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昭和四十年当時の日本時計の輸出先(単位:1,000ドル)
なし最も多かったのは東南アジアで全体の三分の一

仕向け先国  輸出額    比率
東南アジア  8,523 35%
中近東     394 2%
欧州     2,894 12%
北米    10,650 44%
中南米    565 2%
大洋州    534 2%
アフリカ   715
共和国     94
合計   24,369     100%"

昭和四十年、すでに日本の時計の精度は国際水準並みに
昭和三十九年に実施された東京オリンピック以降ウオッチの精度が上がった

《昭和四十年》 国産時計の性能は、すでに国際水準を越しており、これは優秀な時計製造機の使用と厳密な部品の調査の賜物であって、更にたゆまない研究、努力の成果である。
その証明として次の諸事項が挙げられる。
(一)数年前に商産業省が行った品質比較審査会において、十分に世界的標準の域に達したと確認された。この審査に当った通産省工業技術院の発表によれば、市中から任意に買い求めた国産時計と輸入時計品を比較テストした結果、ベストテンの中の上位6個を国産品が占める結果となった。
(二)昭和三十九年に実施された東京オリンピックでは永年の伝統を破り、従来の輸入時計(オメガ)に代り国産時計セイコーが採用され、大部分の競技の時間測定に用いられ、その精度の高さが証明された。
(三)昭和四十年には、世界最高の権威あるものといわれるスイスニューャテル天文台主催の国際クロノメーターコンクールに参加、優秀な成績をおさめ、時間の正確さを実証した。
(四)既述の通り、世界各地へ向け国産時計の輸出が急伸しつつある。
現在、全国にウオッチメーカー(セイコー、シチズン、オリエント、リコー)四社、クロックメーカー二十六社の企業があり、大部分が東京および名古屋の両地に所在している。
日本時計協会は、わが国唯一つの時計メーカーの団体であって、常に業界発展のため努力しているが、その役貝は次の通りである。

服部正次理事長を筆頭に昭和四十年当時の日本時計協会メンバー
ウオッチ四社、クロック二十六社

▽理事長=服部正次、▽専務理事=百瀬乙平、▽理事=山田栄一、山村徳治、佐藤守彦、白石豊彦、市村清、佐藤光治、▽監事=谷碧、鈴森幸一。

当時の日本時計協会員(カッコ内は代表者)

★関東地区=服部時計店(服部正次)、シチズン時計(山田栄一)、第二精工舎(服部謙太郎)、リズム時計(谷碧)、東洋時計工業(熊谷次郎)、栄計舎(伊藤精計)、竜水時計(谷碧)、柬京時計製造(佐藤守彦)、オリエント時計(山村徳治)、光星舍(溝部利治)、ミケン時計工業(増山勲)、ジェコー(野村恭雄)、原町精器(古小高留治)、協和時計(矢木克明)。
★中部地区=林時計製造(菊地政喜)、尾張精機(鈴森幸一)、リコー時計(市村清)、
津田時計製造所(津田治郎)、草間時計(草間万造)、愛工舎時計製造(早川常雄)、
愛知時計電機(白石豊彦)、明冶時計(阿部鋼一)、名巧時計(岩田泰治)、日比野時計製造所(日比野要治郎)、武田時計(武田次郎)、クラウン時計製造(塚本正)、ダイヤ時計(和木幾次郎)、協立時計工業(神戸政次)、飛球時計製造(佐藤光治)、ナショナル電気時計(東国徳)、浜島精密工業(浜島清忠)。

昭和四十年代の「東京貴金属工芸品卸商業協同組合」
昭和四十一年二月に会館ビル(地上五階建)鉄筋造りの本建築を完成

東京都台東区蔵前四丁目二〇番八号
電話東京(八六二)二〇四八〜九番
業況:東京貴金属工芸品卸商業協同組合は昭和四十一年二月に東京貴金属会館ビル(地上五階建)鉄筋造りの本建築を完成、三月十四日に落成披露会を催し会員総出で祝福した。この会館建設は三十八年から組合員の拠出によって資金を積立てたもので、今後のビル運営についてその効用が期待される。

