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山口遼さんの「自信を持ってウソをつく」

■自信を持ってウソをつくーー格言に見る業界ばなしーー最終回 ■2014年12月17日 水曜日 14時48分33秒

宝石商というのは・・・・・・

 この連載もこれで最後となりました。これは格言ではありません。二十年も前に、私がニューヨークの五番街にある誰でも知っている宝石店の四階にあった社長室で、黄昏行く五番街を見下ろしながら、マッカランのシングルモルトを啜っている時に、その社長がぼそっと呟いた言葉です。宝石商というのは、世の中で最も美しい物を売る、最も薄汚い連中さ、それがほぼ全文です。私がこれに対して何と返事をしたのか、自分でも覚えていません。そのころはまだ、今程に宝石業界というものにウンザリしていませんでしたから、おそらくそんなことは無いよと答えたと思います。まあ私も純情だった頃があったと言うことでしょうか,今なら、完全に同意していますね。
 私自身、大学を出てからすぐに宝石業界に入り、もう五十年以上をそこで過ごしたのですが、二三年目から、どうもこの世界はイカガワしいのではと思い始めました。業界で会う奴もイカガワしいのが普通で、社内にも変なのがいるし、少し偉くなったら、やたらと飲み食いゴルフに誘いにくるのはいるし、それでいて、ジュエリーという仕事についてまともな話の出来るのはほとんどいない。他所を見ると、婆さんを捕まえてはローン漬けにしてるし、値段はいい加減で何が正しい値段なのか誰も知らない、保証書はデタラメ、宝石の鑑別鑑定など会社によってコロコロ変わるし、商品説明にいたっては漫画みたいなことがまかり通る。だれ一人、お客様にとって何が良いかなど、考えたこともない。時々、スキャンダルが出ると、まともな説明すら出来ない。いやあー、これは素晴らしい業界だなと思いつつ、五十年が過ぎたという訳です。
 もちろん、どんな業界にも裏の話はあります。しかし、これほど全体のレベルに問題がある業界というのは少ない、和装業界、不動産業界など、良い勝負かなと思う業界もありますが、それでも大企業と言える企業があって、それなりの纏まりはありますよ。宝石業界には、リーダーとなるべき大企業がない、その替わりと言っては何ですが、やたらと小さな企業が山のようにある、しかも他の業界からの新規参入が何時までたっても終わらないというのも不思議ですよね。お手軽に高価なものを扱って、あんな奴でも出来るのなら俺でも出来ると思うのか、誰でも儲かるように見えるのでしょうかね。ほとんどの新規参入はすぐに消えるのですが、素人の業者が出たり入ったりするから、業界の水が濁ると言うのか、まあ、いい加減で薄汚い話がどうしても多くなる。
 まあ、こうしたことは日本だけじゃない、世界中の宝石業界を見ると、多かれ少なかれ、似たような状態にあるようです。だからあの高名なアメリカの宝石商が、薄汚い連中さと、噛んで吐き出すように言ったのも、それなりの理由があったのかと思います。まあ宝石という不思議な商品の宿命さと言ってしまえば、それだけのことかも知れませんが、大金が絡むだけに、後ろ指を指されることの無いようにすべきですが、逆ですよね、色々と疑惑を招くようなことが多い。実に残念なことですが、薄汚くないよと言えるだけの自信も持てない。特に我が国で、そうじゃないよと言い切れる状態にないのは、実に無念なことですが、おそらく変わることはないでしょうね。今なら、私もあの社長の言い分に完全に賛成するのは間違いない、残念ですが。
■格言に見る業界ばなしーーその11 ■2014年11月17日 月曜日 11時3分28秒

これを知るものは・・・・・

 これはまたまた論語です。これを知る者はこれを好む者にしかず、これを好む者はこれを楽しむ者にしかず、これが全文です。つまりですね、ある物について、知識のある人よりもそれが好きな人、それが好きな人よりもそれを楽しむ人のほうが上です、ということでしょう。まあ、言ってみれば「好きこそものの上手なれ」というコトワザの通りでしょうね。さていつものことながら、これを宝石業界に当て嵌めて見ましょうか。宝石を知る人、つまり知識のある人は、結構多いでしょうね。知識を悪用している人もいますが、知ることにかけては日本人らしく、非常に細かいことまで知っています。だけどその知識の多くは、石としての宝石の知識に偏っていて、ジュエリーそのもの知識は逆に少ない。つまり宝石学は発達していてもジュエリー学はまったく無いと言える、それが今の業界の状態ではないでしょうか。だから面白いジュエリーが生まれないのだと思います。
 さて、ではジュエリーが大好きという人は、宝石業者のなかでどのくらいの比率を占めているのでしょうか。推測の域をでないのですが、あまり多くないことだけは間違いない。ジュエリーが好きで好きで宝石屋になったというのは、お店や企業が初代のところには、まあいると思いますが、二代目、三代目の店や会社になると、かなり疑わしい。オヤジから押し付けられたとか、結婚したら嫁が宝石屋の娘だったとか、サラリーマンになるよりはマシと思ったとか、先代よりも宝石が好きという人は珍しい。新しく始めた人でも、なんとなく儲かりそうだとか、見よう見まねで始めたとか、社長を見てたら誰でも出来そうだからとか、不純な動機が多いですよ。
 これがジュエリーを楽しむ人となると、まあ、ほとんど居ないでしょうね。全国で見ても10−20人程度じゃないかと思いますよ。そもそも、あることを楽しむ時には、その損得を考えないものですよ。あまり儲からないなとか、場合に寄っては損をするなと思っても、面白いからやってしまう、それが楽しむことの本質ですよ。もちろん、我々は売れてナンボの世界に住んでいる訳ですから、お気楽なことを言うだけですむ訳ではない。だけど私はこの宝石が好きだとか、このデザイナーを世に出したいとか、損得を離れて気に入るものが無い人、それはジュエリーを楽しんでいないと思います。そんなこと、会社にとって無駄なことと思う人は、宝石商にはならずにコンビニでもやったら良い。ヴォルテールという哲学者が、こう言ってます。世の中、無駄なものほど大切である、と。無駄の最たるもの、それが宝石、ジュエリーでしょ、それを商売とするなら、無駄を楽しむことは大事ですよ。それが全くないのが業界です。
 不思議なものでね、お客様というのは、この売り手の差が分かるのですよ,分かると言うよりも感じとれるのです。いったいこの業者は本当にジュエリーが好きでやっているのか、単に金儲けのためにやっているのか、が本能的に分かるのですよ。お客様は、特に良いお客様ほど、この点については敏感です。だから自分もジュエリーを楽しむことが大事になるのです。え、俺、そんな立派なお客に会ったこと無いよ、と言われそうですが、それはそうした客が居ないのではなく、あんたの所には寄り付かない、ということです。猛省しましょう、楽しんでジュエリーの商売をしましょうよ。
■格言に見る業界ばなしーーその10 ■2014年11月17日 月曜日 11時0分49秒

勤勉であることは・・・・・
 
 色々な本を読んでいて、内容のシビアさに腰を抜かさんばかりにびっくりすることは稀ですが、この格言に三十代の頃に出会った時は、本当に驚きました。全文はこうです。勤勉であることは愚かであることの償いにはならない。世の中、勤勉な馬鹿ほど、はた迷惑なものはない、です。ホルスト・ガイヤーと言うドイツの哲学者が書いた「馬鹿について」という本に出てきます。人間、あんまりにも本当のことを言ってはいけませんよね、これはあまりにもズバリと真実を言い過ぎています。確かにこの通りなのですが、それをズバリと言ってしまっては身も蓋もない。ガイヤーさんも、大成しなかったようですから、まあ言い過ぎですよね、これは。
 そうは言っても、サラリーマン生活を50年もやっていますと、この言葉が真実であることはよーく分かります。企業社会には、実に不思議な人物が棲息していまして、あだ名をつけるなら残業部長とか、会議大臣としか言いようのない人物がいます。とにかく、共通しているのは、その人物がいるだけで、仕事がどっと増える、しかもほとんどが何の役にも立たない仕事ばかり、部下の誰もが何のための仕事か分からない、それでどっとモラルが下がるというのが特徴でしょうね。日中はどこにいるのか分からないけど、午後の四時くらいから仕事を始めるからみんな残業になる部長とか、五分で決められることを10人も人を集めて一時間も会議をやる奴とか、おお、それってウチの会社のことかと思われる方も多いでしょうが、オタクだけじゃないのですよ。
 小生の見る所、我らが宝石業界にもこうした人物は多い、しかも小売店の社長とか社長夫人とか、偉い人に多いですよね。扱う商品についても、営業方針についても、何の定見もない、日替わりでコロコロ変わる。それでいて部下に色々と聞くだけは聞くけど,人の言ったことは何も実行しない。社長と専務の間に、方針の統一がない。だいたいこうした社長は店にいないですよね、市や商店街の発展のための会議とか、NPOの会だとか、とにかく店頭にいることがない。だから奥さんの専務がことを決めると,いつの間にか帰って来た社長がコロッと変えてしまう。社員こそいい迷惑、仕事が倍に増えるのは、まさに勤勉な馬鹿が仕事をした場合の典型ですよ。もっと困るのは売る商品についての定見がないことでしょう。問屋の言いなりで,催事の場合でも当日の朝まで、どんな商品が来るのか、知らないという店はザラですよ。社長が知らないのですから、社員に分かる訳は無い。取り敢えず、問屋の言ってることを口移しにお客に言ってるだけ、これでお客に喜んでもらえたら奇跡というものです。
 下の者から見たトップと言うのは、もちろん馬鹿であっては困る、ですがやたらとウロチョロと勤勉であっても困るのですよ。決めることをしっかりと決めたら、後はどーんと任せる、もちろん目は配りますよ、ですが不必要にウロチョロして社員の迷惑とならない、これが大事なのです。宝石業というのは、やたらに細かい仕事がある、ですからどうしても大きな方針よりも些事に目が向くという嫌いはある、だけどそれじゃ下の者も困るし伸びない、これが今の業界の混迷の一つの要因ではないかと思えるのです。どうかトップの皆さん、勤勉な馬鹿にだけはならないで下さい。
■格言に見る業界ばなしーーその9 ■2014年11月17日 月曜日 10時59分17秒

世の中に、人の・・・・

 これは奇人の作家として有名な内田百フ先生が家の玄関に張って来客を断った言葉で、世の中に、人の来るほど楽しきはなし、そうは言ってもお前ではなし、これが全文です。なんとまあ、人を食ったセリフで、百フ先生ならではの辛辣なもの、これを我が業界に当て嵌めますとこうなります。世の中で、宝石買うほど楽しきはなし、そうは言ってもお前の宝石じゃなし、あれま、という感じですよね。いま、宝石の顧客となる女性たちが言っているのは、まさにこの通りなのですよ。お金が無くなった訳じゃない、買う気が無い訳じゃない、いつでも良いジュエリーなら買いますよ、だけど買いたいのはアンタが持ってくるものじゃないよ、ということです。これは効きますよね、どうしたら良いか分からないで十数年、未だに俺たちのジュエリーが売れないのは高いからだと思い続けているのが業界です。
 前にも書きましたが、この十数年来、業界の中で定説のように言われて来たのが、高いものは売れないね、という言葉でした。これを合言葉に、皆さんで寄ってたかってやったのが、単価の引き下げと言うか、安い価格のジュエリーを扱うことでした。当然、客単価は下がりますが、それに伴って売れる数量が増えた訳じゃない、当然のこととして、市場規模は縮小の一途をたどる、これがこの20年ほどの間に、業界に起きたことです。では本当に高いから売れなかったのでしょうか。このコラムの六回目にも書きましたが,高くて良くないから売れないのですよ。自分の商品が売れないのは、もしかしたら良いものではなく、百フ先生の言うお前じゃないというモノじゃないのかという疑問を全く感じなかった。
 良い物が作れない最大の理由は、費用とかの問題じゃない、作る側が何が良い物かが分からない、分かろうとしないからですよ。いや、これは正確な言い方じゃないかも、分かったような気になって作るけど、それが実際には良い物ではない、少なくとも,お客である女性たちの感覚とは違うということではないでしょうか。
 こう言いますと、それはデザイナーの問題だ、デザイナー教育を拡充しなくては、あるいはデザインコンテストをどんどん開催して隠れたデザイナーを発掘するだのと言い出します。デザインコンテストなど、すでに必要以上にすでにありますよ。そうしたコンテストで入賞する作品は、コンテストのためのデザインであって、実際に使えるデザインではない。最近など、ジュエリーデザインで宇宙を考え、エコを考え,人間の未来を考えるなどの素晴らしい作品が多いようですが、実物はナンジャロかねという代物ですね。良いジュエリーを作るというのは、もちろんデザイナーのセンスも大事ですが、どうしたデザインを選ぶか、あるいは指示だしするかにかかっているのです。つまり、描かれたデザインを選ぶ、あるいは変更の指示を出す人間、つまり社長とかその周りの人間ですね、その連中の能力に比例するのですよ。だからオカシな社長の下に、いかに優れたデザイナーがいても、社長が妙なデザインばかり選ぶようでは、まともな商品は出来ないということです。ですからね、ここ二十年に渡り、お客の女性からお前の商品じゃないのよ、と言われ続けてきたのは、ひとえに社長の能力がお呼びでなかったということなのですよ。社長、反省しましょうよ。
■格言に見る業界ばなしーーその8 ■2014年11月17日 月曜日 10時57分36秒

