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昭和四十年当時の『株式会鈴文』
製品には「文」印を打刻し、品質を保証した独自のデザインを

本社:東京都台東区三筋一丁目十四番五号
電話:(八五一)四六八二番
代表者:取締役社長鈴木文一
創業:昭和十六年
取引銀行:第一銀行下谷支店
取扱品種:宝石、貴金属装身具全般製造卸

取引のモットー
貴金属製品には「文」印を打刻し、品質を保証し、独自のデザインとセンス溢れる商品を常に豊富に取揃え必要量をいつでも供給することを本分とする。
ダイヤモンド製品に関しては、品質を充分吟味して無垢ダイヤのみ提供することをモットーとする。
社業歴:昭和十六年、独立開店以来良品提供、信用第一、誠実と信用をモットーに都内をはじめ近県、静岡県、愛知県を主体に東海道方面、および北陸方面に販売網を順次確立、昭和三十八年二月には仲間連街に営業所を開設、健実に発展して現在に至る。
東京時計バンド装身具卸商業協同組合理事の現職にあって業界発展に資している。

昭和四十年当時の『株式会宝商会』
ドイツ製輸入置き時計マウテ、キンツレの輸入元

本社:東京都台東区上野五丁目二十二番十二号
電話:(八三三)六四八一番(代表)
代表取締役:増井清
資本金:九百万円
取引銀行第一銀行上野支店、東海銀行、上野支店、大和銀行上野支店
扱品種:内外時計バンド専門卸  衷只都民銀行御便町支店
営業歴:昭和二年、東京・小石川丸山町十一番地に父と共に増井商店を創り、ドイツ製輸入置き時計マウテ、キンツレをロング商会と取引、時計小売店に卸を営む。昭和四年、ロング商会社長の安倍氏の紹介で、日本橋通り三丁目の合資会社の高橋時計店に入社、直ちに卸部を作り、専ら都内の時計小売店の新規拡張に努める。
昭和六年、朝鮮京城黄金町高橋時計店京城支店設置のため、渡鮖卸部主任となり販路は全朝鮮及満洲に及ぶ。
昭和八年、高橋時計店博多支店に転任、小売月賦販売部詰となり半カ年在任するも独立営業のため退社東京に帰る。
昭和九年、掛置時計卸協同時計商会を設立するも経済界不況のため約二ヵ年間努力するも業績不振のため、営業取扱品の選択に苦しみ時計付属品バンド卸商として再起する事を計画する。
昭和十一年、台東区浅草左ェ門町一番地に営業所を移し、宝商会に改称。
昭和二十年三月営業所焼失のため台東区竹町の加工場を営業所に改造して、昭和二十二年合名会社に組織変更。
昭和三十一年現在の営業所に移転、昭和三十三年有限会社に変更。昭和三十四年に株式会社に組織を変更、三回の増資により授権資本金二千四百万円として現在に至る。

若葉会(全国宝石組合有志による宝石の若手グループ)
交換会「若葉会」の名称で発足した地味ではあるが四十年という古い歴史を持つ

貴金属、宝石業者の存在は非常に古く、明治時代からといわれている。大正を経て昭和十一年七月、塩入義冶氏が発起人となり、当時の若手メンバー十六名が東京駅前の八重洲園に集り、清く、正しく営業することを目的として研究をかねた交換会「若葉会」の名称で発足したのである。初代会長には発起人代表の塩入義冶氏を選んだ。当時貴金属界における「若葉会」の誕生は、若手グループとしての団体として初めてで業界各方面から注目された。
会の意義は、“清く、正しく営業をすること”を目的とするほか、常に若々しくファイトある精神で交歓することを主限としている。
当会の特長は、業界の向上をめざして有志が相互に計り集り組織されたものである。年三回春に総会が開かれる。新加入者はこの機会に全員の推せんで決められる。また役員も一年ごとの総会の席上で投票により推挙されることになっており、昭和二十七年舂、塩入会長が就任したそのあとは鈴田屋の鈴木正雄氏が引き継ぎ、現在に至っている。(写真は鈴木会長)
月例日は毎月六日、若葉会は地味ではあるが四十年という古い歴史を持っており、業界内でも高く評価されている。

《会員名》▽会長:鈴木正雄(鈴田屋)、▽副会長:中村秀吉(互成堂)、▽理事:安藤幸男(安藤商店)、茅野和司(かやの)、竹内弘(稀宝堂)、諏訪喜久男(諏訪商店)、国井博隆(国井商店)、森喜介(森商店)、原潔(原潔商店)、依田彰一(依田忠)、広川修司(広川時計店)、田川富夫(田川宝飾店)、原田吉造(相模屋)、山田十九三(野沢屋)、岩沢陽一(岩沢商店)、鈴木義男(鈴木)、永田睦夫(弥生商会)、今西康郎(みつわ真珠)、加藤英高(拍圭商店)、伊藤善一郎(伊藤商店)、田島政雄(田島商事)、西沢新治郎(西沢商店)、依田衛二(依田新)、巽 将督{タツミ商店}、谷路(神戸宝石)、林貞蔵(林商店)、谷路順三(コウベ・ジェムス)。

