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金銀製品商連盟の基本財産三万円は創立と同時に日本興業銀行の定期預金に
資金の出資者氏名は

《昭和十四年》 社団法人金銀製品商連盟の基本財産三万円は、創立と同時に出資額を定めて取り纏め、昭和十五年一月十五日を以て日本興業銀行の定期預金に託し、保管したのであった。出資者と出資額は次の如くである。
▽服部時計店:1,000円、▽日本百貨店組合:七、五〇〇円、▽大阪貴金属商工組合:
三、五〇〇円、▽日本金地金株式会社:二、〇〇〇円、▽東京装美会:一、〇〇〇円、▽金森安平:五〇〇円、▽小林伝次郎:五〇〇円、▽大日本時計株式会社:五〇〇円、▽鶴巻栄松:五〇〇円、▽東京時計商工同業組合:五〇〇円、▽東京貴金属品製造同業組合:五〇〇円、▽御木本真珠店:五〇〇円、▽吉田庄五郎:五〇〇円、▽生駒権七:三七五円、▽江藤順蔵:三七五円、▽梶彦兵衛:三七五円、▽中里治三郎:三七五円の合計三万円。

第一回の買入が一段落すると同時に、早くも第二回の買入計画が樹立され、二月二十日の役員会において第二次買入商品の基準表作成の件を申合せている。かくして三月十二日には、山崎商店ほか三店から第二回買入商品の見本七十一点を蒐集するまでに進んでいた。
第二回買入商品の基準表作成と前後して、金時計側の供出を促進する目的から、定款の第四条第五項に基づき、代替時計側の配給斡旋を行う亊となり、東京時計側工業組合の協力を得て、その事業を開始したのである。当時、代替時計側払底の折柄だったので、この企てはまことに時宜に適した措置として歓迎されたのみならず、各府県に於ける金時計側の蒐集処理をも極めて簡易ならしむることを得たのであった。

同連盟が如何に頻繁に会議をしていたか
当時の記録 第二回買入と委員名で分かる

《昭和十五年》 ▽昭和十五年・一月十三日、評定員懇談会を開催、▽昭和十五年一月十九日、中央物価統制協力会議へ加盟、▽昭和十五年二月一日、金製品蒐集区域ヲ植民地域へ拡張スル件ヲ決定、▽昭和十五年二月三日、大蔵省ヨリ金地金売買業者指定証ヲ下附サル(本件ハ遂年期間ヲ更改シテ継続セラル)、昭和十五年二月五日、金鍍金液使用ノ件許可サル、昭和十五年二月二十日、役員会二於テ越村常務理事辞任ノ件ヲ承認。
此の第二回買入に関しては、一般事務の促進と共にその操作を容易ならしめるために、業界人の中から見識のある士を常任委員に委嘱して業務の担当に任せしめる事となり、昭和十五年四月十七日を以て荒木虎次郎、川名啓之、梶田久治郎、亀山末義、後藤清貞、長谷川恵章、外園盛吉、松山繁三郎、溝口万吉、森川浅次の十氏に夫々委嘱してその快諾を受けた。(長谷川氏は同年八月二十三日辞任、同年十月二十九日加藤清十郎氏を後任に推す)

常任委員会の使命
取扱商品買入基準表の原案ノ作成や商品処理二関スル宣伝、連絡等

《昭和十五年》 随時常任委員会ヲ開催シ左記事項ヲ委嘱シ実情二即スルコトヲ期ス
@ 第二回取扱商品買入基準表の原案ノ作成、A商品処理二関スル宣伝、連絡其他日常ノ事務事項ノ処理。
常任委員会において、五月一日、同二十一日の二回に亘って全国連合会長及び組合長宛の出荷勧奨状を発送して全国時計及貴金属業者の認識を促し、業界新聞に右に関する共同声明書を発表した外、東京においては各区の小売組合支部長会議に出席して、出荷勧奨に努めるなど、その労苦は筆舌に尽し難く、古品、新品の鑑別、業者よりの質疑応答等、しかもこの間、委員会並に小委員会を開催すること四月二十日を第一回として実に二十七回に及んでいる。
特に第二回の取扱商品買入に関しては、協議すること十数回にして六月二十六日、基準表を決定発表したのであった。
(イ)男子用提物(方針「虫付」メダル類)カフス釦、金貨枠、ネクタイ止、ネクタイピン、パイプ、ナイフ、シャープ、コ―トチェン、カラー止釦、カラー止鎖、横ピン、バックル其他金製品頽一切。
(口)婦人用帯止金具、頭髪用品、短鎖提、羽織紐、其他金製品一切(以上何レモ石ノ入ラザル無地物二限ル)。
(ハ)石ヲ主トシタル製品ノ空枠(指輪、帯留、カフス釦、頭髪用品、其他)
(二)主トシテ金ヲ以テ製作シタル商品一切。
業界への出荷勧奨については、一方ならぬ苦心を払っている。既にこの勧奨は二月中旬から開始せられ、常任委員会の結成と共に本格的に呼びかけられたのである。その結果は、五月、六月頃に入って、各地からの供出漸く旺盛を極めるに至った。従って各方回ともその供出者の便利に資すべき対策の考究を必要とするに至ったことは勿論、矢板専務理事は後藤常任委員と共に職員を引率し五月二十七、八の両日名古屋市に出張、同方面の業界代表者の熱心な協力を得て、業者から商品の受入を行なうと共に事業目的に関する懇談を遂げ、帰途静岡市にも立寄って同方面の業界代表者とも懇談する等の足跡がある。