当時の懐かしい組合員の顔ぶれ

【組合員】東貿易:藤堂常太郎、石川宝石貴金属:石川文一、市岡:市岡荘吉、伊藤商店:伊藤豊、伊藤時計店:伊藤金次郎、岩沢商店:岩沢正三、伊勢正商店:大平吉蔵、上野商店:上野静夫、小野商店:小野孝蔵、尾張屋商店:鈴木春雄、柿下商店:柿下尚貴、梶田商店:梶田善次郎、片岡商店:片岡芳雄、片柳商店:片柳仁、加藤清十郎商店:加藤一雄、加藤商店:加藤浄一、金子製作所:金子政次郎、河西商店:河西直治郎、国井弘孝商店:国井博隆、興亜商店:依田栄政、小石商店:小石雅隆、越光商店:越光保、五成堂中村商店:中村秀吉、後藤商店:後藤清貞、駒井商店:駒井キミ代、近藤商店:近藤富太郎、サイトウ商店:斎藤俊郎、坂口商会:坂口重雄、佐藤貴金属商店:佐藤留乙、島田清久商店:島田清久、、城南商会:長田猛、真光:高宮定次、鈴文:鈴木文一、鈴田屋商店:鈴木正雄、諏訪商店:諏訪喜久男、大一産業:松坂幸雄、大雅商店:塚田舜一、大藤茂樹商店:大藤茂樹、
高瀬製作所:高瀬清、武山商店:武山昇、タツミ商店:巽忠春、田中真珠商会:田中徹也、多摩宝石:水野武人、田村商店:田村金一、千葉産業:伊藤智、外川商店:外川恒吉、東京工芸:金子四郎、中川商店:中川三好、中栄商店:中島興二、長野商店:長野定雄、日本トロフィー:越村暁晴、野沢屋:山田政次、長谷川昭洋商店:長谷川昭洋、長谷川商店:長谷川泰之助、原潔商店:原潔、広口チェイン:広口英次、福井屋商事石山重夫、福地製作所:福地勝雄、フクヤ:水谷義夫、富士商会:桜井政治、富士真珠:千村重友、藤田商店:藤田貞一、藤屋商店:藤田俊、宝永商会:吉田武夫、松井宝石事務所:松井英一、松山商店:松山繁三郎、三上商店:三上明、水渓商店:水渓亘、溝口万吉商店:溝口万吉、みつわ真珠工業:三輪邦彦、三ツ輪屋商店:岩田有弘、ミヤコ商事:翁川喜代治、宮田商店:宮田浅次郎、森岩商店:森喜介、森工芸興業:森進、矢沢商店:矢沢照美、柳沢:柳沢華、山口安太郎商店:山口栄一、弥生商会:永田重蹟、依田新商店:依田衛二、依田忠:依田彰一、脇坂商店:脇坂京仁、ワク井商会:涌井増太郎、石福金属興業:古宮祐樹、小森宮金銀工業:小森宮正真、第一ケース製作所:川島徳蔵、滝本貴金属:滝本佐一、田中貴金属工業:田中淳一郎、徳力本店:鈴木喜兵衛、徳力商店:鈴木錦之助、中溝貴金属工業:中溝徳治郎、松村金銀店:松村伊助、御木本真珠店:御木本美隆、御木本装身具工場:相沢貞治、山崎商店:広島福三。