昭和四十年当時の『タクミ工芸』
米国インベストメント鋳造の特殊製法による量産体制の先駆者

代表者:宅見次郎
本社:東京都文京区向ヶ丘弥生町二丁目二十六番地
電話:(八一一)五七三〇番

略歴:佗見英二氏の二男、明冶三十九年二月一日生れ、大正九年名古屋市立工芸学校金工科装飾品科に入学、佐野為次氏(前服部時計店宝石部長)の指導をうけ、宝石類の研究に専念、卒業後に名古屋の水渓商店に十年勤務、その問名古屋貫金属組合主催によるデザイン製作のコンクールにおいて指輪部門に入賞。昭和二十六年上京、タクミ工芸社を設立、現在に到る。
そのあと台東区南大門町で双葉宝石を設立、ダイヤモンド販売に努めてから三十五年、現在のタクミ商会を移設したのである。
業法は、米国インベストメント鋳造の特殊製法による白金枠を専門とし、量産体制の分野を開拓、鋳造技術創設者として活躍している、研磨技術では独特の仕上げで完壁な製品を作る誇りを持っている逸材。

昭和四十年当時の『榎本商店』
金ブチ眼鏡製造を業とし銀座山崎商店、服部時計店などに納品

代表者:榎本征一郎
本社:東京都世田谷区玉川奥沢二丁目三十二番地
電話:(七二〇)四七四三番

取扱品種:宝石、ダイヤモンド、貴金属卸
取引銀行 三菱銀行奥沢支店、城南信用金庫
棠況:創業は昭和四十年頃から始まっている。大正年代初期に芝山内で金ブチ眼鏡製造を業とした先代の榎木幸太郎時代になってから品川区大井北浜川町で金、銀、白金地金商を営み、信用を博し、銀座山崎商店、服部時計店などに納品した経歴を有している。
終戦後の状勢の変化から、宝石の取扱いに業務を広めており業績はますます拡大、仲間取引を中心に各方面に販路を広めている。営業方針はサービス本位に徹し、さきにはヨーロッパ市場の視察などして製品の向上に努め新趣向をこらしつつある。

昭和四十年当時の『株式会社タツミ商店』
わが国ダイヤ鑑定の権威者とされている

取締役社長:巽忠春
本社:東京都千代田区内神田一丁目九番五号
電話:(二九二)〇五七七番

営業: 貴金属、宝石卸
会社沿革:創業昭和十一年。父巽忠蔵氏の経営する全忠商店にあって昭和五年にダイヤ部を創設と同時にこれを担当し、昭和十一年金忠商店よりダイヤモンド部を分離独立してタツミ商店を創立した。
爾来ダイヤをはじめ各種高級天然石の輸入・卸業を営み、昭和三十三年株式会社に改組して今日に至る。この間、戦時中は軍需省の嘱託として、民間から収集したダイヤの鑑定に当り、戦後に於いても数回にわたり日銀保管中のダイヤモンドの整備及び鑑定に従事し、わが国ダイヤ鑑定の権威者とされている。資性は温厚、直情型で曲げることを知らない形の人であり、信用高い。現在団体所属関係は次の公職にある。
全国宝石商業協同組合理事長、同関東支部顧問、東京貴石会長、全国貴石逸品会会長、東京美術総本部会員。

昭和四十年当時の『株式会社武山商店』
十二年間の修行中に「貴金属装身具と共に生る」ことを開眼した

本社:東京都台東区浅草山谷町一丁目十二番地
電話:(八七四)九三一一番(代表)
代表者:武山 昇
創業:昭和二十三年五月
取扱品種:貴金跼装身具、宝石(指輪、ネックレス、ペンダント)紳士用貴金属装身具、カフス釦、タイ止。
営業歴:昭和六年の春、兵庫県から上京、谷田商店に入店。十二年間の修行中に「貴金属装身具と共に生る」ことを開眼した。
福音ののち、再度の上京で昭和二十三年五月浅草山谷町に貴金属品卸商を創業、爾来この信条を貫鐓することで、業界のため世のために貢献してきた。
現在も天職と思い一品一品に創意工夫、真心を込めて期業に当り、その理念の実現に務めている。東京時計付属品貴金属装身具工業協同組合理亊の要碌にあらって業界の発展に資している。

昭和四十年当時の『株式会社中川商店』
佐藤栄作総理大臣より「紺綬褒章」を授与された

本社:東京都台東区東上野一丁目十九番十四号
電話:(八三一)七三六五番
代表者:中川三好
創業:昭和十八年
取扱品種:貴金属装身具、時計バンド卸
モットー:信用第一主義を貫き自社製品には自社マークを打刻
営業歴:昭和六年福井県から上京して合月商店に入店、十二年問に亘って自店独自の嬲陶を修め、勤労尊重と節約の気風を納める。
戦時中の召集で転戦し、昭和二十一年に復員後、浅草・駒方で時計付属品の卸を再開業する。昭和二十六年には、時計関係卸業界の中心地である御徒町に進出して現在に至る。
東京時計バンド装身具卸商業協同組合の常務理事の現職に在って、業界発展に資し、また昭和三十九年十月には、母校である福井県芦見小学校の教育施設の充実および社会福祉の拡充などの功績により、佐藤栄作総理大臣より「紺綬褒章」を授与された。同年囲碁の初段の免状が日本棋院から伝授された。

