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GIAエッセイ 六本木1982午前零時

■第101話 シャルウィ・レスリング? ■2015年4月2日 木曜日 10時31分6秒

カランと音がして、扉が開いた。六本木、酒場「L」は、貸し切りだ。午前零時を回った。開いた扉からゴッドマザーが顔を出し、続いて扉いっぱいを覆い尽くすような大男がぬっと部屋に入ってきた。
深く凹んだ眼窩、太くしっかりした鼻梁、固く結んだ唇、荒削りのモアイのような無愛想な顔、ジャーマン・スープレックスの生みの親、プロレスの神、伝説のカール・ゴッチだ。「本当にきてくれたのね」。奥の部屋から、彼女が転がるように飛び出してきて、ゴッチに飛びついた。
ゴッチは、軽々と彼女を抱きとめる。「この私が嘘をつくかよ」。ゴッドマザーが笑った。
ゴッチが、300本のバラの花束を彼女に差し出す。歓声が上がる。彼女は、日本人初の女子プロレス世界チャンピオン。ゴッチに憧れ、ジャーマン・スープレックスを必殺技に、美しいストロングスタイルのレスリングで世界の喝采を浴びた。
大きく美しい弧を描き、柔らかいブリッジで敵を仕止める。世界で最も美しいジャーマ
ン・スープレックスと、ゴッチが賞賛した。無傷の300連勝の偉業を残したまま、今日、引退する。「まだできるのに」。だれもがそう言う。だが、あの美しいブリッジをもう保つことができないことを、だれよりも知っているのは、彼女自身だ。
ゴッチが部屋の壁に貼られた色紙を指さした。「L」には、たくさんの色紙が貼られているが、ゴッチが指さしたのは、「L」がオープンした日の色紙で、いちばん古いものだ。色紙には、「シャルウィ・レスリング?」と英語で書かれ、その下にゴッチのサインがあった。ゴッチのサインの横に並んで、女性のサインがある。「日本人で初めてジャーマンを決めた女子レスラーよ」。ゴッドマザーが言う。
ゴッチがジャケットのポケットから小箱を出し、彼女にプレゼントする。小箱を開けると、キャンドルの光をはね返し、一瞬、眩い輝きが煌めいた。ダイアモンドだ。
「4月の誕生石。あの色紙の女性、ゴッチの奥さんの指輪よ。あなたも4月生まれね」。ゴッドマザーが、彼女にウインクをして、言う。「ダイアモンドの石言葉は、永遠の絆。もらっておきなさい」。二人の前に色紙が置かれた。ゴッチが、嬉しそうに、ぎこちなく、「シャルウィ・レスリング?」と、英文で書いた。子どものような文字だ。そして、自分のサインをすると、そのまま彼女の前に差し出す。彼女は、ゴッチの横にサインをした。ジュリアン・ゴッチ。それが、彼女の名前だ。
「ねえ、彼女、ゴッチの娘なの?」。窓際のスタイリストが写真家に聞いた。「どう思う?」。写真家が、意味ありげに私を見て笑う。「ということは、最初の色紙の彼女が母親ってこと?」。「さあて」。ゴッドマザーがカウンターにくる。
「世の中には、3つの真実に勝る1つの嘘というものがあるのよ」。そう言う。「じゃあ、嘘ってこと?」。「さあて」。夢は、叶えば真実となる。この街には、真実に勝る嘘が堂々と闊歩している。人々は、それを奇蹟と呼ぶが、この街では奇蹟ではなく、鳩の散歩のように日常茶飯事のことだ。
六本木、交差点近く、酒場「L」は、いまもある。写真家もスタイリストも健在だ。お近くにお越しの節はぜひお立ち寄りを。おすすめは、東京タワーの見える窓際の席です。
【GIAメルマガより】(たかの耕一:tagayasu@xpoint-plan.com)】
■第100話 雨の匂い ■2015年2月19日 木曜日 12時56分41秒

雨が降っている。終電の後、客は数人しか残っていない。歩いて帰れる麻布のファッションモデル、始発電車まで粘る劇団のメンバー、車で来ているCM監督・・・・そんな連中だ。
六本木、酒場「L」にフワリとアンニュイな空気が舞い降りた。カランと扉の音がして、一人の女性が入ってきた。とれもきれいな女性で、清々しい雨の匂いがした。濡れた帽子を取ると首をさっと振り、ブルーネットの長い髪を美しく揺らした。美人を見慣れている連中も、思わず固唾を飲んだ。
「彼女、だれ?」窓際のスタイリストが写真家に目で尋ねる。写真家が、知らない、と首を振る。スコッチウイスキーのシングルモルトをストレートで、彼女はカウンターで飲む。「きれいな紫水晶ですね」。胸元のペンダントを見て、写真家が彼女に言う。「アメシストよ、ギリシャ語で、酒に酔わないという意味」。彼女は、フランス語でそう答える。
カウンターの紙ナプキンに、彼女は赤いルージュで悪戯書きをしている。パリの風景、赤いモンマルトルだ。また、カランと音がして扉が開いた。女性プロデューサーが入ってきて、彼女に近寄った。二人で奥のテーブルに移る。東の空に赤みが射す頃、雨の匂いを残して彼女が帰った。
「だれ、あの人?フランスの女優?見たことないわ、きれいな人」。スタイリストがプロデューサーに聞く。「天才画家よ」。プロデューサーが言い、彼女が書いた悪戯書きを見せ、大事そうにバッグにしまう。「100年に一人の天才画家よ」。プロデューサーは微笑む。「画を買ったの?さっきの悪戯書きを?」。「500万円」。バッグを胸に引き寄せる。「悪戯書きが500万円!?」私たちは顔を見合わせた。「振込先は、アフリカよ」。アフリカの孤児院だと言う。「不思議でしょ」。
彼女は画家ではない。女性プロデューサーは、それを知っていた。プロデューサーが、画商を通して彼女の画をニューヨークのオークションに出品した。アフリカの子どもたちを救った一枚の紙ナプキンに、1000万円の値がついた。赤いモンマルトルは、世界で最も高価な紙ナプキンと呼ばれ、奇跡の悪戯書きと新聞はかき立てた。
「ね、彼女は天才画家になったでしょ。100年に一人どころか、1000年に一人の、ね」。プロデューサーが笑う。「パリも、ニューヨークも、この街も、奇跡の街ね」。紙ナプキンに悪戯書きをしながらスタイリストが言った。
「いえいえ、奇跡ではありませんよ」。カウンターで写真家がにやりと笑った。「この街では、日常茶飯事です」。そう、この街では、こんな奇跡も日常茶飯事だ。窓の外に雨が降っ
ている。清々しい雨の匂いが、美しいアメシストの彼女を思い出させた。
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■第99話 勝者に栄光はやるな。 ■2014年12月18日 木曜日 15時34分57秒

オリンピックメダリストの彼女は、引退後いろいろなスポーツイベントに招かれ、勝者に花束を贈呈する役目を引き受けている。雑誌のモデルをしている彼女は、その磨き上げた美しい容姿からスワンという愛称で呼ばれている。
勝者を讃える役目を引き受けながら、彼女は悩んでいる。「本当に賞賛しなければならないのは勝者ではなくて、むしろ敗者かもしれない」。スポーツは、スポーツを愛するすべての人のもの。それが彼女の持論だ。だが、実際に脚光を浴びるのは勝者ばかりだ。それが歯がゆい。
六本木、酒場「L」の奥のテーブル。年の暮れ。窓の向こうで東京タワーが寒さに震えている。午前零時が過ぎ、暗い空から小雪が舞い落ちてきた。街の灯りのなかに入ると小雪はきらきら煌き、ダイアモンドの粒となって美しく舞った。
「勝ち負けだけじゃない。スポーツには、人間にとって生きる力を養うという大事な大事な役目がある」。厚いコートを脱いだ彼女は、雪兎のような真っ白いセーターを着ている。紅いワイングラスを口に運ぶ。彼女が粉雪舞うゲレンデでスワンのような見事な飛翔を見せたのは、つい昨年のことだ。スポーツは、スポーツを愛するすべての人のもの。たしかにその通り。だが、それが周囲には理解されない。「それってわかるけど、やっぱり勝たなくちゃだめよ、スポーツは」。窓際のスタイリストの意見は明快だ。「あの純粋さは、この国では理解されないですな」。写真家が奥のテーブルを伺いながら言う。
「スポーツの本質をついている。だが、理解されない。この国ではスポーツはビジネスですからな」。年が明け、彼女は日本を後にした。スポーツが、スポーツを愛するすべての人のものである国を、世界のどこかへさがしに行ったのだろうか。消息は途絶えたままだ。「スワンは、北国の空に帰ったということですか」。写真家が新年の空を見上げながら言った。来る者、去る者、漂う者、六本木はいつも人生の交差点だ。
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■第98話 幻想のマヤ ■2014年11月20日 木曜日 10時59分58秒

その清々しい歌声は、「森をぬけてくる風と同じ周波数だ」。評論家がそう分析する。耳にするだれもが神秘の世界に誘われ、こころが緩やかに癒される。曲名は「太陽の国へ」、歌手の名は「マヤ」だ。そこまではわかっている。だが、知られているのはそれだけだった。だれも彼女の姿を見た者はいない。
六本木酒場「L」の奥のテーブル、午前零時を過ぎた。歌をプロデュースしたグレート・ママが、二人の芸能誌の記者を前にテキーラのグラスを口に運んで言う。「もっとじゃん
じゃん書いてちょうだいね。マヤのコンセプトは神秘よ神秘、謎よ」。
これまでに多くの歌手を育ててきたカリスマプロデューサーのママの胸で、太陽の色をしたファイアー・オパールのブローチがキャンドルに輝いた。テレビ番組が、中米ペリーズ中西部サン・イグナシオ郊外のシュナントゥニチ遺跡をバックに、彼女の歌声を流した。 たちまちマヤ旋風が日本全国に巻き起こった。「マヤを探せ」というキャンペーンが始まり、人気は絶頂を迎えた。
「マヤはどこにいるんですか?」。窓際のスタイリストがグレート・ママに聞く。「メキシコだっていうことは間違いないのよね?」。悪戯を見つかった女子高生のようにママは笑う。「どうかしら」。ナイショだけどねと釘を刺して言う。「ヒントはお釈迦様。お釈迦様のお母さんは、マヤ夫人と呼ばれていたの」。インドにもマヤがいた。「真実は歌にあれば、それでいいのよ」。カランと扉の音を残してママが帰った。
「仏のほうですか。幻想と真実ですな」。写真家がカウンターを拭きながら言った。「この街らしいな」。幻想と真実の混沌、それこそが六本木の真実かも知れない。窓の向こう、東京タワーの灯りも今日は幻想的だ。
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■第97話 茜雲の彼方へ ■2014年10月16日 木曜日 12時44分51秒

東を目指して飛んだ小型単発機の通信が途絶えて2日が過ぎた。機体も女性パイロットの姿も見つからなかった。茜雲の彼方へ吸い込まれたまま、赤い翼のセスナは消えた。
5日目に八丈島沖で発見された白い機体は真っ二つに割れ、胴に刻まれたJAの文字が離れ離れに波間に浮かんでいた。女性パイロットの姿は、ついに発見されなかった。
それから5年。六本木酒場「L」は、終電が過ぎた時間だ。客は一気に減り、潮が引くように賑わいが去った。東京タワーの灯りが見えるテーブルに、美女が一人いる。情報通の窓際のスタイリストが、「彼女、トルコ航空の教官よ」とそっと教える。どこか神秘的な美しい横顔。黒く透き通った瞳の輝きのせいか。
きりりと結んだ金色の髪。どこかで見た横顔だ。濃い緑色の制服が、存在そのものを際立たせている。琥珀色のウイスキーグラスを静かに唇に運ぶ彼女。「ペンダントはターコイズね、トルコ石。美しいブルーだわ。空のお守り。名前は、ジュリア・アンダースン、愛称は、JA。下手なモデル顔負けね。芸能誌が騒ぐのも無理ないわ」。スタイリストが微妙に微笑む。写真家とわたしは驚いて顔を見合わせた。
ジュリアだって? JAだって? 大空に消えたセスナ機名は、ジュリエット・アルファと言う。機体に刻まれた文字は、JAだ。もう一度、美しい曲線の横顔をそっと伺う。「母親は日本人よ」。スタイリストの言葉に胸が高鳴った。「そうかもよ」。
二人の考えを見抜いてスタイリストがふっと笑った。「六本木は奇跡の街、違う人間になって生きるなんてカンタンなことよ、女にはね」。意味ありげに笑う。
男たちには理解のできない奇跡を楽しんでいるようだ。そう、この街の主役は、間違いなく女性たちだ。

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■第96話 ユー・アー・マイ・ミステリー。 ■2014年9月18日 木曜日 10時13分59秒

そんなのマスコミが作った虚像よ。彼女自身が言う。そう言って赤ん坊のように笑う。
天真爛漫なその笑顔に神秘の翳りが通り過ぎる。それは、彼女の瞳のせいだ。
手つかずのブラックパールに似て、どこまでも深く果てしない輝き。象牙色に染めた髪が、あどけなさの残る美貌を際立たせる。気が向くとカウンターの隅に置かれたギブソンのギターを取り上げ、チューニングもせずに彼女は歌う。
六本木、酒場「L」にアンニュイな空気が漂う時刻。歌も気だるい。彼女は作詞家だ。「でも、マスコミが言うとおり、間違いなく彼女予言者ね。それでテレビ出演も多いもの」。窓際のスタイリストが彼女の歌に耳を傾けながら言う。彼女の居住する虎ノ門のホテルには、政治家や財界人もお忍びで訪れるという噂だ。
「次期総理にはだれがいいとか、その企業プロジェクトが成功するかどうかなんて、彼女その場で予言するらしいの」。
アイドルに詩を提供すると瞬く間にヒットする。女子高生にも大人気だ。「彼女の詩には、みんなを幸福にするキーワードが必ず入っているの。それが人気の秘密」。
スタイリストがうっとりと呟く。彼女の新曲がオリコンで一位になった夜、「L」で彼女はギター片手に歌う。東の空がうっすらと明るくなった。奥の部屋にいた芸能誌の記者もテレビ局のプロデューサーも彼女に挨拶して引き上げた。
その時、ひとりの外国人が花束を抱えて扉を開けて入ってきた。背の高い若い白人だ。若者はつかつかと彼女に歩み寄ると、手にした花束を捧げ、早口の英語で彼女にプロポーズした。そんなことは慣れっこの彼女は「ノー」と笑った。
六本木交差点で彼女がその外国人に刺されたのは、30分後だ。「自分の運命の予言はできなかったようですな」。カウンターを拭きながら写真家が言った。
夢と現実が交差する街、六本木。その夢と現実の歪みが、時としてジャックナイフに変わる。窓の向こうの東京タワーが朝日に輝いた。今日も晴天だ。
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■第95話 夏目漱石に愛されて ■2014年8月21日 木曜日 10時2分8秒

勇ましかった。自信に溢れていた。その美貌、その美しい容姿で男社会に挑む彼女を、テレビ局が奪い合うように取り上げた。
大学教授。離婚して1児の母。たくましい生き方。だが、いつも草原を吹く風のように爽やかな印象を与える彼女には、思い切った発言とは裏腹に多くのファンがいた。女性ファンも男性ファンも多かった。
真っ直ぐに相手を見る視線は、完璧に磨かれたダイアモンドのように純粋な光を放ち、その生き方に一点の疑いもない美事な輝きを見せた。彼女はいつも、ホワイトをベースにした淡い色で身を包んでいた。それが自分を引き立てるファッションであることは百も承知だ。
「漱石の虞美人草に登場する藤尾という女性がいます」。彼女は言う。あの時代に生きながら、決して男に従順とは言えません。しかし、女性として芯のある生き方をしています。六本木、酒場「L」の奥の部屋。女性誌の取材を受けている。「男と女が敵だという発想はもう古いですね。女は男を愛し、男は女を愛することがすべての原点です。もしわたしの日頃の発言が厳しいとお感じなら、それは社会に対してです。男に対してではありません」。既存の社会は、男に有利のようにできている。歴史がそのように推移し、男に既得権が出来上がっている社会。それに彼女は立ち向かう。
そんな彼女はいくつもの政党に誘われ、選挙戦でもトップ当選を果たした。だが、1年もたたずに突然引退した。大学教授の座も捨て、マスコミからも姿を消した。
「ダイアモンドではなかったな」。写真家が言った。「人間て、純粋過ぎても生きてはいけないのかしら」。スタイリストが嘆いた。奥の部屋の彼女がいたテーブルをわれわれは見ている。なんだか、この街がとても正直に思えてくる。「少なくとも、六本木は人間の街なのさ」。写真家の言葉が胸に刺さる暑い夜だ。
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■第94話 狼と歌う女 ■2014年7月17日 木曜日 16時37分57秒

岩山を背に彼女は祈り、歌う。透き通る歌声が星空に響き、砂漠を潤しながら闇に吸い込まれていく。
ナバホ族の長老と勇者たちが火を囲み、祈る。馬たちも聞き耳を立てる。やがて歌声に呼応するように、狼の遠吠えが四方の闇から聴こえてくる。
長く、寂しい、遠吠え。幻想的な美しい映像。その映画を見て、彼女を日本に呼んだのはテレビ局だ。歌手としてではなく、ナバホの祈祷者として彼女は招かれた。
だが、スタジオで天に向かって祈る彼女の歌声は、たちまち日本中を魅了した。健康的な浅黒い肌、深い漆黒の瞳、長い黒髪を飾る羽飾りに輝くのは、北天の星座を示す七つのダイアモンド。
「母はナバホの娘です」。テレビの彼女は言う。六本木、酒場「L」はその日、彼女のために午前零時から貸切られた。「でも、母が恋したのは日本の写真家でした」。彼女は、この機会にまだ見ぬ日本の父に会いたいと言う。
「ねえ、だれだか知ってるんでしょ?彼女の父親」。この日、臨時で店を手伝うスタイリストが、カウンターの写真家に聞く。「写真家はたくさんいるからねえ」。おとぼけ顔だ。彼女がバーボングラスを片手にカウンターにくる。「この前はどうもありがとう」。小声でそう言い、グラスを掲げて微笑む。「とんでもない」。写真家が小さく笑う。「教えてくださいよ」。目ざとい芸能記者が、写真家につめよる。彼女の祈りは「ウルフ」というタイトルでレコーディングされ、大ヒットした。だが、結局父親とは会えなかった。
季節は、あっという間に過ぎた。「帰ります」。彼女は写真家にそう言い、「本当にありがとう、母のお墓に報告します」と深々と頭を下げ、翌日帰国した。
「やっぱり、名乗らなかったわけか」。わたしが言い、「いまさらねえ」と、写真家が答えた。「目が似ていました」。わたしが言うと、「なんの話ですかねえ」と、再びおとぼけだ。そして、「六本木にはよくある話です」と寂しく笑った。たしかに、この街にはよくある話だ。
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■第93話 六本木ゴッドマザー ■2014年6月19日 木曜日 9時53分48秒

