計店、吉田庄五郎、直江房吉、中村芳方、島村寛方、島村助治、米川工冶郎、福田藤吉、亀田平郎、梅      屋、鈴木源治郎、亀田平吉、中山直正。

前述したように当時は、時計を取扱う専門業者というものが少なかったので。時計類を取扱う範囲の時計、袋物、小間物の三業者を集めて明治十年に時計組合を作ったのがそもそもの始めであるようだ。
組合設立の最初は三十五、六名位だと記しているが、故人池内氏の控え帳に記されているメンバーは五十一名に増えているのを見ればその後に増えたものを含めたメンバーではないかとの想像が出来る。【註】池内さんはこの当時から時計組合の事務的処理に当っておられ、故人の遺書により明冶時代の情況を説明してくれたその人で、立正堂若松時計店に在って大正十二年の関東大震災当時は、当主若松治之助氏と共に関西方面から修理品の工具材料を鉄道を徒歩で持ち帰り、これを多方面の時計業者に提供した一人である。従ってこの当時もなお横浜時計商組合の復興に精出して努めていた事実を私は熟知している。

交換市場の開設

かくして時計組合というものが出来てからは毎月二回の時計の交換市場が開かれることになった。その一つは「弘時会」といって、日本橋・西仲通りの事務所で開市した。この外に「開時会」というのがあり、これはその都度貸席の亀尾で開くことになっており、神田・明神境内の開花という貸席で催していた「開花の市」なるものは、その当時の流れである。但し、このころから商業人の種類には、市場取引を通して売買するものと、また別に、商館畑からの仕入品だけに限った売買取引を常としていたものに分れていたようである。次に故池内の遺書から転記した若松冶之助によるその写しを記載し、明治初期時代の業界状況を知る一片の資料に供しよう。画像は、出版記念として祝辞を頂いた当時の日本時計協会服部正次理事長。

時計、袋物、小間物の三業者を集めて明治十年に時計組合を作った
なし明治初期時代の時計商組合員名(明治三年以降)

《明治十年》 時計商=若松治助、小島房太郎、金森桝吉、小笠原文三郎、河北直次郎、渡辺兼次郎、伊勢梅、▽東京=小林伝次郎、京屋伊和造、宮田藤左衛門、金田市兵衛、高野周吉、高木大次郎、関岡由兵衛、玉屋菊次郎、大野徳三郎、金田友七、村井友七、小笠原近友、伊勢半、近常商店、竹内洽右衛門、京屋支店、小林支店、小島房次郎、吉沢又右衛門、田中仁吉、
若松支店、天賞堂江沢金五郎、服部時計店、伊勢惣、熊谷惣太郎、有賀利助、松浦玉甫、
松田啓太郎、橋都万吉、精工舎、東京モリ時計工場、中江幾次郎、吉川時計店、吉田庄五郎、直江房吉、中村芳方、島村寛方、島村助治、米川工冶郎、福田藤吉、亀田平郎、梅      屋、鈴木源治郎、亀田平吉、中山直正。

前述したように当時は、時計を取扱う専門業者というものが少なかったので。時計類を取扱う範囲の時計、袋物、小間物の三業者を集めて明治十年に時計組合を作ったのがそもそもの始めであるようだ。
組合設立の最初は三十五、六名位だと記しているが、故人池内氏の控え帳に記されているメンバーは五十一名に増えているのを見ればその後に増えたものを含めたメンバーではないかとの想像が出来る。【註】池内さんはこの当時から時計組合の事務的処理に当っておられ、故人の遺書により明冶時代の情況を説明してくれたその人で、立正堂若松時計店に在って大正十二年の関東大震災当時は、当主若松治之助氏と共に関西方面から修理品の工具材料を鉄道を徒歩で持ち帰り、これを多方面の時計業者に提供した一人である。従ってこの当時もなお横浜時計商組合の復興に精出して努めていた事実を私は熟知している。

交換市場の開設

かくして時計組合というものが出来てからは毎月二回の時計の交換市場が開かれることになった。その一つは「弘時会」といって、日本橋・西仲通りの事務所で開市した。この外に「開時会」というのがあり、これはその都度貸席の亀尾で開くことになっており、神田・明神境内の開花という貸席で催していた「開花の市」なるものは、その当時の流れである。但し、このころから商業人の種類には、市場取引を通して売買するものと、また別に、商館畑からの仕入品だけに限った売買取引を常としていたものに分れていたようである。次に故池内の遺書から転記した若松冶之助によるその写しを記載し、明治初期時代の業界状況を知る一片の資料に供しよう。

