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昭和四十年当時の『株式会社徳力商店』
分家独立「江戸橋」の名称で六十年を誇る地金界の名門

取締役社長:鈴木錦之助
本社:東京都中央区日本橋江戸橋三丁目四番地
電話:(二七一)六八二五(代表)
略歴:金、銀、白金地金、美術工芸品を販売、通称「江戸橋」の名で知られる徳力商店の創業は古い。明治三十六年八月十六日に、鈴木直次郎氏が日本橋江戸橋三−四に独立して以来、六十年を誇る地金界の名門である。
神田の徳力本店の前身である金銀商の次男に生れた直次郎氏が、分家独立「江戸橋」の名称で親しまれてきた。徳力商店がもつ大衆宣伝の庶民性はここにその基礎があり、その使命を果している。現社長の錦之助氏は、その伝統をうけつぎ、地金界に雄飛をとげ、各方面の信頼を深
め、倦む事を知らないファイト、修練を積んだ手腕と、すぐれた人間味で今日の徳力商店を築きあげている。
氏は、大正七年十一月二十八日東京・神田に生れ、昭和十三年日本大学経済学部を卒業、十四年現役で東部軍に入隊、終戦に至るまで将校として隊内にあり、二十一年に復員した。空襲にざらされた東京、江戸橋の社屋は戦禍をうけ、また当時、金、銀、白金はいずれも製造販売統制下にあり、営業の進展は図れなかったが、その後統制は、漸次緩和され、二十四年六月新社屋を建設、積極的な営業を開始、卓越した手腕は、縦横に伸びていく機会でもあった。当時すでに厳父の直次郎氏は、錦之助氏に経営面の手腕を発揮させるチャンスを考えていただけに、この再建復興のテンポは、フレッシュな感覚を背景に加速度的に伸び、業績の進展は注目を集めた。
昭和二十八年八月、金の統制が解除され地金界は、全面的に自由取引が可能となった。ここで多年の宿願としていた新しい商策を次々と打ち出した。特に、昭和三十一年、貴金属製品の免税点引き上けが業界の要望によって実現したが、この機会を逃さず、指輪を始め、その他貴金属製品一般の大衆宣伝を開始、新聞、雑誌、ラジオなどマスコミをつかって卒先して活発に展開したことは貴金属・地金業界に大衆商品として花やかな脚光を浴びさせ、地金界に新風をおくるとともに斯界の発展に貢献少なからぬものがあった。
堂々たる体格は、二十三貫、商売熱心さも人一倍で、温厚なうちに亊を決したら、敢然と実行する。古いのれんに新しいセンスを生かす、独特の「経営戦略」は、地金業界に重きをおく存在として成長している。「日本の地金業界の威信を高め、大衆に貴金属品を愛してもらうよう努力する」とその気力はなかなかたくましい。と同時に「事業を通じ一般の貴金属に寄せる観念を高めたい。」とその抱負を語るあたり、なかなかの政冶力を内に秘めている。
そしてこの闘志こそ氏の今日を築きあげたものであり、その将来を約束しているものである。
父君に似て、豪放ライ落な性格、それでいて中々キメの細かいところがある。大胆で神経のゆきとどいた人である。氏の計画が時代にマッチしたこともあるが、やはり経済状況の判断の的確さ、ひたむきな仕事熱心と誠実さが業界に受け入れられていく。覇気に富み、綿密な計画と実行力を兼備する経営力をもっている。働き盛りの年令であり、進取、積極の気性はさらに今後円熟味をましていくであろう。趣味は、スポーツ、横綱・大鵬の熱心なファン。家庭は政子夫人との間に男二人、女三人。四十五才。

昭和四十年当時の『上野問屋連盟』
国産時計、舶来時計、時計材料
貴金属宝石、眼鏡、時計附属、喫煙具:何んでも揃う問屋街
 
上野問屋連盟連は、日々の取引を通して皆様と共に、新しい商品経営の在り方を研究し、相互の繁栄を約束してゆこうとする卸商の集りです。各店とも取扱商品は一流メーカーの優秀品を豊富に取揃えてありますので、迅速に仕入れることが出来ます。
しかもサービスは万点。必ずや皆様方に満足がいただけるものと確信してご来店を御待ち申しあげております。当連盟は昭和三十三年に設立されました。
昭和三十五年から、関東各県連主催による展示会に出品、多大の成果を上げております。あけ展示会の出品、開設、希望の向きは、何なりとご相談下さい。

上野問屋連盟加盟店(順不同)