君子には・・・・

 最近、高齢のせいか、物忘れがひどくなり、この名言の出典が分からなくなりましたが、中国古典であることは間違いない、論語かなと思って読み返したのですが、出てない。「君子には、なさざるあり」というのが全文です。つまりですね、まあ立派な人と思っていただければいいのですが、君子とはどういう人なんですかと弟子が聞いたのに師匠が答えた文章です。なさざるあり、と言うのは、これだけは絶対にしないという決意がある人という意味です。つまり、立派な君子というのは、いくら利益があっても儲かっても、これだけはしないという自己規制のある人物ということになります。今の中国には君子などいそうにもないですが、昔はいたのでしょうね。
 さて、翻ってわが宝石業界に君子はいるのでしょうか。
悪い冗談は止めて下さいという声が聞こえそうです。現在の宝石業界の最大の特徴は、売れさえすれば何でもあり、自分はこれだけはしないという気持ちのある業者は指を売る程しかいない。儲かるものなら、何でもあり、何でもやりますというのが基本ですよ、君子などいる訳はない。
 商品についての基礎用語すら決まっていない、だから鑑別鑑定の書式なども不統一、本人以外には通用しない品質表示の用語がまかり通る、二重価格など当たり前、お客に言っていることも凄いですよ、この宝石は将来値上がりして儲かる、資産価値のある宝石とはこれ、この石はまもなく採れなくなります、流通経路を短縮しているから安い、うちの社長はインド、イスラエルに直接出向いて買うから安い、あれまあという程に言いたい放題。これに輪をかけたのがデザイナーの皆さん、胸に大きなバラをつけて、エコを考え宇宙を考え、日本の美を追いかけ、イタリアのセンスを取り込み、なんとかコンテストのグランプリ受賞だとかなんとか、まあまあ、これまた言いたい放題、その臆面もない滔々たる弁舌には、デザイナーになるよりも弁護士にでもと思いたくなります。だいたい、説明しなければ分からない美は美じゃないと思いますが、間違っていますか?
 こうしたことを統一するのが業界団体の仕事だと思うのですが、そんな仕事をしようと言う団体など、どこにもない。団体の長となる人物にも、そんな気概のある人物はいない、ただただ将来、勲章を貰うことしか考えていない。だからやたらと団体があるのですよ、何もしないのに団体だけなら、地方団体も加えれば優に100は超えるでしょう。昔トヨタの偉いさんと話をしていて笑われましたよ、年商一兆円の業界に団体が100もあるなら、トヨタの中に団体が1000あると同じだね、と。
 そもそも会員資格を問わない団体なるものに意味があるのか、それを疑う人が誰もいない、会費を払えば会員だというのなら、会員である意味は全くない、少なくともお客様にとって意味のあることではない、と思うのですが間違いでしょうか。この会の会員なら間違ったことはしないだろうとお客様が思ってくれる団体というのは、少なくとも今の業界には何処にもない、これは間違いのないことです。私どもは、こうした紛らわしいことはやりません、自分の商品や言動に責任を持ちます、と言えるだけの人々が集まって、お客に役に立つ団体を立ち上げることが必要な時期に来ていると思うのですが。
■格言に見る業界ばなしーーその7 ■2014年11月17日 月曜日 10時56分27秒

いいやつばかりが・・・・

 これは箴言とはほど遠い、ど演歌の一節です。「いいやつばかりが先に逝く、どうでもいいのが残される」小林旭が歌うところの「惚れた女の死んだ夜は」のサワリの部分、聞いた方も多いでしょう。私はこの歌を聞くたびに、希望退職を募る衰退企業のことを思い出します。希望退職を募ると、優秀な奴から先に辞めて行く、どうしようもなくて辞めて貰いたい人は最後まで辞めない、というパターンはおなじみのものです。ですが今回は希望退職の話じゃない、宝石業界のいいやつ、どうでもいいやつの話です。
 宝石業界に入ってからもう50年以上になり、その間じっと業界を見ていますと、どうもこの歌の通り、いい会社ほど消えるか伸びない、その反対に、何時の間にか訳の分からん会社が銀座などでも大きな顔をしている、まあもっと長い目で見れば、こうしたどうでもいいのも消えて行くのですが、とにかくあんた誰、どっから出て来て何をしてるのと訊きたくる業者が多いことが分かります。最近の例で言えば、ブライダル専門店という奴でしょうね、不思議なのは。人口は減る、非婚率は高まっている、結婚しても指輪よりマンションが欲しいという女性の率は高まっている、これでブライダル市場が有望な市場である訳は無い、にも関わらずブライダル専門店が雨後の筍のように出て来てくる。何とも怪しげな商品を怪しげな価格で売っている、それで既存の宝石店が大迷惑を被っているというのは最近の図式ですよ、まさにどうでもいいのが残される、ですよね。
 まあこうなるのも、お客の側にも幾分かの責任はあります。何十万円のものを買うのに、調べも勉強もしないで買う。千円の野菜を買う場合には、目の色を変えて選ぶのに、数十万円の買い物にまったく調べもしないで衝動的に買う。これは本当に不思議ですよ、それでいて良くない商品とわかれば大騒ぎする。一言でいえば、無知蒙昧ですが、お客様は神様だという我が国で、これを言う訳にはいきませんよね。それでも、私は思うのですが、そろそろお客に何が本当のことなのかを教えるというか、言う時期に来ていると思いますよ。これまでは、日本中の宝石店はすべて良いお店で、そこで売られているジュエリーはみんな良いものですと言ってきた訳ですよ。そんなことはないことは業者なら皆知っている。それが結果としてはっきりと現れたのが、いま作り直しや売却しようとするととんでもない価格にしかならない商品の山ですよ。堂々たる百貨店の領収書が1000万のものを、引き取るとすると50万円にしかならない、これはざらにあることです。こうしたことを繰り返しては、宝石業界の将来はない。だから最低でも、こうした商品はいけませんとか、こうしたお店はお止めになった方がと、名前をあげるのではなく、一つの指標としてお客様に話す時期に来ていると思いますよ。そんなことをしたら、売上げが減るよという業者は、どうでもいい奴で、反省してもらうか消えてもらうしかない、宝石店のいいやつばかりが先に逝くでは、業界の将来はないと思います。できることなら、近い将来に、お客に本当のことを言っても商売のできる連中だけで、小さな会を立ち上げたいなと思っていますが、どうなりますか。
■自信を持ってウソをつくーー格言に見る業界ばなしーーそのE ■2014年6月13日 金曜日 14時4分47秒

数多い愛の・・・・・
 
 この連載を始めてから、色々な人から意見を言われて、一番びっくりしたのは、山口さんは宝石が嫌いなんでしょうという質問でしたね。誤解もいいとこ、これはいかんと、今回は宝石大好き人間であることを知ってもらうための文句を選びました。これはシェークスピア、「ヴェローナの二紳士」からのもの、「数多い愛の言葉よりも、もの言わぬ宝石のほうが、とかく女心をうごかすものだ」が全文です。宝石業界として泣いて喜ぶべき惹句ですよ、なんせ、私じゃない、シェークスピア様ですからね、言っているのが。なのにどうして日本の女性の心は動いてくれないのでしょうか。今回はその辺を当たってみます。
 私の実感で言えば、宝石が嫌いという女性は、たぶん比率にして1%位だと思いますよ。自分が正しいと思うことだけが正義で、虚飾を廃し、地球を考えエコを実践する、こうした方々に嫌われるのは仕方が無い、まあ縁なき衆生と思う以外はない。そうした立派な方々以外の女性は宝石大好きじゃないかと思っています。だけど、あまり良い話が聞こえない、どうしてでしょうかね。
 一種の閉塞感というのか、うんざり感というのか、それが漂っているのが宝石業界ではないでしょうか。これはこれはと言えるようなジュエリーに、最近はとんと会ったことが無い、とにかく新作ですよと見せられて、おおと感動するような商品には出会っていない。どうも女性たちの話を聞いていても、ジュエリーに感動を求めるよりも、食事とか、海外旅行とか、凝った国内ツアーとか、あるいは何かお勉強したいとか、そちらの方に目が向いていると思います。少なくとも最もレベルの高い、それで消費力のある階層の女性たちは、そう思っていると思います。
 もう幾つも持っている、どっかで見た、友達が似たものを使っていた、それってちょっと昭和ものじゃない、こうした言葉、まあ口にしてくれればの話ですが、内心、彼女たちが感じていることだと思います。それをさらに買えと言っても、買いませんよね。そこで業界のしたことは、値下げですよ。安いですよ、バーゲンですよ、改装のための売りつくしですよ、流通経路を短縮してこの値段ですよ、と安い競争に走ったのがこの数年ではないでしょうか。もちろん、安けりゃ買うというお客様は何時でも何処にでもいます。だからそこそこの成果は取り敢えず上がるかも知れない。だけど安いから買う、買えるという人は、決してリピーターにはならない。まあ言ってみれば通過客に過ぎない。通過客が増えて、そうした人相手の商品が店に増えれば増えるほど、本来の固定客になるべき人々は逃げて行く、これが問題なのです。
 大事なことはですね、安いということでつられることのないお客を、どうして店に引き止めるか、これが今一番欠けている発想ではないかと思います。女心を動かすジュエリーは何か、安いですよとだけ名乗りを上げるようなジュエリーではないもの、それが何かということに思い至らない、それが今の業界なのでは、と思います。17世紀のシェークスピア様でも、いまの日本に溢れている膨大な、それでいて魅力のほとんどない宝石を見たら、これが女心を動かすものと言ってくれたかどうか、自信はないですよ、私も。
■自信を持ってウソをつくーー格言に見る業界ばなしーーそのD ■2014年6月13日 金曜日 14時1分57秒

世の中に安くて・・・

 今回は箴言というよりも、近年の尊敬すべき人物の言です。全文は、「世の中に安くておいしいものがある、という人もいるが、僕はそうは思わない」です。優れた料理人であり、料理を文化にまで高めた人、優れた教育者でもある辻静雄の言葉です。世界的にも優れた料理学校を作り、世界の高名なレストランのシェフと対等な会話ができ、彼らに尊敬され、膨大な料理の本を世界中から集めて自由に使わせ、大教養人であると、まあ最近の日本人のなかでは抜群の人ですね、この人は。彼によって料理は文化になり得たと思います。最近、テレビなどでグルメ評論家などというちょび髭の馬鹿がいますが、人間のレベルが違う。翻って、宝石業界を見ますとね、同じように外国人との付き合いはある業種ですが、同様な人は全くいない,情けないの一語につきます。前置きが長くなりましたが、この言は正しい。私は、高いから良いとは限らない、しかし良い物は高い、と思っています。いま、高くて良くないものは海外ブランドのものでしょうね、日本人を舐めきっています。逆に良い物は高いということが分からないのが日本の宝石業界でしょうね。
 ここ十数年、業界がやってきたことは高い物が売れない、だから安いものを売ろうということが中心でした。これは正確ではない、高い物が売れないのではなく、高くて良くない物は売れないのですよ。それをもっと安くしても、より悪くしなければ安くはならないのですから、良いはずがない、だからまた売れないのです。この悪循環、ややこしい言い方ですが、お分かりいただけますか。日本でも,宝石業界のちゃんとした客はもう三代目、レベルも上がっています。アホな商品を売る側がいくら薦めても買ってはくれませんよ。逆に、良い商品ならちゃんと売れています。売れないと騒ぐのは、売れない商品を作っている業者だけ、こういうのに限って、良くしようとすると高い高いと騒ぎます。これを繰り返して、どんどん安物ばかりの市場になってきたのが,今のジュエリー業界ではないですか。
 料理でもそうでしょうが、いまや良いものを作るには、その背景となる文化が必要な時代になってきました。辻さんが素晴らしいのは、その文化というものが分かる人だったことです。そのような人物がいなければ、安かろう悪かろうの物しか作れない、それがいまの宝石業界でしょう。くどいようですが、高いから売れないのではなく、高くて良くないから売れないのですよ。そこを反省しなくては、業界の改善は出来ない。そのためには、良いものとは何かを理解できなければ、どうしようもない訳です。自分では素晴らしいと思っても,客観的に見ればどうということはない、それでは売れない時代になったのですよ。振り返ってみれば、1991年頃までのバブル期には、売り手も買い手も何も分からないから、何でも売れたのです。バブルが終ってからの二十数年間は,高いから売れないと信じ込んで、安く安くを合い言葉に、安物作りに専心してきた、その結果、美味しい高額品の多くは碌でもない外資にしてやられ、街には五千円のピアスがジュエリーだと思い込んだお店と客とが溢れることになったのです。そろそろ高くて良いものを目指す宝石店が出て来ても良い頃だと思いますが、無理でしょうねえ。
■自信を持って嘘をつくーーC ■2014年4月15日 火曜日 10時42分22秒