六本木酒場「L」のオーナーを誰も知らない。写真家もはっきりとはわからない。
「L」の名前にしても、フランスの映画俳優アラン・ドロンがCMの中で、「ルーシー」と叫んだことから命名したと言うが、それも眉唾だ。オーナーらしき女性はいる。
彼女は高齢で杖を使って歩くが、小柄で品がよく、いつも小奇麗な身なりをしている。薄く化粧をし、サングラスをはずさない。胸元のダイアモンドも指輪の煌きも、彼女の内なる輝きを引き立てているようだ。老舗の和菓子屋の奥さんだという噂もあり、大手不動産会社の会長夫人で化粧品会社を経営しているという噂もある。麻布に店をもつ映画女優の母親だと言う者もいる。「とてもいいことがあったの。今日はみなさんにお酒をご馳走するわ」。
その日、午後9時を回った頃、彼女は「L」に現れ、客全員にそう言った。一斉に拍手が起こった。写真家がわたしの耳元で、「全部で50万円だ」と言い、「旦那には新しいボトルを入れておくからな」と片目をつむる。
「嬉しそうですね」。写真家が彼女に声をかける。「子どもたちが会いにくるの」。彼女は何度も首を振って、嬉しくてたまらないという表情を見せた。ベトナムの子どもたちの、訪日のニュースが流れたのはそれから1ヵ月後だ。いくつもの村に学校を建てた日本人へのお礼のために訪れたのだ。
報道写真で、50人の子どもたちに囲まれ、なんと彼女の笑顔が真ん中にあった。だが、ほどなく彼女は多額の脱税容疑で逮捕された。「いいのか悪いのか、女は魔物ですな」と写真家が言った。
半年後、再び彼女は「L」に現れた。「もう2つ学校を寄付したのよ、嬉しいわ」。彼女はそう言って、再び客全員に酒を奢った。拍手が起こった。「まさに女は魔物です」。写真家が呻いた。彼女が「L」のオーナーかどうかは、いまも不明だ。この街ではこんな話が、路傍の石のようにゴロゴロしている。
【GIAメルマガより】(たかの耕一:tagayasu@xpoint-plan.com)
■第92話 月見草と向日葵。 ■2014年5月15日 木曜日 12時32分19秒

マスコミは、スターを生みたがる。マスコミには、スターを生み出す力がある。
子どもの頃からの彼女の夢は、画家だ。だが、テレビ局が光を当てたのは、彼女の美貌だった。肩にかかる紫がかった長く黒い髪。微量な光さえ吸い込んで弾き返す瞳は、ブラックダイヤモンドにも似て、息を飲むほど神秘的だ。
二つの瞳の間がゆったりと広く、額にかけての広がりは月明かりの下の清楚な花園を想わせた。二十歳で大きな画壇の賞を獲り、一躍脚光を浴びた。「月見草」と名づけられた画は、彼女そのもののように清楚で美しい。
テレビや雑誌に登場する機会が増え、いつの間にか、彼女の月見草のイメージは固定された。テレビ番組のタイトルにも月見草という言葉が使われた。画家というより、売れっ子タレントとなった。「でも、彼女、それが嫌なのね」。窓際のスタイリストが言う。「本当の彼女はちがう。月というよりも太陽ね。もっと明るくて情熱的」。だが、マスコミは月見草のイメージを崩さない。世間も彼女にそのイメージだけを求めてくる。
六本木、酒場「L」にいるときだけが、彼女の開放された時間だ。南国の熱い酒を飲み、素顔のままではしゃぐのは午前3時を回って、世間が寝静まってからだ。「月見草ばかり
でもう5年」。他の客が去ると、彼女はこっちのテーブルにやってきて言う。「もうすっかり枯れてしまったわ」。「じゃあ、向日葵の画を描いたら。そのほうがあなたらしいよ」。スタイリストが言う。「女性版ゴッホというわけね」。彼女は寂しく笑う。マスコミに翻弄される若き才能に写真家は同情する。だが、マスコミを利用したのも、他ならぬ彼女自身だ。
週刊誌が彼女の失踪を告げて1年。世間ではもう彼女は過去の人となった。新しい美貌のアスリートが、代って彼女の座についた。「彼女、結婚して甲府にいるわ。向日葵畑の農家だって」。スタイリストが言い、「嘘もホントもカクテルグラスに注いで飲み干す。それが六本木の真実。それが人間です」。写真家がそう言って、哲学者のようにうなづく。わたしがこの街を愛するのは、写真家がいうように人間の街だからだ。街は人間が創り、人間は街によって創られるのだ。
【GIAメルマガより】(たかの耕一:tagayasu@xpoint-plan.com)

■第91話 5000年の夢 ■2014年4月18日 金曜日 9時40分6秒

ジャーマンスープレックス・ホールド。それが彼女のキメ技だ。彼女は、5000年の夢の国からやってきて、リングに立つ。クレオパトラ・ネオ。彼女に与えられたリングネームだ。コスチュームは王家の色、鮮やかなコバルトブルー。長い黒髪を束ねる王冠には、ダイヤモンドで飾られた黄金のロータスが輝く。その正体をだれも知らない。
六本木、酒場「L」、午前3時を回った。「とにかく凄い人気。女子プロ界のトップスターよ」。窓際のスタイリストが珍しく興奮気味だ。奥のテーブルに女性客がひとり。最後の客だ。赤い酒を飲んでいる。「リングに上がると、彼女はすぐに古代エジプトのファラオたちに祈りを捧げるの」。スタイリストが目を輝かせる。
会場のだれもが5000年の夢の中へ誘われる。ゴングが鳴ると、彼女は宙を舞う。だれもが酔う滞空時間の長い、華麗なドロップキック。攻撃を受けると黒髪が乱れ、細く華奢な体が悲鳴を上げる。起死回生のバックドロップ。そして、連続ドロップキックで相手を追い込んでいく。「最後は、ジャーマンよ、ジャーマン」。スタイリストが言い、「でも、引退するって話だろ」と、写真家が言う。
「この前、引退試合があったの」。「芸能界に入るって噂だな」。「ううん、エジプトに帰る
のよ。あの時代に帰るんだって」。よくできた話だ。この手の売出し方は、六本木にありふれている。「ありがとうございます」。奥の女性が小さく言って、勘定を済ませる。長い黒髪。華奢な体。だが、胸に輝く黄金のロータスに、スタイリストも写真家も気がつかなかった。六本木は、いつの時代も夢の街だ。
【GIAメルマガより】(たかの耕一:tagayasu@xpoint-plan.com)

■第90話 夜明けのジャンヌ・ダルク ■2014年3月20日 木曜日 10時7分12秒

女社会とか男社会とか、彼女にとっては意味のないテーマだった。「社会は戦場、女も男もないわ、命をかけて戦って勝った者だけが生き残る、それだけ」。
テレビ番組で彼女は言った。「わたしは女、女であることが最大の武器よ」。その明快な生き方が人気を呼んだ。女性の社会進出をテーマにした番組。元全学連の闘志で知られる彼女は、アジアの戦場から帰国したばかりだ。その言葉や表情には、理屈を超えたリアリティがある。理論だけの学者やゲストたちは絶句するしかない。
マスコミが飛びついたのはその迫真の生き方が磨く、世界が目を見張る翻訳不要の美貌だ。芸能界とはまるで異質の、戦場で鍛えた緊迫の美。密林で敵影を追いつめる瞳は、ブラックオパールの漆黒の輝きだ。ぎりぎりに燃える生命が、赤斑のように煌く。
彼女は、臆することなくその美しさを武器に日本でも戦う。「久しぶりね」。扉を開けるなり彼女は、カウンターの写真家に言った。
六本木、酒場「L」。閉店間際。「帰った早々日本を騒がしているな。いかにも、きみらしい」。写真家がグラスを片付ける手を止めて言う。「置いてあるよ、ボトル」。「何年前の?」
「3年か4年になる」。彼女の前にアブサンのボトルとグラスが置かれた。
アブサンは、英語で「不在」を意味し、フランス語で「存在しないこと」を意味する。「わたしを撮ってくれない?オールヌード」。ニガヨモギの強い酒を干す黒真珠の瞳に笑みはない。「写真家冥利に尽きるね」。「いまよ、ここで」。彼女は奥の部屋を指差し、カーディガンを脱ぐ。客はすでにいない。スタイリストも帰った。
写真家は、彼女を撮影した。やがて、東の空に赤みが射した。彼女のために写真家は、新しいボトルの封を開けた。「これ、ギャラの送り先」。彼女は、密林の国の住所をメモする。「偽物よ」。数日後、スタイリストが言った。「戦場なんかにいないわ」。彼女が遠く離れた村にいる。そんな噂が週刊誌に載った。「どこにいたっていい」。写真家は言った。ギャラの送り先は、貧しい国の貧しい村の子どもたちの養護施設だった。
「戦う人間にとっては、どこだって戦場だ。人は、戦っているかどうかです」。写真家の言葉に、わたしは同意する。どんな高邁な理屈より、行動こそがモノをいう。それが、この街。六本木は、まもなく春だ。
【GIAメルマガより】(たかの耕一:tagayasu@xpoint-plan.com)
■第89話 ノーアゲイン、再びの・・・。 ■2014年2月20日 木曜日 16時26分35秒

毎月、最後の日、彼女は、いつものテーブルの、いつもの席にいる。
窓から東京タワーの灯りが見える奥の席。一人だ。でも、グラスは二つ。テーブルの真ん中に、バーボンウイスキーのボトルがぽつんと。それしかない。「恋はシャボン玉とは、
よく言ったものです」。カウンターの写真家がため息をつく。
この街では、一夜に無数のシャボン玉が生まれ、無数のシャボン玉が砕け散る。六本木、酒場「L」、午前0時。外は雪だ。無数のシャボン玉の中でも、彼女の恋は最も輝いていた。
絶対に弾けないと誰もが思った。砕けるわけがない。みんながそう信じた。彼女は、映画女優。映画にこだわり、決してテレビには出演しない。
その時、たった一曲歌った歌が大ヒットしていた。それでもテレビに出なかった。彼は、有名医師を父にもつレーサー。テストドライバーでもあった。二人は、みんなに愛されていた。女優は、大物ながら、この酒場では、天使のように純粋で、子どものように無邪気
だった。
彼は、名家の品の良さを全身に身につけながら、若きライオンのようにたくましく、寛大だ。「嫉妬は、われわれ下々のお得意だが、あの二人には、嫉妬する隙さえありませんな」。恋にはベテランの写真家も思わず脱帽だ。無色ダイヤのような、高貴で、永遠に輝く恋。ある日、神がふとよそ見したその瞬間、新車の高速テストをしていた彼の車がコースアウトをし、宙に舞った。舞いながら、火を噴いた。27年の命と無上の恋は、一瞬にして弾け散った。
それでも・・・毎月最後の日、彼女は、いつもの席にいた。バーボンウイスキーとグラスが二つ。写真家は、その日は、その席を貸切にした。「歌を口すさんでいたよ」。写真家が驚いて言った。「野バラをいつも両手に抱え・・・だってさ」。彼女は、酒場に通い続け、歌い続けた。
だが、やがて、姿を見せなくなった。「入院したのよ。病院で一日中歌ってるんだって」。スタイリストが唇を噛んだ。いまでもその日がくると、写真家はその席を貸切にし、バーボンとグラスを二つ並べている。一本の野バラを、そっと置く。ノーアゲイン、再びの恋なんかこの街にはないことを知りながら。六本木、1983、午前零時。外は雪だ。
【GIAメルマガより】(たかの耕一:tagayasu@xpoint-plan.com)
■第88話 戦場に咲く花 ■2014年1月6日 月曜日 9時53分45秒

突然、パリコレのモデルとして彼女は登場した。そのニュースが、旋風となって世界中を駆け回った。職業は、戦場カメラマン。彼女の美しさは、他のモデルとはまったく違う。ステージの上を、黒髪をなびかせて颯爽と歩く姿は繊細で大胆、密林を移動する兵士の動きだ。
前髪の下に隠れる瞳は、密集する木々に潜む敵の狙撃兵を見抜く光を宿し、質の高いブラックパールの輝きだ。日本人にしては長身、だがパリコレのモデルとしては決して背が高いとはいえない。ただ、他のモデルと決定的に違うのは、戦場で生き抜くために磨き上げられた肉体だ。細身ながら、全身がバネだった。一挙手一投足が弾力をもち、艶やかさの中に底知れぬエネルギーがあった。それは、平和を希求する彼女の命から発せられるものだった。
「女には、銃以上の武器がある」。「ファッションは、人間に残された最後の自由」。彼女のひと言ひと言がニュースになった。
六本木、酒場「L」のアンティークな掛け時計の針が午前零時を回った頃、彼女は現れた。木枯しの吹く夜だ。
「寒いね、日本は」。彼女はそういうとカウンターに座る。「先生、お元気そう」。写真家に声をかける。「そちらこそ元気にご活躍で」。写真家が応えて笑う。「ボトル、残してあるよ」。「あら、何年前のボトルかしら」。彼女の前にスコッチウイスキーのボトルが置かれる。
彼女は、いまの自分に満足していない。戦場を駆け回る費用を稼ぐためにモデルの仕事を受け、突然、話題になった。「写真で話題にならなくちゃダメね」。写真家に向かってそういい、ふっと笑う。ブラックパールがわずかに翳った。
「また、行くの?」。「お正月だから帰ったの。すぐ行くわ。戦争にお正月はないもの」。言葉通り、年が明けると彼女は日本を離れた。やがて、彼女の戦場写真が話題になった。戦死した兵士が生き絶える前に伸ばした手の先に咲く、黄色い小さな花の写真だ。
「彼女、このボトル、もう一度飲めるかな?」。写真家の言葉に、わたしは黙っていた。
小さな黄色い花は、彼女自身なのだと思った。六本木、酒場「L」は、また新しい年を迎えようとしている。
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■第87話 秋だというのに・・・ ■2013年12月5日 木曜日 10時15分51秒

窓際のスタイリストについて、なにも知らなかった。写真家が、ぽつりと言う。「もともとモデルだった」。六本木、酒場「L」。窓の向こうの東京タワーに朝の気配が立ちはじめた。夜明けだ。写真家がテーブルを拭き、わたしはカーテンを閉める。客はもう一人もいない。1時間前に彼女は帰った。
「秋だというのに恋もできない」。さびしい笑顔を置いて帰った。モデルで売れている頃、彼女は、ロケ先の南仏で60歳のフランス人公爵と恋に落ちた。地中海の太陽より熱い恋のはずだったが、財産目当てと騒がれた。イタリアのさびれた漁師町で二人が寄り添う写真が新聞に掲載された。公爵には妻がいた。新聞は、恋の行方を興味本位に報じたが、やはり彼女は悪女扱いされた。
「あ、彼女、大事なものを忘れていった」。スタイリストの指定席、窓際の小さなテーブル、ジンのボトルと空のグラスの脇にシェルカメオのペンダントがうずくまっている。「見てもいいかな」。わたしが言い、「うん」と写真家がペンダントを差し出した。銀色のチェーンがきらっと光った。
「刻まれているのは、公爵だそうだ。同じカメオを公爵も持っている。刻まれているのは彼女の横顔だといっていた」。もちろん彼女は財産目当てではない。だが、日本に帰った彼女に高額の金額が公爵から送られてきた。彼女はペンダントだけをもらい、手紙を添えてすべて送り返した。「緑のインクで別れの手紙を書いたんだ、まるで演歌だよ」。そのロケの写真家は、彼だった。
まもなく小学校に入学する彼女の息子は、公爵と同じマリンブルーの瞳をしている。「女は強いね」。写真家が言い、「強いですね」と、わたしはペンダントを見ながら答えた。「強くて悲しいよな」。「強くて悲しいですね」。朝日が窓から飛び込んできた。六本木のヒロインはみんな、悲しい想い出を胸の奥にしまいこんで、強く生きている。
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■第86話 栄光は、美談の陰に ■2013年11月7日 木曜日 9時48分10秒

帰ります、故郷へ。砂糖菓子のように危うく見えた。六本木、酒場「L」のカウンター。彼女がいる。あの日、女豹の走りを見せた彼女だ。42.195キロ、フルマラソン。
40キロ地点で競り合う3人のランナー。彼女は、2位にいる。トップは、世界記録をもつエチオピアの選手。その後ろ1メートルに彼女がつけ、その後ろ1メートルに同じ日本人ランナーが迫る。激しいデッドヒートに沿道の群集は熱狂し、テレビの前の人々は手に汗を握る。
飛び散る汗が、午後の陽射しを浴びて光の粒となる。彼女は、21歳の無名ランナー。驚異的なスピードと美貌が、人々を魅了する。激しい息遣いが聞こえそうだ。スタールビー・サファイアのように、肌が美しく輝く。
これはトラック勝負になる。人々の声援が絶頂を迎える。下り斜面。右折。増すスピード。競技場の入り口だ。事故は、その瞬間に起きた。観客の一人が手を突き出し、彼女が左に身をかわす。同時に、トップを走るランナーが転倒した。気づかずに駆け抜ける彼女。トラックをひた走る彼女を大声援が包む。彼女は、その声援が自分に寄せられるものだと思って全力疾走。だが、ふと気づいた。横にランナーがいない。首を回して振り向く。二人のランナーが後方に見えた。30メートルも遅れている。なぜ? 
そして、すべての声援が自分に送られているものではなく、後方の二人のためのものだと知ったのは、ゴールに入ってからだ。転倒した選手を、横にいた選手が助け起こし、足を引きずる選手に寄り添って走っている。彼女は、国内2位の記録で優勝した。
だが、マスコミは二人を絶賛し、美談を報じた。あれから5年。彼女はいう。「女子高の陸上部のコーチもおしまい」。さびしく笑う。「気がつかなかったの。気がついてもわたしは助けたかどうかわからないけど」。
栄光は、美談の陰に消えた。「世間は非情だな」。写真家が大きく息を吐いた。この街は、だれにも同情をしない。
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■第85話 太陽の顔をしたジャガー ■2013年10月3日 木曜日 15時14分56秒

