※写真をクリックで拡大します。
Home

ジェコー株式会社
独創的な製品を生み出しました時計メーカー

本社=東京都中央区日本橋室町二―四
電話(270)0631代表
目黒研究所、玉川工場、行田工場、大阪支店、名古屋営業所、福岡営業所
創業=昭和二十二年二月、資木金二億六千万円
営業品目=音さ時計(掛、置、目覚まし)、自動巻、電池時計(掛、置)、RC時計、自動車時計、小型直流モーター、テープレコーダー、シェバー、その他各種計器。
会社概況=昭和二十二年創立以米、常に新しいものに取り組み、時流に合った、市場性のある製品の開発を志して来た当社は、そのたゆみない研究により、数々の独創的な製品を生み出しました。
昭和二十七年には、モーターの常識を破る独創的な特殊小型モーターの開発に成功し、時計の歴史をゼンマイからモーター式電池時計へと変え、簡便精巧な大衆時計の推進力としました。
更に、昭和二十九年には自動車時計の生産、販売を開始し、性能と完備したアフターサービスにより市場を独占した。
昭型二十三年には、行田工場、三十六年には玉川工場を開設、六千万円に増額、東京第二市場に株式を公開した。そして昭和三十八年には、時計の革命といわれながら実現することの出来なかった音さ時計時を磁気脱進機構との結合により製品化し、この企業化に成功、時計界の夢を実現した。
当社の製品は、ことごとく文字通り独創的なアイデアと独自の研究により生み出されたものであり、その保有する特許実案は国内外を合せ百数十種類に及んでいる点、技術に生きる会社として常に若々しい創造と躍進を志している。

有限会社 黒木計器製作所
電池時計、親子時計、べルタイマー、交流時計専門製作所

代表取締役 黒木久義
本社=東京都品川区二葉一丁目三番二七号
電話(七八二)二二六八番

業種=電池時計、親子時計、べルタイマー、交流時計専門製作所
沿革=大正十五年、雄工社在に入社、電池時計の製造と研究を始めた。昭和十二年に独立、気象台用地震時計を製造、昭和十六年、(有)緑明測器製作所設立、地震計、落下傘時限時計、操縦適正試験器、プラニメーター、パントグラフを製造している。
二十四年、褐星舎設立に協力、電池時計の製造と研究を進め、特許発明二十点余。昭和三十五年七月、(有)黒木製作所を設立現在に到る。画期的な時計として回転式子時計(特許出願)及交流リモコン大型時計など(特許出願)を発明、生産販売をしている」。
製品種目 親時計、子時計、秒子時計、報時子時計、塔時計、世界時計、ベルタイマー、チャイムブザー、サイレン報時装置、大型交流リモコン時計、特殊タイマー、各種電源装置、配電盤、その他時計機構利用の特殊装置の製作に応ず。

三愛貿易株式会社
スイス製時計、チタス日本総代理店

本社=東京都台東区上野三−十八−十一号
電話=八三二−五七七七番
代表取締役=田村正雄
資本金=二百万円

業種=スイス製時計、チタス日本総代理店、輸入業務の他、雑貨類の輸出業務。
「チタス」の沿革=一八九二年設立したチタス・エ・ソルビル会社の製品。「チタス」というスイス腕時計の名は、日本市場ではそう有名ではありません。然し歴史の示す通り、欧米市場では、確固たる名声を保持しており、日本でも戦前帝国海軍の軍繿に不可欠の備品として使用された「ソルビル」クロノメーターは、この会社の製品でした。同様にこの標準時計は、日本の三鷹にある天文台にも常備されており、古い伝統と精密時計界の過去の栄光に安住しておるのみでなく、一九五九年、バーゼルの時計見木市においては「チタス」の完全電子時計「ソル卜ロニック」は、機械式機構、歯車、文字板、剣を時計から取除いた画期的電子時計として、原子時計に次ぐ精度を有し、廿一世紀時代の時計として業界に話題を提供したのであります。この時計は、目下、置き時計段階ですが、時計の段閼です
がこれを今後小型化して行き、そして腕時計化して行くことを「チタス」工場では、研究をしております。然し通常の自動巻きカレンダー付腕時計においても「チタス」は紳士用、婦人用共にヨーロッパの洗練されたデザインを採り入れ、品質の良い時計として定評があります。総括的にスイス時計工業と日本時計工業の差異を大きく述べれば、国産品メーカーが、企業の形態上マスプロに走らざるを得ないのに反して、スイスのそれは嗜好的にメーカーの好みと伝統に生きて少量生産をしているのが好みに合った選択というべきでありましょう。