後生、・・・・  
 これは格言を知っている人なら、すぐに分かるもの、後生、畏るべし、論語からのものです。後生とは後に生まれたもの、つまり後輩のこと。後輩の中には、自分をしのぐおそるべき奴がいる、若者だからと言ってバカにしてはいけない、という意味でしょうね。ここまでは知っている人も多いでしょう。だが、この後を読んだことのある人は少ない、今回はその後の話です。
 この文章の後は、すこし中略があって、こう続きます。
四十五十にして聞こゆるなきは、これまた畏るに足らざるのみ、つまりですね、後輩にはおそるべき奴がいる、だけど四十五十にもなって、世に知られないような奴はおそれる必要は無い、ということ、孔子先生、なかなかにシビアですよ。さてさて、今回のテーマは宝石業界における後生の皆さんの話です。この連載の二回目では、老人の害をかきましたが、その老人たちから仕事を引き継いだ後生たちには、問題はないのでしょうか。いやいや、問題だらけ、私は現在の宝石業界の停頓の最大の理由は、この後生世代の無為無策にあると思っています。
 卸業界であれ小売業界であれ、今の後生たち、つまり40から50歳くらいまでの世代の人々は、毎日何をやっているのでしょうか。一番熱心なのは、スマホでしょうね。つまり、ネット、プログ、ツイッター、ラインとか、名前は何でも、スマホの上でごちゃごちゃと朝から連絡しあう。内容は何かと思えば、昨日食べたラーメンとか、どっかに行ったとか、イイネ、イイネと言い合う、「スマホはアホのヒマつぶし」とは良く言ったものです。仕事の話や宝石の新しい情報など、薬にしたくとも皆無、これでほぼ午前中は終わり。
 次に多いのが、外出でしょうね。そこらにウロウロするのも外出でしょうが、多いのは東京へ行くか、海外へのお出かけ、業界の集まりへの出席、などでしょうか。この業界の集まりと言うのがくせ者、一見りっぱな勉強会に見えますが、正直言ってただ集まっているだけ、商品の企画とか販売方法の検討とか、少しはあるでしょうが、ほとんどは集まって酒を飲み、売れない売れないと慰めあうだけ、少なくとも掛けた時間と費用から見れば無意味なもんです。それでも何となく仕事をしたような気になる、そこが問題でしょうね。
 私がね、彼らについて一番不思議に思うのは、彼らが何か新しいことをやろうと思った時、それを妨げるものは何も無い、にもかかわらず、何もしないことです。家業ですから、社員が意見を言うにしても限度がある、オヤジも口を出すかもしれないが無視すればいいので、後生の皆さんを妨げるものは何もないのですよ。にもかかわらず、何もしないと言うことは、何をしたら良いのか分からないのか、まったく新しいことにチャレンジする気力が無いのか、どちらかしかない。会社なり店の現状、あるいは近未来については漠然とした不安はある。それを乗り越えて、オヤジの時代とは違うことをやるだけの気持ちがないとしか思えない。つまりですね、四十五十にして、聞こえることなき人物になっているということですよ。これは悲しいことです。人生は一回だけですよ、どうか四十五十になったら、おおあの町にはあいつがいるよと言われる宝石商になって、聞こえて下さいよ。お願いします。
■自信を持ってウソをつくーー格言に見る業界ばなしーーその三 ■2014年3月14日 金曜日 14時4分35秒

西行の・・・・・
 これは江戸期の川柳です。本文は、西行の涙に月もあきれ果て、です。西行、にしゆきじゃないですよ、さいぎょう、西行法師、鎌倉時代の大歌人です。この西行さん、不思議な癖がありまして、お月様を見るとやたらと泣きたくなるらしく、そういう歌がいくつも残っています。ですから、この川柳は、お月様が空から地上を見ていると、西行がまた自分の方を見つめて泣いている、おいおい、また西行が俺を見て泣いているぜ、と呆れているということ。これを宝石業界的にもじると、こうなります。宝石屋の嘘には客もあきれ果て、ねえ、なかなかの名句ではありませんか。今回は、業界に蔓延するウソ話か無知から来るデタラメについて書いてみます。
 最初に思い浮かぶのはデザイナーさんたちでしょうね。展示会などで赤いバラを付けて奇抜な服装で、会場を圧倒しているデザイナーの皆さん、自分の作品について滔々と語る内容の凄さ、宇宙を考え、エコを考え、地球に優しく、そして私のデザインと、滔々とお話しになる姿には感動すら覚えます。ジュエリーはお話ではありませんから、その作品を見ますと何の変哲も無い、やたらと半貴石などを使った大きさが目立つ作品が多い。わざわざ私のデザインと言うほどのものは少ない。大体が、ジュエリーとは美しいものでしょ、解説しなければ美が見えないジュエリーが良いはずが無いですよね。
 素材の面でもデタラメがまかり通っていますよ。こちらは宝石学などと言うもっともらしさが付いているだけにたちが悪い。私が鑑別鑑定の皆さんにもっとも腹を立てているのは,新しい宝石が登場した時のいい加減さでしょうね。素晴らしい未発見の宝石だ、天然のものですと偉そうに言う。古くはブルートパーズ、新しくはパパラチアだとか なんとかトルマリンですよね、しばらくするとあれは放射線加工だとか熱処理だとか言い出す、前の間違いを謝った宝石学者はいませんよ。
 同じようなのが真珠の花球でしょうね。相変わらずテレビ販売などで、ハナダマハナダマを繰り返しています。何となんと、最近ではアコヤでオーロラが見えるとか、わざわざノルウエーまでオーロラツアーに行く必要はない。どこにオーロラが見えるのと聞いたら、アコヤを真下から照らすと見えるそうです。真珠のネックレスを女性がつけて、真下から強い光があたることなどありますか、場末のストリップだって今ではやらない照明ですよ。                                                       
 宝石、それも特に高価な宝石を売る場合のオハナシも実にいい加減ですよね。この宝石は希少で今に無くなりますだとか、これを買えば将来値上がりしますだとか、まあ、側で聞いてて慄然とするようなオハナシをなさってる。まあ、商売ですから、ある程度のオハナシはあってもいいでしょうが、はなから理屈にも合わないことを口走るのは、そろそろ止めないと、本当に呆れて見放されますよ。
■格言に見る業界ばなしーーそのA ■2014年2月17日 月曜日 15時55分38秒

事業の進歩発展に・・・・・・・

 この言葉の全体は、こうです。事業の進歩発展にもっとも害するものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈である。これは住友財閥の二代目総理事であった伊庭貞剛の言葉です。つまりですね、会社のなかで若者が突っ走って失敗をする、そんなことで会社が潰れることはない。逆に過去の経験だけにしがみついて社内にウロウロするじじいが、いつまでも仕事に口をだすことで会社はダメになるということ。「おお、ウチの会社か」と思われる方も多いのではないでしょうか。
 いま宝石業界では世代交代が進んでいます。70歳代のオヤジが引退して、40代の息子が社長になるという交代ですが、この70代のオヤジがすっぱりと引退するのではなく、会長などと言って毎日出社する。そして経営にあれこれと口を出す。どこにでもある図式ですよね。問題は、この70代のオヤジの経験はもはや通用しない。私もその一員ですからヨーク分かるのですが、今の70代のオヤジたちは、宝石業界が最も元気だったころの経験しかない。しかしね、彼らが元気だった1960−90年代と言うのは、何もしなくとも売れた時代なのですよ。売ったのではない、ジュエリーを作って店に出せば、ほとんどが売れた時代なのです。何故か,簡単なことですよ。客の誰もジュエリーを何も持っていなかったからです。今は完全に違います、客は何でも持っている時代なのです。持っている人にさらに売らなければ、会社が成り立たない時代なのですよ。そんな時代に売れた経験しかないオヤジに売る時代のことが分かる訳は無い。たちの悪いことに、こうした認識のないオヤジほど、ワシの若い頃は、という経験話しかない。そんな経験はもはや不要なのです。売れたということと、売るということは別の話なのです。冒頭に引用した伊庭貞剛は、足尾銅山問題で危機に瀕した住友財閥を立て直すと、わずか58歳ですっぱりと引退しました。見事じゃないですか。
 宝石業界に戻りますと、さらに厄介な問題があります。それは二代目、三台目のご子息さまたちの無気力です。オヤジたちの自信過剰とは反対に、何でもやれるはずの若手に、さっぱり気力が感じられないことです。特に小売店の若手には、何かを新しくやろうという気概も、勉強しようという気持ちも、ほとんど感じられない。本来は勉強するためのグループなどもいくつかあるようですが、集まっては酒を飲むか、売れないねと傷を舐め合う会でしかないようです。少なくとも、はつらつとしたチャレンジ精神は感じられない。私の偏見かも知れませんが。どうですか、オヤジはすっぱりと消えて若手に任せて、若手はもう少しチャレンジ精神を発揮して大胆な新しいことをしては。ここまで書いてきて、お前さんも70歳代じゃないか、さっさと引っ込めという声が聞こえてきました。まさにその通り、本誌の藤井編集長にそう言って下さいよ。
■格言に見る業界ばなしーー その@ ■2014年1月17日 金曜日 16時9分31秒

馬鹿な大将・・・・・・・・
 
 この格言、馬鹿な大将敵より恐い、と続きます。ここで言う大将とは、自軍の大将のこと、相手の大将ではありません。つまりですね、アホな大将の元で戦争をすると敵と戦うよりも恐ろしい、アホな指揮のせいで、死ななくともいい友がばたばたと死ぬ、今風に言えばアホな社長の下で仕事をすると、ただただ騒ぐだけで成果なしというエライことになるという例えです。なにかじーんと身につまされませんか。                                  
 我らが業界でこれが典型的に現れているのが、商品作りでしょうね。誤解されていることが多いのですが、商品作りというのはデザイナーの仕事ではない。もちろん、最初はデザイナーが絵を描くところから始まるのですが、作るデザインを選ぶのはデザイナーじゃない、大将、つまり社長ですよ。ダメな商品を作る会社の特徴というのは、良いデザイナーがいないということもあるのでしょうが、私の見る限りでは、作るデザインを選ぶ社長のセンス、知識、能力に問題があると言えます。
 我らが商品、ジュエリーとは美があるべきものでしょう。美しくないジュエリーとはジュエリーじゃない。ですからどんなものを美と思うか、美しいと思って選ぶかは、ジュエリーの死命を制することなのですよ。このデザイン選定という一番大事なところに、美的センスも教養も知識も無い大将がデーンと座っている、これこそ日本のジュエリー業界の悲劇です。こんなことを言うと、いや私はデザイン選びは社員に任せています、口は出していませんという社長がいますが、まったく分かっていない。社員は社長の顔色を見ているのですよ、社長が好きそうなデザインとは何かを見ながら仕事をしている。社長、それはダメですよと言う社員などいませんよ。
 こんな状況のなかで優れたデザインが生まれたら不思議と言うものです。企業のキャパとは、しょせん社長のキャパを超えることはないのです。特に宝石業のように家内産業のような性格をもった企業では、社長のキャパですべてが決まる。だからこそ、社長は誰よりも勉強しなければならない、これが我らの業界の宿命なのですよ。
しかし皆さん勉強しないですよね、つくづくそう思います。三年ぶりに会っても、まったく変わらない、変わらないどころか悪化している、と言いたくなる業者はたくさんいますが、おお、成長したなと言える人は皆無に近い。せいぜいがバーゼルか香港フェアに行ってウロウロするのが勉強だと思っている訳で、お客が感動し喜んでくれる美とは何かなどを考えることなど、まったく無い。
 これから店の善し悪しを決めるのは商品ですよ、その商品作り、あるいは商品選びに、不勉強な大将が音頭を取ったのでは、漫画にしかならない。それが今の業界ですよ。何が美しいものか、何が感動を与えるものかを知るための勉強をお願いしますよ。大将が勉強しないで、部下が勉強する訳は無い。どうか大将の皆さん、社員から陰で、馬鹿な大将敵より恐いと言われていないか、反省をお願いします。
■真珠についてー20 ■2014年1月9日 木曜日 15時28分28秒
     