▽舶来時計・貴金属:鰹ャ野金商店、▽シチズン・国産時計全般:渇チ賀屋商会、▽舶来・国産時計全般・貴金属:(有)越光商店、▽眼鏡・光学器:三共社、▽舶来時計:椛蝸m商会、▽舶来・貴金属・サック:褐エ徳商店、▽貴金属・装身具:藤屋商店、▽セイコー時計専門:牧野商会、▽シチズン時計特約店:マルエス商会、▽眼鏡・光学器:森謙眼鏡店、▽国産・舶来時計:ユオ時計梶A▽国産・舶来時計:葛g田時計店、▽セイコー時計専門:鞄倹M商会、▽喫煙具専門:鞄c辺昇商店、▽舶来時計・付属品:川村時計店、▽付属品・貴金属:斎藤儀蔵商店、▽付属品・貴金属:斎藤利二商店、▽国産時計全編:東栄都営梶A▽付属品:能村商店。

昭和四十年当時のみつわ真珠工業株式会社
総工費五億円で地下二階、地上九階の銀座みつわ本社ビルを建設

営業種目=真珠養殖、加工、卸売並輸出入、貴金属宝石、装身具一般製作卸
資本金:八干万円
販面部、宝石専門店としての潟~ワ併営
日本橋三越はじめ、新宿小田急デパート、横浜高島屋デパートなどに出店
略歴:大正九年四月、前社長の三輪豊照氏が貴金属卸商を文京区・湯島で開業、昭和九年株式会社に組織変更した。
戦後、みつわ真珠工業株式会社を設立、真珠養殖事業に育成、貢献した。昭和二十三年六十五
歳で没す。
昭和三十九年六月に地下二階、地上九階、建坪六百五十一坪、総工費五億円で銀座みつわ本社ビルを建設、一階を宝石専門店ミワの称号で併営している。大阪市南区周防町十六に関西支店がある。写真は東京銀座のみつわ本社ビル。

昭和四十年当時の「東京時計付属品貴金属装身具商工業協同組合員」
略称「美装組合」

美装会館=東京都台東区東上野一丁目十一番五号

当時の懐かしい組合員の顔ぶれ

▽理事長=今田正雄(潟Xター商会)、▽常任理事=舘林精之助(潟oンビ)、谷清丸(潟xアー)、荒木周平(葛煢h社)、▽理事=高島倍(潟yガサス)、百田明(鞄潔h商会)、梶田善次郎(梶田商店)、武山昇(武山商店)、竹本茂次(樺|本)、夏目貞男(渇ト目商店)、国井博隆(国井商店)、伊藤善照(エバー産業梶j、佐藤通文(轄イ藤商店)、▽監事=涌井康晴(釜a久元)、平岩有一(兜ス岩徳三商店)。
【組合員】叶ホ国商店:石田康国、叶ホ田商店:石田喬佑、ローマン商会:百田稔、樺キ谷川商店:長谷川泰之助、日本金属装具梶F石田基吉、日本時計バンドエ業梶F片柳一郎、東京貴宝梶F政木喜三郎、小野商店:小野孝蔵、河合時計バンド製造梶F河合良喜知、叶井商店:川合義久、(有)加藤商店:加藤浄一、加藤清十郎商店:加藤一雄、大恵商事梶F大久保桂助、玉国商店:玉国佑吉、大一団業梶F松坂幸雄、大和宝飾梶F木下安夫、矢沢商店:矢沢昭美、且R口安太郎商店:山口安太郎、丸千商会:西村和也、藤川商店:藤川清幸、後藤商店:後藤季次郎、耕平商事梶F木下経好、斎藤時計材料梶F斎藤勉、佐野働冶商店:佐野働冶、且O光舎:松下保次、且O貝:堀江一郎、木付商事梶F木村経好、且O又商会:三ツ村又八、潟~ヤタ商店:宮田義信、鞄田清久商店:島田清久、鰹ョ美舎:山口新一朗、(有)伸和商会:佐藤周三、潟Xワロー商会:村井象次郎。

昭和四十年代の「東京貴金属工芸品卸商業協同組合」
昭和四十一年二月に会館ビル(地上五階建)鉄筋造りの本建築を完成

東京都台東区蔵前四丁目二〇番八号
電話東京(八六二)二〇四八〜九番
業況:東京貴金属工芸品卸商業協同組合は昭和四十一年二月に東京貴金属会館ビル(地上五階建)鉄筋造りの本建築を完成、三月十四日に落成披露会を催し会員総出で祝福した。この会館建設は三十八年から組合員の拠出によって資金を積立てたもので、今後のビル運営についてその効用が期待される。