時計美術宝飾新聞社の「明治、大正、昭和三世代史」発刊を祝して
日本時計協会 服部正次会長

《昭和四十一年》 この度、株式会社時計美術宝飾新聞社が時計業界多年の宿願であった時計産業史「明治・大正・昭和の三世代史」を発刊することになりましましたことは、全業界にとってこの上ない喜びであります。かかる一大快挙の実現を見た陰には、時計美術宝飾新聞社・藤井勇二社長の業界育成の為の、多年のご心労とご努力があったればこそであります。まずもって満厚の祝意を表するものであります。御紙も昨年の昭和四十年をもって創刊満四十周年を迎えられました。この長い年月には、幾多の変遷があり波涛を乗り越えて業界の為尽力してこられたことで、その間培われた一大勇猛心によって、今回の難事業実行の決心を固められたことと存じ、誠に敬服の至りに存じます。これによって全業界が益するところ、誠に計り知れないものがあると思われます。
業界の過去の歴史は御社にお任せするとして、次に現在世界屈指の存在にまで発展したわが時計工業の現況を掲げて祝辞に代えたいと思います。昭和四十一年二月。

昭和三十一年から昭和四十年までの時計の生産額
昭和四十年には2,640万個、金額では582億円、過去10年で4倍となった

生産の推移(単位:10,000個)

年     ウオッチ  クロック  合計  増加率
昭和31年  269    413    682   100% 
昭和32年  342    483    825   121% 
昭和33年  431    418    849   124% 
昭和34年  545    520   1,065   156%
昭和35年  715    706   1,421   208%
昭和36年  923    841   1,764   257%
昭和37年 1,078    981   2,059   302%
昭和38年 1,170   1,022   2,192   321%
昭和39年 1,321   1,166   2,487   365%
昭和40年 1,361   1,279   2,640   387%

昭和四十年には時計の輸出額は736万個に
輸出金額は2,437万ドルで過去10年間に9倍に

時計の輸出推移(単位:1,000ドル)
年     ウオッチ  クロック  合計  増加率
昭和31年 1,026   1,670   2,696    100% 
昭和32年  106   1,326   1,432   53% 
昭和33年  121   1,147   1,268    47% 
昭和34年  303   1,634   1,937   72%
昭和35年  768   2,483   3,251   121%
昭和36年 2,013   2,744   4,757   176%
昭和37年 3,606   3,352   6,958   258%
昭和38年 7,143   3,532  10,675   396%
昭和39年11,508   4,324  15,832   587%
昭和40年18,495   5,874  24,369   904%

昭和四十年当時の日本時計の輸出先(単位:1,000ドル)
最も多かったのは東南アジアで全体の三分の一

仕向け先国  輸出額    比率
東南アジア  8,523 35%
中近東     394 2%
欧州     2,894 12%
北米    10,650 44%
中南米    565 2%
大洋州    534 2%
アフリカ   715
共和国     94
合計   24,369     100%