いろいろと言っては見たもののーー最終回

 まあ、こう色々と言ってみましたが、実行される可能性はほとんどないでしょう。なんせ、すべてが平等第一の日本のなかで、場合によっては会員除名を前提とするほどに大胆な会ができるのか、さらにはそれだけのリスクのあることをやろうという若者がいるのか、ちょっと考えただけでも、まあ無理無理という声が聞こえます。
 この原稿を書いているとき、日経の夕刊にダイヤモンドを使った詐欺が三面に大きく出ました。久々の宝石関連記事が詐欺事件とは、いかにも今の業界を象徴していますよ。これなど、詐欺をやったのが業界人なのかどうかは不明ですが、少なくとも業界からダイヤが流れていることは間違いない。こうした詐欺行為が間歇泉のように、繰り返し出て来る業界というのは、それなりの理由があるのです。
 最大の理由は、業界団体というか業界の権威を持つ団体が、業者の善し悪しをまったく判断しないことです。業者はみんないい人、売っているジュエリーはみんな良いものという前提で、お客にとって何が良いのかをまったく考えない業界の体質にあります。顧客にとって良くない物は良くない、程度の悪い業者はダメ、それを示すのが業界団体のあり方ではないでしょうか。真珠振興会やジュエリー協会にこうした意思はあるのでしょうか。そんなことを言えばあそこは倒産しかねないしとか、あいつとは取引もあるしとか、あいつとは付き合いも長いしとか、そうした内向きの理由だけで、何も言わない、それが業界ではないですか?? それで不利益を被るのはお客ですよ、内輪の論議には、その視点がまったくありません、業者の仲良し会ですよ。
 もうそろそろこうした皆いい人という行き方は止めるべき時期に来ていると思います。業者と商品の善し悪しを業界として明示すべき時期に来ている、その一つが良い真珠だけをきちんと売る業者だけの団体を作り、それをお客様に知らせてゆく、それだけしかアコヤ業界の回復、ひいてはアコヤ真珠のイメージアップの方法はないと思います。それが大変なことは分かりますよ。なんと言っても、我々は売れてなんぼの世界に生きているのですから、売れるということは大事です。しかし、売れれば何でも良いと言う訳ではない。まあ、20回に渡り、自分の思い出も含めていろいろと言ってきましたが、まあ、言っても無駄だろうなという空しい想いは消えません。誰か若手で俺がやるという人いませんか? お手伝いならいくらでもやりますが。
 長々と、ご愛読有り難う御座いました。
■真珠についてー19 ■2014年1月9日 木曜日 15時27分13秒
     
業界団体の不思議

 真珠業界だけではなく、宝石業界には実に多くの団体があります。業種別、地域別、仲良し会に近いものなど、実に多い。まあ、それはそれで結構なことですが、不思議なのは、どの団体も参加に条件をつけていない、つまりですね会費を払って入りたいと言えば、誰でも会員になれる。当たり前じゃないかと言われるかも知れませんが、会が同好の士の集まりならそれでも良いでしょうが、外に向かって何らかの意味を持つ業界人の集まりという意思表示をする会ならば、それは問題です。日本ジュエリー協会も真珠振興会も、そうした会なはずですが、入会を拒否された会社があるとは聞いたことがない。誰でも会員になれますが、会員数は減るばかり、不思議ですよね。
 まあそれはそれで別に論じてもいいのですが、今回はアコヤの名誉回復、ブランドイメージ回復の手段を論じている訳で、そのためには会員になる条件を備えた会が必要なのですよ。前回の15回目にもちょっと触れたのですが、アコヤを愛する人を中心として、他の真珠でも宝石と言える真珠だけを大切にしようという人だけが集まり、内規を決め、それを守る気のある人だけを会員とする真珠の会を作り、その決まりに準ずる真珠だけをお客に内容を明示して売る、それを守れる人だけを会員とする、会員の認定は発起人が行い、会員が増えるに従って認定委員会の認定を基本とする、だから会員になっても違反があれば除名もありうるという会です。
 この基準を守る会社とだけ付き合う、だから小売店の参加は大事です。養殖業者、卸会社だけでなく、心ある小売店も会員になってもらうことが大切になります。基準ですか、まあ皆で決めることですが、養殖期間は最低でも一年以上、漂白は認めるが過度の染色はしない、真珠そのものに妙な名前はつけない、会の認定証のようなものを付けて、広告よりも広報を利用してお客の理解を求めてゆく。くどいようですが、この意味でも最終販売者である小売店の参画は絶対ですよ。素材としての真珠の扱いはこう決めたとして、真珠ジュエリーの開発を共同で行う、真珠の婚約指輪やグラジュエーションのネックレスなど手掛かりとしては良いと思いますよ。
 御木本幸吉が養殖真珠を売り出した時、彼が自分の真珠につけた価格は決して安いわけではなかったのです。当時の天然真珠の価格の60−70%と言う、非常に高い値段だったのです。その後、ひたすら安い安いだけを売り言葉として今日の雑貨に至ったのではないですか。安い物をお客は便利に利用するけれども、内心は馬鹿にしていることをお忘れなく。
■真珠についてー18 ■2014年1月9日 木曜日 15時25分56秒
     
アコヤのブランドイメージは復活できるか

 真珠の美しさとは真珠光沢と呼ばれる独特のとろりとした光沢にあることはご存知の通りですが、いろいろな真珠を見てみて、この光沢が最も美しいのはアコヤです。これは間違いない。このアコヤという貝は、亜種まで含めると最も広く分布しており、日本の海から遠く紅海にまで広がり、別の亜種はヴェネズエラ沖にまでいます。初期の天然真珠の時代——つまりヴェネズエラとか太平洋とかの真珠が採れる前ですねーーに採れた真珠の多くは、このアコヤ貝と黒蝶貝からのものでした。この黒蝶というのは、今ではタヒチ辺りの特産ということになっていますが、実は遠く紅海にまで分布している貝で、アコヤと並ぶ真珠貝なのです。大きいことで有名なホープ真珠も母貝は黒蝶ですよ。
 養殖真珠が始めて欧州に登場した時、欧州の宝石業界は過剰とも思える反応を示しました。その理由は天然真珠の値が下がるということもあったでしょうが、日本人が母貝として使ったのがアコヤであった、つまり自分たちが依存して来た天然真珠と同じ貝から採れた真珠だと言うこともショックだったと思います。それほどにアコヤという貝は、その亜種も含めれば、天然真珠の時代にも美しい真珠を産む貝の中心であった訳で、いま真珠光沢はアコヤが最高と私が言うまでもなく、そんなことは自明のことだったのですよ。
 その素晴らしい貝をぐちゃぐちゃにして、アコヤの持つはずの美しさの片鱗もないような真珠を作り、それを人工的に加工して、しかもその加工が長持ちしない、だから採れる量が半分以下になっているのに、価格も暴落したままと言う、実に愚か事態を引き起こしたのは、我々日本人ですよね。今や白蝶も黒蝶も、アコヤに引き続いて加工を始めている、これは業界の常識でしょう。一方において、製品の表示に関しては、世界的にますます厳しくなっている。世界にはCIBJOとか言う団体があって、これが十年以上もアーダコーダやっていますが何一つ決まらない。それなら日本は真珠についてはこうやると決めれば、結構それで通用すると思うのですが、そんな決定をするほど日本の業界のレベルは高くない。すべてが宙ぶらりんのまま、迷惑を被るのはお客様と言う図式は変わりません。
 こうした中で、アコヤが己のイメージアップ、その回復を狙うなら、やるべき道は一つだけ、天上天下唯我独尊、自分でやることを決め、それを皆で追求する、それが第三者から何を言われようと断固決めた道を邁進することだけ。ただこの決めの基本は、お客にとって何が一番良いのかが基礎ですよ、業者にとってではない。この辺り、連載最後の二回で纏めてみたいと思います。
■真珠についてー17 ■2014年1月9日 木曜日 15時24分41秒
     
アコヤというブランドについて考える。

 ジュエリーの素材としてのアコヤ真珠の競争相手は何でしょうか。もちろん、真珠同士で言えば白蝶であり黒蝶であり、さらには天然真珠も競争相手かも知れません。真珠以外なら、ダイヤモンドを筆頭に、全ての貴石、半貴石が相手ですよね。競合相手があって名前がついているとなると、これは一種のブランドですよね。アコヤ真珠は、ジュエリー素材のブランドの一つと考えて良いでしょう。ここでアコヤをブランド論から考える必要が出て来ます。
 ブランドで一番大切なのは、顧客から指名買いされて始めてブランドとなると言うことです。つまり、アコヤの真珠が最高ねとか、アコヤのネックレスなら買うわと言われて始めて、アコヤというブランドが成立する訳で、真珠ならなんでも良いと言われたのではアコヤはブランドではない。売り手がいくらアコヤはブランドですよと言っても、客がそう思わなくてはブランドではないのですよ。どうもこの辺りの気合いがジュエリー業界の皆さんは分かっていない、じぶんが勝手に適当な名前を付ければ、それでブランドが出来ると思っている。花珠などはその典型ですよ、まともな客から見ればブランドどころかお笑いでしかない。おっとっと、今回は花珠じゃなくてブランドの話でした、ごめん。
 ブランドというものの性質で一番大切なことは、上から下がって下に落ちるブランドはいくらでもあるが、下から上に上るブランドはないといことです。つまりね、一万円のピアスを沢山売って大きくなった会社が、成功したから今度は同じ名前で50万円のジュエリーを売ろうと言っても、絶対に売れないということです。お客はシビアですよ、そのブランドは一万円の価値のものではあっても50万円の価値はない、50万円なら他へ行きますよと、そんなことはお見通しです。これをアコヤという素材ブランドに当てはめて見ましょうか。昔は真珠と言えばアコヤ真珠しかなかったし、結構高かった、お嫁入りや就職した時に母親に買ってもらったものを今でも大事に使ってます、というイメージから、何かこの頃テレビ通販にやたらとアコヤが出てて、やたらと安い安いと言ってる、どこの店でも割引商品にはアコヤのネックレスが入っている、お値段もめちゃくちゃに安いし、花珠って何なの、いったいどうなってるのというイメージに転落した訳です。このブランドイメージをもとに戻す、あるいは再度高めるというのほとんど不可能に近いのですよ。落ちたものは上がらないというブランドの法則が働きます。しかし、そう言って済む訳じゃない、これをどうやって元に戻すか、それこそが業界の考えるべきことではないでしょうか?
■真珠についてー16 ■2014年1月9日 木曜日 15時23分13秒
     