当時の懐かしい組合員の顔ぶれ

【組合員】東貿易梶F藤堂常太郎、石川宝石貴金属梶F石川文一、且s岡:市岡荘吉、活ノ藤商店:伊藤豊、伊藤時計店:伊藤金次郎、岩沢商店:岩沢正三、伊勢正商店:大平吉蔵、鰹纐商店:上野静夫、小野商店:小野孝蔵、尾張屋商店:鈴木春雄、柿下商店:柿下尚貴、梶田商店:梶田善次郎、片岡商店:片岡芳雄、兜ミ柳商店:片柳仁、加藤清十郎商店:加藤一雄、加藤商店:加藤浄一、金子製作所:金子政次郎、渇ヘ西商店:河西直治郎、国井弘孝商店:国井博隆、興亜商店:依田栄政、小石商店:小石雅隆、越光商店:越光保、五成堂中村商店:中村秀吉、後藤商店:後藤清貞、葛井商店:駒井キミ代、近藤商店:近藤富太郎、サイトウ商店:斎藤俊郎、坂口商会:坂口重雄、佐藤貴金属商店:佐藤留乙、鞄田清久商店:島田清久、梶A城南商会:長田猛、真光:高宮定次、蒲髟カ:鈴木文一、鈴田屋商店:鈴木正雄、諏訪商店:諏訪喜久男、大一産業梶F松坂幸雄、椛蜑商店:塚田舜一、大藤茂樹商店:大藤茂樹、
高瀬製作所:高瀬清、武山商店:武山昇、タツミ商店:巽忠春、田中真珠商会:田中徹也、多摩宝石:水野武人、田村商店:田村金一、千葉産業梶F伊藤智、外川商店:外川恒吉、東京工芸梶F金子四郎、中川商店:中川三好、樺栄商店:中島興二、長野商店:長野定雄、日本トロフィー:越村暁晴、野沢屋:山田政次、長谷川昭洋商店:長谷川昭洋、長谷川商店:長谷川泰之助、原潔商店:原潔、広口チェイン梶F広口英次、福井屋商事叶ホ山重夫、福地製作所:福地勝雄、潟tクヤ:水谷義夫、兜x士商会:桜井政治、富士真珠梶F千村重友、鞄。田商店:藤田貞一、藤屋商店:藤田俊、宝永商会:吉田武夫、松井宝石事務所:松井英一、松山商店:松山繁三郎、三上商店:三上明、水渓商店:水渓亘、溝口万吉商店:溝口万吉、みつわ真珠工業梶F三輪邦彦、且Oツ輪屋商店:岩田有弘、ミヤコ商事梶F翁川喜代治、宮田商店:宮田浅次郎、森岩商店:森喜介、森工芸興業梶F森進、矢沢商店:矢沢照美、竃沢:柳沢華、且R口安太郎商店:山口栄一、弥生商会:永田重蹟、依田新商店:依田衛二、活ヒ田忠:依田彰一、脇坂商店:脇坂京仁、潟純N井商会:涌井増太郎、石福金属興業梶F古宮祐樹、小森宮金銀工業梶F小森宮正真、椛謌黹Pース製作所:川島徳蔵、滝本貴金属梶F滝本佐一、田中貴金属工業梶F田中淳一郎、鞄ソ力本店:鈴木喜兵衛、徳力商店:鈴木錦之助、中溝貴金属工業梶F中溝徳治郎、鰹シ村金銀店:松村伊助、褐莓リ本真珠店:御木本美隆、褐莓リ本装身具工場:相沢貞治、且R崎商店:広島福三。