彼女は、マヤの末裔だ。マヤとは、ユカタン半島に残るマヤ文明のことだ。西暦250年〜900年に最盛期を迎え、その後忽然と姿を消した謎多き民族。暦に関しては天才的な民族だった。
彼女はその末裔だという。「日本人よ、マスコミが作った虚像よ。沖縄生まれだっていう噂もあるわ」。スタイリストは冷ややかにいうが、正体不明のほうが、女性は魅力的だ。「マスコミは、虚像を実像に変えるわ」。それもいいだろう。マヤに魅せられ、マヤの民族とともに暮らし、彼女は暦学を身に着けた。
 日本人離れした神秘的な美貌にマスコミが目をつけ、歌手デビューを果たした。淡く深いグリーンの瞳は、マヤ特産の翡翠の色だ。首にかけたチェーンは2本。短く繊細なチェーンの先では小粒のダイヤが輝き、長いチェーンの先では大きい翡翠が揺れている。
彼女がいうには、ダイヤが太陽で、翡翠が地球だ。地球を守る太陽は、いつも彼女の胸を飾っている。「太陽の顔をしたジャガー」という奇妙なタイトルの歌は、女神の呪文のようだった。地球の平和をただ願うのではなく、人間の力で平和を呼びこむために、太陽に向かって歌いかける歌だという。遥か彼方の都市遺跡「魔術師のピラミッド」の向こうから差し込む陽光が、まるで彼女の歌と呼応するように輝き、人々の心を魅了した。
「帰る」。彼女が突然いった。六本木、酒場「L」は、すでに夜明けを迎えている。「えっ?」スタイリストが振り向いた。「ウシュマルへ。この国は、太陽を愛する力が足りないの。危険な国」。彼女が寂しそうにいう。「いいじゃないの、好きな歌を歌って、お金儲けができる国よ」。「そうね、本当は、それに流されるのが恐いのかもしれない。わたしがわたしじゃなくなるから」。彼女は、胸の太陽と地球を握りしめた。彼女は、本気で太陽を
愛しているのだ。この国で暮らすには純粋すぎる。六本木で生きるには純粋すぎる。スタイリストは、そう思った。
「L」の窓から朝日が差し込むのを、彼女は眩しそうに見た。夏が行き、秋の入り口に差しかかるころ、アジアで航空機事故があり、乗客名簿に彼女の名前があった。「帰ったのよ」。スタイリストが唇を噛んでいった。「太陽の国へな」。写真家がいった。忽然と現れ、忽然と消える。それはマヤだけでなく、六本木もまた同じだとわたしは思った。
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■第84話 恋せよ龍馬 ■2013年10月3日 木曜日 15時14分14秒

写真家が、恋に落ちた。カウンターの中から、いつも皮肉をこめた眼差しで、六本木の街と風俗と時代を俯瞰で見つめているわれらが写真家は、45歳になる家庭もちだ。
だが、恋する男はだれでも少年だ。お相手は、高知出身の売り出し中の女優。23歳になる彼女は、漆黒の長い髪と憂いを含んだブラックパールの瞳をもち、太平洋で磨かれた素肌は健康的な琥珀色だ。のびのびとした美しいプロポーション。笑顔にまだ少女の面影を残す。
彼女主演の映画のポスターを撮影して写真家は、恋に落ちた。六本木、酒場「L」は午前零時を回り、客たちは引き潮のように帰った。次の満ち潮は、午前二時だ。「あら、お出ましよ」。カランという扉の音が鳴ると、窓際のスタイリストが振り向いて言った。写真家がカウンターの中でうなづく。飾り気のない白いシャツとホワイトジーンズの彼女は、まっすぐにカウンターに向かい、座った。写真家が、慣れた手つきでスコッチのボトルとグラスとアイスペールを差し出す。二人ともムンク貝のように押し黙ったままだ。それで十分会話している。
グラスにウイスキーを注ぐ彼女の黒真珠の瞳は輝きを増し、写真家に向けられっぱなしだ。30分もしないうちに彼女は、われらに爽やかな笑顔を残して帰った。
そんな日々が続いた。だが、次の映画にクランクインすると、彼女の姿を見ることはなくなった。週刊誌は、二人の破局を伝えた。「破局もなにも、恋なんかなかったさ」。写真家は小さく笑った。嘘の下手な男だ。「写真の勉強をしたいというから教えただけさ」。横顔に、恋を失った少年の切なさがあった。
有名小説家と次の恋が噂される頃、彼女はアジアの子どもたちを撮影した写真展を開き、好評を得た。「高知出身のあの娘は、坂本龍馬そのままだ。人と出会って自分を高めて行く。おれともそうさ。恋なんかじゃなかった。でも、いい写真を撮った。うれしいよ」。
六本木の恋は、草原をわたる疾風のように、一瞬で駆け抜ける。だが、この街の切ない恋風は、女と男を成長させる。
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■第83話 戦場に咲く花 ■2013年8月1日 木曜日 10時57分39秒

戦場に風が吹き、赤い花が揺れる。傷ついた戦士たちは、夕日の高地に横たわり、故郷の家の庭に咲く花に思いを寄せる。
なぜ、人が人を撃たなければならないのか。彼女の反戦の歌は、悲しく美しく、宿命的で、若者たちに圧倒的な支持を受けて大ヒットした。彼女の名はサリー。それ以外のことはなにも、だれも知らない。「日本人よ。わたしにはわかる」。スタイリストがいうが、それも不明だ。
六本木、酒場「L」はまだ宵の口。カウンターで彼女は一人、冷えた日本酒のグラスを傾ける。ギターが横に置いてある。サングラスをはずすと透明なイエローサファイヤ色に輝く瞳が見えた。「カラーコンタクトね」。スタイリストがいう。暗い森の中でも敵の姿が識別できる、高貴だが悲しいシューティング色。だが、写真家もわたしも、それはどうでもいいことだった。その淡い黄金色の瞳が、傷ついた戦士たちの夕景の高地を想わせた。グラスを運ぶ仄かに赤い唇が、戦場の隅で風に揺れる花を想わせた。「久々の本物ですな」。写真家が感心する。「歌が?」。わたしが聞く。「歌が生き方、生き方が歌、見事な同化だ。説得力が半端じゃない。まるで戦士だ」。「彼女は、傷ついた戦士か?」。日本人には見られないタイプの歌手だった。
穏やかだが地の底から沸き上がるような彼女のオーラに、わたしたちは包み込まれる。「彼女のギター、銃に見えるな」。写真家のその言葉にわたしはうなづく。
「六本木には合わないわね」。スタイリストがいい、「六本木を超えているな」と、わたしがいう。いえいえ、六本木とはそういう街です。傷ついた戦士たちが集まり、傷を癒し、また戦場に出かけて行く。「そんな街です、六本木は」。写真家がいう。
その年の紅白歌合戦の出場歌手に選ばれた彼女は、その日ステージに立たなかった。「紅白をドタキャンするとはねえ」。写真家があきれたように首をふる。むしろ感心している。わたしも同じ気持ちだ。
彼女の消息は不明だ。中東で紛争が激しくなった。関係があるのかないのか。そんな関心も一週間で消えた。「本物だったね」。写真家がポツンといったその言葉が、彼女へ贈った最後の言葉だ。
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■第82話 シャンソンを歌うゴッホ ■2013年6月20日 木曜日 10時24分33秒

左手を骨折してギブスをはめた。突然、絵が描けなくなった。彼女は左利きではない。右手はまったく普段どうりなのに、キャンバスに向かうとその正常な右手そのものが負傷したかのように、意思どおりに動いてくれない。
彼女は新進気鋭の画家。パリのヴィエンナーレで「ゴッホの再来」とまで絶賛された彼女の絵画は、日本の画壇でも高い評価を得た。
六本木、酒場「L」は午後9時を迎えた。まだ宵の口だ。奥のテーブルを貸し切るように彼女を囲むグループが集う。画家仲間と芸能ジャーナリストたちだ。「高級ワインが並んでいるね」と、わたしがいい、「高級と称されるワインね」と、写真家が意味ありげに笑う。「でも、彼女の絵はいいよ。本ものだ」。質素なブルージーンズのジャケットを無造作に羽織る彼女の、きらきらとなにかを求めるように輝く、ブルーダイヤの瞳に目を向けて写真家が感心するようにいう。
「でも、画けないらしいね」。わたしがいう。「彼女には歌があるわ」。スタイリストが口を挟む。「シャンソン。セーヌ川にかかる橋それぞれに恋の歌があって、それを彼女は歌うの。上野の美術館でコンサートができるのは彼女だけよ」。
そのとおりだった。やがて、左手のギブスが取れた。突然、彼女は以前のように絵が描けるようになった。「不思議なの」。彼女は、ブルーダイヤの瞳をきらきらさせて、首をかしげる。2ヶ月後のことだ。左手が元気でなければ、右手が動かない。そんなことがあるのだろうか。「不思議よ」。彼女は深くうなづく。
六本木は、不思議が似合う魅力的な街だ。その後、歌を歌わなくなった彼女の絵からは、「恋の歌が聞こえる」という伝説が街に流れた。不思議こそ才能だと、わたしは思った。
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■第81話 六本木伝説 ■2013年6月6日 木曜日 13時19分4秒

この街ほど、伝説の似合う街はない。「赤いハイヒール伝説」というのがあって、女性たちは興味を抱く。とくに、芸能界に生きる若い娘たちは、憧れをもってこの伝説を口にする。ある有名女優の若い頃、まだ、六本木に都電の走っている頃の話だ。東の空が白々と明け、闇が溶けはじめる時刻。始発の都電が走る前だ。
鮮烈に映画デビューを果たしたその女優は、まだ十代だというのに酒を浴びるほど飲み、
都電の線路の上を裸足でふらふらと、青山方面に向かって歩くのだという。それも毎日のように、だ。火照った足に、夜気が冷した線路の冷たさが気持ちいいのだとか、伸ばした両手にぶらぶらぶらさげたハイヒールの赤が鮮やかで、小悪魔的魅力の彼女を際立てているとか、だれもが見てきたように話すのだ。そのスタイルこそ、それまでの女優の決まりきった型を破り、自由に生きる彼女そのものだと評するマスコミもあって、伝説はますます色を深め、膨らんだ。そして、その伝説を実際に演じた若手女優がいた。
六本木、酒場「L」のカウンター。夜明けも近い。若手女優は、バーボンを浴びるように飲んでいる。「なにが小悪魔よ」。深く酔っている。呂律が回らない。「彼女、二十歳過ぎているだろうな」。写真家がわたしにそっという。「だろうな」。わたしにもわからない。形のよい切れ長のクールな目。艶やかに煌くキャッツアイの瞳。固く結んだ理知的な口元。「プロデューサーがさ」と彼女はその唇を開く。壁に向かっていう。「わたしにその映画を見せるのよ。バカみたい。白黒映画よ。なにが赤いハイヒールよ」。彼女は、ボトルからバーボンを自分で注ぐ。
「帰る」。突然、立ち上がる。そして、出ていく。赤いハイヒールを履いている。出口で、それを脱いだ。鮮烈な赤を両手にぶらさげ、こちらに向かって旗のように振る。「バカよね」。もう一度、いった。路上に転がる赤いハイヒールを、交差点の交番の警察官が見つけたのは、翌朝だ。その後、彼女は話題の映画に主演し、自分の伝説を生きはじめた。CM出演も多かった。だが、数年後、突然引退して、伝説の幕を閉じた。この街は、伝説の似合う街だ。
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■第80話 蝶のように ■2013年4月18日 木曜日 11時4分43秒

ボクシング世界ライト級チャンピオンを父にもつ彼女の悩みは、父の幻影から逃れられないことだった。強い女。世間のだれもがそう見ている。それが彼女の悩みであり、実際に強いことがもっと大きな悩みだった。
女優の彼女にくる役は、いつも強い女の役だ。プロレスやスポーツ番組のMCの仕事もくる。恋に生き、身を焦がし、そして最後に狂ったように泣く女、そんな役こそ自分にむいている。そう、谷崎潤一郎の小説のヒロインのように。彼女はそう思っている。
六本木、酒場「L」に春がきた。女たちは、軽く明るい色の衣装に着替えた。午前零時過ぎの賑わいの中、彼女はカウンターにいて琥珀色のブランデーを飲んでいる。間接照明を受けて淡く浮かぶターコイズブルーのカーディガンが幻想的だ。驚いたように見開く大きな黒真珠の瞳が、カーディガンの色によく似合った。
「それって贅沢よ。そう、とっても恵まれてるんだと思うわ」。スタイリストが言う。「そもそも、お父さんのおかげで芸能界にデビューできたんでしょ」。「親の七光りは確かよ、でもねえ…」。そう口ごもってグラスを見つめる彼女の気持ちが痛いほどわかる。
やがてすべてのテレビ出演をやめ、小さな劇団に入って旅興行に身を投じた。だが、強い女のイメージはどこまでもついて回って離れなかった。妻子のある一座の座長にかなわぬ恋をして、別れて、泣いた。それから2年の間にもう一つ恋をして、また別れて泣いた。
相手はスポーツ選手だった。「あれだけ泣けば強い女のイメージは消えるなあ。サナギが蝶になるように、彼女、脱皮したな」。カウンターの写真家が首を振り振りそう言う。「そうかなあ、あれこそが彼女の最高の演技かもよ。女優としてより人間としてね。きっとそう」。スタイリストが小さな笑いを頬に浮かべた。「女の本当の強さはこれからなのよ」。
六本木は、女性によく似合う街だ。とくに花が咲き、そして散るこの季節には、女性たちは、はつらつとして美しい。
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■第七十九話 穂高の風に吹かれて ■2013年4月4日 木曜日 14時2分55秒

山から吹きおろす春一番にも似ていた。桜舞い散る3月。九段の日本武道館で行われた全日本空手道選手権大会。4連覇を狙う優勝候補選手の前に突然立ちふさがった小柄な少女。それが彼女だ。
雪のように白い肌。純白の道着に身を包んでいる。白帯の無名選手。決勝戦までの5戦を圧倒的な強さで勝ち上がってきた彼女に、大会役員も審判団も色めき立った。その動きは雪豹のように速い。スポーツ空手とは違う。
六本木、酒場「L」。早い時刻。彼女は奥の窓際の席にいる。連れの男性は格闘界で有名なプロモーターだ。「プロ入りかしら?」。窓際のスタイリストが奥を覗き込む。「あの小さな体で、格闘界に旋風を巻き起こすのか?」。写真家も奥をうかがう。真っ直ぐに見つめる瞳が間接照明を跳ね返し、アメシストのように深い紫色に輝く。新鮮な果実のようにほんのり赤みをさす頬。グラスを運ぶ手の動きは流れるように美しく、細かい一つひとつの動作は爽やかな風だ。彼女は格闘家としてデビューした。5戦5勝。すべて一瞬の廻し蹴りで相手を倒した。
不幸は、6戦目に起こった。無敵のチャンピオンが、彼女の一発の廻し蹴りでリングに沈んだ。だが、立ち上がった。彼女は驚くように目を見張り、距離を置いた。次の瞬間、チャンピオンは再びリングに崩れ、そのまま意識を失った。チャンピオンの意識が戻るまで、彼女は病室から離れなかった。
彼女が姿を消したのは一週間後だ。「穂高だって」。情報通のスタイリストがいう。「穂高の山岳ガイドだって」。地元のマスコミも彼女を追いかけなかったから詳細は不明だ。「熊と戦うのかね」。写真家が目を細めていい、「美しき野生の娘か。もともと空手は武器だからな」。わたしは、首を振った。「穂高流空手道か」。写真家とわたしは、空手道のスポーツ化による功罪について朝まで話した。六本木交差点に夜明けの風が吹きぬけた。
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■第七十八話 チェーホフに愛されて ■2013年2月21日 木曜日 16時4分58秒

あるがままの人生を書く。それしかない。テーマとか問題意識とか、編集者の欲しがるそんなものは必要ないの、そんなもの書かないわ、それがわたし。
彼女の書く短編小説は、限られた人々に熱狂的に受けている。チェーホフの再来という者もいて、演劇人には拍手をもって迎えられた。
六本木、酒場「L」は午前零時。窓の外に雪がちらつき、客は少ない。彼女は窓際の席にいる。一人だ。窓の向こうに雪に霞む東京タワーの灯がちらちらと動く。セーターの胸に光るのは、深い海の色をしたアクアマリンだ。
「彼女、3月生まれかな?」スタイリストがぽつんという。「なんで?」写真家が聞く。「3月の誕生石」。そうか、じゃあおれもアクアマリンだ、と写真家がいう。「チェーホフはむずかしい。彼女のイメージはサガンだ」。わたしがいう。彼女が振り向いて「わたしもサガンが好き」という。聞こえたのだ。「でも、人生に理由なんていらない。サガンは書けない」。そういって笑う。ウォッカを飲む。
彼女が「アビーロワ」という詩を書きレコードデビューしたのはそのすぐ後だ。「アビーロワ」とは、チェーホフを愛した美しき人妻の名前だ。切ない詩。
厳しい氷の大地を彷彿させる歌声。愛することに理由なんてない、生きることに理由がないように。大ヒットした。
マスコミが彼女を追いかけたとき、彼女の姿はどこにもなかった。「ロシアかね」。写真家がいった。「わたし、恐いわ」。スタイリストがいう。「生きることに理由がないって、わかるのよ」。彼女の噂は一週間と続かなかった。六本木から消えた。この街に似合う人だ、とわたしはいまでも思う。
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■第七十七話 アフリカの星のボレロ。 ■2013年2月21日 木曜日 16時4分16秒

