イヤなことを「削除」↓「実行」できない世の中はだからこそ面白い
「一生青春」などといった表現があるが、年を取るというのは、どちらかと言えば、やはりイヤなことである。体のあちこちの具合が悪くなったり、旅行に行くのも億劫になったり、夢を持つこともなくなったり。
しかし年齢を重ねるというのは、一概に悪いことばかりではないのかもしれない。いつ頃だったか覚えていないが、海外の映画だかテレビドラマで一人のおしゃれなおばあちゃんがこんなことを言っていた。
「年を取るっていうのもね、案外悪いことじゃないわよ。若い時より思い出がいっぱいあるもの」
思い出というと、やはりカメラでパチリと収める写真は欠かせない。最近ではデジタルカメラが普及して、一度の旅行でそれこそ何百枚も撮ることができる。でもその一方では、デジカメだと「削除」というのが可能だから、その場で気に入らない写真や変な風に写ったものは削除を「実行」できてしまう。
これはどんなものだろうといつも思う。思い出というのは必ずしもいいものばかりではないはずで、「苦い思い出」などというのも存在するのである。イヤなものをなんでもかんでも消してしまうことは人間の成長につながらないのではないかと、一人で少し哲学ってしまうのだった。「酸いも甘いも知っていてこそ、立派な人間になれるんじゃなかったのか」などと心で叫ぶのである。
デジカメに比べると、よく言われる“心のアルバム”というのはなかなか削除を実行できないものである。ボタンひとつで削除できたらどんなに楽だろうと思うことも多いが、心っていうのは究極のアナログだから、仕方がない。
まあたまにはボタンひとつでポイポイ消してしまっているような人を見かけるが、ほとんど人は心のアルバムの中に苦くイヤな思い出を抱え込んでいる。そう考えると、例のおばあちゃんが言った「若い時より思い出がいっぱいある」という言葉は、なんだか重みを増してくる。
で、人はこの“心のアルバム”っていうものを一体何ページくらいまでふやすことができるのだろうか。言い換えれば、個人個人あるいは会社組織などが、いつまで新しいことにチャレンジできるのかということのような気もする。そしてそれは、個人個人あるいは会社などの“ブランド”づくりのようなものなのかもしれない。
本当の意味でのブランドというのは、その中に酸いも甘いも含めたストーリーがつまっていて、人々はそこに共感をするのだろう。単なるシンデレラ・ストーリーでは物足りない。イヤなことを「削除」→「実行」できない世の中は、だからこそ面白い。 |