東京と近畿で金製品の集荷と輸送
警官十数名の護衛のもとに、日本銀行内の連盟倉庫へ安全に収納した

《昭和十五年》 一方東京方面においては、新市内同業者のために六月中旬を期して左記四力所に商品の持込所と持込日を指定して、職員出張の上これらの受入を行ない、七月四日には、横浜市において神奈川県下業者のために、石田組合長以下幹部の斡旋を得て、またその月の中旬には、近畿地方業者のためにも同様施設を催した等、スピード行動を続けたものである。即ち
▽東京方面は渋谷・東横デパート(六月十八日)、浅草松屋デパート(六月十九日)、大塚白木屋デパート(六月二十日)、新宿伊勢丹デパート(六月二十一日)。
▽近畿方面では、大阪実業協会(七月十五日より二十日まで)、神戸・湊川勧業館(七月十八日)、京都商工会議所(七月十九日)。
近畿地方の蒐集商品は、矢板専務理事以下多くの教職員が同地に出張し、各地組合長その他幹部の非常な努力により予想以上の蒐荷を得、現品を数十個の行李に収めて東京へ愉送した等、連日に亘り酷熱炎暑の下に各地の蒐荷が行なわれたものである。
そこでこの荷物は、造幣局が蒐荷の保管を引受け、また輸送途中の沿線各府県警察部の協力を求め、移動警察の申送りによる護衛を受けて東京駅に到着するや、堀留、丸ノ内両警察署の警官十数名の護衛のもとに、日本銀行内の連盟倉庫へ安全に収納したなど、物々しい光景を呈したものであった。

第二回目の買入商品の受付は、昭和十五年七月一日を以て開始
業者側各委員延べ人員は三千三百人の多数に及んだ

《昭和十五年》 ▽昭和十五年二月十日:業界新聞二対シ第一回取扱商品ノ出荷勧奨ノ件発表、▽昭和十五年四月十二日:矢板専務理事京阪神出荷勧奨会開催ノタメ同方面へ出張、▽昭和十五年四月二十四日:出荷勧奨懇談会開催。
第二回目の買入商品の受付は、昭和十五年七月一日を以て開始した。広汎に亘る買入だけに此の操作における繁忙さは、又想像の外にあったのである。此の買入は、昭和十六年二月二十五日を以て終末したのであるが、引続き第三回の買入れが計画され、その年五月十七日を以て次の如く買入案の骨子を発表した。
一、石入金製品処理ノ件=@連盟預り分買入ノコト、A業界保有分向上、B取外シタル石、原則トシテ買入レザルコ卜、二、評価方法ノ件=@担任委員制ヲ設ケ評価委員中ヨリ担任者ヲ疋メテ評定ヲ指導シ委員会二於テ(各担任委員ノ報告二依り裁決スルコ卜、三、買入方法=(イ)石ノ等級、種類ノ分類、(口)石ノ大小、鶩目ノ決定(ハ)商品ノエ料、等級ノ決定、四、石入金製品の予想点数および金顴(省略)=もっともこの第三回分は主として預り分の処置であったが、此の間、業者以外の一般国民からの金製品供出もあって、一切の取扱いの終了を見たのは十六年の十二月はじめてあった。商品の買入は是を以て一段落となったが、買入れ商品の処理については、業者側各委員が熱心に商品の鑑別、価格の評定、金性調べ等に協力しその延べ人員は三千三百人の多数に及んでいる。