昭和四十年当時の協同組合の現況
十八の団体が競い合って活動していた

◇東京貴金属工芸品卸商業協同組合=東京都台東区蔵前四丁目二十番八号
電話:(二八六)二〇四八番
理事長:松山繁三郎 

◇日本貴金属文化工芸協同組合=東京都台東区釆上野一丁目十三番三号
電話:(七三二)二五九二番
理事長:山本勇三 

◇東京貴金属工芸品工業協同組合=東京都台東区上根岸一一七番
電話:(八七三) ○二九一番 
理事長:脇坂京仁       

◇埼玉貴金属工芸品工業協同組合=埼玉県蕨市仲上町一丁目三七四三番地
電話:(○四八四)(三一)二八三八番
理事長:入倉保五郎 

◇日本貴金属協同組合=東京都荒川区日暮里四丁目一〇六番地
電話:(八九一)一五五六・五六七〇番
理事長:風戸成介      

◇東京美術銀器工業協同組合=東京都台東区東上野三丁目二四番四号
電話:(八三一)三三一七番
理事長:平田宗道

◇日本貴金属地金協会=東京都中央区日本橋茅場町ニノ十四
田中貴金属工業KK内
会長:田中淳一郎      

◇全国時計付属組合連合会=東京都台東区東上野一丁目一九番六号
電話:(八三一)三三一七番
会長:遠藤信一 

◇東京時計バンド装身具卸商業協同組合=東京都台東区東上野一丁目一九番六号
電話:(八三一)三三一七番
理事長:遠藤善一 

◇名古屋時計付属品卸商組合=名古屋市中区島田町一丁目四番地
理事長:大川名英
大川商店内電話(二三)六八九四番

◇大阪時計付属品卸商業協同組合
大阪市南区安堂寺橋通り三丁目十五番地 安栄ビル内
電話:(二七一) 〇六四八番
理事長:加納竜之輔

◇日本輸出金属時計バンド工業組合=東京都台東区蔵聾丁目四番九号
日本輸出雑貨センター内
電話:(八六六)六〇三六〜七番
理事長:青木房吉           

◇東京時計バンド製造加工業協同組合=東京都新宿区柏木一丁目一八一番
浄音寺内
理事長:久保俊一 
          
◇全国時計材料商組合連合会=東京都台東区東上野一丁目立番六号
電話:(八三一)四六〇五番
会長:原正行

◇東京時計材料卸商業協同組合=東京都台東区朿上野一丁目十一番六号
電話:(八三一)四六〇五番
理事長:和田幸男 

◇東京時計文字板製造組合=東京都北区上十条二丁目五番地昭工舎内
電話:(九一三)七七一一〜四番
理事長:山本多意吉      

◇社団法人日本時計輸入協会=東京都港区西久保明舟町一七ノ六信和ビル四階
電話:(五〇一)五〇七一〜七二番
理事長:始関伊平

◇全国時計卸商組合連合会=東京都文京区湯島三丁目七番六号
東京時計卸商会館内
電話:(八三二)○四八〇・〇三五三番

昭和四十年当時の「東京時計付属品貴金属装身具商工業協同組合員」
略称「美装組合」

美装会館=東京都台東区東上野一丁目十一番五号

当時の懐かしい組合員の顔ぶれ

▽理事長=今田正雄(スター商会)、▽常任理事=舘林精之助(バンビ)、谷清丸(ベアー)、荒木周平(金栄社)、▽理事=高島倍(ペガサス)、百田明(東栄商会)、梶田善次郎(梶田商店)、武山昇(武山商店)、竹本茂次(竹本)、夏目貞男(夏目商店)、国井博隆(国井商店)、伊藤善照(エバー産業)、佐藤通文(佐藤商店)、▽監事=涌井康晴(和久元)、平岩有一(平岩徳三商店)。
【組合員】石国商店:石田康国、石田商店:石田喬佑、ローマン商会:百田稔、長谷川商店:長谷川泰之助、日本金属装具:石田基吉、日本時計バンドエ業:片柳一郎、東京貴宝:政木喜三郎、小野商店:小野孝蔵、河合時計バンド製造:河合良喜知、川井商店:川合義久、(有)加藤商店:加藤浄一、加藤清十郎商店:加藤一雄、大恵商事:大久保桂助、玉国商店:玉国佑吉、大一団業:松坂幸雄、大和宝飾:木下安夫、矢沢商店:矢沢昭美、山口安太郎商店:山口安太郎、丸千商会:西村和也、藤川商店:藤川清幸、後藤商店:後藤季次郎、耕平商事:木下経好、斎藤時計材料:斎藤勉、佐野働冶商店:佐野働冶、三光舎:松下保次、三貝:堀江一郎、木付商事:木村経好、三又商会:三ツ村又八、ミヤタ商店:宮田義信、島田清久商店:島田清久、尚美舎:山口新一朗、(有)伸和商会:佐藤周三、スワロー商会:村井象次郎。

