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Princess Marie Bonaparte のポートレイト (マリー・ボナパルト)
日本にティアラが導入されたのは、明治時代に皇室の洋装化が行われたときであったと記されています。
現代の日本のプリンセスの頭上に輝くティアラの所以ですね。
*1907 Cartier Collection ©Cartier

プリンセスの輝き「ティアラ展」〜華麗なるジュエリーの世界〜

「女の子は生まれた時からお姫様なのよ・・・」。それは私がまだ幼いころ、イギリスに住む親類の叔母から聞かされた大好きな魔法の呪文でした。女の子なら誰もが一度は夢に見るお姫様。砂場に描いたお城の中でそっと空想を描いたあの頃、小さいころに一度や二度は誰もがそんなお姫様ごっこで、手作りのティアラをその夢いっぱいの小さな頭上に載せて、遊んだ思い出がきっとあることでしょう。歴史を生きた女性たちの様々な思いが凝縮されたティアラは"プリンセスの輝き"と称され日本初の「ティアラ展」が開催されています。世界各地の美術館やヨーロッパの王侯、貴族所蔵の品、ジュエリーメゾン(各国王室御用達、パリの唯一一族経営のジュエラー、メレリオ・ディ・メレー、日本にも近年上陸した若きナポレオンの愛したショーメ、日本で初めてティアラを製作したミキモトなど、他)の作品を含む18世紀から現代までの、世紀を超えたまばゆいばかりの秘蔵のティアラ約100点が、私たちを壮大な歴史と華麗なるジュエリーの世界へ道案内してくれます。2007年のスタートはジュエリー文化にその名を残した世界の「ティアラ」からお届けいたします。

(豆知識)
ティアラ:
ティアラの起源は古代エジプトにさかのぼり、王族など支配者の埋葬では死者への敬意を払う象徴的な存在でした。ギリシア時代や古代ローマ帝国では神性の象徴としての意味や、最高位のシンボルとしてティアラを着用し、その姿は、彫刻や絵画にも多く登場しています。

センターを高くした装飾部分がほぼ頭を半周する宝石などを散りばめた冠状の髪飾(ヘッド・オーナメント)りのことで、広義にはロイヤル・クラウン以外を称す。とあります。


ティアラを着用する、皇帝ナポレオン一世の血を引くマリー・ボナパルト(1882−1962)は、ギリシア王室プリンス・ゲルギオスとの婚礼の折に発注されたもので、アテネに住むことが定められていた花嫁には、ティアラに象徴されるオリーブの枝には特別な意味があったとされ、それは古代ギリシアではティアラは神性を現すものだったようです。それが18世紀の上流階級でジュエリーとして復活し、ナポレオンはそれを権力の象徴として利用しました。彼を描く多くの歴史的絵画にもティアラを着用する彼の姿を記憶する方は多いことでしょう。宮廷の公式の場では女性たちがティアラを着用するようになったのはナポレオン皇帝の強い支持があったからとされています。以後、19世紀から20世紀前半の激動するヨーロッパ社会を背景に、ティアラは社交界の必需品として華麗な発展を遂げて来ました。


《 The Marie Bonaparte tiara  》
マリー・ボナパルトのティアラ
ミルグレインを施したプラチナ、ダイヤモンド
1907年 カルティエ、フランス製
個人蔵 協力:アルビオン アート・ジュエリー・インスティテュート

(豆知識)
ミルグレイン:
プラチナの表面に施す微細な粒状の細工。
平和と繁栄のシンボルという意味を持つオリーブの枝をあしらったティアラ。それは同時にアテネの都市を守る女神アテナの標象であり、その神殿がアクロポリスの丘の上のパルテノンでした。この婚姻は後にヨーロッパとロシアの全ての王家と縁戚関係を結びました。多くの王室行事の公務でも彼女が着用していたティアラには、多くの意味と歴史が刻まれています。

《 ホワイトハウス夫人の勝利のティアラ 》

1917年 個人蔵、ニューヨーク

ヴィラ・ボーマン・ホワイトハウス夫人(1875−1957)に贈られた、月桂樹(古代ローマ皇帝の象徴であり、ナポレオン一世が1804年の戴冠式で冠ったティアラと同じ月桂樹使用のデザイン)の葉と実が重なり合う金製のティアラが意味した勝利とは、1917年、アメリカのニューヨーク州選挙で、それまで女性には与えられることのなかった参政権を認める法案が議会を初めて通過した。それは彼女が女性参政権党の党首として保守的な社会背景の中で、実に精力的に多くの活動を成し遂げ達成した成果への功績を称え、歓喜した支持者たちからの寄付により贈られたティアラでした。