供出量の府県別比率
東京、大阪、愛知、兵庫、福岡、京都の順

《昭和十五年》 この当時の全国に亘る供出量を百分比として、これを府県別に見ると次の如くなっている。
▽東京:二四・三、▽群馬:〇・六、▽千葉:〇・七、▽長野:一・一、▽山形:〇・三、▽大阪:一七・三、▽静岡:一・八、▽和歌山:一・六、▽福井:一・九、▽広島:二・九、▽新潟:一・四、▽島根:〇・三、▽愛媛:〇・六、▽大分:一・二、▽熊本:〇・九、▽沖縄:〇・一、▽朝鮮:〇・三、▽神奈川:三・七、▽栃木:一・二、▽岩手:一・〇、▽福島::〇・六、▽京都:四・〇、▽青森:〇・一、▽奈良:〇・九、▽岐阜:〇・七、▽滋賀::〇・七、▽富山:〇・九、▽山口:一・四、▽徳島:四・〇、▽ 高知:〇・三、▽佐賀:一・一、▽宮崎:一・二、▽北海道:二・三、▽台湾:〇・一、▽埼玉:〇・九、▽茨城:〇・六、▽宮城:〇・三、▽山梨:〇・四、▽秋田:〇・二、▽兵庫:四・九、▽愛知:五・四、▽三重:一・三、▽石川:〇・九、▽岡山:〇・九、▽鳥取:〇・八、▽香川:〇・九、▽福岡:四・二、▽長崎:一・八、▽鹿児島:〇・四、▽樺太:〇・一計100となっている
かくて商品の供出者へは、感謝状を送付し、当局へも十二月三十日付で買入終止を報告した。

蒐集金製品の輸出事業の展開とその終結
事業着手の第一歩としてブラジル輸出品展示会を計画

《昭和十五年》 金銀連盟が当時の貴金属業者からその保有する金製商品を蒐集した事業
は、連盟設立の主眼であり、政府の時局策に順応したものである亭はいうまでもない。しかし、この蒐集のために一定の機構を整え、多数の人員を配し、且つその減り工料を加算した商品代金を支払った等の細かい点にまで及んだ事業を行ったことで連盟としては相当の金額を損失したということから、その損失を補填する意味と、また、一つには、国内物資不足の対応策として輸入物資の引当のために連盟が集めた金製商品を輸出品資材に当てはめることがよいとして、輸出向に転用したことが注目された。このため昭和十五年三月十九日にブラジル同輸出品展示会を学士会館で開いたのが連盟として、この種事業着手の第一歩であり、四月十三日にはブラジル向輸出品の見本写真の携行方を外務省の三浦事務官に依頼した。
輸出に関する記録としては、昭和十五年五月七日の第一回輸出相談会において討議された結果、中南米方面ならびに印度南洋方面に対して具体的な運行策を講ずることを申し合せた。第二回相談会開催の折には、輸出向商品の選定について、各出席者から専門的な意見を徴されたが、こうなってくると時計、貴金属界との因縁関係は漸次薄らいでいくことになった。しかし、当局としては時局下、輸出振興の国策にも一助するという状況下であったので、この面の事業に服部時計店、御木本真珠店などが事業面を通してタイアップしていた記録がある。
しかし、この中、直接巡連盟が輸出面に手を下したのは、上海と広東とであり、当時この連盟がこの両方面への進出を企図した所以は、一:金銀、宝石類が軍需又(生活物資二非ズシテ高価ナル外貨獲得資材ナルコト、ニ:未開地ナル共栄圏、特二南方諸地方二於テ(金製品ノ需要旺盛ナルニヨリ商品トシテ有利二売却シ得ルト同時二、従来ノ手段二依リテハ蒐集シ得ザリシ物資吸収、従ッテ華僑工作ノー端二資スルコトヲ得ルコト、三:軍需対策トシテ(関係当局ニョリ物資交換所ノ如キモノヲ開設スル事ヲ得バ金(ソノ最高ノ効用タル使用の基礎トシテ活用セラレ通貨タル軍票ノ信用二好結果ヲ及ボシ得ルコト、四:国内的二ㇵ製造販売禁止セラレタル貴金属製品ニツキ特二我国伝来の特技トシテ尊重シ得ル象嵌高彫其ノ他ノ技術ヲ輸出二依り保持シ得ルコト。
という点に外ならなかったのである。