彼女は映画プロデューサー。アフリカにロケハンに行き、帰国したのはその年の暮れだ。パリに寄ってきたのだという。
午前零時、六本木の酒場「L」は、「望年会」の最中だ。「L」のボウネンカイは「忘年会」ではなく「望年会」だ。「天国よ」。アフリカワインを片手に彼女は言った。「アフリカが?」スタイリストが驚いて聞く。同じワインを飲んでいる。「そう、ケニア」。文明に犯されていないアフリカ。マサイ族やキクユ族とヨーロッパの女流作家の友情物語を映画にするのだという。
「100年前の話。無垢なアフリカね。わたしたちが忘れてしまったなにかがあるの」。奥の部屋で常連の歌手がギターの弾き語りを始める。どこか侘しいギター。ボレロだ。「マサイの人たちは雨季の前に草原を焼くの。雨季が終わると草原は緑の海よ。小鹿たちが緑の海を泳ぎ回るの。魚のように。
遠くの林ではキリンの子どもが無邪気に遊んでいる。動物たちが活き活きと命を謳歌する季節ね。雪を被ったキリマンジャロの頂は、ほら、へミングウェイの小説の、豹の死体がある所ね、朝日を浴びるとまさに神の棲家」。饒舌な彼女の胸で、きらきら輝くダイヤモンド。「このダイヤのように、頂は崇高に輝くの」。年が明け、新年会の前に彼女はケニアに旅立った。アフリカは夏だ。「いい映画になるといいわね」。スタイリストが言った。
「アフリカを心から愛していたからね、彼女」。写真家とわたしは、ケニアの草原にいる彼女を思い描いた。新年を二回迎えても映画はできなかった。彼女の消息も聞くことはなかった。そしてまた、「L」の望年会の季節だ。スタイリストも写真家もわたしも、彼女のことを思い出したが口には出さない。「わたしたちが忘れてしまったなにかがあるの」。彼女のその言葉が、3人の心に深く残っている。アフリカで、彼女は見つけたのだと思う、希望の星を。いつしか3人は、アフリカワインを飲んでいる。「あ、雪」。スタイリストが窓の外を見て叫んだ。キリマンジャロの豹が彼女と重なり、わたしはあわてて首を振ってその想像を消した。だれがどう生きようと、六本木は素知らぬ顔で、まもなく午前零時を迎え、年は明ける。
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■第七十六話 ティーチャーズ・ペット ■2013年2月21日 木曜日 16時3分34秒

カナダ国籍の彼女は、奥のテーブルで美しく微笑む。大学講師の肩書きをもちながらタレント業をこなしている。いっしょにいるのは売り出し中の若手ソングライター。
「引き込まれる瞳ですな。まさにカナダの湖です」。写真家が言う。六本木酒場「L」はまだ宵の口。「フランス系かな、北欧系かな」。窓際のスタイリストが奥をのぞいて「あの目の色、ブルーサファイアというより多色性のアイオライトって感じ」と言う。プロらしい発言。彼女が「L」にくるのは毎週金曜日、テレビの収録後。
「この店にくるたびにお相手がちがうの。彼で5人目。みんな若いわ。きっとペットがお好きなのね」。嫉妬ではない。ただ、あきれているだけ。「帰るってニューヨークへ、彼女」。ソングライターの彼がカウンターの写真家にぼそっと言う。
「おやおや」。「結婚するんです」。悔しそうな表情。彼女の結婚相手は、アメリカのフットボーラーだという。「でっかいペットですな」。写真家がそう言うと、彼は唇を噛んだ。「ねえ、あのソングライターの坊や、彼女を追いかけてアメリカに行ったらしいわ。それともうひとり彼女の元彼のタレントもね」。
翌週の金曜日、情報通のスタイリストがあきれ顔でそう言う。「ペットは何匹飼ってもいいのよ。それが六本木流です」と写真家。「なるほど、六本木流ね」。わたしとスタイリストは同意する。
その秋、彼が彼女をジャックナイフで刺す事件を起こすまでは「六本木流も悪くはないさ」と思っていたのだが。窓の向こうでチカチカ光る東京タワーを見ながら、3人の男に囲まれて微笑むブルーの瞳を、わたしはいま思い出している。
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■第七十五話 ドラマチックに生きる ■2012年11月1日 木曜日 12時30分1秒

いやはや女は天才です。ベテラン俳優がそう言ってあご髭を撫でる。「彼女にテレビドラマの台本をまかせたら、これが大好評」。誰もが知っているドラマのタイトルを俳優は言った。女性の繊細な機微がドラマを生き生きとさせた。リアルな一つ一つのシーンが胸を突いた。映像に命が通っている。まだ女性ライターの少ない時代だ。
「男にはない感性です」。グラスを片手に俳優は深くうなずく。六本木、酒場「L」の扉を開け、彼女がうつむき加減に入ってきて小さく微笑んだ。「なんか、評判よかったみたいですね」。他人事のように言う。
「ワインください。安いの」。カウンターの写真家に言う。質素な白いシャツの胸元でダイヤのペンダントがきらりと光った。「すてきな輝きだ」。写真家はそう思った。仄かな間接照明に、ダイヤも彼女の才能も深く、神秘的に輝く。決してこれみよがしではなく、小さいが芯のしっかりした本物の光だ。
「女って生き物は、命そのものがドラマチックにできているんだねえ」。ベテラン俳優がスタイリストに向かって言う。「わかる人にはわかるのね」。スタイリストがわたしと写真家に向かって「ほらごらん」という顔をする。
次の年、彼女はミュージシャンに恋をし「六本木の恋」という小説をものにした。テレビドラマにもなった。だが、秋に入ったある日、突然ドラマの台本も小説も書けなくなった。「どうしてかしら?」。スタイリストが言った。「本当の恋をしてしまったようだね」。俳優がぼそりと言い、「ドラマチックか」と、写真家が言った。東京タワーの赤い灯が、そんな六本木の平凡な酒場を見下ろしていた。
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■第七十四話 バッカスの女 ■2012年10月4日 木曜日 11時39分47秒

放送作家でジャズシンガーの彼女は、彼女の書いたテレビドラマの主演女優よりも人気があった。
理由はその美貌だけでなく、奔放な生き方にあった。短大を卒業してすぐにアメリカに留学、翌年世界に知られる作家と結婚した。年齢差50歳も話題となった。財産目当てと言われた。次の年ニューヨークのクラブでジャズシンガーとしてデビューし、その次の年ハリウッドスターとの恋の噂が流れ、作家と離婚した。
そして、日本に帰国した。父親は、バッカスの異名をもつ酒豪作家だ。「まさに、磨きつつあるダイヤですな」。写真家が感心して呻くように言う。午後8時、六本木酒場「L」はオープンしたばかりだ。
「あの容貌にもあの才能にもダイヤモンドのきらきらした輝きが見えますねえ。磨くのは、つまりリッチな男たちです」。酒豪は親譲りで、ハンドバッグの中にはいつもバーボンの小瓶が入っている。「打ち合わせの最中にもウイスキーを飲んでるらしいわ」。窓際のスタイリストが片目を瞑る。
原稿を書くのは早い。だが、字の汚さは有名で、彼女の原稿をタイプ打ちする放送局の係りが「浪速」という文字を「猿股」と打ったという話がみんなを笑わせた。
「アブサン、お代わり」。奥のテーブルから彼女が強い酒を頼み「いま、卑弥呼を書いてるの。面白いわよ。1000人の女の召使いを持ち、愛する男を1人ペットに持っている女王、理想よね」。
彼女のファンクラブができた。HIMIKOという英語の歌をレコーディングした。だが、その年の夏の終わり、彼女はニューヨークで死んだ。「泥酔状態だったらしいわ」。スタイリストが言った。ニュースでは、銃で男に撃たれたとも書かれていた。「ペットに撃たれたのさ」。写真家が言い、わたしも愛しそこねた男に撃たれたのだと思った。直感的にそう思った。そして「そのほうがいい」と思った。六本木ではニュースは1週間ともたない。秋には彼女の噂をする者はだれもいなかった。
【GIAメルマガVol.188より】(たかの耕一:tagayasu@xpoint-plan.com)
■第七十三話 飛んでイスタンブール ■2012年10月4日 木曜日 11時39分9秒

彼女は、国籍も年齢も不明だ。彼女の大掛かりなイリュージョンは、世界各地で人々の度肝を抜く。身体が数十メートル浮き上がり、空に消える。マジシャンと呼ばれることを嫌がる。
本人は、呪術師と名乗る。秋にトルコで大々的なイリュージョンが予定されている。「なんでトルコなの?」と、窓際のスタイリストが尋ねる。六本木酒場「L」は、すでに夜明けだ。
「平和祈願よ」。アブサンのグラスを片手に、彼女は微笑んだ。全身黒ずくめ。黒く長い髪。黒蝶貝を思わせる。ブラックパールの瞳がきらりと輝く。「イスタンブールは、神と人の交差点。神は平和が好き。人間は戦争が好き。トルコは、いつも戦争の危機をはらんでいるの。だから行くの」。
彼女の平和祈願の呪文がレコード化され世界的に大ヒットした。天と地に安らぎを与えるという。「実はアラブの王様のご招待らしいよ」。芸能記者がそっと言う。次の年、彼女はアラブの石油王と結婚した。2年後に離婚した。その間に3度の戦争危機を回避したと伝えられる。そして、イスタンブールの青い空に消えた彼女は、そのまま姿を見せることはなかった。
 「偽者よ」。スタイリストが嫉妬まじりに言い、「いや、彼女は本物だと思う」と、写真家が言う。「なんの本物?」と、わたしが聞く。「神が与えし本物の女。女には神が宿るのです。それです」。世間の不思議は、六本木では不思議ではない。「この街は、希望と絶望の交差点です」と、写真家。「この街は、真実と虚偽の交差点です」と、わたし、「夢の街です」と、スタイリスト。なるほど、六本木は人を酔わせる街だ。
【GIAメルマガVol.186より】(たかの耕一:tagayasu@xpoint-plan.com)
■第七十二話 空蝉のひと ■2012年7月19日 木曜日 11時12分18秒

彼女の歌が大ヒットしたのは、偶然だった。テレビのゲスト出演で歌った歌の反響が大きく、急遽レコーディングとなった。
彼女は、神楽坂の芸者だ。歳は20代半ばすぎ。職業柄、男ごころを熟知している。決して大柄ではない。普段はTシャツにジーンズだが、さすがに和服を着るとその存在感は傑出し、見事なものだった。少し眠たげなまぶたの奥で、黒真珠のような瞳が神秘的な光を放つ。
午後八時。六本木の酒場「L」はオープンしたばかりだ。薄い夏物の着物が、不思議にこの街に似合っている。「あの顔で男たちを手玉に取っているのよ」。窓際のスタイリストが、嫉妬のこもった目を向ける。女性には不人気である。「男が悪いのです」。
カウンターで写真家が笑う。写真家も彼女の味方のようだ。「男と約束しても、いつも空振りさせるって評判よ」。それでも男たちは、約束してはいそいそと出向くのだ。ある代議士を旦那にもつ、といわれている。いや、父親がどこかのやくざのボスらしい、と噂する者もいる。
「おつかれさま」。写真家が声をかける。「今日もテレビだったの。さぼっちゃった」。そういって彼女はいたずらっぽく笑った。「みんなテレビに出たがるけど、いざ出てみると退屈ね」。やがて、彼女は勘定を払って出ていった。「まさに、空蝉ですな」。写真家が後姿を見ていい、「今日も光源氏は肩透かしですか」。わたしも彼女を目で追って答えた。しばらくして肩透かしを喰ったテレビ局の連中がどやどやと入ってきた。「まあ、想定内よ」。プロ
デューサーがディレクターに皮肉っぽく笑いかける。彼女のいた席に小さな薄水色のハンカチが残っていた。「六本木は、魅惑の女の宝庫ですな」と、写真家がぼそりといった。
【GIAメルマガVol.183より】(たかの耕一:tagayasu@xpoint-plan.com)
■第七十一話 琥珀は黄沙に乗って ■2012年7月5日 木曜日 9時49分37秒

彼女は、日本国籍をもち日本名をもっている。歌手としての名前は中国名。父も母も中国人。黄河上流、黄沙舞う大荒原で生まれ育ったという。両親はすでにない。
活躍の場は、日本、中国本土、そして香港。日本では歌手、中国、香港では映画に出演す
る女優だ。どこまでも澄み切ったその歌声は、悠久の時さえ超え、のびのびと爽快に地平の果てまで吹き渡る大陸の風だ。ときに疾風。黄沙を巻き上げ、激しい情熱が燃えたぎる。ときに微風。野の花をかすかに揺らして切なくささやく。ステージの中央で漆黒の髪が揺れ、琥珀の瞳がスポットライトを弾き返すとだれもが息を飲む。
「残念ながらわれら日本人には、あの感性がないんですな」。そういいながら、写真家が小さなケーキと上等なワインを彼女の席に持っていく。「ハッピー・バーズデイ。明日、誕生日ですね」。琥珀の瞳がぱっと輝いた。
深夜、六本木の酒場「L」は、小雨の中に佇む。水滴の筋がいく本も流れるガラス窓の向こうに、東京タワーが霞んでまたたいている。「ありがとう。明日からアジアに行きます。誕生日は香港で、と思っていました」。ガラス窓を通して彼女は、東京タワーを見た。その遥か彼方の故郷、風吹く大荒原を見た。
「彼女、本当は日本人らしいよ」。ゴシップ通の窓際のスタイリストがそっという。「中国なんか行ったこともないらしいわ」。そういう。「どうでもいいことです」。写真家が微笑する。
「六本木は、夢です。幻想です。幻想こそ、この街の命。そして、人生はまさに幻想です」。彼女の歌は、宇宙を漂う幻想だ。幻想こそリアル。そう思う。その後、彼女は、香港、中国、アジアを放浪し、行方は知れない。彼女が、ある国の諜報員だという噂も流れた。すでに生きてはいないだろう、ともいう者もいた。「琥珀のように永遠に煌くのも、人間の夢ですかな」。写真家がいった。
その夏、大陸からの風に乗って、黄沙が六本木に舞いおりた。
【GIAメルマガVol.182より】(たかの耕一:tagayasu@xpoint-plan.com)
■第七十話 離婚の理由 ■2012年5月17日 木曜日 9時50分14秒

女優の彼女が初めて脚本を手がけた映画が、世界の脚光を浴びた。
もともと脚本家のご主人が交通事故で入院し、その代役として彼女が完成させた脚本だった。その映画がフランスの映画祭で特別賞を受賞した。主演ももちろん彼女だ。「主人にいろいろ教えてもらったから書けたのよ」。六本木、酒場「L」のカウンターで、彼女はそう
言ってモナリザのように微笑んだ。
鮮やかなエメラルドグリーンのシャツが、デンマーク人を母にもつ彼女の神秘の美貌を引き立てる。祝福のロマネコンティを写真家が開けた。午前零時、「L」の仲間たちが集まって祝杯を挙げた。「あれって、あなたをイメージした作品なのでしょう?」。窓際のスタイリストがグラスを掲げながら尋ねた。「そう、主人が書き始めたときはそうだった。でも、途中からはヒロインがひとり歩きしたの」。皮肉なことに回復したご主人のその後の脚本が不評つづきで、彼女の脚本だけがヒットをつづけた。
離婚が報じられたのは翌年だった。「男の面子。これは男の嫉妬ってやつですな」。写真家がわたしに言う。「たしかに男のほうが嫉妬深いからね」。わたしも同意する。「それにしても、芸能界は厳しいです」。そう言う写真家の横でスタイリストが、「男って甘いわ」と意味ありげに微笑んだ。
離婚する前から彼女がある映画監督と同棲していたのを、スタイリストは知っていた。男の想像以上に、女の生き方はたくましい。ライトアップされた東京タワーを見上げ、あらためてそう思うのだった。
【GIAメルマガVol.179より】(たかの耕一:tagayasu@xpoint-plan.com)
■第六十九話 星の運命 ■2012年5月7日 月曜日 10時17分45秒

テレビで見る彼女には、黒いイメージがある。黒い衣装に身を包み、黒いコートを羽織り、そしてサングラス。占い師としてはまさに絵に描いたような装いだが、彼女には、絵画を超越したオーラがあった。日本人ではないという噂もある。
六本木、酒場「L」。日付が変わろうとする時刻、潮が引くように一瞬客たちの姿が消える。彼女は、ひとり奥の席にいる。まさにカリスマね、テレビよりずっと神秘的。窓際のスタイリストがふっとため息をもらす。
占い師は、奥のテーブルで、ひとり透明の酒を飲んでいる。蝋燭の光をおだやかに跳ね返す漆黒の長い髪、質のよいブラックパールのように深く澄み、内に向かって輝く黒い瞳。透明のグラスに映る彼女の黒真珠の瞳は、黒い星のようだ。襟元に炎のような真紅のチーフがまかれている。あとはすべて黒ずくめの衣装。「まるで宇宙そのものですな」。写真家が感心して首を振る。芸能人の結婚離婚を占う。世界情勢も占う。自然現象も占う。よく当たる。だが、彼女はきっぱりと言う。当たるのではない。星座とカードにそういう卦が出るだけ。
わたしの予想ではない。「でも、祈るのです」。占いに、アフリカの干ばつやアジアの洪水の卦が出ると、彼女は祈らないではいられない。彼女をアラブの女兵士だと記事にしたのは、B級芸能誌だった。そして、テレビにも出ることはなくなった。マスコミに浪費された彼女はやがて消えた。「どこでどうしているんでしょうな」。写真家が言い、「アフリカで子どもたちのために祈っているわよ。あるいは、南米のマヤ民族と暮らしているわ。絶対に兵士じゃない」。スタイリストが言う。
仲のいい記者がわたしにそっと教えた。「長野の農家に嫁いで二児の母です。静かに暮らしています」。彼女の人生を決めたのは星座だ。そう思った。窓の外で星が輝き、桜が風に揺れた。
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■第六十八話  泥だらけの天使 ■2012年4月5日 木曜日 11時35分32秒