戦前戦後を通じて有史以来最大の時計生産数量となった昭和四十年
ウオッチ、クロック合せて二千五百五十万個に達した時計の生産状況

《昭和四十年》 現在を起点に国産時計の生産状況をみると、戦前戦後を通じて有史以来最大の生産数量となったのは、昭和四十年度である。ウオッチ、クロック合せて二千五百五十万個に達した。昭和三十八年中期以降、超過傾向が著しく現われ始め、内需頭打ちと相まって需給のアンバランスが目立ったのもこのころからである。
ディスカウントハウスやスーパーマーケットの時計部も出現して業界を騒がせ、独占禁止法違反問題にまで進展、時計専門店同志の乱廉売競争が激烈化を呈するに至った。
この結果メーカーは、海外輸出に全力を傾注し、昭和四十年度の生産量が前年比三%増で史上最大の数字とは言いながら輸出では前年比三十五%増となった。
写真は近代化されたオートメーション機械がフル稼働している工場内。

日本時計の生産実績 昭和五年から昭和四十年まで
なし日本時計協会・通産省大臣官房調査統計部調べ(単位:千個)

昭和5年=腕時計450、懐中時計150、目覚時計867、置き時計289、掛時計482、電気時計12、合計2,250個。
昭和6年=腕時計512、懐中時計124、目覚時計745、置時計248、掛時計362、電気時計12、合計2,003個。
昭和7年=腕時計623、懐中時計171、目覚時計787、置時計263、掛時計437、電気時計6、合計2,287個。
昭和8年=腕時計593、懐中時計197、目覚時計952、置時計318、掛時計315、電気時計8、合計2,383個。
昭和9年=腕時計783、懐中時計231、目覚時計1,298、置時計431、掛時計877、電気時計51、合計3,671個。
昭和10年=腕時計947、懐中時計283、目覚時計1,448、置時計482、掛時計943、電気時計80、合計4,183個。
昭和11年=腕時計1,242、懐中時計316、目覚時計1,615、置時計541、掛時計1,057、電気時計93、合計4,864個。
昭和12年=腕時計1,182、懐中時計348、目覚時計1,684、置時計566、掛時計892、電気時計441、合計5,113個。
昭和13年=腕時計1,172、懐中時計391、目覚時計1,094、置時計371、掛時計616、電気時計170、合計3,814個。
昭和14年=腕時計1,226、懐中時計409、目覚時計698、置時計232、掛時計609、電気時計210、合計3,384個。
昭和15年=腕時計1,311、懐中時計436、目覚時計712、置時計238、掛時計627、電気時計100、合計3,424個。
昭和16年=腕時計1,274、懐中時計425、目覚時計450、置時計150、掛時計563、電気時計73、合計2,935個。
昭和17年=腕時計371、懐中時計279、目覚時計-----、置時計------、掛時計390、電気時計41、合計1,081個。
昭和18年=腕時計433、懐中時計148、目覚時計-----、置時計-----掛時計165、電気時計--- 、合計808個。
昭和19年=腕時計186、懐中時計62、目覚時計-----、置時計-----掛時計227、電気時計--- 、合計413個。
昭和20年=腕時計26、懐中時計25、目覚時計-----、置時計-----掛時計51、電気時計12 、合計97個。
昭和21年=腕時計115、懐中時計25、目覚時計211、置時計213,-掛時計114、電気時計36 、合計714個。
昭和22年=腕時計280、懐中時計52、目覚時計666、置時計280,-掛時計300、電気時計20 、合計1,598個。
昭和23年=腕時計489、懐中時計103、目覚時計988、置時計262,-掛時計558、電気時計5、合計2,405個。
昭和24年=腕時計713、懐中時計44、目覚時計1,269、置時計322,掛時計697、電気時計10 、合計3,055個。
昭和25年=腕時計686、懐中時計8、目覚時計999、置時計171,-掛時計457、電気時計8 、合計2,329個。
昭和26年=腕時計917、懐中時計8、目覚時計1,210、置時計233,-掛時計663、電気時計29 、合計3,716個。
昭和27年=腕時計1,195、懐中時計22、目覚時計1,297、置時計344,掛時計851、電気時計82、タイマースイッチ5,合計3,716個。
昭和28年=腕時計1,585、懐中時計32、目覚時計1,470、置時計517,掛時計923、電気時計10、タイマースイッチ3,合計4.540個。
昭和29年=腕時計1,966、懐中時計36、目覚時計1,839、置時計443,掛時計986、電気時計13、タイマースイッチ5,合計5,288個。
昭和30年=腕時計2,200、懐中時計39、目覚時計1,903、置時計504,掛時計1,006、電気時計42、タイマースイッチ5,合計5,699個。
昭和31年=腕時計2,644、懐中時計42、目覚時計2,365、置時計512,掛時計1,102、電気時計146、タイマースイッチ5,合計6,816個。
昭和32年=腕時計3,372、懐中時計47、目覚時計2,799、置時計573,掛時計1,143、電気時計306、タイマースイッチ6,合計8,246個。
昭和33年=腕時計4,263、懐中時計47、目覚時計2,347、置時計509,掛時計975、電気時計329、タイマースイッチ24,合計8,246個。
昭和34年=腕時計5,401、懐中時計46、目覚時計2,624、置時計604,掛時計944、電気時計569、タイマースイッチ458,合計10,646個。
昭和35年=腕時計7,093、懐中時計54、目覚時計4,021、置時計703,掛時計1,019、電気時計757、タイマースイッチ566,合計14,213個。
昭和36年=腕時計9,158、懐中時計73、目覚時計4,943、置時計641,掛時計1,088、電気時計949、タイマースイッチ791,合計17,643個。
昭和37年=腕時計10,695、懐中時計84、目覚時計5,954、置時計562,掛時計1,364、電気時計1,139、タイマースイッチ793,合計20,591個。
昭和38年=腕時計11,597、懐中時計103、目覚時計6,371、置時計578,掛時計1,184、電気時計1,180、タイマースイッチ5907,合計21,920個。
昭和39年=腕時計13,214、懐中時計--- 、目覚時計7,381、置時計603,掛時計1,124、電気時計1,707、タイマースイッチ836,合計24,865個。
昭和40年=腕時計13,610、懐中時計--- 、目覚時計-----、置時計-----,掛時計-----、電気時計----、タイマースイッチ----,合計26,400個。
写真は、和服で日本髪の女工さんの姿も見られる工場内。"