昭和四十年、すでに日本の時計の精度は国際水準並みに
昭和三十九年に実施された東京オリンピック以降ウオッチの精度が上がった

《昭和四十年》 国産時計の性能は、すでに国際水準を越しており、これは優秀な時計製造機の使用と厳密な部品の調査の賜物であって、更にたゆまない研究、努力の成果である。
その証明として次の諸事項が挙げられる。
(一)数年前に商産業省が行った品質比較審査会において、十分に世界的標準の域に達したと確認された。この審査に当った通産省工業技術院の発表によれば、市中から任意に買い求めた国産時計と輸入時計品を比較テストした結果、ベストテンの中の上位6個を国産品が占める結果となった。
(二)昭和三十九年に実施された東京オリンピックでは永年の伝統を破り、従来の輸入時計(オメガ)に代り国産時計セイコーが採用され、大部分の競技の時間測定に用いられ、その精度の高さが証明された。
(三)昭和四十年には、世界最高の権威あるものといわれるスイスニューャテル天文台主催の国際クロノメーターコンクールに参加、優秀な成績をおさめ、時間の正確さを実証した。
(四)既述の通り、世界各地へ向け国産時計の輸出が急伸しつつある。
現在、全国にウオッチメーカー(セイコー、シチズン、オリエント、リコー)四社、クロックメーカー二十六社の企業があり、大部分が東京および名古屋の両地に所在している。
日本時計協会は、わが国唯一つの時計メーカーの団体であって、常に業界発展のため努力しているが、その役貝は次の通りである。

服部正次理事長を筆頭に昭和四十年当時の日本時計協会メンバー
ウオッチ四社、クロック二十六社

▽理事長=服部正次、▽専務理事=百瀬乙平、▽理事=山田栄一、山村徳治、佐藤守彦、白石豊彦、市村清、佐藤光治、▽監事=谷碧、鈴森幸一。

当時の日本時計協会員(カッコ内は代表者)

★関東地区=兜桾博梃v店(服部正次)、シチズン時計梶i山田栄一)、椛謫精工舎(服部謙太郎)、リズム時計梶i谷碧)、東洋時計工業梶i熊谷次郎)、渇h計舎(伊藤精計)、竜水時計(谷碧)、柬京時計製造梶i佐藤守彦)、オリエント時計梶i山村徳治)、褐星舍(溝部利治)、ミケン時計工業梶i増山勲)、ジェコー梶i野村恭雄)、原町精器梶i古小高留治)、協和時計梶i矢木克明)。
★中部地区=林時計製造梶i菊地政喜)、尾張精機梶i鈴森幸一)、リコー時計梶i市村清)、
樺テ田時計製造所(津田治郎)、草間時計梶i草間万造)、愛工舎時計製造梶i早川常雄)、
愛知時計電機梶i白石豊彦)、明冶時計梶i阿部鋼一)、名巧時計梶i岩田泰治)、日比野時計製造所(日比野要治郎)、武田時計(武田次郎)、クラウン時計製造梶i塚本正)、ダイヤ時計梶i和木幾次郎)、協立時計工業梶i神戸政次)、飛球時計製造梶i佐藤光治)、ナショナル電気時計梶i東国徳)、浜島精密工業梶i浜島清忠)。

戦前戦後を通じて有史以来最大の時計生産数量となった昭和四十年
ウオッチ、クロック合せて二千五百五十万個に達した時計の生産状況

《昭和四十年》 現在を起点に国産時計の生産状況をみると、戦前戦後を通じて有史以来最大の生産数量となったのは、昭和四十年度である。ウオッチ、クロック合せて二千五百五十万個に達した。昭和三十八年中期以降、超過傾向が著しく現われ始め、内需頭打ちと相まって需給のアンバランスが目立ったのもこのころからである。
ディスカウントハウスやスーパーマーケットの時計部も出現して業界を騒がせ、独占禁止法違反問題にまで進展、時計専門店同志の乱廉売競争が激烈化を呈するに至った。
この結果メーカーは、海外輸出に全力を傾注し、昭和四十年度の生産量が前年比三%増で史上最大の数字とは言いながら輸出では前年比三十五%増となった。
写真は近代化されたオートメーション機械がフル稼働している工場内。



admin only:
12345678910111213141516171819202122232425262728293031323334353637
page:4