戦時体制下、社団法人金銀製品商連盟設立の時の足取り
会長の選定には男爵の東郷安氏を起用することに決めた

《昭和十四年》 時計とその附属品、貴金属宝石類の総てが販売を禁止された昭和十四年
頃の業界は、戦争のための対策ということでただあわてふためいていただけで、これといってまとまるものは何一つとして見られなかった。聖戦の趣旨に応えて一億民衆は、ただ奉公の至誠に燃ゆるのみという態度であった。
この時、貴金具業界を代表して貴族院議員に籍を置いていた山崎亀吉氏が考案して、大蔵省の銀行畑の古手役員であった矢板氏という人を活用、埋れた貴金属品の処理について相談した。その結果、会長の選定という件について、男爵の東郷安氏を起用する案が出来上ったのである。これによって、「金銀製本商連盟」なる団体を設立しようということになったのである。この話は、私が梶田、越村氏などと一緒に中支那方面の経済視察から帰
ったばかりの夏の頃で、山崎氏から梶田氏に相談があり、それから越村氏が私に対して意見を求めたもので、その結果、発足へのコースをとったのである。かくて、その年の十月五日に東京会館で設立認可の披露会が催されている。
従って、戦時下におけるこの当時の業界体制は、この団体一本の息吹きに絞られたといっていいようである。「社団法人金銀製品商連盟」設立の時の足取を辿ってみると次のような概要となる。

昭和十四年七月二十九日「社団法人金銀製品商連盟」が発足した
大蔵省の肝いりで連盟の設立趣意書などが決まる

連盟の設立趣意書
《昭和十四年》 「金二関スル国策ハ現理事変進展ニツレ益々其重要性ヲ増加シツツアリ我等金銀製品販売ヲ業トスル者ハサキニ政府ノ国策二順応シテ金地金蒐集二当り多大ノ国家的貢献ヲナシ得タルハ銃後ノ国民トシテ密カ二本懐トスル所ナルモ今ヤ全国策ノ遂行ニツレ更二業者保有ニカカル金銀製品ヲモ挙ゲテ之ヲ中央二蒐集シ、独り国家財政ノ根本ヲ培養スルニ努ムルノミナラズ、進ンデ其ノー部ヲ海外二輸出シ仍テ以テ外貨ノ獲得二資スルコ卜ハI属国策二順応スル所以ナリト謂ハザルペカラズ」。
この計画は、昭和十四年の六月十日大蔵省迫水金融課長、西原事務官臨席の下に、山崎首長を主唱者として細沼浅四郎ほか九氏の業界代表者が設立協議会を開いたのに始まり、以来数次の準備委員会を開催して着々と結成の歩が進められたのである。
この間、政府側からと関西業者の代表者を網羅し、全国の団体としたい希望もあったので、第一回設立協議会には大阪から辻田峰次氏ほか、中里、生駒、梶、江藤の四氏の賛同を得て、かつ業界外からは、男爵の東郷安、矢板玄蕃の両氏が参加した。かくして七月二十九日の設立委員会となり、社団法人金銀製品商連盟の発足を見ることになった。
この委員会には、東郷男爵を会長に、矢板氏を専務理事、越村暁久氏を常務理事に推挙、創立委員長に山崎亀吉氏を顧問に推戴し、兼ねて評価委員長を委嘱し、滋に機構の大綱が完成することとなった。
紆余曲折を経て設立までに漕ぎつけた亊は欣快に堪えない。役所(大蔵省の調)としてはこの連盟に対し全幅の支持を為すものであり、各位は一体となって、この事業の完遂に当られん事を切望する……というのが、席上における大蔵省の迫水課長の激励の辞であった。

社団法人金銀製品商連盟の事業計画書
政府指導の下、国庫に収納又は輸出を試すものとする

一、 本社団法人は、「社団法人金銀製品商連盟」と称す。
二、 本社団は、国策に順応し貴金属製造卸業者及小売業者より商品たる金銀製品及び宝石類その他を蒐集して、政府指導の下、国庫に収納又は輸出を試すものとする。
三、 本社団は、この目的を達成するために、定款第四条に則り、以下の事業を行うもの
とする。
(イ) 同業者が保有する金製品の買い入れ及びその処分。
(ロ)同業者が保有する銀製品の買い入れ及びその処分。但し、本項(イ)と必ずしも同時に行うものに非ずして時局の推移により必要と認められる場合において行うものとする。
(ㇵ)同業者が保有する製品たる貴石類の買い入れ及びその処分。
(二)金銀白金に代用すべき地金の配給斡旋。
(ホ)この他この社団法人の目的達成に必要なる諸事業。



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