《 プリンセス・ロイヤル・ティアラ 》
プラチナ、アクアマリン、ダイヤモンド
1938年/後に一部改作
カルティエ ロンドン、イギリス製
イギリス王室蔵
Gracious Permission of Her Royal Highness the Princess Royal ©
Reserved
©Reserved/ The Royal Collection. Photograph reproduced from 'Tiaras, A History of Splendour' by Geoffrey C. Munn,Antique Collectors' Club, 2001.

1923年、国王ジョージ6世が結婚15周年記念にエリザベス王妃に贈ったもの。
アクアマリンの幾何学的なカットとそれらを固定しているダイヤモンドのバーは、アール・デコの典型的なもので、葉のモチーフはジュエリー・デザインにおける自然主義と女性さしさへの回帰を物語っています。

(豆知識)
アール・デコ:
平面的な構成と幾何学的なラインが特徴で、1925年のパリ万国博覧会の装飾美術を総括して、約半世紀後に命名されたスタイル。

《 ドラゴンフライ・ティアラ 》
金、エナメル、アクアマリン
1900年頃
ルネ・ラリック、フランス製
個人蔵

 

1890年以降には、それまで高額なダイヤモンドが主流だったジュエリーから、半貴石やガラス、エナメル、象牙など、多様な素材が用いられるようになりました。 
8匹のトンボ(ドラゴンフライ)の群れがフレームに支えられ、中央のファセット(切子面)付のアクアマリンの両脇に配されているトンボは、フレームからはずしてブローチとしても着用できる。日本は"トンボの大地"との異名をもつトンボは、アール・ヌーヴォーの巨匠であり、ジュエラーのルネ・ラリック(1860〜1945)のお気に入りのモチーフでもあり、日本人の想像力と西洋の伝統を融合させているとされる逸品。ルネ・ラリックの特徴であるステンドグラスのような輝きのプリカジュール・エナメル(トンボの翅)は、それまで主流だったダイヤモンドを目立たせすぎないようにし、アクアマリンとエナメルとの繊細な調和を見事に美しく仕上げたティアラです。

(豆知識)
プリカジュール・エナメル:
下地を用いず、切り抜いた金属板やワイヤーの内側に透明の色付エナメルを流し込み、焼成する技法で、金属の枠だけでエナメルを固定するため、ステンドグラスに似た効果が生まれる。

《 カロリーヌ王妃のニコロ・インタリオ付
  バンドー 》

金、真珠、ニコロ・インタリオ
1810年頃
インタリオはローマ製、ティアラ製作はパリ
ニト・エ・フィス伝
ミキモト蔵 
©
K.MIKIMOTO&CO.,LTD. 

 

カロリーヌ・ボナパルト(1782−1839)は、皇帝ナポレオン一世の一番下の妹。その壮大な政治権力を持つ兄の恩恵もあり、ナポリ王ジョアキム・ミュラと結婚し、ナポリ王妃として栄華を極め、そのジュエリーもまた壮麗なものであったと記されています。ジョセフィーヌ皇后のようにカメオにも情熱を持ち、ナポリ人の宝石彫刻師たちを庇護する。が、皇帝ナポレオンのワーテルローの敗北とともに、全てを失った彼女はオーストリアへ逃亡。世間と交渉を断ち独居生活を送る。その困窮した生活ぶりからティアラを手放し、数年前には日本に売却された数奇な運命を辿ったティアラです。   

(豆知識)
インタリオ:
石の表面に彫刻を彫り下げる技法

★ お知らせ
プリンセスの輝き「ティアラ展」 〜華麗なるジュエリーの世界〜
お問合せ:Tel 03−6215−4405(24時間/自動音声対応)
       http://www.ntv.co.jp/tiara/
場   所:Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷 東急本店横)
会   期:2007年1月20日(土)〜3月18日(日)


★ 参考資料(一部抜粋引用)
ティアラ展図録、及びリーフレット。

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