※写真をクリックで拡大します。
Home

三愛貿易株式会社
スイス製時計、チタス日本総代理店

本社=東京都台東区上野三−十八−十一号
電話=八三二−五七七七番
代表取締役=田村正雄
資本金=二百万円

業種=スイス製時計、チタス日本総代理店、輸入業務の他、雑貨類の輸出業務。
「チタス」の沿革=一八九二年設立したチタス・エ・ソルビル会社の製品。「チタス」というスイス腕時計の名は、日本市場ではそう有名ではありません。然し歴史の示す通り、欧米市場では、確固たる名声を保持しており、日本でも戦前帝国海軍の軍繿に不可欠の備品として使用された「ソルビル」クロノメーターは、この会社の製品でした。同様にこの標準時計は、日本の三鷹にある天文台にも常備されており、古い伝統と精密時計界の過去の栄光に安住しておるのみでなく、一九五九年、バーゼルの時計見木市においては「チタス」の完全電子時計「ソル卜ロニック」は、機械式機構、歯車、文字板、剣を時計から取除いた画期的電子時計として、原子時計に次ぐ精度を有し、廿一世紀時代の時計として業界に話題を提供したのであります。この時計は、目下、置き時計段階ですが、時計の段閼です
がこれを今後小型化して行き、そして腕時計化して行くことを「チタス」工場では、研究をしております。然し通常の自動巻きカレンダー付腕時計においても「チタス」は紳士用、婦人用共にヨーロッパの洗練されたデザインを採り入れ、品質の良い時計として定評があります。総括的にスイス時計工業と日本時計工業の差異を大きく述べれば、国産品メーカーが、企業の形態上マスプロに走らざるを得ないのに反して、スイスのそれは嗜好的にメーカーの好みと伝統に生きて少量生産をしているのが好みに合った選択というべきでありましょう。

時計美術宝飾新聞社の「明治、大正、昭和三世代史」発刊を祝して
日本時計協会 服部正次会長

《昭和四十一年》 この度、株式会社時計美術宝飾新聞社が時計業界多年の宿願であった時計産業史「明治・大正・昭和の三世代史」を発刊することになりましましたことは、全業界にとってこの上ない喜びであります。かかる一大快挙の実現を見た陰には、時計美術宝飾新聞社・藤井勇二社長の業界育成の為の、多年のご心労とご努力があったればこそであります。まずもって満厚の祝意を表するものであります。御紙も昨年の昭和四十年をもって創刊満四十周年を迎えられました。この長い年月には、幾多の変遷があり波涛を乗り越えて業界の為尽力してこられたことで、その間培われた一大勇猛心によって、今回の難事業実行の決心を固められたことと存じ、誠に敬服の至りに存じます。これによって全業界が益するところ、誠に計り知れないものがあると思われます。
業界の過去の歴史は御社にお任せするとして、次に現在世界屈指の存在にまで発展したわが時計工業の現況を掲げて祝辞に代えたいと思います。昭和四十一年二月。

昭和三十一年から昭和四十年までの時計の生産額
昭和四十年には2,640万個、金額では582億円、過去10年で4倍となった

生産の推移(単位:10,000個)

年     ウオッチ  クロック  合計  増加率
昭和31年  269    413    682   100% 
昭和32年  342    483    825   121% 
昭和33年  431    418    849   124% 
昭和34年  545    520   1,065   156%
昭和35年  715    706   1,421   208%
昭和36年  923    841   1,764   257%
昭和37年 1,078    981   2,059   302%
昭和38年 1,170   1,022   2,192   321%
昭和39年 1,321   1,166   2,487   365%
昭和40年 1,361   1,279   2,640   387%

昭和四十年には時計の輸出額は736万個に
輸出金額は2,437万ドルで過去10年間に9倍に

時計の輸出推移(単位:1,000ドル)
年     ウオッチ  クロック  合計  増加率
昭和31年 1,026   1,670   2,696    100% 
昭和32年  106   1,326   1,432   53% 
昭和33年  121   1,147   1,268    47% 
昭和34年  303   1,634   1,937   72%
昭和35年  768   2,483   3,251   121%
昭和36年 2,013   2,744   4,757   176%
昭和37年 3,606   3,352   6,958   258%
昭和38年 7,143   3,532  10,675   396%
昭和39年11,508   4,324  15,832   587%
昭和40年18,495   5,874  24,369   904%