分かる客と分からない客について。

 前回の心ある真珠業者だけの会の提案については、いろいろとご意見をいただきました。理想論に近く、そんなことやる業者はいないよ、と言うのが多かったですね。確かに自分がこれまでにやってきたことの一部を訂正するなり,今やっている商売の邪魔になるのですから、難しいことは分かります。しかし、何もせずに今やっていることを続けるのであれば、アコヤの将来は何も無い、雑貨の素材として、安いですよを合い言葉に売ってゆく以外に道はありません。
 最近、すこしほっとするニュースはミキモトの九州の博多近辺の相島(あいのしま)で行っているアコヤ養殖の成果です。ほぼ二年近い養殖、加工はなし、価格は従来品の一番上に近い、これが初年度すべて完売、来年の分まで予約が一杯ということ、お客さんは分かっているのですよ。いや正確に言えば、分かっているお客は沢山いる、分かっていないお客も多い、その分かっていないお客に向かって売っているのが花珠ではないでしょうか? 分かっているお客は花珠鑑別書など鼻の先で笑っています。とにかく自分の在庫のアコヤが売れればいい、分かる分からないなど関係ない、安けりゃ買う人はいるのよ、というのがそうした業者の言い分であり、花珠鑑別書を発行し利用している業者の言い分でしょう。それはそれで素晴らしい商才だと思いますよ。
 しかし分からない客にだけ向かって、いろいろと誤摩化しをしながらでなければ売れない商品というのは、情けなくないですか? たしかにこうした販売というのは、悪い意味で高度資本主義の発達した日本では宝石業界に限らない。皆が平等で、みんなが物が分かっているという前提で、実際には何も分かっていない客に対して、いい加減な商品を売っている、偽物だらけの市場、それがいまの日本ですから、なにも真珠業界だけが非難されることは無いかも知れない。しかしですね、人間、プライドというものを失ったら終わりですよ。前回にも書きましたが、君子にはなさざるあり、です。このプライドをなくして、そんな難しいこと言わないで、とにかく売れているじゃないのと言われれば、それはその通り、しかし売っている物はすべて使い捨ての雑貨にすぎない。前にアコヤもはや雑貨であると書きましたが、アコヤだけじゃない、日本で売れているジュエリーなるものの99%は、使い捨ての雑貨ですよ、正確に言えば。それが今、いらない物を売ろうとしたら、買値の十分の一以下というのは、どう言うことなのと言うお客からの不満の原因でしょう。これをまた繰り返してゆくつもりでしょうか。どうです、真珠業界が先頭に立って、直して行きませんか?
■真珠についてー15 ■2013年9月30日 月曜日 13時45分25秒

君子にはなさざるあり。

 さて前回、今の真珠業界を回復させるリーダーとして、振興会に期待すると言いましたが、かなり難しいでしょう。その理由の最たるものは、振興会の主たるメンバーが養殖業者か加工卸業者なことです。小売店の数は非常に少ない、かって真珠小売店協会というのが別にありましたが、今は活動していません。これまでも述べてきましたが、養殖業者がいかに良い真珠を作ろうと思っても、小売店が高いと言って売らずに、変な紙のついた劣悪な真珠を安いですよと言って売る限り、アコヤの復興は無いのですよ。ここが非常に難しい点でしょう。
 本当にアコヤを復活する気があるなら、新しい組織を結成することでしょうね。誰でもが参加できる会ではない、あくまでも参加資格に制限をつけ、会員の過半数の賛同がなければ参加できない会ですよ。つまりですね、これは行う、これだけは絶対にしないという自己制限を守る人たちだけの会です。例えばね、売る側で言えば、花珠という言葉は使わない、加工の限度を定めて内容を明示する、鑑別書の発行元は会の主旨に賛同する機関だけに限る、などなどです。もちろん、養殖する側は一年以上は巻かせるものだけを出す。こう言っただけで、無理無理という声が聞こえそうです。
 その上で、この会が扱う真珠について、徹底した広報活動を行う、広告活動じゃないですよ、広報です。どこが今までの真珠と違うのか、何が良いのか、どこがダメなのかを若干のトラブルがあっても、お客に教えてゆく、そんなことをしたら、これまでの商売をどうするとか、それじゃ売れないとか、安い物を売っている奴には負けるとか、いろいろクレームが出るでしょうね。特に末端の小売店からは、これまでの真珠販売を一部とは言え、否定することになりますから、苦情は来ると思いますよ。しかし、これはやるしかないでしょうね。基本的には、客を信じると言うことです。私の小売商としての経験から言えば、ダメな業者ほど客を小馬鹿にします。しかしお客様はバカではない,ダメな業者を見抜くのは時間の問題に過ぎません。客をせせら笑って続いている業者がいますか?? みんな時間と共に消えてますよ。
 とにかくきちんとした真珠だけを扱う業者だけが集まる、そして真剣に養殖をしている業者の真珠だけを売る、これで良い循環だけを目指す、それ以外に奇手妙手などはありません。真珠そのものをして語らしめる、紙などは相手にしない、これが出来ないとなれば、もう雑貨として中国淡水と一緒に、使い捨てのアクセサリーの材料として生きる以外に道はないでしょう。
 多分、今が最後のチャンスでしょう。個人的な話ですが、私は論語という本があまり好きではない。しかし、たまには至言があります。孔子が弟子から君子とは——つまり立派な人のことですねーー何かと聞かれて、こう答えます。君子にはなさざるあり、と。つまり君子というのは、これだけは絶対にしないという信念がある人だということです。真珠業界も君子を目指して、花珠鑑別書などいらないと言ってみたらどうでしょうか。
■真珠についてー15 ■2013年9月30日 月曜日 13時25分52秒

君子にはなさざるあり。

 さて前回、今の真珠業界を回復させるリーダーとして、振興会に期待すると言いましたが、かなり難しいでしょう。その理由の最たるものは、振興会の主たるメンバーが養殖業者か加工卸業者なことです。小売店の数は非常に少ない、かって真珠小売店協会というのが別にありましたが、今は活動していません。これまでも述べてきましたが、養殖業者がいかに良い真珠を作ろうと思っても、小売店が高いと言って売らずに、変な紙のついた劣悪な真珠を安いですよと言って売る限り、アコヤの復興は無いのですよ。ここが非常に難しい点でしょう。
 本当にアコヤを復活する気があるなら、新しい組織を結成することでしょうね。誰でもが参加できる会ではない、あくまでも参加資格に制限をつけ、会員の過半数の賛同がなければ参加できない会ですよ。つまりですね、これは行う、これだけは絶対にしないという自己制限を守る人たちだけの会です。例えばね、売る側で言えば、花珠という言葉は使わない、加工の限度を定めて内容を明示する、鑑別書の発行元は会の主旨に賛同する機関だけに限る、などなどです。もちろん、養殖する側は一年以上は巻かせるものだけを出す。こう言っただけで、無理無理という声が聞こえそうです。
 その上で、この会が扱う真珠について、徹底した広報活動を行う、広告活動じゃないですよ、広報です。どこが今までの真珠と違うのか、何が良いのか、どこがダメなのかを若干のトラブルがあっても、お客に教えてゆく、そんなことをしたら、これまでの商売をどうするとか、それじゃ売れないとか、安い物を売っている奴には負けるとか、いろいろクレームが出るでしょうね。特に末端の小売店からは、これまでの真珠販売を一部とは言え、否定することになりますから、苦情は来ると思いますよ。しかし、これはやるしかないでしょうね。基本的には、客を信じると言うことです。私の小売商としての経験から言えば、ダメな業者ほど客を小馬鹿にします。しかしお客様はバカではない,ダメな業者を見抜くのは時間の問題に過ぎません。客をせせら笑って続いている業者がいますか?? みんな時間と共に消えてますよ。
 とにかくきちんとした真珠だけを扱う業者だけが集まる、そして真剣に養殖をしている業者の真珠だけを売る、これで良い循環だけを目指す、それ以外に奇手妙手などはありません。真珠そのものをして語らしめる、紙などは相手にしない、これが出来ないとなれば、もう雑貨として中国淡水と一緒に、使い捨てのアクセサリーの材料として生きる以外に道はないでしょう。
 多分、今が最後のチャンスでしょう。個人的な話ですが、私は論語という本があまり好きではない。しかし、たまには至言があります。孔子が弟子から君子とは——つまり立派な人のことですねーー何かと聞かれて、こう答えます。君子にはなさざるあり、と。つまり君子というのは、これだけは絶対にしないという信念がある人だということです。真珠業界も君子を目指して、花珠鑑別書などいらないと言ってみたらどうでしょうか。
■■この五十年の真珠衰退を思う。Vol 14 ■2013年9月20日 金曜日 13時32分45秒

問題点を洗い出してみると

まあ、ここまでは自慢話を含めて、昔話をしてしまいましたが、ここらで今の困った状態を、どのようにして回復するか、まあ回復するかと言っても、もう私ごとき老人の出番はなくて助言だけですが、ささやかな経験からこう考えるという話をしてみたいと思います。まずは真珠業界が抱えている問題を整理してみます。
 第一はいわゆるグレシャムの法則、つまり悪貨は良貨を追放するという法則が、もろに働いていることでしょう。碌でもない半年程度しか貝の中にいない薄巻き真珠がもっともらしい紙をつけて売られている、その反面、何とか良い真珠を作ろうと苦戦している業者が、高いと言われて売れない、ということです。これには真珠は分からんと言って、勉強をしようとしない小売店にも問題はあるのです。高いから良いとは限らない、しかし良いものは高いのですよ。分からないなら勉強しろと言っても、勉強など大嫌いですからどうにもならない、たまに勉強しようと思うと、教えてくれる所が、花珠鑑別書の発行元では、正しい勉強などできない。
 第二は真珠ジュエリーの商品開発力がないことです。商品と言えば、真珠に孔を開けて糸を通すだけのネックレスしか思いつかない、真珠の婚約指輪がどうして無いのかの所でも書きましたが、そうした発想すらない。市場に出ているイヤリングやペンダント、指輪にブローチなどを見ても、数十年前のデザインと同じものが平然と店頭にならんでいる。おそらくネックレスの売り上げは、全真珠ジュエリーの売り上げの90%以上でしょう。やる気そのものが業界に無いと言っても間違いない。
 第三の問題は、真珠そのものPR力が全くないことです。つまり商品としての華がないのですよ、華がないのに花珠とはこれいかにと言いたいですよ。とにかく市場にある真珠製品は、アコヤだけでなく黒も白も含めて、旧態依然、雑誌に記事を書いてもらいたくとも、中身が何もありません。今の真珠業界が発信している話と言えば、変な紙がついて一流百貨店外商部が保証する39.800円のネックレス、イヤリングもペンダントも付いていますよ、安いでしょというテレビ販売あたりの話でしょ。とにかく、宝石の持つべき華やかさが何もない、それが今の真珠ではないでしょうか。安いという訴求以外に取り柄のない宝石なら、それは雑貨ですよ。
 最後は、業界全体の協力のなさでしょうね。一番の問題点は良いものを養殖したいと思っている業者がいても、出来たものを卸なり小売りが高いと言って扱わなければ、養殖は続けられない。良いものが出来るのなら、それを積極的に売ろうじゃないかという小売店が無ければ、続かない。いや、小売店はほとんどが卸の言いなりですから、積極的に扱おうという卸業者がいなければ、どうしようもない。安かろう悪かろうを変な紙をつけて安いですよと売るのが真珠の売り方であると卸業者が思っている間は、アコヤの改善はない。どれを取っても誰かが業界で音頭を取って改善の道を歩まない限り、変わりようがない、この音頭取りは、言うまでもなく振興会しかないでしょう。
■この五十年の真珠衰退を思う。Vol 13 ■2013年9月10日 火曜日 14時53分6秒