ラッキーガールだとみんなが言った。デビュー作が大ヒットした。2曲目の歌が、甲子園の入場曲となった。天使の歌声と言われた。「ラッキーガールなんかじゃない」。彼女のマネージメントをしている女性が、唇をかんだ。
六本木、酒場「L」。日付が変わる時刻。「あの才能は本物よ、本物のダイヤモンド」。テキーラ・サンライズを飲みながらマネージャーは、また唇をかむ。「でも、まだ、原石。もっと磨きたいのよ」。そう言う。「楽しみね」。窓際のスタイリストがグラスを掲げた。テキーラ・サンライズのグラスが、なぜか力なく答える。
「やはり、本当なのね」。マネージャーが帰るとスタイリストが言う。「なにが?」写真家が聞く。「彼女、いまの事務所ともめているらしいの」。彼女の歌が巨額の売り上げを記録すると、彼女は事務所を離れて独立する、と言い出した。「彼女の父親が社長になって、新しい事務所を作るらしいの」。よくある話だ。「億を超える金は、人を変えますな」。写真家が言う。
1年も経たないうちに彼女の歌は聞かれなくなった。「やはり、事務所とのごたごたが響いたのね」。スタイリストがぼそりと言う。「天使が泥にまみれましたか」。写真家が言い、「歌を作るのは彼女だけど、ヒットさせるのは社会のシステムですからね」。わたしは言った。「いやですねえ、おとなたちは」。写真家が言う。
カランと扉の開く音がして、マネージャーが有望新人をともなって現れた。「たくましいですなあ、芸能界は」。写真家が言い、わたしがうなずく。
東京タワーの灯りが、そんな人間模様を見下ろしながら今宵もちかちか瞬いた。
【GIAメルマガVol.176より】(たかの耕一:tagayasu@xpoint-plan.com)
■第六十七話  雪女 ■2012年3月2日 金曜日 10時25分55秒

 雪が二日間降り続いている。六本木交差点が白いベールに包まれたのは何年ぶりだろう。午前零時の酒場「L」に客はいない。「今日は開店休業だな」。カウンターの写真家がそう言い、わたしの顔を見る。わたしは、窓の外に目をやる。降りしきる雪は止みそうにない。
 カランと扉の開く音。パタパタと真っ白いコートの雪を払って彼女はにこりと笑った。「いいですか?」彼女はそう言い、東京タワーの見える窓際に座る。髪についた雪の滴が真珠のようにきらきらと光る。ポケットからハンカチーフを取り出し、濡れた髪を拭く。それでもたくさんの真珠が髪に残り、間接照明の中でいつまでも光っている。
「そういえば、彼女、映画に出ていたな。スキー映画だ」。写真家が言った。「そうだ、スキー選手でもある」。見覚えがあった。オーストリアのスキー選手と結婚して引退したのだった。彼女は透き通るような横顔を見せ、静かに白ワインを口に運ぶ。
わたしはテーブルで原稿を書き、写真家はカウンターの奥に座っている。時間が止まり、雪は降りしきる。やがて、「あれ、彼女は?」。写真家が立ち上がって言った。「えっ?」。窓際のテーブルに彼女がいない。トイレか。それから30分。彼女は戻らない。扉の開く音はなかった。ここは3階、窓から出入りはできない。彼女のいたテーブルには飲みかけの白ワインのボトルがぽつんと置かれ、椅子は濡れている。雪はますます降りしきる。
「店、閉めるか?」。写真家がわたしの顔を見て言い「帰ろう」と、わたしは答えた。
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■第六十六話 雨神 ■2012年1月6日 金曜日 18時10分53秒

彼女のコンサートは必ず雨になる。
今年、1月から11月まで、月に一度行われたコンサートはすべて雨だった。「彼女が雨を呼ぶのよ」。ライトアップされた東京タワーを見ながら、スタイリストが細い手でグラスを握っていう。「そう、雨を呼ぶの」。
六本木酒場「L」は、まもなく午前零時を迎える。「それでいいの。彼女らしいよ」。同じテーブルのファッション誌の美人編集者がうなずく。彼女はシンガーソングライター。自分の作った歌を、アコースティックギター1本で、ひとりで歌う。伴奏にピアノがひとりつく。デビュー作の「デラシネ」がヒットし、どこかあやふやな独自の世界を作った。テレビには出ない。だが、テレビドラマの主題歌となった「トパーズ」がつづけてヒットした。決して明るい歌ではなく、むしろ哀しい歌だ。人の心に真っ直ぐに届く詩のファンも多い。哀しき歌姫と呼ばれた。
午前零時を越えたとき、入り口のベルがカランと鳴り、彼女が入ってきた。男連れだった。
「こんばんは」。素顔の彼女はクリスタルダイヤのように清々しい。「恋人よ」。あっけらかんという。奥のテーブルに着く。「あの恋はすぐ終わるわ」。「恋人かどうかわからないもの」。スタイリストと編集者が小声でいう。「あの子には神がいるね」。写真家がカウンターのなかでぼそりといった。「いますね、たしかに」。わたしは奥を見ながら答える。窓の外では、雨が降り始めた。「雨の神だね」。「この恋も雨に流されますかね」。東京タワーがぼやけて見えた。
GIAメルマガVol.170より】(たかの耕一:tagayasu@xpoint-plan.com)
■第六十四話 飢えた魂 ■2011年10月20日 木曜日 14時17分25秒

恋の噂の相手は、ボクシングの世界チャンピオンだ。彼女のデビュー曲は、わずか1ヶ月でミリオンセラーを記録した。こんなにひとの心を打つ歌手がいたのか、とだれもが思った。
デビューしたのは24歳、けっして早くはない。15歳のときから茨城県霞ヶ浦湖畔のスナックで弾き語りをやっていた。歌がうまいだけではない。哀しみの極みのような生まれ持った雰囲気がひとの心を打った。日本だけでなく、海外でも大人気となった。「あの人、不思議、まるで卑弥呼ね」。窓際のスタイリストがいう。
六本木、酒場「L」。午前零時。外は雨だ。彼女は奥の部屋でマネージャーでもある高校時代からの友人と二人で安いウイスキーを飲んでいる。時どき、黒く長い髪をかき上げる。サングラスをはずしている。憂いを含んで濡れた黒真珠の瞳が、卓上の蝋燭の光を浴びてチカリと輝く。ぞくっとする輝き。だが、その姿は物音にも怯える小動物を思わせる。突然、小動物が鋭く叫んだ。悲鳴にも似た一声だった。
怒鳴られたイタリア大使館員がすごすごとカウンターにくる。「国に帰る思い出にサインが欲しかった。悪いことをした」。「わかってる」。写真家が答える。マネージャーがカウンターにくる。「すみません」と大使館員に謝り、「こちらでちょっと飲んでもかまいません?」と聞く。「いいですとも」。
 写真家は棚から自分のウイスキーボトルを取り出し、彼女の前に置く。「いいの?」と奥の女優のほうに目配せする。「彼女、満たされなかったの」。「えっ?」「彼女、有名になって飢えた魂が満たされることを祈ったの。それでデビューしたの。でもダメみたい」。チャンピオンと噂になっているが、そのチャンピオンもまた、世界を制しても魂の飢えを消し去ることができない哀しい男だという。
 「恋なんかじゃないのよ」。だれもが黙ってしまった。時間が止まった。「ほんとの恋にならないかなあ」とスタイリストがしみじみいって、グラスをカランと鳴らして水割りを飲む。東京タワーの上に音を立てて稲妻が走った。奥の部屋で小動物がビクッと震えた。天才歌手と世界チャンピオンの交通事故死が伝えられたのは、1ヶ月後のことだった。
【GIAメルマガVol. 165より】(たかの耕一:tagayasu@xpoint-plan.com)
■第六十三話 アイラブ・ママ ■2011年10月6日 木曜日 11時14分32秒

彼女が恋をうしなった日に、彼女の母の新しい恋が始まった。輝く宝石にも似た母娘だ。パリコレのモデルの母は、19歳で彼女を産んだ。父はイタリア人のモデルだったが、二人は結婚をしなかった。母はカラーダイヤのように華やかで、彼女はホワイトダイヤのごとくどこまでもピュアな光を放った。娘の元彼が母の新しい彼だ。
「不思議よね」。スタイリストがいった。六本木、酒場「L」、今日が明日になる時刻。店は満員。1時間前から母と彼が奥のテーブルでワインを飲んでいる。
そこへ 娘がやってきて合流し、3人は陽気に笑いながらワインの新しいボトルを注文した。その席は、二つのダイヤモンドが輝くようにまぶしかった。「不思議だけれど、不潔感も不快感もないのよね。それがまた不思議」。スタイリストは、二人に好意を抱いているようだった。
やがて、母は仕事のためにパリへ旅立った。娘と母の彼、つまり娘の元彼の二人が「L」にきた。仲がいい。「だって、娘と父親ですもの」。彼女は当然のごとくいう。「ええと」。写真家が口ごもる。
「ええと、その」。「いっしょに暮らしてるかってこと?」。彼女がいう。「いっしょよ。親子だもの」。そこで彼女はにこっと笑う。「夜のこと?」。わたしたちは思わず身を乗り出す。「いっしょに寝てるわ。同じベッドで」。椅子から転げ落ちそうになる。「だって、ママがいるときは3人で寝ているわ」。
もはや、わたしの繊細な神経は理解することをやめた。「これが六本木ですかね」。写真家がカウンターでつぶやいた。「六本木ですね」。わたしは答えた。それ以後もスタイリストは母娘に好意をもっていた。その神経もまた、男には理解できないと思った。
GIAメルマガVol. 162より】(たかの耕一:tagayasu@xpoint-plan.com)
■第六十二話 ローレライ ■2011年10月6日 木曜日 11時13分57秒

彼女は、美しすぎた。トップを切って泳ぎ切り、スイミンググラスをはずして水からあがる時の憂いを秘めた瞳は、琥珀よりも深い神秘の色を見せて人々を魅了した。
プールサイドに立ち、スイミングキャップを取り、黒くしなやかな髪を振ると、黒髪に宿る命は見事に輝いた。オリンピック銀メダリスト。金メダルを取ったアメリカの選手以上に、彼女の美しさは際立った。
六本木酒場「L」。午前4時、彼女は奥のテーブルでひとり酔いつぶれている。「だれもわかっちゃくれないのよ、そう、だれもね」。彼女はそういい、テキーラを飲み続けた。
22歳の若さで引退し、スポーツキャスターとしてテレビ出演をし、テレビドラマにも出ている。彼女の名前のついた水泳教室も大人気だ。あんなに恵まれているのに贅沢なこと言うぜ。写真家が言った。
恋じゃないの。スタイリストが言った。女の感は鋭い。彼女は水泳コーチに恋をした。だが、彼には家庭があった。引退はそのためか。写真家が首を振る。彼女を見ていると、悲しい目でライン川を見つめる人魚を思い出す。ライン川より深い人魚の悲しみの深さをだれが知るだろう。そう思う。
もう、店を閉める時間だろ、わたしが言い、彼女がいたいだけいたらいい、と写真家が新しいワインを開ける。スタイリストは帰った。彼女がふらふらと頭をあげ、「ごめんなさい」と言った。テキーラをグラスに注ぐ。「だれもわかっちゃくれないのよ、そう、だれもね」。そう言ってテキーラを飲んだ。東京タワーに朝日が当たり、六本木の交差点が淡い光の中に浮かび上がった。車の音が耳に入り始める。「だれもわかっちゃくれないのよ」。彼女は
目を閉じてテキーラを飲み、そういい続けた。明日になれば彼女は笑ってテレビに出る、女とはそういう生き物さ。写真家が言った。
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■第六十一話 花咲く娘たち ■2011年8月4日 木曜日 10時3分10秒

3人姉妹だ。彼女たちの歌声は、素晴らしかった。日本人ばなれした声量と澄み切った声質、美しいハーモニーがテレビから流れると、だれもが画面に振り向くほどだった。
宝石に例えるなら、一番上の姉は、琥珀のように深く輝き、二番目の娘は、ルビーのように瞬間の激しい煌きをもち、三番目の末娘は、天真爛漫に光を放つダイヤモンドだった。彼女たちの歌には、太陽の明るさがあった。ボサノバのリズムに乗って、南国の風を届けてくれた。
六本木の酒場「L」に3人そろってやってくるとまるで南の島に咲く花のように華やかだった。まん中のルビーがとくに酒に強かった。ラム酒を浴びるほど飲んだ。「あの飲み方は異常ね」。酒に強いスタイリストも舌を巻いた。
3人のハーモニーの違和感に気づいたのは「L」の常連の作曲家だった。「声量も声質も変わらないけど、ハーモニーが微妙に狂っている。心がひとつになっていない感じだ」。作曲家がいったが、わたしにも写真家にもまるでわからず、相変わらず素晴らしい歌に聞こえた。3人の解散は突然訪れた。
あれほど仲のいい3人姉妹が解散するなぞだれも想像しなかった。「やっぱりハーモニーが合わなくなったのね。なぜかしら」。スタイリストがいった。「一番上の姉さんのご主人に、二番目が恋をしたらしい。噂だけどね」。そういったのは音楽雑誌の記者だった。
「真実はわからない。うちも取材はしない。あんなに美しい歌をみんなに聞かせてくれたんだからね」。心とはやっかいなものだ。わたしと写真家はその夜、彼女たちのレコードを聴きながら二人で朝まで飲んだ。だけど、心ほど素敵なものはない。そう思った。
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■第六十話 深夜のキューピット ■2011年6月17日 金曜日 9時59分40秒

恋の終わりについて彼女の見解はこうだ。世界一愛する人を、世界一憎むこともある。そういう恋の終わりは悲しい。
彼女はラジオの深夜番組のDJで、若者たちに圧倒的な人気を博していた。ラジオだけじゃもったいないからテレビに出てよ。六本木酒場「L」で、あるテレビディレクターが口説いたが、彼女は首をたてに振ることはなかった。なるほど、ディレクターが口説きたくなるほどの美女だ。彼女が放つオーラはどこか神秘的で、エキゾチックだった。抜けるように白く透明な肌。艶を帯びた漆黒の軽くウェーブのかかった髪。とくにその瞳は、見る角度によって黒曜石のように黒く輝いたり茶色を帯びて光ったりするのだった。
「でも、先週の恋の終りの話は、若い人にはちょっと残酷だったわね」。窓際のスタイリストが言った。「そうかしら、恋の終わりはきれいなだけじゃすまないものよ」。バーボンを飲みながら彼女が言う。
「どんな話よ」。カウンターの向こうで写真家が聞いた。「世界一愛する人が、世界一憎い人になるって話なの。恋の終わりの話よ」。スタイリストが言い、彼女は自信たっぷりに微笑んだ。
「実に現実的な見解だね。大人の感覚かもしれないな」と、写真家。「そうかしら、高学生だって十分に理解できると思うわ。愛のあるときは、どんなことを言われても美しく耳に響くけど、愛を失うと、どんなにいいことを言われても、すべて醜く響くものよ。それは大人だけじゃなくて、あらゆる恋や愛に通じるものだと思うの」と、彼女。「恋愛の達人の意見だから、説得力があるねえ」と、わたし。
たくさんの恋の応援をし、たくさんの失恋を勇気づけてきた彼女だった。その彼女が離婚をしたのは3か月後だ。「L」に顔を見せることはなかった。「愛する人を憎むようになったのかしら」と、スタイリストが言い、わたしは、そうでないことを願った。「黒い天使になったかねえ」と、写真家がぽつりと言った。番組も終わった。
■第五十九話 午前零時のシンデレラ ■2011年5月19日 木曜日 10時52分8秒

順風満帆とは彼女のことだ、とみんなが思った。モデルでありながら小説を書き、直木賞を獲得した。映画に出演し、好評を博した。シンガーソングライターとして、デビューした。愛車ジャガーを自分で運転し、いつもきらきら輝く彼女を「六本木のダイヤモンド」とみんなが噂した。
六本木酒場「L」の客は終電近くに一度ぐっと減る。彼女はいつも12時過ぎにやってくる。扉を開け「なるほどダイヤモンドだ」と思わせる輝く瞳を見せてくれる。黒ずくめの衣装が、かえって彼女の輝きを引き立てる。
170センチを越える長身だった。「ダイキリ、お願い」。彼女は、カウンターに座り、いつものカクテルを注文する。疲れている様子。写真家が「働きすぎじゃないの」と声をかける。「結婚しちゃおうかな」と彼女がいう。「プロポーズされているんだね」。「山ほどね」。窓際のスタイリストが小声で「これで金持ちと結婚したら、まさにシンデレラね」とわたしにいう。彼女が沖縄出身の貧しい娘だったことをスタイリストはいっているのだ。
その通り、彼女は麻布の事業家の御曹司と結婚した。理想的なサクセスストーリーを彼女は歩んだ。幸せすぎると不安になる。「どこかでつまずかなければいいけどね」。スタイリストの言葉にわたしはうなずいた。
たまに「L」に顔を出しても夜の8時半にはさっと引上げる。門限が9時なのだ。彼女の顔からダイヤモンドの輝きが消えているのが気になった。好きなダイキリも飲まない。やがて、彼女はダイヤモンドの輝きを取り戻した。むかし通りに午前零時すぎに「L」にくる。芸能誌紙が、彼女の離婚を報じたのはそれからすぐのことだ。
「大変だったね」。カウンターでダイキリを彼女は飲んでいる。「ううん」。彼女ははつらつと笑う。「慰謝料、数億円もらったらしいわよ。さすがシンデレラね」。スタイリストがそっといった。わたしは振り向いて彼女の横顔を見た。結婚前より彼女は美しく輝いて見える。「女は強いなあ」。女性のしたたかさにわたしはぶるんと震えた。スタイリストが、当然よ、といわんばかりに悠然とグラスを口に運んだ。
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■第五十八話 オーバー・ザ・トップ ■2011年5月10日 火曜日 13時24分6秒