時計の創始時代からバブル期を経て、昭和30年代へと
目次

1:時計の創始時代、2:明治初期の時計業界と組合発祥の由来、明治元年頃の貿易商館、3:横浜居留地時代の素描、明治初期時代の時計商組合、6:交換市場の開設、若かりし頃の服部金太郎翁の活躍、8:服部時計店の創生時代、10:明治時代の「東京時計商繁盛記」、12:日本の時計業創生時代、14:精工舎の偉業、明治40年当時の業者分布状況、37:東京時計商工業組合経過のあらまし、39:大正時代の業界と関東大震災前後の状況、42:時の記念日の宣伝活動のはじめ、44:金のペコ側が出現した時代(大正年代)、48:前橋市における時計の廉売との闘争劇、50:本紙が創刊した時代の業界、52:昭和初期の銀座界隈の業者群、55:前代未聞の謀略事件、58:セイコー腕時計の発売当初の批判、59:時計卸団体の「東京五日会」の輪郭、62:時計バンドが作られた最初の頃、64:蓄音器業界と時計業界の連鎖時代、65:日畜のスト騒動と当時の内紛、68:明治時代の貴金属業界、69:昭和初期の貴金属業界と組合、70:平和博覧会と金性保証マーク、71:合月商会が活躍したころの業界、72:ダイヤモンド十割課税の撤廃運動、75:白金をメダルにして売った頃、76:御木本真珠と御木本幸吉翁の生い立ち、79:眼鏡の由来と眼鏡界、81:眼鏡界の現況、83:全眼商工連とその他の組織、85:三つ折りバンドのパテント騒動、88:東京皮革時計バンド工業組合、91:近常時代の東京材料界、97:服部時計店が安売り合戦時代の波に乗った頃、98:時計材料卸商組合の設立の頃、99:世界大戦前の時計メーカー群、104:昭和初期時代の交換会、105:昭和の初めに誕生した業界の各種団体、東京研交会の設立、110:全国時計業者大会と精工舎見学、120:業界飛び歩きメモ、124:山田時計店が開業した昭和5年頃、125:昭和7年頃の業界新聞社群、128:日本時計学技術研究会の発足、129:昭和10年当時の新聞陣営のご難、132:三木武夫君を社員として渡米させる、134:統制時代への変換と輸出組合の新設、140:9・18当時の時計の卸価格、141:時計メーカーの統合時代、143:価格クギづけ当時の国産時計の品質、145:価格統制による時計卸組合の結成、146:中支那経済視察団編成の状況、161:八絃一宇の限界を指したころの勇猛ぶり、163:日米親善国民大会を開いた情景、165:シチズン時計の起死回生状況、168:山田時計店社長が生い立ちを語る、172:市会議員選挙勇奮したころの情熱、173:金銀製品商連盟が生まれる、176:金銀製品の買い入れを開始する、185:全国時計組合連合会の設立(昭和15年)、192:七・七禁令と販売禁止命令、193:新聞業界も断首時代、196:大東亜戦争に突入した頃の業界、199:皇軍慰問に時計の修理班を派遣、201:民間が所有するダイヤモンドの買い上げの経過、205:軍需省指定工場への転業、206:B29の敵機が東京の上空に飛来、208:帝都爆撃された昭和20年の頃、211:本社の焼け跡の復旧認可指令が出る、213:敗戦の大韶遂に勃発、215:終戦後に宝石の交換市場開設、216:色石の値段が跳ね上がる、220:日立精機が時計の製造に乗り出した、222:ダイヤモンド価格の世界的な大変動、224:日本が軍国方針を強調した時代、226:闇の時計が出回った頃、229:南京虫(時計)が出回った頃、231:ブラックマーケットの烙印と恐怖、232:時計小売組合の発足、233:協同組合への注文、234:組合首脳陣の首切り劇の始まり、236:南京虫が月産50万個消費時代、238:警視庁管轄の犯罪捜査協力会の設立、239:全時連の団体結成の頃、242:東洋時計が破綻する悲劇、246:時計組合と時計会館建設当時の状況、248:東京時計小売組合の概要、250:古物商の相場表と取引状況、254:ヤミ取引の内幕と闇ルート、261:日本時計輸入協会の設立と大蔵省関税部の関係、263:養殖真珠業界と三輪豊照氏の功績、270:数百年に及ぶ貴金属地金商の由来、285:東南アジア各国の視察状況、299:ヨーロッパ業界の視察状況、326:FH本部での会談、339:東京時計組合史とその由来、341:出刃包丁も飛び出した当時の闘争事情、383〜475:業界の現況勢力図。画像は当社の藤井勇二代表と明治大学の学窓だった当時の通商産業大臣の三木武夫氏。

若い業界人に少しでも業界の歴史が伝われば幸いです
序文

《明治・大正・昭和》 世の中に生れ出てから満四十年という歳月を算えることになると、人世は不惑に達したと古くから言い伝えられている。不惑とは、「もの事に迷わず、且つ惑わされない域に到った」という意味である。従って不惑なる域に達したこと自体が、世の中の総ての事柄に自信を持つ事を指す意味でもある。
私が大正十五年五月に、時計、貴金属業界を主軸に、それに蓄音器、眼鏡、徽章、喫煙具の各界を加えた専門紙を発行してから今年で満四十年を経たことになる。創刊当初、大正から昭和の初期にかけての日本の経済界は極めて不景気そのものであったことを体験している。当時の私は、各方面からの支援者の多いのに気を良くして元気づいたものであった。
この間社会的現象としては、昭和六年に勃発した満刑事変かつ支那事変を経て、逐に第二次世界大戦という人類未曽有の悲惨な苦難時代にも遭遇した。それに続いて、大正、昭和にかけての経済界のド底不景気時代から、戦時中の七、七禁令や奢侈品等処理によるダイヤモンドの十割課税を一挙一割に引下げるなどの業界的運動に努力・奏功せしめた過去の事例を思うとき、感慨ひと入のものがある。
更に、また昭和の時代に入ってからも、舶来品オンリー時代の様相を呈していたその頃の日本時計界が躍進、世界の時計界に画然たる地歩を占めるようになった現況など、眼の辺りにするとき正に画期的時代を現出し得たものでる。これに対処したメーカー各位の絶まざる努力に深甚の敬意を表する次第である。
わが社がこの満四十周年という記念すべき年を迎えた機会に、明治、大正、昭和にかけての業界歴事三世代史を集録し、以って業界向後のための資料に供せんとする次第である。私がこの間に体験して来た諸般の資料や記憶に基づき、明治、大正、昭和時代にかけての業界歴史の収集に努めるが、これをして業界各位の参考に資することを得るなら本懐これに過ぎるものはない。
本書作成を進めるに当り、各種古代資料の提供やその他特別な協力を賜った関係各位に深甚の謝意を表明します。 著者・藤井勇二、昭和四十年十一月吉日。



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