昭和四十年当時の『株式会社スター商会』 
昭和三八年推されて美装組合の理事長に就任

本社:東京都台東区東上野二丁目十一番十五号
電話:(八三四)二五三一番代表
取締役社長:今田正雄
業種:時計バンド、プラスチックレザー、指輪用、時計用ケース製作販売
業歴:同店は、商号の示す如く、スター印製品をもって信用のシンボルとしている。取扱品では各種時計バンドの中で、最近の竈児となっているスターロンがあり、特級品として内外に信用を高めている。金属バンドでは、スターレックスなどは時計界の絶品として人気がある。
同店は東京時計付属品貴金属装身具商工業協同組合(略称美装組合)に所属し、信用を厚くしており、昭和三八年推されて理事長に就任、以来、氏の抱譲する理想的な各種事業を押進めており、将来嘱望されている。
その事業面に現われた中で、組合貝から発売された各種バンドに対す無制限無料引換えという不合理を是正し、正当なサービス以外の無駄を省こうというと実行力が高く評価され、多くの信用を得ている。

昭和四十年当時の『東京時友会(時計関連の総合卸商団体)』

組合員:フクヤ、小泉時計店、マルエス商会、三光舍、共和時計宝飾、富士、丸卜眼鏡店、新井眼鏡店、関眼鏡店、三共社、三和商事の十一社。

昭和四十年当時の『エバー産業株式会社』
エバー式時計バンドの新案権利権を「美装組合」への移管をした

代表取締役:伊藤善照
本社:東京都台東区東上野一丁目十九番九号
電話(八三二)O二四一番(代表)
創業:昭和十五年
業種:時計附属品、貴金属装身具裂造大卸
営業歴:同社の業歴中主たる組合歴は、東京時計装身具商工業協同組合に属し、その理事者として重きをなしている。この組合員は、製造且つ卸元販売という供給方式にある業種の集りであるだけに、業界の中では何れも著名度が高い。その中でも、特に蓍名の商社にあげられているのが、このエバー産業株式会社である。
同社の代表取締役の伊藤善照氏は、三重県四日市の市横町の出身で大正六年生れ。商業畑けの立身を志して上京、当時時計バンド界の花形として人気を博していた山谷電停前の若林善治商店に入ってからバンド製品の製造と卸売業務に専念した。だからこの試練時代における氏の熱心さは他に倍するものがあり、店主の若林氏の特待をうけたほどである。
かくて宿願を立てて昭和十五年に独立、当初の営業所は浅草・田原町二丁目二九番地に置いた。生来の生真面さと実直さそのものに伊藤社長の努力が取引先の好感をうけたことから業績はまたたくまに伸展した。
然しこの頃、大東亜戦争が漸次拡大していった頃で、応召し、中国各方面戦線に活躍することになったようだ。終戦と同時に復員することになり、あこがれの時計附属界に再び返り咲くことになったのである、かくしして昭和二十五年二月、現在の台東区東上野一丁目に店舗を設け、商況の伸展を計ったのである。
この頃の時計バンド界は、発展途上にあり品薄状態で面白いように商況が伸びた時代だった。だが伊藤社長の言訓は常に変らなかった。
「商売というものは、どんな小さな取引の場合でもその相手に向かって“えこひいき”をしてはならない。常に誠実をもって当れば必ずや先方ではこれを認め安心した商売が出来るものだ。従って、“安物買いの銭失い”の例におちるな、というのを強く説教し、これを店員に示したのである。
そのことが当時の商品取引界では非常に好評を博し、新製品が出来たら先ずエバー産業に、というようになったのである。従って営業はますます繁盛、伊藤社長のよき片腕となっている専務取締役の山田正氏のタイアップもますます良化して業務は仲長の一途を辿っていった。
昭和三十六年同社は他に先んじて地上五階、地下一階の鉄筋本建築を完成し、業蹟の上昇成碵を立証せしめた。従って業務は隆昌した。然しこの頃から腕バンドに加えて新規需要を生んでいた貴金属装身具品に業務を伸ばしたので、また別な面での発展が期せられたのである。
商売というものは、その時代に即応した体制を、そしてそれに熱心さと努力が傾けられれば失敗はない。“愛される商品作り”をモットーに良い商品を提供捉供するところに喜んで取引される時代がやってくるものだ。という伊藤社長の心条訓はこのようにして現代に到る業績を示しているのである。
なお、伊藤社長のこの間の着実性を証するものに一つのエピソードがある。それは日本製の腕時計バンドのエバー式時計バンドの新案権利権はもともとこの伊藤社長の投資によって得ていたものである。
それを独乙のロジ社との間で権利係争関係が始まったのを機会に、私権を公開化するという方針から美装組合への移管になったものである、商品に関する開発性の一般化を証する顕者な事例である。



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