そんなに強い女性には、彼女は見えなかった。むしろスリムな体型に見える。ただ、確かに右腕は太かったが、それが体全体のバランスを崩すほどではない。全米女子アームレスリングチャンピオン。それが彼女の肩書だった。
彼女はアイルランド系アメリカ人。濃いブロンドの髪、知的な広い額、深いコバルト色の瞳が宝石のように輝く。日本のテレビ局に招かれ、当時はやりはじめたバラエティ番組で、多くの芸能人とアームレスリングをやって見せ、驚くほどの強さを見せた。やがて、その美貌と聡明さが買われ、テレビ局のコメンテーターとして活躍することとなった。
 「本当に彼女、そんなに強かったのかね」。六本木、酒場「L」のカウンターで写真家が言う。「彼女がごっついおばちゃんなら強く見えるけど、あの美貌じゃね」わたしは、コバルトブルーの瞳を思い出しながら答える。男の概念として、美しさと強さは同居しないと思うわたしは古い人間だったかもしれない。そんな彼女を「L」に連れてきたのは、映画配給会社の女性プロデューサーだった。
「ハリウッド映画の出演を彼女に頼んでるの。もちろんアクション映画よ」。目の前のコバルトの瞳がはにかんだ。「ねえ、彼女、本当に強いの」。窓際のスタイリストが無遠慮に聞くが、わたしたち全員の知りたいところだった。映画プロデューサーが彼女の耳元でささやく。彼女はにこにこ笑いながらしきりにうなずき、プロデューサーに答える。「失礼でもなんでもないそうよ。世界中どこでも同じ質問をされるみたい。彼女の答えはいつもひとつ、自分で試してごらんなさい、それだけだって」。
 写真家が腕をまくって挑戦し、次にわたしが挑戦した。まるで歯が立たない。力を入れる前に負けている。彼女が笑ってプロデューサーに言う。「だれかひとりでも彼女に勝てたら、今夜の全部のお客さんのお酒は彼女の奢りにするそうよ」。以前、マドリッドの酒場でも同じことがあったが彼女に勝てる男はいなかったと言う。酒場「L」はアームレスリング会場と化した。男たちが列を作る。女性も並ぶ。男の中には、手を握るだけでもいい、という不埒な者もいる。午前2時。ひとりも勝てないまま競技終了。彼女はまくっていた右腕のピンクのシャツを下ろしながら「もうゆっくり飲んでもいいかしら」と、プロデューサーに言った。写真家とわたしは、大事にしまっておいたロマネコンテを1本プレゼントした。アームレスリングはただ力だけじゃない、日本の合気道のように、どこに力を入れ、どうすれば相手の力を封じ込めるか、それが大事なの。彼女から日本の武道精神を教わった夜だった。「本当に強い。参りました」。そう言って彼女にワインを注ぎにきたのは
最後に負けただれでも知っているプロレスラーだった。
【GIAメルマガVol. 154より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)
■第五十七話 〜元祖六本木族〜 ■2011年4月7日 木曜日 9時57分42秒

東の空が明るくなる頃、車も人の姿もない六本木の交差点から神谷町に向かうあたりの大通りを、素足のままふらふらと歩く。
酔っている。広げた両手に靴を持ち、大通りの真ん中をなにか口ずさみながら歩く。それが六本木族のイメージで、そんなイメージをつくったのは彼女だった。
六本木族は、俳優や歌手の卵たちの集まりで、次の芸能界をつくる若者たちとして羨望の的だった。午前3時、六本木、酒場「L」はまもなく店じまいだ。「最近テレビにも出てないわね」。窓際のスタイリストが、最後のカクテルを口に運びながら、奥の部屋をのぞく。カウンターの向こうでグラスを拭きながら写真家も奥の部屋に目をやる。年老いた彼女が一人でウイスキーを飲んでいる。「映画にも出てないしな」。六本木の世代交代は早く、非情だ。人々も才能も一瞬の風のように、なんの感情もなく吹き抜けていく。彼女が立ち上がり、さびしい笑顔を残して扉を出ていく。「ありがとうございました」。写真家がていねいに頭を下げ、わたしは彼女に大通りを素足で歩いてほしいと願った。
「マリブに別荘を持っているらしいわ。アメリカに行ってしまうのかな」。それも似合うな、彼女には。わたしはそう思った。だが、彼女は翌年のNHK大河ドラマの準主役で登場した。美しく、はつらつとしていた。六本木には不思議な力がある。
【GIAメルマガVol. 152より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)
■第五十六話 〜望郷のマナウス〜 ■2011年3月3日 木曜日 10時50分31秒

六本木、酒場「L」のカウンターの右隅に水槽がひとつ置かれている。小さなガラスの水槽で、2匹のミドリガメが泳いだり、じっと息をひそめて客をにらんだりしている。
写真家が水槽の上からぱらぱらとカメに餌をやりながら言う。「どうしてるのかな、彼女?」「そうねえ」。わたしもカメを見ながらウイスキーを口に運び、彼女に想いをはせる。
彼女が「L」にきたのは去年の初め。ブラジルからきたモデル。やけた肌。黒い髪。少年のような精悍な顔立ち。黒ダイヤのような深く、引きこむ瞳は、いつもきらきら輝いた。引き締まったプロポーションを鮮やかなイエローのシャツとパンツで包み、2匹のミドリガメを手に彼女は「L」の扉を開いた。「預かってくれませんか?」彼女は、写真家にカメを差し出した。「マナウスは、アマゾンの河口の街。川というより、もう海ね」。白い砂浜や果てのない水の彼方に沈む美しい夕陽の話を、ジンを口に彼女は話す。「向こう岸はもちろん見えない。遺跡もあるし、宇宙人もよくくるわ」。「遺跡はわかるけど、宇宙人て、嘘っぽいわね」。窓際のスタイリストがワイングラスを手に言う。
「UFOもくる。何回も見たわ。街の人たちはみんな、見てるもの。島の遺跡に書かれた宇宙文字を読める人も多い。お年寄りは、UFOと交信もできるの、口をぶうぶう鳴らしてね」。彼女は売れっ子モデルとなった。テレビ局がアマゾン紀行の撮影を企画して、クルーが彼女とともにブラジルに出かけたのは秋だ。マナウスからアマゾンの奥地を目指す。3回に分けて放映する予定の特番は1回で終了した。「でも、本当かしら?」と、スタイリスト。「UFOかい?」と、写真家。「そう、本当に映ったのかしら?」そうらしい。表向きには、クルーの一人が事故で怪我をしたことから、放送打ち切りとなった。だが、カメラマンは、大空に走り回る光を数時間数日間にわたって撮影したと言う。UFOは、夜も昼も飛びまわったと言う。映像はなぜか公開されていない。彼女はそのまま帰らず、ミドリガメは目の前にいる。クルーのうち5人が、まだ帰らない。
【GIAメルマガVol. 150より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)
■第五十五話 〜シャドウレディ〜 ■2011年1月6日 木曜日 11時29分30秒

初めは楽しかったのよ、たしかに。彼女は言った。「どこへ行ってもたくさんの人の視線を浴びるのは、気持ちのいいものだわ」。彼女は顔の半分を隠すマスクを取り、キャップを脱いだ。六本木酒場「L」のカウンター。午前零時を過ぎ、引き潮のように客の姿が遠のいた。マスクを取った彼女は驚くほど美しい。ボリュームのある長い髪は濡れているように輝き、輝きは髪自体から放たれているように見えた。広い額は無理のないカーブを描いて穏やかな切れ長の目にたどりつき、瞳が、まっすぐにライトを当てられた黒真珠のように、きらめくのだった。話の合間にまばたきすると、黒真珠はそれ自体意志あるもののように相手に話しかけた。
ハリウッドを拠点に、アメリカ映画、フランス映画に出演する国際女優。それが彼女だ。日本に半年もいない。「今年は日本で年を越すの」と言う。でも、彼女は、そんな大女優の影武者、シャドウだと言う。本番以外のシーンには女優のかわりに彼女がカメラの前に立つ。「シナトラはどう?かっこいい?」スタイリストが聞く。「エルビスに会った?」そんな時、彼女は答えず、美しい唇を少しだけ開けて微笑むのだ。年が明け、しばらくすると「ありがとう」と言い残して彼女はアメリカに飛び立った。
「いや、たしかに美しかったな。一度写真を撮りたかったな」と、写真家。「あれが影武者だとしたら、本ものはすごい美人だろうな」と、わたし。赤いカクテルを飲む彼女を思い出していた。「ばかねえ」。スタイリストが言った。「あの人、本ものよ。本もののほうよ」。わたしも写真家も本ものであることを知っていた。彼女がシャドウレディでいたいという気持ちを理解していただけだった。
【GIAメルマガVol. 146より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)
■第五十四話 〜隠しきれない情熱〜 ■2010年11月18日 木曜日 7時2分5秒

それは日本画を超えていた。フランスで喝采を浴びた彼女の作品は、「さくら」という題がつけられ、日本を象徴する桜の満開の様子をモチーフにしていた。
だが、それは彼女の頭の中に描かれた桜で、私にはいっこうに桜に見えない抽象画である。押し殺してもこぼれ出る華やかさと隠しきれない情熱のほとばしりがあると評価され、これこそ日本の心であるという最大の賛辞を受けた。
彼女は、フランス人の母と日本人の父をもつ。六本木の酒場「L」に現れた彼女は、若いフランス女性の弟子を連れていた。黒いニットのタートル、銀色のパンツ、髪も銀色に染めていた。縁なしメガネの奥に輝く瞳は、光を浴びて妖しく光るブラックダイアモンド。
「ねえ、あれ、ほんとに桜なの? 桜を見て描いたの?」窓際のスタイリストが無遠慮に聞く。「上野公園の桜。小学校の頃、見たの。」彼女は笑う。「桜なのにピンク色、ないのね。」とスタイリスト。「そうね。」彼女はうつくしい弟子に妖しい目を向ける。深い漆黒の背景に、あらゆる色が命をもつもののように飛び交っている絵。そこに桜の花びらもなく、ピンクの色もない。
そんな彼女に恋する男も多かった。野球選手、編集者、テレビ局のプロデューサー、サラリーマン。だが、彼女はいっさい取り合わない。「ありゃ、かぐや姫だぜ。惚れた男たちは哀れだな。」写真家が首を振る。やがて彼女は六本木を去った。月に帰ったのではない。うつくしい弟子とニューヨークに移り住んだのだ。落胆する野球選手に神谷町のゲイバーのママが言った。「バカねえあんた、彼女、あの弟子とできてるのよ。隠しきれない情熱よ。フランスから逃げてきたのね。」写真家と私は目を見合せた。
男には理解できない女性の不思議な感覚に触れた瞬間だった。隠しきれない情熱の絵の中に確かに世界が評価する日本がある、と愕然とした。「ううん、日本どころか女は世界よりでかくて深いのよ。」とゲイバーのママが小さく笑った。
【GIAメルマガVol. 143より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)
■第五十三話 〜真実は時のかなたに。〜 ■2010年10月22日 金曜日 2時41分16秒

どうしてそんなことまでわかるの?
だれもが目を見張り、あきれかえるほどクイズ番組での彼女の正解率はすごかった。頭の良くなる本を出版しベストセラーになり、旅番組のレポーターとしても活躍した。お嬢さんさん学校といわれていた彼女の出身校まで学力優秀校として有名になった。
六本木酒場「L」での彼女はごく普通の知的な女性だった。ワインについても博識で、ルビー色に輝くワイングラスを掲げてワインの説明をするとき、彼女の瞳もルビー色に染まった。あるとき芸能紙が、クイズ番組の問題と解答が前もって彼女に知らされていると暴露した。マスコミに作られた天才だと報じた。彼女はみんなの前から消えた。「そうね、確かにやり過ぎよ」スタイリストが言い、「でも、才能はあったと思うけどね」と、写真家が言った。
翌年、アメリカのクイズ番組で彼女は全問正解の快挙を遂げ、一躍有名人になった。「やはり本物の天才だったか」わたしが言い「でも、アメリカでも同じことやってるんじゃないの」とスタイリストが言った。「どっちにしろ、暴露記事は後味が悪いな」写真家が言った。真実は時のかなたに。ルビーの瞳を思いつつ、さびしい目で見る窓の外で東京タワーの灯りが瞬いた。
【GIAメルマガVol. 141より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)
■第五十二話 〜イナズマ〜 ■2010年10月7日 木曜日 3時57分1秒

ただのレースクイーンではなかった。彼女は、自分でもハンドルを握ってレースに出場した。優勝こそしてはいないが度胸のいいレース運びに「イナズマ」と呼ばれた。
ブラジル人の母と日本人の父を持つ。髪は漆のように黒く、肌は小麦色。透明感のある瞳は琥珀を思わせる。背はさほど高くはないが、小顔とバランスのいい体型で脚がすらりと長く見える。
六本木酒場「L」。午前零時を回ったところ。カウンターで彼女はテキーラを飲んでいる。一度脱いだところを撮らせてほしい。写真家が口説いている。「優勝したら考えるわ。」彼女の琥珀の瞳の奥で小さな炎が燃えた。飲むと南国特有の色香が漂う。日本人には出せない天性のものだ。「300キロ出してもコース上の小石が見えるわ。」彼女の言葉にわたしは息を飲む。「スピードにほんの少しでも恐怖心を覚えたらレーサーはダメね。」ね、一度撮らせてくれ。写真家がまたいい、彼女は笑った。彼女はテキーラをあびるように飲んでも自分でスポーツカーを運転して帰る。そして、横浜の堤防に激突して死んだ。21歳の若さだった。優勝はしなかった。写真、撮ってあるんだ。写真家が言った。これからだったね。わたしが言った。カウンターの棚に彼女の写真を掲げ、テキーラを飲んだ。窓の外に閃光が走った。「イナズマね。」スタイリストが言った。
【GIAメルマガVol. 140より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)
■第五十一話 〜モナリザの哀しみ〜 ■2010年8月19日 木曜日 0時59分19秒

彼女の自画像を破格の値段で買い取ったのは、ヨーロッパの画壇だった。ダビンチの再来と評されたその絵は事実上彼女のデビュー作だった。筆の流れといい、色の乗りといい、深さといい、陰影といい、まさにダビンチのモナリザの微笑を想わせる品格を備えた絵だった。
彼女は一夜にして有名人になった。だが、彼女はその後二度と絵筆を取らなかった。六本木、酒場「L」のオープンは午後8時だ。その日、彼女は8時過ぎに現れた。深いエメラルドグリーンのジャケットに身を包んだ彼女は、テレビで見るよりはるかにスリムだった。スコッチのシングルモルトを彼女は飲んだ。21歳ということだがもっと大人に見えた。「全部贋作になってしまうの」彼女は言った。店には写真家とわたししかいなかった。
「贋作って、ニセモノってことかい?」写真家が言った。「そう、ニセモノ。贋作作家」。わたしには不思議だった。「本モノを描けばいいじゃない」。写真家がそう言った。わたしもうなずく。彼女はさびしく笑い、「天才なの、わたし」と言った。それは世間が認めた。「どんな絵でも1分見ているとすべて記憶して同じ絵が描けてしまうの。だから全部贋作になってしまうの。幼稚園の頃から」。写真家とわたしは顔を見合せた。
「自分の絵が描けないの。全部贋作。モナリザから逃げて命がけで描いた1枚があの自画像だったの」。シングルモルトを3杯飲んで、他の客がきて店が混み始める頃彼女は帰った。「天才だね」と写真家が言い、「天才だ」とわたしが答えた。「哀しいね」と写真家が言い、「哀しいね」とわたしは答えてグラスを空けた。
作家の最も手に負えない壁は自分の中にあることをわたしたちは知っている。その後彼女はフランスに渡り、美術評論家となり、その緻密な評論で有名になった。
【GIAメルマガVol. 137より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)
■第五十話 〜愛しのアンコールワット〜 ■2010年8月5日 木曜日 8時4分13秒

女優の彼女は、危険を承知でアンコールワットに向かった。それは、もう一つの顔である報道写真家としての彼女だった。一か月の取材後、銀座で開いた写真展は好評だった。入口に掲げられたライカを構える彼女の写真は、アンコールワットの写真よりも評判になった。彼女はまさしくアジア的美女だった。目鼻立ちのはっきりした顔。漆黒の瞳は黒いダイヤモンドを想わせる。
「彼女、知的なキャラクターで売りたいのよ」。六本木、酒場「L」は、今日が昨日になる時間だ。「ジャーナリストぶりっ子ね」。窓際のスタイリストが言う。わたしは、そうではないと思った。むずかしい言い方だが、彼女の心が真実に向かうのだと思った。扉が開き、彼女が入ってきた。にこりと微笑み、レーバングリーンのサングラスを右手で取ると黒ダイヤの瞳がきらりと光った。
陽に焼けた肌を白いシャツで包み、シャツの裾を腰の前で結んでいる。黒いパンツ。黒いキャップ。行動する兵士のようなファッションだ。「また行くのかい?」。カウンターの写真家がバーボンを彼女の前に置きながら聞く。「うん」彼女はうなずき、魅力的に笑って見せた。彼女はテレビドラマに2本出演し、突然ベトナムの富豪と結婚して、世間を驚かせた。だが、その直後、ライカを持ってジャングルに消えた。
富豪は高額の懸賞金をかけて彼女をさがしたが行方不明のままだ。ある日、ベトナムの子どもの写真を手に写真家が言った。「この写真、彼女の作品だぜ」。そうだ。わたしも直感的にそう思った。「不思議な子、女優でいればいいのにね」。スタイリストが言った。彼女は行方不明のままだ。だが、自分の生き方を見つけたなとわたしは思った。
【GIAメルマガVol. 136より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)