昭和四十年当時の日本時計の輸出先(単位:1,000ドル)
最も多かったのは東南アジアで全体の三分の一

仕向け先国  輸出額    比率
東南アジア  8,523 35%
中近東     394 2%
欧州     2,894 12%
北米    10,650 44%
中南米    565 2%
大洋州    534 2%
アフリカ   715
共和国     94
合計   24,369     100%

昭和四十年、すでに日本の時計の精度は国際水準並みに
昭和三十九年に実施された東京オリンピック以降ウオッチの精度が上がった

《昭和四十年》 国産時計の性能は、すでに国際水準を越しており、これは優秀な時計製造機の使用と厳密な部品の調査の賜物であって、更にたゆまない研究、努力の成果である。
その証明として次の諸事項が挙げられる。
(一)数年前に商産業省が行った品質比較審査会において、十分に世界的標準の域に達したと確認された。この審査に当った通産省工業技術院の発表によれば、市中から任意に買い求めた国産時計と輸入時計品を比較テストした結果、ベストテンの中の上位6個を国産品が占める結果となった。
(二)昭和三十九年に実施された東京オリンピックでは永年の伝統を破り、従来の輸入時計(オメガ)に代り国産時計セイコーが採用され、大部分の競技の時間測定に用いられ、その精度の高さが証明された。
(三)昭和四十年には、世界最高の権威あるものといわれるスイスニューャテル天文台主催の国際クロノメーターコンクールに参加、優秀な成績をおさめ、時間の正確さを実証した。
(四)既述の通り、世界各地へ向け国産時計の輸出が急伸しつつある。
現在、全国にウオッチメーカー(セイコー、シチズン、オリエント、リコー)四社、クロックメーカー二十六社の企業があり、大部分が東京および名古屋の両地に所在している。
日本時計協会は、わが国唯一つの時計メーカーの団体であって、常に業界発展のため努力しているが、その役貝は次の通りである。

服部正次理事長を筆頭に昭和四十年当時の日本時計協会メンバー
ウオッチ四社、クロック二十六社

▽理事長=服部正次、▽専務理事=百瀬乙平、▽理事=山田栄一、山村徳治、佐藤守彦、白石豊彦、市村清、佐藤光治、▽監事=谷碧、鈴森幸一。

当時の日本時計協会員(カッコ内は代表者)

★関東地区=兜桾博梃v店(服部正次)、シチズン時計梶i山田栄一)、椛謫精工舎(服部謙太郎)、リズム時計梶i谷碧)、東洋時計工業梶i熊谷次郎)、渇h計舎(伊藤精計)、竜水時計(谷碧)、柬京時計製造梶i佐藤守彦)、オリエント時計梶i山村徳治)、褐星舍(溝部利治)、ミケン時計工業梶i増山勲)、ジェコー梶i野村恭雄)、原町精器梶i古小高留治)、協和時計梶i矢木克明)。
★中部地区=林時計製造梶i菊地政喜)、尾張精機梶i鈴森幸一)、リコー時計梶i市村清)、
樺テ田時計製造所(津田治郎)、草間時計梶i草間万造)、愛工舎時計製造梶i早川常雄)、
愛知時計電機梶i白石豊彦)、明冶時計梶i阿部鋼一)、名巧時計梶i岩田泰治)、日比野時計製造所(日比野要治郎)、武田時計(武田次郎)、クラウン時計製造梶i塚本正)、ダイヤ時計梶i和木幾次郎)、協立時計工業梶i神戸政次)、飛球時計製造梶i佐藤光治)、ナショナル電気時計梶i東国徳)、浜島精密工業梶i浜島清忠)。