昭和三十一年から昭和四十年までの時計の生産額
なし昭和四十年には2,640万個、金額では582億円、過去10年で4倍となった

生産の推移(単位:10,000個)

年     ウオッチ  クロック  合計  増加率
昭和31年  269    413    682   100% 
昭和32年  342    483    825   121% 
昭和33年  431    418    849   124% 
昭和34年  545    520   1,065   156%
昭和35年  715    706   1,421   208%
昭和36年  923    841   1,764   257%
昭和37年 1,078    981   2,059   302%
昭和38年 1,170   1,022   2,192   321%
昭和39年 1,321   1,166   2,487   365%
昭和40年 1,361   1,279   2,640   387%"

昭和四十年には時計の輸出額は736万個に
なし輸出金額は2,437万ドルで過去10年間に9倍に

時計の輸出推移(単位:1,000ドル)
年     ウオッチ  クロック  合計  増加率
昭和31年 1,026   1,670   2,696    100% 
昭和32年  106   1,326   1,432   53% 
昭和33年  121   1,147   1,268    47% 
昭和34年  303   1,634   1,937   72%
昭和35年  768   2,483   3,251   121%
昭和36年 2,013   2,744   4,757   176%
昭和37年 3,606   3,352   6,958   258%
昭和38年 7,143   3,532  10,675   396%
昭和39年11,508   4,324  15,832   587%
昭和40年18,495   5,874  24,369   904%"



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