知られざる真珠業者を訪ねて。

 前回のスーザンから紹介されて出会った真珠業者の中で、もっとも面白かったのは、アメリカ人です。テネシー州のナッシュビル、まあこの町はかのプレスリーで有名な町ですが、ここに真珠を扱うユニークな業者一族が居ました。ラッテンドレス一族で、父親のジョンさんは、ミシシッピィ河から採れる貝を養殖のための核の素材として日本に売り込み、財をなした人です。奥さんは日本人でジーナとルネと言う美人姉妹が子供でした。ジョンが扱っていた真珠は二種類、核にする貝殻を集めているうちに、ミシシッピィ河に棲息している貝から採れる天然の淡水真珠が一つ、それとそうした貝を使って、日本式の養殖真珠がもう一つでした。養殖の方は、碁石状の平べったい核を使ったものが面白く、良く売れましたが、すぐに中国人が真似をして、似て非なるものが今でも市場に出ています。天然真珠の方は、昔ティファニー社にいたクンツ博士が紹介してフランスのウージェニー皇后が買ったという記録はあるのですが、まだ盛大に採れているとは誰も知らなかった。ジョンは、密かに家族にも見せずに、膨大なコレクションを築いていました。その一部を見せてもらったのですが,家族も始めてというもので、異様なテリのあるボタン状の珠、見事なピンク色を噛んだもの、フェザーと呼ばれる貝の蝶番の隙間で作られる細長いもの、あきれるほどに多様な真珠がありました。天然も養殖も買って来たのですが、売るのにはちょっと時間がかかりましたね。なんせ、業者も顧客も,真珠とは白くて丸いものと思い込んでいるのですから。まあそれでも、完売しました。
 次に行ったのは、これもアメリカ、しかも西海岸でした。アワビから採れる真珠があると教えられたからです。個人的には、ロサンゼルス近辺のアメリカ、あるいはその西海岸文化は最も嫌いなものですが、仕方がない、ぶつぶつ言いながら行きましたよ。まあ、これもびっくりしましたね。多くの業者は、海岸沿いの小さな町に住み、ほとんどが独りで真珠を採取していました。厳しい規制があり、認可を受けた人一人が一日に五個しかアワビを採れないのですから大変ですよ。アワビと言っても、寿司屋のアワビじゃない、横径で20センチはあろうかという巨大なアワビ貝で、美しいものは黒真珠の最上のものよりもはるかに奇麗です。青と緑色が混ざって実に美しい艶がある、だけど多くは貝に付着して出来るので、独立した真珠は非常に少ないのです。それでも数十は集めました、これは即座に完売でしたね。最近ではニュージーランドからも違ったアワビの真珠が来てますし、もう少し注目されていいと思います。
 さらにメキシコ領のバハカリフォルニアにあるラパスの町にも、まったく違う方角のスコットランド、ウエールズ、ドイツのババリア方面にも行きましたが、実用になる真珠には出会わなかったのです。中東のバーレンやカタールなどは興味のある市が立っているのですが、日本人には売らないよなどとーー事実かどうかは別としてーー言われたのでまだ行ってません。まあ、しかしこうして見ると、貝のあるところ真珠あり、と言うよりも,水のあるところ真珠ありとも言えますよね。
■この五十年の真珠衰退を思う VOL.12   ■2013年9月10日 火曜日 14時51分5秒

面白くて、勉強になる真珠との出会い−2

今から25年ほど前のこと、ミキモトの私の事務所に、変なアメリカ人女性が訪れてきました。今では最高の親友になった女性は、スーザン・ヘンドリクソンと言い、当時上野の科学博物館などで話題になっていた恐竜展のために来日した人物で、本業は恐竜の骨や琥珀の発掘をする学者でした。その後、史上最大の恐竜の化石を掘り出し、スーという名前がその化石について有名になった人物です。
 彼女がおそるおそる取り出したのが不思議な真珠でした。曰く、この真珠は,琥珀や恐竜を探して中南米諸国を放浪している間に、現地の漁民が貝から取り出して集めているのを買ってきた、宝石業界の人に見せても、取り合ってくれないので、日本なら誰かいるだろうと持って来たのだと。これが私とコンク真珠との出会いです。もちろん、コンク真珠そのものは、ハリーウインストンが作ったネックレスを見ていましたから知つてはいましたが、買うべき素材として見せられたのは始めて。スーザンに言わせると、私はものも言わずに10分ほどコンクを眺めていたそうです。まあ、見たとたんにこれは使えると、どう使うか、独占できるのか、予算はいくら要るのかを瞬時に考えていたのですよ。翌年からミキモトで売り出した、最初は高いだの変だのと言われましたが、その後の商品としての定着はご存知の通りです。まあ、コンクそのものも面白かったのですが、彼女が知り合いになっていたほかの天然真珠の業者を紹介されたのが大きかったですね。こんな真珠があるのか、あるいは世界のこんな地域にも真珠を採る業者がいるのか、そしてこんな変な真珠が商品として存在しているということを知ったのは大きかったですね。それで私も真珠屋として少し成長できたと思います。
 まあそれまではミキモトの営業の責任者とは言っても、要するに養殖真珠しか扱ってこなかった、アコヤ、白と黒、中国の一部だけが真珠だと仕事をしてきました。その中で、何となくこれでは真珠は行き詰まるなという感じは持っていました。だからダイヤモンドや色石、さらにはアンティークと手は広げていたのですが、やはり本業は真珠だという思いはあったのです。その本業で新しい味を出せるかな、これがコンクを見た時のひらめきだったのですよ。コンクを始めとする天然真珠を、養殖真珠と込み混ぜることで、新しい真珠のジュエリーを作り出せないか、これが養殖真珠の創始者であるミキモトが天然真珠に着手した理由です。
 これには随分言われましたよ、国内だけでなく海外からもミキモトは養殖真珠から撤退するのかなどと、まあ、その頃までは日本の真珠業界の動向を外国人も注目していたと言うことでしょうね。その後、ジェムインターナショナルの社長になってからも、このコンクを中心とする天然真珠を養殖にこみ混ぜるという商品開発は続けました。私がミキモトを離れ、真珠業界からも離れた後に、柏圭さん、三原さんや木下さんが、天然真珠を扱って成功されたのは大変に嬉しいことです。次回は、スーザン以外の業者を書きます。
■この五十年の真珠衰退を思う VOL.11   ■2013年9月10日 火曜日 14時45分28秒

面白くて、勉強になる真珠との出会い−1。

 どうも最初の九回分は、アコヤの現状に腹を立てて当たり散らした感があるので、真珠のジュエリーとは、実に多様で面白いものであることを、自分の五十年の経験に照らして、少し書いてみたいと思います。70年代の半ば頃に日本でもジュエリーの輸入が自由化になりました。その頃から、仕入れのためや市場調査の名目でヨーロッパに行くようになり、それ以外にもダイヤモンドインターナショナル賞、ゴールドの世界コンテストやプラチナの世界コンテストなど、多くの国際的なコンテストの審査員を務めたりして、とにかく今日まで、百回を超える渡欧をしてきました。まああまり大声では言えないのですが、出張の途中や前後に、密かに二三日さぼって、各地にある美術館を覗くのを趣味として、まあ全部でなら数百を超える美術館を見てきました。一番驚くのは、展示物のなかに、ジュエリーあるいはその破片と言いますか出土した遺品なのか、とにかく金銀宝石を扱ったものが実に多いと言うことです。
 まあ最近では、世界中からいろいろなジュエリーかその遺品のようなものが日本にやって来ますので、少しは見る機会も増えているのですが、とにかく展示物のなかにジュエリーが大変に多い、しかも真珠を使ったものが多いのには驚きました。もちろん古いものでは銀化したものも含まれますが、新旧併せて実に多く、もちろん全て天然真珠です。なかでも、最高の出会いと思えるのは、巨大真珠として知られるホープ真珠とパールオブアジアとの遭遇です。
 1989年のこと、ロンドンの大きな競売会社で銀器の大コレクションの展示会がありました。もともと銀器には興味がないのですが、ふらっと入って見回しているうちに、壁際の小さなウインドウに真珠らしきものが見えたのです。近寄ってみて腰を抜かしそうになりました。真珠の参考書に必ずとも言えるほどに載っているホープ真珠が、もう一つの大きな真珠と一緒に鎮座しているではありませんか。それがホープよりも大きなパールオブアジアでした。そこではたと思いついたのがミキモトの百周年です。百周年の展示会に、これを借りられないか、これなら真珠に興味のない人でも見に来るだろうと思いました。なんせ、カタログに銅版画が載っている以外には、写真すら無く、ほとんど失われているのではと言われていた真珠なのです。
 持ち主はアラブの王族でした。あらゆるコネを使って交渉に入りましたが、これが大変、やっとのことで使用料数千万円で契約、全国の百周年の催事に展示し、本店でも一般公開しましたから、見ていただいた業界の方も多いものと思います。この二つをポケットに入れて、ロンドンから東京まで来ましたが、これは緊張しましたよ。この時、私は真珠商人としてのキャリア上最大の失敗をしました。貸すのではなく、売っても良いよと言われたのを断ったのですよ。その当時ならミキモトは簡単に買えた値段でした。あの時買っていれば、今でも真珠の中心地・日本の象徴として使えたのに、残念でなりません。
■この五十年の真珠衰退を思う VOL.10 ■2013年9月10日 火曜日 14時42分37秒

真珠の婚約指輪は何処へ行ったのか。
またまた昔話で始まりますが、ご寛容を。私が入社してからの十年ほどは、お客と言えばアメリカ人や南米人であることは前にも書きました。昭和も40年代後半になりますと、日本人のお客が増えてきます。とは言っても、今のように誰でもがお客になる訳ではなく、ほとんどが父親の名前が新聞の一面に出ているような家庭の方ばかりでしたが。カードなどは無い、現金払いというのも少なかった、名前を言うだけで支払いは後ほど頂戴に上がる、それでほとんど用が足りた、素晴らしい時代でしたね。業界人でもほとんど知らないことですが、この時代、すでに日本にも婚約指輪はあったのですよ。しかもその多くがアコヤ真珠の指輪だったのです。ダイヤモンドなど影も形もありません。
今や婚約指輪と言えばダイヤモンドだと思っていますが、それはデビアスが日本市場で大広告を始めてからのこと、戦後の日本女性の最初の婚約指輪は真珠のものだったのですよ。今では、真珠の婚約指輪などどこにもない、真珠業者自身が真珠で婚約指輪を作ろうとも思っていない、女性がみな鼻くそみたいな0.3カラット前後のダイヤモンドを買うのを指をくわえて見てるだけ。誕生石で言うなら、女性の最低でも12分の一は真珠が誕生石でしょ。どうして業界は真珠の婚約指輪を提案しないのですか。一年当たりの結婚数が70万組と言うなら5万本以上の真珠の婚約指輪があっても良いのではないでしょうか。
 これこそ真珠業界の商品というものに対しての無関心の見本だと思いますよ。なんでも良いからネックレスだけ作っていれば、取り敢えずは売れると、そんな面倒くさいことなどやりたくなという所でしょうね、本音は。真珠をもつこと、使うことの楽しさをまったく考えていない、ネックレスですら、ただひたすら作りやすいチョーカーだけを作り続けて、面倒なグラジュエーションの連など、何度説明しても作ろうともしない、ましてやソートワールとか、タッセルの付いた複雑なネックレスなど知識もないというのが現状でしょう。ですから、多くの小売店にとっては、困った時の真珠頼りで分かり易い連だけを価格競争で売るということになるのです。もちろん、それでもある程度は売れますが、問題の一番トップの客からは見向きもされない。これが今のアコヤを取り巻く現実です。内容的には見るものもない、だから価格だけがお客への訴求のポイントで、努力しますと言っても、精々がイヤリングを付けるとかに過ぎず、当然ながら価格ではなく内容なのよという客からは見向きもされない。ネックレスだけでなく、婚約指輪がないことからも分かる通り、他のジュエリーにも見るべきものがない、それがアコヤの現実ではないでしょうか。アコヤのジュエリーで、面白いとか知らなかったとか、お客が言ってくれるものが何か心当たりがあいますか。
 つい数十年前までは、アコヤの婚約指輪がけっこうあったのですよ、それが今ではダイヤモンドに席巻されて誰も不思議に思わない、変だと思いませんか?
■この五十年の真珠衰退を思う VOL.9 ■2013年9月10日 火曜日 14時32分49秒

真珠の楽しさを殺したのは誰か?