戦前戦後を通じて有史以来最大の時計生産数量となった昭和四十年
ウオッチ、クロック合せて二千五百五十万個に達した時計の生産状況

《昭和四十年》 現在を起点に国産時計の生産状況をみると、戦前戦後を通じて有史以来最大の生産数量となったのは、昭和四十年度である。ウオッチ、クロック合せて二千五百五十万個に達した。昭和三十八年中期以降、超過傾向が著しく現われ始め、内需頭打ちと相まって需給のアンバランスが目立ったのもこのころからである。
ディスカウントハウスやスーパーマーケットの時計部も出現して業界を騒がせ、独占禁止法違反問題にまで進展、時計専門店同志の乱廉売競争が激烈化を呈するに至った。
この結果メーカーは、海外輸出に全力を傾注し、昭和四十年度の生産量が前年比三%増で史上最大の数字とは言いながら輸出では前年比三十五%増となった。
写真は近代化されたオートメーション機械がフル稼働している工場内。

三十七年の総生産量は二千万個台にのぼり、生産過剰傾向が目立ち始めた
中でもウオッチ類は前年比五十%の著増をみせる

《三十七年》 中でもウオッチ類は前年比五十%の著増をみせるなど、実質的な内需向け数量は減少傾向にあって過剩生産による陰路も打開されつつある。
暫時、需給調整の実効が現れてくるとの期待を寄せた昭和四十一年を迎え現在に至っている。
ひるがえって戦前戦後の生産数量をみると、日本時計協会および通算省大臣官房調査統計部の調べによれば、昭和初期(五、六年ごろ)は腕時計の生産が五十万前後で、懐中時計十四、五万個、目覚時計七、八万個、置き時計二万個、掛時計その他四万個前後で合計しても二百万個やっと、という状態であり、現在の十分の一以下の数量である。 
その後昭和十二、三年ごろになると、腕時計の年産が百万個台に増え、目覚まし時計も一時期百万個台に著増したものの、腕時計中心の生産傾向となった。
この当時の時計の総生産数は、四、五万個に伸びている。しかし、第二次世界大戦突入と同時に一挙に低落、腕時計の生産量をみても昭和十六年に百二十七万四千個だったのが、昭和十七年にはわずか三十七万個に減った。そして終戦の年の昭和二十年には、二万六千個まで落ち、懐中時計八千個、掛時計五万個が作られたほかは置き時計、目覚まし時計とも生産ゼロで総計九万七千個となった。この年の生産は、昭和時代の最低記録である。
翌昭和二十一年には、腕時計十一万個と多少持ち直したが、低迷は続き、昭和二十六年に
至ってようやく九十万個台を記録、二十七年に百万個の大台にのせた。この時代から懐中時計の生産は腕時計に反比例して漸減、掛・置、目覚まし時計が漸増するとともに電気時計やタイムスイッチ類がわずかながら位置を占めていた。
その後、腕時計の生産は年々増加、三十六年は九百万個、そして三十七年には一千万個台にのせた。そのあとも生産増は続いているわけだが、三十七年の総生産量は二千万個台にのぼり、生産過剰傾向が目立ち始めたのはこのころからである。写真は、戦前時代における近代化された生産システム。

日本時計の生産実績 昭和五年から昭和四十年まで
日本時計協会・通産省大臣官房調査統計部調べ(単位:千個)