■第四十九話 〜卑弥呼〜 ■2010年7月1日 木曜日 3時0分22秒

彼女は霊能者。テレビ各局に引っ張りだこだった。霊を感じるだけでなく末来を予知し過去と会話をした。有名タレントの守護霊を呼び出し、行方不明者の足取りを当て、アジアの巨大地震を予知した。卑弥呼と会話する番組で九州を旅し、卑弥呼はひとりじゃない、5人の卑弥呼と話したと言い、歴史学者を唖然とさせた。
以来、彼女は卑弥呼と呼ばれた。深い湖のような神秘の色のトパーズのペンダントを胸にさげ、テレビ出演する彼女は同じ色のカラーコンタクトをつけていた。六本木酒場「L」でシングルモルトウイスキーのグラスを手にして彼女は言った。「霊感がなくなるわ」。スタイリストが言った。「その予知が当たらなければいいわね」。
他に客はいない。静かな夜。「マスコミが彼女を消耗品にしたね」。写真家がわたしの耳元でそっと言った。「だいぶ無理させているのは確かだね」。わたしは答えた。
 1年後、彼女は引退した。普通の女の子になった。故郷の市役所で働いているという噂だったが、マスコミは興味を示さなかった。「幸せだよ、きっと」。写真家がいい、わたしはうなずいた。「でも彼女、本当に霊感があったのかしら」。スタイリストが東京タワーの灯を見ながらぽつりと言った。カランと扉が開く音がした。「霊感はまだあるわ」。卑弥呼が笑って立っていた。
【GIAメルマガVol.134より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)
■第四十八話 〜ジャーマンスープレックス〜 ■2010年5月20日 木曜日 2時24分9秒

スポットライトを浴び、美しい弧を描きながら宙を舞う二つの体。夢の中の光景のよう。スローモーション。満場の観客は息を飲んで見守るだけ。マットに落ちバウンドする二つの体。見事な曲線のブリッジ。テレビや雑誌で誰もが知っている曲線だ。レフェリーがマットを三つ叩く。一瞬のため息。続く拍手と歓声の嵐。理想のジャーマンスープレックスホールド。その技は彼女の代名詞だ。そう、リングの上で手を高く上げ、勝利を宣言する彼女は女子プロレスラー。すらりと伸びたスレンダーな体は、格闘技のチャンピオンというより宝塚の男役を思わせる。事実、彼女には女性ファンが圧倒的に多い。黒い革ジャンと黒革のパンツ。短くきりっとまとめた黒い髪。試合のときに見せる目は黒く深く、黒真珠の輝きだ。時おりみせる表情が少年の無垢を感じさせ、俊敏な動きが草原の野生動物を思わせる。
夏の初め、六本木の酒場「L」に彼女を連れてきたのは、窓際のスタイリストだった。彼女、私の高校の後輩なの。あの技を封じるのよ。あの理想のジャーマンをか? 写真家が言う。
許さないでしょう、ファンが? わたしが言う。やめて。彼女が小さく言った。ごめん。でもね。スタイリストが言う。ここでは本音が言えるよ、大丈夫。うん。彼女がうなづく。アブサンあります?彼女が言う。アブサン?飲むの?アブサン?写真家が驚く。誰しも認める強い酒だ。あげて。スタイリストが言う。あのジャーマンで相手が怪我したのよ、きょうの試合で。写真家が黙ってアブサンをボトルで渡す。つきあうね。スタイリストが言う。翌週の週刊誌に彼女が怪我をさせた相手の選手の意識が戻らず、彼女がずっと病院に詰めているという記事が載った。
病院前に彼女のファンが集まった。だが、彼女はそのまま姿を消した。相手の選手は植物人間のまま、去年死んだ。影のない光はないな。店を閉めながら写真家が言う。光と影はひとつです。わたしが言う。彼女に罪はないのに。スタイリストが言う。ビール、飲むか? 写真家が言った。幻のジャーマンスープレックス。彼女の消息を知る者は、いまもいない。
【GIAメルマガVol.131より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)
■第四十七話 〜デュオ〜 ■2010年5月6日 木曜日 6時30分47秒

下積みの長い彼女にデビューのチャンスが訪れた。歌が歌えればいいの、と言っていた彼女だが、メジャーデビューのうれしさを隠しきれなかった。男性歌手とデュオでデビューする。いい曲なの、聞いて。酒場「L」のカウンターで彼女は写真家にテープを差し出した。
終電が行き、引き潮のように客が帰った酒場には、気の抜けたような頽廃的な空気が漂っている。これもまたいかにも六本木らしい空気だ。ねえ、どんな曲? 窓際のスタイリストが身を乗り出す。聞いてみるかい?そう聞くようにわたしを見る写真家に頷いて答える。鼻に抜けるようなハスキーな女性ボーカルに続いて男性ボーカルがかぶさり、歌声は明け放った窓から夜の六本木に流れる。男性ボーカルはただ声がいいだけだ。女性ボーカルの歌には感情がこもり、わたしの心を打った。だれの心も揺さぶる不思議な魅力を秘めた歌声だ。糸の切れた風船が強風にあおられるように、わたしの心は上へ下へ彷徨い右へ左へ流されるが、それでいて妙に安らぐのだった。
これはいけるね。写真家が言った。売れるわ。スタイリストが答えた。歌は「琥珀色のふたり」というタイトルで、3月に発売された。発売されてすぐにヒットチャートに乗り、4月に入るとついに1位に輝いた。ユーセンを通して六本木の店々に歌は流れた。「それでいてなにも言わず」の女性ボーカルに「疑いは琥珀色の夜明けの霧」と男性ボーカルの声が乗る。夜明けの「L」のカウンターに酔い潰れた彼女がいた。あり得ないわ。悪い夢よ。スタイリストが叫んだ。いや、あり得ることだ。残念ながらね。写真家がグラスをナプキンで拭きながら言った。このボーカル、彼女じゃないとさ。写真家が店に入ったわたしに言った。いわゆるダミーってやつだな。男はダミーじゃないんだ。女性だけ入れ替わったんだ。彼女はふらりと立ち上がり、グラスをカウンターから落したまま、よろめきながら扉の向こうに消えた。
 「疑いは琥珀色の夜明けの霧」。ユーセンから歌が流れた。大丈夫かな。わたしが言う。大丈夫さ。写真家が言う。これが六本木さ。これが現代ってやつだな。赤味の射した窓の外をスタイリストがのぞいた。
【GIAメルマガVol.129より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)
■第四十六話 〜フライング・ラブ〜 ■2010年3月18日 木曜日 1時53分59秒

彼女は雲の上の人だ。だれもが憧れる有名航空会社の客室乗務員、いまで言うキャビンアテンダント。とても美人だ。文字通り、男たちには雲の上の人だった。
父は日本人のパイロット、母は中国人の女優だ。すっきりと背が高く、きりっと引き締まった小顔、印象的な黒い瞳はピンライトをはじき返してダイヤモンドの輝きを見せた。香港生まれ、香港育ち。まさに東洋の神秘だな。カウンター越しに写真家が言う。
 午前零時。六本木酒場「L」には週末のなめらかな時間が漂っている。巨人の内野手と恋の噂があるわ。窓際のスタイリストが言う。ほほう、芸能人並みの人気ですな。写真家が言い、わたしは奥のテーブルにいる彼女を見た。同僚のキャビンアテンダント三人と円形テーブルでイタリアワインを飲んでいる。そのテーブルをわれらは売れっ子テーブルと呼んでいる。人気絶頂気の者だけが座る。軽い音がして扉が開いた。
 二人の男が入ってきた。一人はイタリア人、もう一人は日本人で、ともにモデルだ。イタリア人モデルが顔見知りの写真家に指で奥の彼女たちと待ち合わせていることを伝え、奥に向かう。彼女たちが歓声を上げて迎える。お盛んなことで、写真家が言い巨人の内野手じゃないね、とわたしが言った。扉が開いた。あら、とスタイリストが目を見張った。巨人の内野手だ。女性連れだ。お、やばいシュチエーションか。写真家が小声で言う。内野手が奥のテーブルに行く。彼女の近くだ。二人は知らん顔をしている。さて。われらは、サプライズを期待しながらも、無事に過ぎればいいな、とも思う。3時間が過ぎた。何事もなく、そろそろ店じまいだ。彼女とイタリア人モデルが立ち上がり、たがいに笑いながら帰ろうとする。腕を組む。突然、内野手が立ち上がり、イタリア人モデルを殴り倒した。いやはや。あっけにとられているうちにみんなは三々五々に帰った。彼女と内野手の結婚が決まったと週刊誌に出たのはその直後だ。
スタイリストが、やるわね彼女、と言った。写真家とわたしは、なんのことか真意を測れないが、女性のしたたかな計算を感じた。女性は強い。そして、かわいい。写真家とそっと乾杯をする。
【GIAメルマガVol.127より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)
■第45話 〜ツタンカーメン〜 ■2010年2月18日 木曜日 1時11分52秒

オリンピック候補になって彼女の人生は大きく変わった。白衣に身を包み考古学研究室の奥でツタンカーメンと向き合う日々だった。学生時代から続けていた陸上競技でいい記録が出た。マスコミが飛びつき、彼女の日々を変えた。
メガネをコンタクトレンズに変え、明るいファッションに身を包んでテレビ局に向かう彼女は驚くほどの垢ぬけ、驚くほどの美貌の持ち主に変貌した。化粧品会社がコマーシャルの出演契約を依頼したとも言う。クイズ番組に出演しても女優以上に輝いた。エジプト古代史の研究と知識、切れ味のいい話ぶりが人々の関心を引いた。
六本木酒場「L」午前零時を過ぎた。窓際のスタイリストと彼女がカクテルを飲んでいる。芸能人になる気がなかったら、研究室に戻りなさい。いつか自分を失うわ。年上のスタイリストが助言している。陸上の練習だって大変じゃないの。オリンピックが近いでしょう。そう声をかける写真家に振り向く彼女の瞳は、クレオパトラを飾るダイヤモンドのように輝き、こちらを強く引き込む。わたしは、ツタンカーメンの瞳にはめ込まれた隕石の衝突で生まれた宝石砂漠の景色を思い出した。不思議な魅力だった。
はい、オリンピックが終わったら研究室に戻ります。彼女が言う。芸能界に興味はありません。アルバイトです。写真家がわたしの耳元で言う。でも彼女、女優にしたいねえ。彼女はオリンピックの最終選考にもれた。同時にテレビ出演もなくなった。研究室にもいないらしいわ、とスタイリストが言った。
1年以上が過ぎた。ねえ、あのツタンカーメンの彼女、エジプトの大学に移ったらしいわ。それがいちばんだ。女優にしたいくらいだったがね。写真家が言った。彼女がヨーロッパで旋風のように話題になったのは次の年、フランス映画に主演女優として出演したからだ。イタリアの映画監督と結婚していた。写真家がなにも言わずわたしの顔を見、わたしもなにも言わずに写真家を見た。
【GIAメルマガVol.125より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)
■第44話 作詞家ポリス ■2010年2月18日 木曜日 1時11分11秒

新進作詞家の彼女を警察官だと言ったのは、レコード会社のプロデューサーだった。 年齢不詳で、まあ30歳前後に見える彼女は、頽廃的なアメリカンタッチの詩を書いて 若い娘たちに人気を博し、その美貌で男たちの心を捉えた。
上質の黒真珠のように輝く漆黒の瞳と長い黒い髪で、彼女はいまでいうネイティブ、アメリカインディアンの血が混じっているのだ、という噂も流れた。その噂のもとが夕刊のスポーツ紙だったから、真偽のほどはわからない。
六本木の酒場「L」でバーボンウイスキーをストレートで飲む彼女は、ときおり流暢な英語を話すが、警察官の話をもち出すと曖昧に笑うだけだ。どうなのよ。窓際のスタイリストが芸能記者に聞く。彼女、本当にポリスなの? ミネソタ州まで調べに行きましたよ。確かに写真も年齢も名前もまったく同じポリスがいたようです。2年前にポリスを止めてから消息がわかりません。確証がないんです。芸能記者が答える。そんなことくらいは、アメリカの警察は金を出せばやってくれる。写真家はそう言う。あきらかに疑っている。まあ、売りだす常套手段だな。
六本木に間もなく次の朝がくる時間。写真家はすでにわたしといっしょに飲んでいる。よう、あんたはどう思う?なにが?彼女よ。本物か?ワインを飲みながら聞く。わからない。どっちでもいい。彼女の詩がよければ、それでいいんだ。わたしは答える。奥の席にいた彼女は立ち上がり、帰ります、と静かに笑った。写真家が右手で合図すると、彼女は同じように右手で答える。彼女は扉を開け、出て行く。おい、いまの合図はナバホの合図だ。彼女、答えたよな。答えたよ。ありゃ、本物かもしれないぞ。常套手段じゃないのか。あの合図は、おれがナバホの撮影に行ったときに酋長に教えてもらった合図で、神に誓うって意味だ。彼女はもう引退していま行先は不明だ。アメリカに帰ったという者もいる。だが、今夜も六本木に彼女の歌は流れ、クリスマスの照明が灯る東京タワーがそれを聞いている。彼女がポリスかどうかが問題ではなく、その詩はとてもいいのだ。詩は詩としての輝きを放っている。芸能界の謎は、わたしには最初からただのおとぎ話だ。
【GIAメルマガVol.120より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)
■第43話 ラビット ■2010年2月18日 木曜日 9時39分58秒

彼女をラビットと呼んだのは週刊誌の女性記者だ。おとぎ話の「ウサギとカメ」の話の中で、駈けっこの途中で昼寝をしてカメに負けてしまったウサギに例えてラビットと呼んだのだ。
彼女は、歌のうまさでは天才的だったし、ダイヤモンドのようにどこまでもクリアな声をしていた。同時に7色と評される幾層にも輝く声質の豊かさは、プロの間では美空ひばりの再来とさえ評価された。デビュー曲は大ヒットし、歌は街中にあふれ、NHKの紅白歌合戦にもノミネートされたが、なぜか彼女のほうから出場を辞退した。同じ二十歳でデビューした下積みの長い歌手が彼女の代わりに紅白に出場した。
ラビットは、それから数カ月間、テレビにも出なかったし、ライブ活動もしなかった。人前に出ることがなかった。その間に下積みの長い歌手は、じわじわと人気を高めていった。突然彼女が二曲目の歌をリリースしたのは次の年の夏だ。デビュー曲以上の人気を博し、テレビやラジオに彼女の出ない日はなかった。下積みの影は薄れた。だが、すぐに彼女の姿はまたブラウン管からは消えた。六本木、酒場「L」は午前零時を過ぎ、少し落ち着きを漂わせている。窓際のスタイリストに女性記者に言った。「ラビットは、昼寝に入ったのよ。またカメに抜かれるわ」。写真家が言った。「珍しい娘だよな。だれもかれもテレビやマスコミに出たがる時代にさ」。「どういう娘なのかね」。わたしにも不思議だった。マスコミに乗って、時代の波に乗って、自分を売りたい、金儲けをしたいと思うのが普通の感覚だ。ましてや才能に恵まれた天才的な若い歌手だ。「思いあがりよ」。女性記者が言った。「とき
どきいるのよね。回りがちやほやするもんだから、思いあがってしまう新人が」。
そうかも知れない。わたしもそう思った。「昼寝もいいよ。いろんな人間がいて、それが面白いということだ」。写真家が言った。それからすぐだった。女性記者から電話があった。「調べてみたの、ラビットのこと。白血病だった」。女性記者は黙って電話を切った。そのことをわたしは、写真家にもスタイリストにも言わなかった。女性記者も記事にはしなかった。六本木の風が素知らぬ顔でひゅうと吹いた。
【GIAメルマガVol.118より】(たかの耕一:takanoblood1794@adventures.co.jp)
■第42話 涙のプリンセス ■2010年2月18日 木曜日 1時10分20秒

彼女の恋が週刊誌に載ると、テレビの歌番組に引っ張りだこになり、ニュースにも登場し、それにともないレコードは飛ぶように売れた。恋の相手が、北欧の王族のプリンスだったからだ。
丸い愛らしい顔、すうっと通った鼻筋、きらきらと聡明そうに輝く瞳が印象的だった。やがて化粧品会社のキャンペーンガールにも起用され、その人気はいちだんと盛りあがった。彼女のアップが六本木の交差点の大きなビルボードから笑いかけ、街のいたるところに彼女の魅力的なポスターが貼られた。
「シンデレラストーリーね」。窓際のスタイリストが言った。六本木、酒場「L」の夜は更ける。「幸せそうだったな」。カウンターの奥で写真家が言った。「先週、きたのよ、この店に」。スタイリストがわたしに言った。「薬指に素敵なダイヤが輝いていたわ。イヤリングもダイヤだった。あれって、プリンスのプレゼントかしら。まさにダイヤモンドの恋ね」。夏の終わりのコンサートには、北欧の王家のフラッグが会場いっぱいに飾られ、彼女は女王の衣装をまとい、喝采を浴びた。秋になって、彼女は北欧に旅立った。すわ、結婚か。週刊誌の記者たちは彼女を追いまわした。だが、彼女はプリンスに会うことはなく、ローマの休日を一人で楽しみ、帰国した。
「あれは嘘だったらしいのよ」。その日、スタイリストが言った。「彼女は恋なんかしてなかったの。プリンスなんかいなかったのよ。キャンペーンのためのストーリーだったの。人気取りのためのおとぎ話だったの」。「なるほど、まあ、よくある話で はあるな」。写真家が言った。
その夜遅く、彼女は「L」にやってきた。一人だった。疲れているようだった。奥の窓際のテーブルに座り、白ワインを飲んでいた。「なんだか、泣いているみたい」。スタイリストが横目で見て言った。「だって、プリンスなんかいないんだろ。恋なんかしてないんだろ」。「そう、プリンスはいなかった。でも、彼女は恋をしたのよ。そうよ、本当に恋をしてしまったのよ」。スタイリストが同情の眼差しを彼女に向けた。「なんだ、それって」「女ってそうなのよ。そういうものなのよ」。わたしは彼女を見た。確かに彼女は恋を失った。わたしは、白ワインの中に彼女の涙を見たような気がした。
【GIAメルマガVol.117より】(たかの耕一:takanoblood1794@yahoo.co.jp)
■第41話 雑草 ■2009年10月23日 金曜日 17時01分44秒