昭和四十年当時の協同組合の現況
十八の団体が競い合って活動していた

◇東京貴金属工芸品卸商業協同組合=東京都台東区蔵前四丁目二十番八号
電話:(二八六)二〇四八番
理事長:松山繁三郎 

◇日本貴金属文化工芸協同組合=東京都台東区釆上野一丁目十三番三号
電話:(七三二)二五九二番
理事長:山本勇三 

◇東京貴金属工芸品工業協同組合=東京都台東区上根岸一一七番
電話:(八七三) ○二九一番 
理事長:脇坂京仁       

◇埼玉貴金属工芸品工業協同組合=埼玉県蕨市仲上町一丁目三七四三番地
電話:(○四八四)(三一)二八三八番
理事長:入倉保五郎 

◇日本貴金属協同組合=東京都荒川区日暮里四丁目一〇六番地
電話:(八九一)一五五六・五六七〇番
理事長:風戸成介      

◇東京美術銀器工業協同組合=東京都台東区東上野三丁目二四番四号
電話:(八三一)三三一七番
理事長:平田宗道

◇日本貴金属地金協会=東京都中央区日本橋茅場町ニノ十四
田中貴金属工業KK内
会長:田中淳一郎      

◇全国時計付属組合連合会=東京都台東区東上野一丁目一九番六号
電話:(八三一)三三一七番
会長:遠藤信一 

◇東京時計バンド装身具卸商業協同組合=東京都台東区東上野一丁目一九番六号
電話:(八三一)三三一七番
理事長:遠藤善一 

◇名古屋時計付属品卸商組合=名古屋市中区島田町一丁目四番地
理事長:大川名英
大川商店内電話(二三)六八九四番

◇大阪時計付属品卸商業協同組合
大阪市南区安堂寺橋通り三丁目十五番地 安栄ビル内
電話:(二七一) 〇六四八番
理事長:加納竜之輔

◇日本輸出金属時計バンド工業組合=東京都台東区蔵聾丁目四番九号
日本輸出雑貨センター内
電話:(八六六)六〇三六〜七番
理事長:青木房吉           

◇東京時計バンド製造加工業協同組合=東京都新宿区柏木一丁目一八一番
浄音寺内
理事長:久保俊一 
          
◇全国時計材料商組合連合会=東京都台東区東上野一丁目立番六号
電話:(八三一)四六〇五番
会長:原正行

◇東京時計材料卸商業協同組合=東京都台東区朿上野一丁目十一番六号
電話:(八三一)四六〇五番
理事長:和田幸男 

◇東京時計文字板製造組合=東京都北区上十条二丁目五番地昭工舎内
電話:(九一三)七七一一〜四番
理事長:山本多意吉      

◇社団法人日本時計輸入協会=東京都港区西久保明舟町一七ノ六信和ビル四階
電話:(五〇一)五〇七一〜七二番
理事長:始関伊平

◇全国時計卸商組合連合会=東京都文京区湯島三丁目七番六号
東京時計卸商会館内
電話:(八三二)○四八〇・〇三五三番

宝石業界の概況としては「東京貴石倶楽部」がわが国の宝石団体のはじめ
昭和二十七年「全国宝石卸商協同組合」なるものを設立

貴金属宝石類の取扱業者の事歴は、明治時代から存在しており、可成古いものである。その中で特に宝石類を取扱う業者の存在は大要大正時代以降に属するものが多い。
然して、その団体的な動きは、「東京貴石倶楽部」がわが国内では筆頭となろう。
また、宝石類の取引は品物の性質上おおむね個人間で取引される例事が多い。そして業者の親睦、商品の研究等を計るため、前記の東京貴石倶楽部のほかに「若葉倶楽部」などの名称による小グループが、東京、大阪、名古屋等の各主要都市を中心に数多く設立されている。
然し組合というものがないので、各都市の主立った業者が相寄り、昭和二十七年「全国宝石卸商協同組合」なるものを設立する事になったのである。
設立当時の会長は、故古川伊三郎で、当時東京都千代田区神田東松下町四十八番地に事務所を置き、業界発展につとめ、今日の隆盛を見たのであるが、昭和四十年現在の中央区明石町五十二番地に「株式会社東京美宝会館」が設立されたのを機に事務所をここに移転したのである。
組合の事業としては、終戦後宝石類の輸入促進に成功し、又物品税の撤廃運動を押進め、その間何回かの改正に成功しており、昭和四十年度の運動の成果として、昭和四十一年度より実施された免税額オール壱万五千円の引上げ改訂の実現に成功したのである。
だがなお、今後も引続き撤廃運動をして、最終的には撤廃という最終目的を成功させるというのが現況である。なお、全国宝石卸商協同組合は、関東、中部、関西の各支部に分れ組織されており、その各支部役員は次の通りである。

全国宝石商協同組合
東京都中央区明石町五十二番地
東京美宝会館
電話(五四二)八三二一番
理事長:巽忠春、副理事長:大平吉蔵

関東支部員名:▼支部長:大平吉蔵、▼副支部長:鈴木正雄、岩沢正三(監事)、▼顧問:巽忠春、▼幹事:石井正夫、石川文一、岩田有弘、小倉和助、国井博隆、黒沢為重、黒沢為定、岡本憲一、長田猛、甲斐正澄、加藤松彦、茅野福二、川瀬剛二、草山重松、堀田良作、広川博之、福沢仲治、越光保、後藤清貞、佐藤邦男、白石憲二、諏訪喜久男、塚田虎勝、中村秀吉、野辺勝五郎、野辺浩司、原潔、松井英一、松井厳司、三輪邦彦、森岩吉、森田時春、山口為一、梁田轍、山田政次、横山栄太郎、吉川清。