この連載もこれで八回目になりますが、色々な方面からご意見を賜っています。その中で私がびっくりしたのは、山口さんは真珠が嫌いなんでしょうと言う意見でした。とんでもない、不肖山口、真珠くらい好きな宝石はありません。好きだからこそ、今の花珠鑑別書とかが付かないと売れない真珠は嫌いですし、それを売る業者も嫌いです。真珠は白くて丸いだけの、意味の無い紙を付けなければ売れない宝石ではない、もっともっと調べれば楽しい、ユニークな真珠がいくらでもある、真珠のユニークさを殺しているのは真珠業者そのものですよ。まさに無知は力なりです。
 とは言っても、私も最初から真珠の多様性を知っていた訳ではありません。仕事で主に欧州を旅行するようになって、なんと真珠にはアコヤ以外の実に面白い、不思議な真珠がある、それを使ったジュエリーが無数にあることに気がついたのです。気がついた後は、その不可思議な真珠を意図的に探し、文献を買いまくり、業者の所まで押し掛けてゆき、良いと思った真珠はミキモトで製品にするために買い、まあミキモトの営業の責任者であるという特権を振り回して、いろいろな業者に会いました。彼らに共通しているのは、真珠が好きだと言うこと、いやもっと言えば真珠に淫しているほどに自分の扱う真珠を愛していることです。もちろん商売人ですから、売れるということには何よりも気を使います。だけど売れるなら嘘もつきます、意味の無い保証書をつけます、品質に影響の出ることが分かっている加工もします、ということは無かったと思います。私が手掛けた楽しい真珠の筆頭はコンクパールですが、これは別項で書きます。
 真珠を白く丸いものと決めつけ、売り上げの90%以上を単なるネックレスに、それも芸の無いチョーカーだけに依存するという業態を作ったのは日本の真珠業者ですよ。アコヤだけが真珠ではない、白蝶、黒蝶はもちろんのこと、中国淡水にもまともな真珠はある、アメリカにも養殖真珠はありますし、天然真珠となれば色も形も種類も千差万別、さらに形状で言えば、丸や半円だけでなく、バロックもケシもシードパールもある。そうした複雑さを勉強する気もなく、国内に居座ったままで入手できる真珠だけが真珠だと、またコンク真珠の項目で書きますが、私がコンクを宝石として日本市場に紹介した時、業界の幹部と言われる人がこう言ったのを今でも覚えています。コンクなんて真珠じゃない、あれは稜柱層のもので真珠層ではないから真珠とは言えない、とね。貝が作り出したもので人間が美を認めるものは真珠でしょう。稜柱層だの真珠層だの、学者面した知ったかぶりで、美しいもの、誰も知らないものを欲しいと言う女性の気持ちをまったく汲んでいない。こうしたいろんな真珠を組み合わせ、ネックレス以外のものにも挑戦して始めて面白いパール・ジュエリーが出来るのですよ。そうした楽しさを殺しているのは真珠業者自身ですよ。
■この五十年の真珠衰退を思う VOL 8 ■2013年9月10日 火曜日 14時28分16秒

真珠養殖の宿命について。

これまで六回は目下のネガティヴな話を続けましたので、ここらでこれからどうなると言う話をしてみたいと思います。まあ、将来予測もネガティヴな話になるかもしれないのですが、将来なら変られますからね。
長い間、世界中の真珠業者の動向を見てきますと、真珠の養殖には避け難い宿命があると思います。それは常に供給が需要を上回るということです。つまり売り切れるよりも多く、どんどん養殖されるということです。その理由は簡単です。真珠養殖を行っている国を考えるとすぐに分かる事、つまりですね、日本とオーストラリアを除けば、中国、インドネシア、ミャンマー、フィリッピン、タヒチ、どれを取っても世界の最貧国、あ、今こんな言葉は使えない、発展途上国の最たるものです。そうした国々で真珠を養殖している人々に向かって、真珠は多すぎるから他の仕事に就いた方が良いよと言っても、相手にされない、他の仕事がないのですから。また質を上げて単価を上げると言っても、理解されない。来年、今年の二倍の収入が欲しければ、二倍の真珠を作る、数量を据え置いて単価アップで収入を増やすということは彼らの理解の範疇にはないのです。かくして、どんどん真珠養殖の数量は増え,結果の生産量は需要にかかわりなく増える、これが真珠養殖の宿命です。世界中の養殖真珠で、生産量が減っているのは日本のアコヤだけ,普通は生産量が半分になれば、単価は倍以上に上がる。だけどアコヤの生産量は六分の一程度まで減っているのに、単価も半分以下になっている。不思議でもなんでもない、買い手にとって真珠は真珠、アコヤである必要はない、白蝶でも中国淡水でも真珠であると、気にしないで買っているということですよ。アコヤに愛着を持つ人にはちょっとシビアな意見ですが、これからのアコヤを考える場合には、この前提を頭に入れておく必要があります。アコヤの都合だけで,真珠の世界が動く事はありません。
真珠の総量が増えて行く中で,アコヤをどうして復活させるかについては、別の章のなかで述べてみたいと思いますが、とにかく言えることは数量的な復活を目指すのではダメと言うことです。かっては二万貫あったのが四千貫に減った,もう一度二万貫を目指そうと言う方策だけは絶対に取るべきでない、これだけははっきりしています。むしろ数量減を逆手に取るべきで、より上質でより高価でより美しいアコヤをしっかりと養殖する。数千貫でいいと思いますよ、しかし業界は真っ逆さまの方向へ進んでいますよね。これは何も真珠業界だけではない、宝石業界すべてが安かろう悪かろうの方向へ向かっています。不景気で30万円のジュエリーは売れないから、5万円のものを六個売れば良いと安い物を並べる、それが基本的な考えでしょう。もちろん、六個売れれば売上高としてはカバー出来ます。しかし六個は絶対に売れない、精々が二個か三個、これの繰り返しが業界売り上が三兆円から一兆円まで落ちた原因ですよ。30万円の商品が何故売れなかったのか、売れる30万円とはどんなジュエリーなのか、全く考えない。真珠でもそうでしょ、39.800円でも無理、それならイヤリングを付けて値段は据え置き、それが今のアコヤですよ。
■この五十年の真珠衰退を思う VOL 7 ■2013年9月10日 火曜日 14時24分32秒

日本は何故世界の真珠産業のリーダーの地位を失ったのか

 最近のことですが、真珠業界のことを知らない宝石業界人から聞かれて驚いたことがあります。真珠のスタンダードが世界中にない事は知っていますが、真珠の中心は日本でしょう、どうして日本が音頭をとって決めないのですか、と。いや、今時こんなナイーブな質問を受けて感動しました。嫌味ではなく。ご存知の通り、日本は今や、真珠産業の中心ではありません。商売なら香港、学問ならケン・スカーレットのいるバンコク辺りでしょうか。
 言うまでもなく、昔は日本が真珠産業の中心地でした。多くの外国の業者が神戸や東京に集まり、仕入れをしていった時代をご記憶の業界人もまだ多いと思います。それがいかなる歴史を経て、現在の凋落にいったのかは、あまり知られていません。今回はそのトップからの凋落の過程を知る限りですが、書いてみます。
 私の知る限り、1990年代の前半までは、日本に対しての尊敬というか、先駆者として認めるという気分は、世界の真珠業者の間にあったと思います。何事につけても、日本はどうする、日本の考え方はどうなんだと聞かれた、まあ日本を中心に纏っていこうという気分は残っていた。これを決定的に崩したのが、1994年にハワイで行なわれた真珠会議であったと思います。これはあまり知る人はいないのですが、真珠の歴史の上で、画期的な集まりであったと思います。天然、養殖を問わず、真珠を産出する国や養殖をやっている殆ど全ての国から真珠業者やら学者やらが集まって、真珠の現状報告と今の問題点を話し合う最初にして最後の会議でした。見事なレジメが残っています。そこに唯一参加しなかったのが日本だったのですよ。変でしょう。日本こそ議長国でもおかしくない会議に、はなから不参加というのは。
 日本から誰も参加しなかった理由は簡単で、真珠振興会の偉いさん達が、あの会議には出ない、みんなも出るなと言ったからです。その理由は不明、自分たちが言い出した会議でもなく、最初から相談を受けたこともない、そんな会議に出る必要はないと。まあ私もそのときは現役でしたから、それは出るべきだと意見を具申したのですがね、神戸の皆さんは、ハイそれでは出ませんと言うことで、誰一人参加しなかったのですよ。まあ出ても英語で真珠の将来を語るだけの自信がなかったのかも知れません。英語もさることながら、真珠の将来など考えたこともないのですから、会議どころじゃない。かくして、日本が纏めることが出来たかもしれない唯一の機会を自ら失ったのです。
 それだけじゃない、世界は気づいてしまったのですよ。日本の真珠業界は、世界の業界を纏める気もなければ、能力もないと言う事に。以来、真珠のことについて、日本に相談するような事は一度もありません。香港はどんどん商売を大きくするし、真珠についての学問的な本は、全てアメリカかオーストラリアで出版され、大きな真珠展は、アメリカか湾岸諸国かで開かれ、ついには、染めたアコヤは真珠じゃないとか、養殖真珠をはじめたのはオーストラリア人だと言い出す始末で、ご存知の通り。つまりですね、世界のリーダーから日本の業界は自ら降りた、それを先導したのは振興会の皆さんであったという事なのです。情けない一語に尽きます。
■この五十年の真珠衰退を思う VOL 6 ■2013年9月10日 火曜日 13時16分31秒

真珠振興会はいったい何を振興してきたのか。

今回は少し個人的な話をさせていただきます。ちょっと自慢話めいたことも入りますが、ご勘弁を。私が今のミキモトの銀座本店の店長、つまり本店長になったのは36歳の時です。35歳の時に本店は完成したのですが、業績がまったく伸びず、時の社長であった本間利章社長から、あんたが店の計画に参画したのだから、何とかしなさいという命令で、まあ当時で言えば大抜擢、しかし苦労はしました。なんせ、部下になる社員の半分近くは全部年上の人ですから。まあ、そんな自慢話はどうでも良い、この本間社長という方は私の五十年を越える宝石屋商売のなかで出会った最も優れた方でした。見事な紳士で、外国人からも非常に尊敬された日本人だったと思います。彼は長い間、日本真珠振興会の会長もつとめ、誰からも一目おかれており、役所でも格別の扱いを受けていたと思います。少なくとも、当時の真珠業界で本間さんに楯突く人はいなかった、全体は巧く纏まっていたと思いますよ。
その本間さんが、昭和56年、西暦で言えば1981年に急死されました。業界人の古い人なら、築地本願寺で行われた盛大な葬儀を覚えておられる方も多いでしょう。しかし、今になって振り返って見ますと、この本間さんの急死が日本のアコヤ産業のターニングポイントであったと思います。何かが大きく変わりました、そしてその後は昔に戻ることはまったく無かったと思います。
最大の変化は、振興会の中心が東京から神戸へと移ったことでしょう。本間さんの後に振興会会長になったのは田崎俊作さんで、彼を中心とした神戸の真珠業者たちが真珠業界の中心となってゆきます。パールシティ神戸とか言う言葉も、この頃に登場します。しかし、失礼を顧みず言わせていただければ、この時を境に真珠業界は宝飾産業の一員から水産業の一員へと変化した、そしてそのまま現在に至っていると思います。お断りしておきますが、私は別段神戸と言う街に偏見を持っている訳でもなく嫌いでもない、むしろ好きな街に入ります。また水産業というものが嫌いでもない、必要がないとも思っていない、むしろ真珠業よりははるかに大事な産業だと思っています。しかし、真珠産業は水産業ではない、水産業の論理で真珠業界を仕切ることは出来ない、これは事実です。はっきりしているのは、81年以降、世界の真珠養殖業界が激変してゆく中にあって、日本の真珠振興会は何らのリーダーシップも発揮しなかった、色々なチャンスがあったのにも関わらず、日本が中心となることは神戸の皆さんには出来なかった、これは事実でしょう。この間に日本の養殖技術のほとんどは海外に流出し、今では海外の方がリードする始末、中国はトン単位の真珠を作り、タヒチは大増産に走り、オーストラリアはアコヤは真珠じゃないなどと言い出し、ついには真珠養殖はオーストラリア人が発明し、日本人が盗んだなどと言い出す始末。もちろん、海外の話は別としても、アコヤの国内でのプロモーションすら何も出来ない。その間に出てきた花珠問題一つすら解決できない、振興会の存在理由は何なのか、いったい何を振興してきたのか問いたいと思います。
■この五十年の真珠衰退を思う VOL 5 ■2013年9月10日 火曜日 13時12分22秒