昭和5年=腕時計450、懐中時計150、目覚時計867、置き時計289、掛時計482、電気時計12、合計2,250個。
昭和6年=腕時計512、懐中時計124、目覚時計745、置時計248、掛時計362、電気時計12、合計2,003個。
昭和7年=腕時計623、懐中時計171、目覚時計787、置時計263、掛時計437、電気時計6、合計2,287個。
昭和8年=腕時計593、懐中時計197、目覚時計952、置時計318、掛時計315、電気時計8、合計2,383個。
昭和9年=腕時計783、懐中時計231、目覚時計1,298、置時計431、掛時計877、電気時計51、合計3,671個。
昭和10年=腕時計947、懐中時計283、目覚時計1,448、置時計482、掛時計943、電気時計80、合計4,183個。
昭和11年=腕時計1,242、懐中時計316、目覚時計1,615、置時計541、掛時計1,057、電気時計93、合計4,864個。
昭和12年=腕時計1,182、懐中時計348、目覚時計1,684、置時計566、掛時計892、電気時計441、合計5,113個。
昭和13年=腕時計1,172、懐中時計391、目覚時計1,094、置時計371、掛時計616、電気時計170、合計3,814個。
昭和14年=腕時計1,226、懐中時計409、目覚時計698、置時計232、掛時計609、電気時計210、合計3,384個。
昭和15年=腕時計1,311、懐中時計436、目覚時計712、置時計238、掛時計627、電気時計100、合計3,424個。
昭和16年=腕時計1,274、懐中時計425、目覚時計450、置時計150、掛時計563、電気時計73、合計2,935個。
昭和17年=腕時計371、懐中時計279、目覚時計-----、置時計------、掛時計390、電気時計41、合計1,081個。
昭和18年=腕時計433、懐中時計148、目覚時計-----、置時計-----掛時計165、電気時計--- 、合計808個。
昭和19年=腕時計186、懐中時計62、目覚時計-----、置時計-----掛時計227、電気時計--- 、合計413個。
昭和20年=腕時計26、懐中時計25、目覚時計-----、置時計-----掛時計51、電気時計12 、合計97個。
昭和21年=腕時計115、懐中時計25、目覚時計211、置時計213,-掛時計114、電気時計36 、合計714個。
昭和22年=腕時計280、懐中時計52、目覚時計666、置時計280,-掛時計300、電気時計20 、合計1,598個。
昭和23年=腕時計489、懐中時計103、目覚時計988、置時計262,-掛時計558、電気時計5、合計2,405個。
昭和24年=腕時計713、懐中時計44、目覚時計1,269、置時計322,掛時計697、電気時計10 、合計3,055個。
昭和25年=腕時計686、懐中時計8、目覚時計999、置時計171,-掛時計457、電気時計8 、合計2,329個。
昭和26年=腕時計917、懐中時計8、目覚時計1,210、置時計233,-掛時計663、電気時計29 、合計3,716個。
昭和27年=腕時計1,195、懐中時計22、目覚時計1,297、置時計344,掛時計851、電気時計82、タイマースイッチ5,合計3,716個。
昭和28年=腕時計1,585、懐中時計32、目覚時計1,470、置時計517,掛時計923、電気時計10、タイマースイッチ3,合計4.540個。
昭和29年=腕時計1,966、懐中時計36、目覚時計1,839、置時計443,掛時計986、電気時計13、タイマースイッチ5,合計5,288個。
昭和30年=腕時計2,200、懐中時計39、目覚時計1,903、置時計504,掛時計1,006、電気時計42、タイマースイッチ5,合計5,699個。
昭和31年=腕時計2,644、懐中時計42、目覚時計2,365、置時計512,掛時計1,102、電気時計146、タイマースイッチ5,合計6,816個。
昭和32年=腕時計3,372、懐中時計47、目覚時計2,799、置時計573,掛時計1,143、電気時計306、タイマースイッチ6,合計8,246個。
昭和33年=腕時計4,263、懐中時計47、目覚時計2,347、置時計509,掛時計975、電気時計329、タイマースイッチ24,合計8,246個。
昭和34年=腕時計5,401、懐中時計46、目覚時計2,624、置時計604,掛時計944、電気時計569、タイマースイッチ458,合計10,646個。
昭和35年=腕時計7,093、懐中時計54、目覚時計4,021、置時計703,掛時計1,019、電気時計757、タイマースイッチ566,合計14,213個。
昭和36年=腕時計9,158、懐中時計73、目覚時計4,943、置時計641,掛時計1,088、電気時計949、タイマースイッチ791,合計17,643個。
昭和37年=腕時計10,695、懐中時計84、目覚時計5,954、置時計562,掛時計1,364、電気時計1,139、タイマースイッチ793,合計20,591個。
昭和38年=腕時計11,597、懐中時計103、目覚時計6,371、置時計578,掛時計1,184、電気時計1,180、タイマースイッチ5907,合計21,920個。
昭和39年=腕時計13,214、懐中時計--- 、目覚時計7,381、置時計603,掛時計1,124、電気時計1,707、タイマースイッチ836,合計24,865個。
昭和40年=腕時計13,610、懐中時計--- 、目覚時計-----、置時計-----,掛時計-----、電気時計----、タイマースイッチ----,合計26,400個。
写真は、和服で日本髪の女工さんの姿も見られる工場内。



admin only:
1234567891011121314151617181920212223242526272829303132333435363738
page:11