昭和四十年当時の仲問連(仲問連時計付属眼鏡協同組合)
昭和二十九年、仲御徒町に店舗を構える時計・眼鏡・貴金属卸業者十二店により結成

事務所:東京都台東区上野五丁目十五番十八号
プラチナビル四階
電話:前橋(三七二)七四七一番
[沿 革]昭和二十九年に春木義男氏の提唱で、仲御徒町(住居表示法により現町名は上野)に店舗を構える時計・眼鏡・貴金属卸業者十二店により「仲御徒町問屋連盟」を結成発足した。共同サービスと共存共栄の趣旨に賛同する卸商社は逐年移入して四十店に達し、“お仕入れは何んでも揃う仲問連へ”というスローガンの下に有名問屋街として全国から注目を集めるに到った。
昭和三十八年には協同組合に改組し、初代理事長には石川英敏氏が就任して現在なお重任している。去る昭和四十年度は創立満十周年に当り各種の記念特別売出しおよび諸行事を実施して好評を博した。
[サービス]仲問連加盟店店頭で現金一千円買上げ毎に、サービス券一枚を贈呈(但し特殊商品買上げの場合を除く)このサービス券の所有枚数に応じて次のサービスを実施している。
▼春の観劇会、▼秋の温泉一泊招待会、▼随時観劇・温泉一泊招待、▼景品贈呈、▼“吉池”コーナープレゼント等。

組合加盟店(五十音順)【時計】共和時計宝飾梶A久津間商店、佐藤時計商会、東京三光舎、東陽時計梶A東和時計梶A中礼時計梶A冨尾時計店、堀田時計店、【時計・付属品】ワク井商会、ござる商会、十二屋、フクヤ商店、【時計付属品・貴金属】石川商店、蒲髟カ、宝商会、三上商事、ミヤコ商事梶A【貴金属・宝石】由良商店、【材料工具機器】五十君商店、大滝商店、小川静商店、銀杏商会、三和商事、松井時計材料、【眼鏡光学器】東眼鏡梶A梅沢良男商店、清川商店、滑ン田、澤本現況店、島田秀之助商店、春樹眼鏡梶A丸八眼鏡商会、【喫煙具】沖山商店、田辺昇商店、フカシロ商店。

昭和四十年当時の大和貿易株式会社(インカブロックープロモーションーセンター)
時計検定機ビブログラフを初めて我が国に紹介した社歴を持つ

本社:東京都港区麻布兵衛町ニ丁目ニ十五番地
電話:(五八二)○八八一一番(代表)
取締役社長:山田元次
創立:昭和二十四年
取引銀行:三和銀行東京支店、三菱銀行六本木支店
業歴:インカブロック、トリオスタッ卜、ギロキャップ、ビブログラフ、グラドスコープ、スピログラフ、時計用貴石、精密工作機器、スイスーポルテスキャップ社、レノー社日本総代理店。
業種:時計業界に仲間入りしたのが昭和二十六年、インカブロックで有名なスイス国、ポルテスキャップ社及びその販売部門であるレノー社と総代理店契約を結び、特に時計検定機ビブログラフを初めて我が国に紹介した事は社歴を一層輝かしいものとしております。ビブログラフは、第二精工舎を始め各メーカーから絶賛をもって迎えられ、従来の計時調整に画期的な役割を果たしました。
爾今、時計輸入業者並びに有力な小売店で買上げていただき、今日迄に一千台余りが、最とも信頼のできる時計検定機として関係者に愛用されています。
ポルテスキャップ社の諸製品の販売を足掛りとして、時計製造に関する諸機械、時計用貴石、貴石加工機械、工具類等の代理店契約が着々と進み、各メーカーに納入しご愛顧を頂いております。
更にインカプロック、プロモーションセンターとして広くインカブロックを始めとするポルテスキヤップ社製品の紹介に当り、我国の時計産業の発展貢献しております。

昭和四十年当時の有限会社深沢時計店
明治四十四年に伊香保御用邸係を命ぜられた群馬県前橋市の老舗

本社:群馬県前橋市連雀町五十八番地
電話:前橋(〇二七二)(二)三九一一番
代表社員:深沢五郎平
営業:時計・眼鏡・貴金属小売販売
取引銀行:富士、勧銀前橋支店、群馬銀行本店
業歴:故服部金太郎翁のすすめで前橋に開業してから昨年で五十年になった。創業五十周年記念謝恩会を伊香保温泉で開催、盛況を呈した。その以前は明治四十四年に伊香保御用邸係を命ぜられたが大正十年退職、同十一年に前橋組合に入りこの頃から群馬県連合会の創立に努めた。
店舗の写真は近代的設計に因んだものとして県当局の賞讃を博した。



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