再度、花珠問題を問う。

私は内心、この花珠問題は宝石業界が抱えた爆弾の一つだと思っています。一つと言うからには、他にもあるのと聞かれそうですが、取り敢えずノーコメントです。共通の認識と理解が全くない花珠という言葉を使うこと自体がおかしいのですが、業界として、そうした不確実さを、特にお客に対して意味不明であるといういい加減さを、業界内で検討して纏めるとか共通の定義を定めるとかの努力をせずに、何となく都合がいいじゃないかと放置する、現在のアコヤ業界に対して非常に危うさを感じますし、不信の念を禁じ得ないのです。
そもそも半年もしないうちに基本的な性質が変わるような今の真珠に対して、一定の内容を保証するがごとき鑑別書なり保証書を発行するということが、可能なのでしょうか。真珠は有機物で経年変化は避けられないと言うのは、詭弁に過ぎません。経・年で変化するどころか、経・月で変化する、しかもその原因が人為的なものであることがはっきりしている、だから仕方がないのだと言うのは、どう見ても通用する話ではないでしょう。これを十年以上に渡って、売るのに都合が良いからと放置してきたのが業界ではないでしょうか。これで今流行の消費者保護の視点から取り上げられて、訴訟に勝てると思いますか。私がこの問題は爆弾である、早く手を打つべきだと言うのは、ここにその理由があります。
私の見るところ、業界人のほとんどはこの問題を認識していると思います。だけどまあまあ、売るには都合が良いし、良いじゃないか、そんな難しいこと言わなくても、というのが業界の基本姿勢であると思いますよ。確かにどんな業界にも影の部分というのはある、そして我々商売人としても、売れてなんぼの世界に生きていることは事実でしょう。私としても、それを頭から否定するほど偉い訳ではない。しかしながら、物には限界があると言うのも事実です。自分が扱う商品のもっとも基本的なことに嘘をつく、そうしなければ売れないということは、すでにこの限界を越えていると私は思います。何よりも問題なのは、真珠業界の人々がこのことを認識していながらーー別に後ほど書きますが、宝石業界、特に小売店の店主などはまったく認識が無いのですがーー取り敢えず都合が良いというだけで、このアラアラ花珠とかホレホレ花珠鑑別書を放置しているということでしょう。これは限界を越えた無責任であると私は思います。こうしたことを調整すべき真珠振興会が何を振興してきたかについては、稿を改めて書きますが、すくなくとも今のところでは、まったく動きはない。
こうした中で、アコヤの品質はますます低下し、単なる価格競争だけの商品に堕しています。真面目に良いアコヤを作ろうという人ほど苦労する、まあ、これには良い珠を作れと偉そうに要求して、実際に出来ると高いと言って扱わない卸業者や小売店主にも問題はあるのですが。花珠鑑別にだけ拘るのはこの連載の主旨ではないので、これまでにしますが、ともかく、それは単なる私文書に過ぎないことだけは認識しておいて下さい。  
■この五十年の真珠衰退を思う Vol 4 ■2013年9月10日 火曜日 13時11分40秒
この花珠なる言葉が突然に真珠業界に再登場したのはそう古いことではない、ここ十年前後のことだと思います。その頃にはすでにうす巻きの当年物を脱色して染め上げた真珠がほとんどでしたから、いわゆる古い花珠の記憶を持った業界人は不思議に思ったはずです、そりゃなんじゃとね。以来、この言葉を用いた鑑別書が出回り、最近では数社の鑑別会社が入り乱れて紙を発行し、たんなるハナダマだけでなく、ナンチャラ・ハナダマ、アラアラ・ハナダマと形容詞が付いて、何が何だか分からんほどに入り乱れているそうですね。しかもこの十数年の間に、この言葉の定義なりその内容なりを検討する会議が業界で開かれたとは聞いていません。つまり言いたい者が勝手に言っているだけで、その内容に誰が責任を持つとか、多くの人が同意するとかということはない、だから私は花珠鑑別書とは私文書に過ぎないと言っているのですよ。こうした私文書が、あたかも公的な資格を備えた資料であるかの様に業界で使われ、顧客に渡されている、これは問題ではありませんか???
■この五十年の真珠衰退を思う Vol 3 ■2013年9月10日 火曜日 13時11分1秒

色々な芸を繰り出す業者たち。 

 いま流行りの花珠鑑別の問題に到る前に、加工技術が生まれてから今日にいたるまでの間に、養殖真珠の業者の皆さんが市場に繰り出したユニークな技術を紹介しましょう。実にユニークで、その創意工夫には感動すら覚えますが、一貫して共通しているのは、お客にとって何が良いことかという視点の欠如でしょう。ある技術が出来たとしても、それが最終的にお客様にとって役に立つことか、良いことかという問いはまったく無く、業界の自己都合だけで判断するという、見事な共通点があります。
 私が仰天して一番腹をたてたのは蛍光染料の注入でしょうね。これには私自身の客がからんだ面白い話があります。バブル全盛のころの話ですよ。私の客のお嬢様で、凄い美人がいたのです。美人には珍しく、恐ろしく頭が良い、退屈だからと言って一年足らずでGGを取るほど宝石にも興味がある人でした。時はバブルの絶頂期、かのジュリアナ東京が全盛のころの話です。例のお立ち台の常連だったのですから、いかに美人かお分かりでしょう。彼女がワンレン・ボディコンーー懐かしい名前ですねえーーの服に似合う真珠の長いネックレスを買ってくれたのです。ところが翌週、山口さん、アコヤに蛍光性があるのといきなり怒鳴り込んで来たのです。
 彼女の言い分はこうです。昨日、新しいネックレスを付けてお立ち台で踊りまくって、友達の所に戻って来たらこう言われた。踊りも素晴らしかったけど、新しいネックレス、燦然と輝いていたわよ、と。それでネックレスを見直してみると、なんか変に輝いているではありませんか。なんせ本人はGG様ですからね、山口さん、アコヤに蛍光性はあるの、と来ました。ある訳ないでしょと言ったら、じゃあこれ調べてよと売ったネックレスを渡された次第です。会社に戻って調べさせたら、なんとこってりと蛍光剤が染み込ませてあると言う結論、納めたのは伊勢の業者でしたが、即刻取引停止。ですがね、その時に感じたのですが、アコヤに蛍光剤を染み込ませて何とも思ってない、その方がずーっと奇麗に見えますよと言われたのには驚きましたね。ミキモト側の仕入れ担当もあまり感じていない、とにかく業者同士で集まって、酒を飲みゴルフをしながら、なあなあでやっている、これが伊勢や神戸の業界の実態かと思いましたね。それが正しいことなのか、客にとって益になることなのかという視点はどこにもない。この基本的な問題は、今の花珠騒ぎに至るまで、少しも変わらないと思います。最近では無調色だのナチュラルだの、加工はしているけど染剤ははいってないから無調色だと、しかもナチュラルと言う言葉を使う。真珠の世界でナチュラルと言えば天然真珠のことでしょう、あの青灰色の不気味な真珠がナチュラルとはこれ如何にですよ。話が横にずれましたが、次回こそ花珠の由来を語りましょう。
■この五十年の真珠衰退を思う Vol 2 ■2013年9月10日 火曜日 13時10分15秒

一年以下の薄巻き真珠の始まり

アコヤはもはや雑貨であると前回書きました。では今日に至るまで、どのような歴史なり経緯を経てそうなったのかを振り返って見ます。私が入社した1960年から1965年にかけては、日本のアコヤ真珠の最初の黄金期でした。東京オリンピック、ロータリークラブの世界大会などが東京で開催され、多くの外国人が来日しました。彼らが必ずと言っても良いほどに買ったのがアコヤ真珠のネックレスでした。また旅行者も今のように飛行機で来日するのではなく、優雅な豪華客船でゆったりとやってきました。当然、彼らは飛行機でチョロチョロと動き回る人々に較べて、遥かに富裕であり、買い物も鷹揚でした。この頃の金持ちは、アメリカ人を除けば、中南米、つまりチリ、ブラジル、アルゼンチンなどの超大金持ちでした。今のような中東諸国や中国の人々など、陰も形もなかった時代です。私は学校でスペイン語を自習していましたので、少しは役に立ち、新入社員の癖に大きな売り上げをあげて先輩から睨まれたのを覚えています。
ちょうどこの頃、1965年前後のことだと思いますが、ミキモトの研究室にいた一人の男が、漂白をした後の真珠に染材をしみ込ませると美しくなるという技術を発明したのです。これは多分、ミキモトが命じた技術ではなかったと思います。
 なぜなら、その男は、この技術が完成するやさっさと会社を退社し、自分の加工会社を作ったからです。これが今日にいたる真珠の調色の始まりです。もちろん、技術は次第に外に流れ出し、多くの加工調色を専門とする業者が生まれましたし、また多くの真珠業者はこの技術を自社のなかに取り入れていったのです。最初の頃は、染色はしたものの真珠そのものは、2−3年の養殖期間をかけて、しっかりとした巻きのものでした。単に色をつけただけだったのです。
 そして好まれた色がピンク色でした。かくして今に残るピンクパールが登場したのです。今では真珠の業者でもあまり認識していませんが、真珠の基本的な色は、天然であれ養殖であれ、象牙色です。外国語の真珠の参考書にPINK PEARLと出てくるのは、今で言うコンク真珠のことです。事態がこのまま推移すれば、まだ良かったのかも知れません。その後、5−6年のうちに、あらぬことを思いつく業者が出て来たのです。たぶんその業者たちはこう考えたのでしょう。真珠にどうせ穴を開けて染めるのなら、なにも2年も養殖する必要はないだろう、養殖期間が長ければそれだけ経費がかかる、もっと短期間で養殖を終えても、大差ないだろうし、その方が儲かると。たしかに染色後の耐久性ということを無視するなら、その通りでしょう。これが今に続く薄巻き真珠の始まり、越物とか当年物とかいう言葉が業界に登場するのはこの頃です。かくして、一年以下の養殖期間しかない真珠が大量に出回り、それをいらざる加工技術を発達させて、薄い巻きのアコヤが市場を支配するようになります。平均で0.2ミリだとか、それでは厚メッキですよね。次回は、流行言葉の「花球」についてです。乞うご期待を。
■この五十年の真珠衰退を思う Vol 1 ■2013年9月10日 火曜日 13時8分58秒

アコヤはもはや雑貨である

老人になったことの特徴は、昔話をする、話がくどくなる、同じことを何度も言う、ということらしいが、今回、W&Jの藤井社長からの依頼で、私めの真珠屋としての昔話をしろということで、まあ、これで私も堂々たる老人になったのかと、いささか情けないのですが、お引き受けしました。
 私がミキモトに入社したのは、1960年、昭和35年ですから、全くの大昔、爾来53年もこの業界でウロウロしている事になります。ミキモトでのキャリアで私が少し変わっているのは、営業と商品開発しかやってこなかったことと、銀座から転勤しなかったことでしょう。最後には一応営業本部長ということで、やりたい放題に仕事をしていましたので、そのほぼ40年の間に真珠について起きた事は理解しているつもりです。
 不思議なもので、その真っ只中にいる時には感じなかったのですが、今にして振り返ってみますと、この年月の間に、真珠は特にアコヤはひたすら衰退の道を辿ったと言えます。まあ、その渦中にいて何も出来なかったことを思うと、いささか慙愧の念にかられます。
 広い意味での装身具には、素材のランクと言うか価格というか、それによって宝石、アクセサリー、雑貨の3つに大別されます。これを今の業界に当て嵌めますと、宝石となる真珠は、天然真珠、アクセサリーと鳴るのは白蝶と黒蝶の一部、雑貨は中国淡水とアコヤではないでしょうか。どうものっけから際どい話題で、藤井編集長のにがり顔が目に浮かぶのですが、残念ながら事実は事実、訂正する気はありません。まあ、この連載の最初の数回は、アコヤ真珠がいかにして雑貨にまで身を落としたのか、その理由、歴史から振り返って見たいと思います。
 宝石、あるいは本当のジュエリーと呼ばれる商品には、そう呼ばれるに必要な条件が3つあります。希少性、耐久性、それに話題性です。アコヤに希少性はありますか。
 8ミリの連に8半のイヤリングを付けて38,800円というのが、一流百貨店が保証するということで、テレビで無制限に売られている、これが稀少ですか?染色が抜けて早ければ半年で色が変わります。有機物ですから経年変化は避けられないだと、これで耐久性があると言えますか?白くて丸いだけの真珠のネックレスに話題性がありますか?何時でも、何処でも、幾らででも、何本でもありますよ、これがアコヤではないでしょうか。これが宝石ですか?どう見ても工業製品に近い雑貨でしょう。しかも真珠そのもので善し悪しや美しさを計るのではなく、べたべたと意味のない保証書だの、鑑別書だのを添付しなければ売れない、こんなものの何処が宝石なのでしょうか。
 勿論、そうした環境の中でも努力して良いアコヤを作ろうとしている養殖業者がいる事は私も分かっています。だけど、真面目な業者ほど苦労している、しかも業界全体としてこういう状況を変えて、アコヤに昔の輝きを取り戻そうという気配は全くない。一回目の結論、“アコヤは雑貨である”。次回はそうした事になるまでの歴史を見てみます。
■リオインターナショナル山口遼代表が『真珠について思うこと』を執筆 ■2013年9月10日 火曜日 13時8分2秒

乞うご期待を。

今回から潟潟Iインターナショナルの山口遼代表が『真珠について思うこと』について執筆してもらいます。同氏は、潟~キモトの常務取締役やジェムインターナショナル鰍フ社長に就任、真珠、ジュエリーやアンティークの歴史を研究している著名な人です。乞うご期待を。

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