不思議なくらいに二人の作品は似ていた。一人は、歌舞伎の名門の娘、もう一人は北海道出身としかわからない。二人とも二十代後半で、独身。同時にある雑誌の新人文学賞を受賞して脚光を浴びた。だがその後、マスコミに登場するのは名門の娘のほうが多い。そういうものかね。写真家が言い、そういうものよとスタイリストが言った。
六本木、酒場「L」はまだ宵の口だが、台風が関東に上陸するというので、客は少ない。名門の娘は雑誌社の招待で「L」の奥のテーブルで高級ワインを飲んでいる。なにがおかしいのか大きな声で笑っている。まるで屈託がない。窓の外では街路樹が大騒ぎを始めた。東京タワーが真珠のようにきらめく小雨に滲んで見える。二人には、次々と仕事の依頼が殺到しているという。二人の作品が映画化されるニュースも流れている。名門の娘の第二作も話題となっているが、もう一人は二作目がまだ出版されていない。
書けないのだという。雑草なのね。スタイリストが言う。彼女がかい。わたしが聞く。うん、北海道の子がね。雑草ならこの世界でもたくましく生きていけるじゃないか。わたしが言う。逆ね。スタイリストが答える。ダメな雑草かも知れないわ。ダメな雑草? そうよ、強い光を浴びると枯れる雑草。光の当たらない道の隅で人に知られずに咲いているほうが幸せな雑草。でも、だれでも光を浴びたほうが幸せなんじゃないか。写真家が口をはさむ。違うわ。スタイリストが奥にいる名門の娘を見て言う。あの子は脚光を浴びて輝く花よ。脚光を浴びるほど才能を発揮して、輝きを増していくタイプ。あの子はこの世界で伸びるわね。平気で恥をかける子よ。いえ、ある意味で恥なんて感覚をもたないのね。この世界で大事なことよ。雑草のほうは恥を知っているタイプなのよ。恥を知っている雑草は、光の下には出ないほうがいいの。そのほうが幸せなのよ。名門の娘がワインを片手にふらりとカウンターにきて写真家に言った。先生、今度わたしのヌード撮ってね。写真集を出したいの。わたしの胸に、ふと切ない風が吹いた。台風は数時間後に関東に上陸した。
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■第40話 UFO ■2009年10月23日 金曜日 17時00分44秒

本当にUFOだったの? 窓際のスタイリストは疑い深い目で聞く。本当よ。彼女は明るく答えた。それでわたしの運命は変わったの。彼女は、広告代理店の営業担当。
その頃、まだ女性の営業担当は珍しかった。天の声が聞こえるようになったのは、アマゾンでUFOに会ってからよ。六本木酒場「L」。
午前1時を回って客は少し減った。スタイリストと彼女とわたしは同じテーブルにいる。アマゾン? 
ええ、アマゾンの河口のマラジョ島。スイスくらい大きな島。マヤ文明のような遺跡が残っていて、宇宙人が飛来した島。二つ質問していいか。わたしはいった。一つは、UFOに会ってからその超能力が身についたってこと? 
はい。二つめは、その超能力が例の春のキャンペーンを成功させたって噂は本当? はい。彼女は、キャリアウーマン風ではなく、人をホッとさせる穏やかな丸い顔をほころばせた。地味なニットのウェアの胸で淡い紫色の水晶のペンダントが揺れる。
春のキャンペーンはわたしの仕事です。噂通り天の声が聞こえました。カウンターの向こうで写真家が、いやはやどうしようもないねという顔で首を振る。どうすると天の声って聞こえるの? スタイリストが聞く。じっと見たり考えたりするの。
キャンペーンのときは、じっと商品を見つめていたわ。声が聞こえるの? ええ、頭にキーワードが浮かんだり、声が聞こえるのよ。
彼女は、ワインを口に運んで微笑んだ。あなたが占い師って呼ばれているのは知っているの? ええ、クライアントの社長の運勢を占っているのは本当だから。頼まれるから。
ねえねえ、わたしの運勢も見てくれない? スタイリストが身を乗り出す。わたしは笑う。この手の話やマジックは酒の席には悪くない。
写真家も興味をもってテーブルにきて座る。当たらないこともあるけど、それでよければ。彼女はいう。
お願い。はい。彼女は、じっとスタイリストの顔を凝視する。そして、目を閉じる。
不思議な空気だ。幸せになるわよ。目を開けて彼女は微笑み、スタイリストにいった。幸せという言葉がうかんだの。おまけに大勢の笑い声が聞こえる。まちがいないわ。
きれいな空。雪。高い山。とてもはっきり見えた。うそ。スタイリストが息をのんだ。当たってるの? 彼女が聞いた。
来月、スタイリストがいった。妹が結婚するのよ。ほう、それで幸せか。わたしがいい、大勢の笑い声な、と写真家がいった。
それが、スイスなの、スイスの教会で結婚するの。おい。写真家がわたしの顔を見た。
きれいな空。雪。高い山。
それは、スイスだぜ。一瞬、窓の外を強い風が通り過ぎた。その後、彼女は、再びアマゾンに出かけた。マラジョ島。UFOに会いに行ってくる。そのまままだ帰ってこない。
女は宇宙そのものだな。写真家がカウンターの奥で笑い、わたしは頭を叩いた。
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■第39話 白雪姫 ■2009年10月23日 金曜日 17時00分24秒

まだ、局アナという言葉を聞くことはなかった。彼女は、クイズ番組に出演してその聡明ぶりを発揮し、タレントのような人気を博したが、本来はテレビ局アナウンス部に所属するニュースキャスターだった。ギリシャ人の父と日本人の母をもっていた。
彫りの深い美貌で、エーゲ海を想わせる深い緑の瞳が男たちの心を惹きつけた。酒に酔うとその瞳はエメラルドのように輝き、ボーイフレンドと称され7人の小人と呼ばれる男たちは、めろめろになった。7人のコビトは、7人のコイビトをもじって誰かが付けたものだというが、実は彼女がそう言いだしたともいわれていた。六本木。
午後11時。酒場「L」は混んでいて、彼女と7人の小人は、奥のテーブルにいた。上等なシャンパンとワインで彼女たちは、窓の外まで聞こえるような騒ぎ方をしていた。カウンターの写真家が、顔をしかめてわたしを見た。やがて、グラスの割れる音が聞こえたかと思うと、いい加減にしてよ、と叫ぶ彼女の声が店中に響いた。その方を見ると、彼女が、一人の男にワイングラスを投げつける姿が見えた。
なに、考えてるのよ。彼女は、立ち上がってまた叫んだ。テーブルの上の葡萄を右手でつかむと、男に投げつけた。男は黙って、少しだけ顔を下に向けていた。顔中ワインで濡れていた。白いジャケットが、赤紫色に汚れていた。出てってよ。出てって。彼女が叫び、男は静かに立ち上がり、わたしの横を通って扉を開けた。ふざけないでよ。その後姿を彼女の声が追った。店中がしんと静まりかえり、彼女はバツが悪そうに立ち上がった。こちらに歩いてきながら、窓際のスタイリストに、女ができたんだってさ、ふざけてるわ、といった。彼女が扉を開け、店から出ていくと、女性の嫉妬は怖いね、と写真家がスタイリストにいった。ふん、かわいいものよ。スタイリストは平然とグラスを口に運ぶ。見ていなさい。そういう。そして、ほらほらと、わたしを手まねきし、窓の外を指さした。立ち上がり窓際に行く。ビルの横には暗い駐車場があって、車のシルエットが並んでいた。右手の方に小さな街頭と自動販売機が置いてあった。自動販売機の横に二つの影があった。影は寄り添い、抱き合っている。あれ、彼女じゃないか。そう、そして相手はワインをかけられた男。どうなっているんだ。写真家も窓辺にきた。女ってああいう生き物なの。男なんてブローチといっしょよ。なくなることが嫌なの。本当に大事かどうかではないの。
わたしと写真家は、顔を見合せた。だけど、われらは女性を嫌いになることはないだろう。カウンターで、わたしと写真家は不思議な気持ちでグラスを合わせた。愛すべき女性のために。
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■第38話 ゴースト ■2009年6月18日 木曜日 5時24分4秒

 彼女は黒真珠だね。私がいうと、写真家は、うん、わかる、少しほめすぎだがな。そういい、カウンターの向こうで、赤ワインを開ける。ロマネコンテ。小さなワイン畑の希少ワイン。今日は、おれの奢りね。丸い目が上目使いにこちらを見て笑う。
 六本木。午前零時。今日が明日に変わろうとしている。酒場「L」は、混んでいる。あっちこっちで、語り、笑い、飲む人々。女性が多い。コマーシャルの打ち上げ。写真家と私は久々にいっしょに仕事をした。私はカウンターに座り、隣にコマーシャルに出演してくれたモデルが座っている。地味ね。窓際の黒真珠の彼女を見て、モデルがいう。地味だけど、きれい。なんか、自分のきれいさを隠そうとしているみたい。女のカンの鋭さに、写真家と私は思わず顔を見合せた。彼女、歌手なんだ。私がいう。窓際の彼女は、霧にかすむ湖の色をしたカクテルを飲んでいる。
 脚の長い、チューリップ型のグラス。フローズンダイキリ。湖に降る雪。窓の向こうに、東京タワー。彼女はオレンジ色のゆらめく灯を見ている。並んだ隣の窓際には、いつものスタイリストがいる。男友だちと大騒ぎ。ご機嫌だ。
歌手? 見たことないわ、とモデル。歌はうまいぜ、と写真家。だけど、歌いたがらない。どうして? 耳がね、耳が悪い。極端な難聴だ。生まれつきのようだ。えっ? モデルは振り返って彼女を見る。深いグレーのタートル。細い銀のネックチェーン。いっしょにいる女性が、彼女の耳元でなにかささやく。手の動きも添えて。彼女がうなずく。
 ダイキリをフローズンで、もう2杯。女性が写真家に、ピースサインのように指を2本立てる。耳の不自由な人たちのいる施設で歌っているんだ。写真家がいう。えっ? モデルがふに落ちない表情。そう、普通の感覚じゃ、わからないよな。
 私と写真家が顔を見合わせる。この歌、知ってる? あるヒット曲を私は口ずさむ。だれでも知ってるわよ、大ヒット曲だもの。うん、彼女の作詞。えっ?有名な作詞家の作品じゃないの? そう、彼女はゴーストライターだ。もう20曲以上のヒット曲を作詞している。すごい才能ね。でも、なんでゴーストなの? そういう女性なのさ。写真家がいう。美しさを抑え込んで、奥に秘めた輝き。わからないだろうな、モデルのおまえさんには。
+そう、黒真珠はほめすぎじゃないな。写真家と私は、彼女のためにグラスを掲げた。窓の外に、小粒の雨が降り始めた。
【GIAメルマガVol.109より】(たかの耕一:takanoblood1794@adventures.co.jp)
■第37話 梨園の花嫁 ■2009年6月18日 木曜日 5時23分13秒

あんたは卑怯者よ。窓際のスタイリストが、珍しく気色ばんで強い言葉で言う。目の前にいる彼女は、シンガーソングライターだ。ハスキーな声に豊かな感情がのり、若い未熟や青い生命の挫折を歌いあげる歌詞にも、多くのファンがいる。歌舞伎の名門の御曹司との恋が週刊誌に載り、話題になった。デビュー前にスケバンと呼ばれるいわゆる不良だった彼女は、その過去さえ売り物にしていた。そんな彼女だから、梨園の恋に週刊誌が飛びつくのもよくわかる。
酒場「L」。窓から見える六本木の夜の空は、オパールのように深く濃い紫色だ。東京タワーのネオンがチカチカ瞬くのは霧のような小雨のせいだ。「確かに卑怯者ね。でも、なりゆきよ」。歌手が、スタイリストに言ってバーボンを飲んだ。「自分に忠実に生きないのは卑怯者よ」。スタイリストは、いたぶるような目をして歌手を見た。歌手と噂になった御曹司が、ある女優と電撃結婚をしたのだ。週刊誌は、清純派で有名な女優なら梨園にふさわしい、と書きたて、もと不良の彼女との結婚がむずかしいのは火を見るよりも明らかだったと書いた。「あの女優は、あんたの幼なじみなんでしょ」。「そうよ」。「あんないい子ぶってるけど、あんたの不良仲間で、あんたより悪かったんでしょ」。「そうよ」。「清純派の仮面をかぶっているけど、そのうち化けの皮がはがれるわ」「そうね」。「あんたはそれを知ってて御曹司に女優をくっつけたのね」。
「もちろんよ」。どうしてよ、あんたも御曹司のこと、好きなんでしょ。おかしいわよ。スタイリストが食い下がる。御曹司に対する復讐でしょ。「そうね。でも、彼への復讐じゃない。わたしを受け入れなかった梨園への復讐よ」。歌手は、スタイリストから目を離し、わたしを見て言った。
「それだけかな」。わたしは言った。「あの結婚はすぐだめになる。それを知ってて事を進めた。その復讐の矛先は、マスコミだな」。写真家が言った。「こっぴどく書かれたマスコミに復讐するために、自分よりひどい女を御曹司にくっつけた。違うか」。男と女はわからないわ。うまくいくかもしれないじゃない。わたしにウインクして歌手は、バーボンを飲んだ。
【GIAメルマガVol.108より】(たかの耕一:takanoblood1794@adventures.co.jp)
■第36話 ギリシャからの手紙 ■2009年4月16日 木曜日 3時8分6秒

彼女が隠していたわけじゃない。女優として実力も人気も十分に備えてからわかったことだった。世界的に有名なフランスの映画スター、それが彼女の父親だ。週刊誌がすっぱ抜いた。容姿も顔もとても彼女は日本的だった。母親似なのだろう。瞳だけは父親に似て、深く赤みを帯び、ガーネットの輝きを想わせた。だが、それは言われて気がつくていどのものだった。
週刊誌に記事が出てから、妙に周囲が彼女に気を使うようになったという。「そこなのよ」。彼女が言った。六本木。酒場「L」のヨーロッパ製の古い掛け時計が午前零時を告げた。「Lだけは変わらないけど、みんな私に変に気を使うのよ。まるでキズもののようにね。週刊誌ネタとしては面白いと思うわ。それだけよ。私の父親がだれだって、私は私。それだけなのにね」。どこの世界もそうだけど、芸能界には親の七光があって、そこに人間のあれこれの感情が込められるのよ。窓際のスタイリストがいう。「いちばん怖いのが嫉妬ね。七光族は、これにやられるのよ。まして実力がなかったら、たちまちダメになってゆくの。でも、あなたは大丈夫。親の威光でデビューしたわけじゃないし、女優としての実力も申し分ないもの」。私も写真家もおおいに賛同する。だが、彼女の仕事は確実に減っていった。ある春の夜、「L」の扉を開けて、彼女が笑顔をのぞかせた。「L」は空いていた。「いいよ」。彼女が振り向いて言った。彼女の後から、父親が笑顔で入ってきた。だれもがスクリーンで見た世紀の二枚目スター。青空のような鮮やかな色のジャケットに、すらりとした長身を包んでいる。彼は、お客一人ひとりに笑顔で握手をして回った。フランスの高級ワインを開けて、みんなに進めた。「日本をしばらく離れようと思うの」。彼女は言った。「パリに行こうと思ったけど、ギリシャにしたの。父とギリシャで暮らそうと思うの」。私なら、長野に帰るというところを、彼女はギリシャときた。「でも、本当は日本にいたいのよ」。彼女の手のピンク色のカクテルがさびしそうだった。
父と暮らすのは、彼女の長年の夢だった。いつも母しかいなかった。その後、彼女から一度絵葉書がきた。ギリシャの海に浮かぶヨットの写真の絵葉書だ。しばらく「L」の壁に貼ってあった。あれは間違いだったみたい。あるとき、スタイリストが絵葉書を見て言った。「なにが」。写真家が聞く。あの子、フランスのスターの子じゃなかったみたいよ。窓からの風で、絵葉書が揺れた。
【GIAメルマガVol.103より】(たかの耕一:takanoblood1794@adventures.co.jp)
■第35話 男たちよ ■2009年3月19日 木曜日 8時0分51秒

両親がアメリカ人の彼女は、日本に生まれ、日本で育った。まろやかな発音の日本語が、艶っぽかった。
バーボンウイスキーのストレートを好んで飲んだ。強かった。いくら飲んでも、雪のような白瑠璃色の肌がほんのり色づく程度で、けろりとして陽気にはしゃいでいた。パンチのある歌を歌った。ハードロック系の歌も悪くはないが、ファッションと生き方に人気があった。ライブが終わると酒場「L」に現れ、バーボンを飲んだ。
「あたし、結婚したいんだ」あるとき彼女はそう叫んだ。明るく、大声で叫んだ。「だれか、あたしと結婚して」。男たちが色めき立った。
3人の男が名乗りを上げた。彼女は、3人の男と1ヵ月づつ付き合って、その献身ぶりを見て決める、と言った。おい、かぐや姫だぜ。写真家がわたしの耳元で言った。月へ帰ればいいわ。スタイリストが嫉妬まじりに言った。新宿のライブハウスに毎日高級車で送り迎えする男が有力だ、という噂がわれらの耳に入った。彼女とその金持ちのドラ息子は、週間誌にも載った。まあ、男はマメなほうがもてるんだ。写真家が言い、じゃあ決まりかなとわたしが言った。だが結局、彼女はだれとも結婚しなかった。最有力だった男は、彼女の専属運転手になった。やるわねえ。スタイリストが窓際で、ブラディマリーを飲みながらニコリと笑った。【GIAメルマガVol.101より】
(たかの耕一:takanoblood1794@adventures.co.jp)
■第34話 アメシストの瞳 ■2009年2月19日 木曜日 3時21分29秒

アイドルはべらべら喋ってはいけない。恋なんかとんでもない。人間性なんかいらない。かわいい人形でいい。当時はそういう風潮だった。彼女は、ブラジル生まれの日系2世。歌番組に出演し、面白いトークで人気があった。キャラクターが売れると歌が売れなくなる。
テレビで人気があればいいってものじゃないしね。マネージャーが言った。酒場「L」のまだ早い時間だ。「アメジストの瞳ね」。窓際のスタイリストが言った。「そう。そのキャッチフレーズ。正式にはアメシストね。ジと濁らない。シが正式名称。紫水晶のことで、ブラジル産が有名だ」。
でも、確かに彼女は面白い。その面白さはテレビ的だ。「いっそのこと歌を止めたらいいのに」。「L」の連中は無責任にそういった。間もなく彼女はドラマに出演し、お笑い番組にも顔を出すようになった。「事務所を変わったよ」。例のマネージャー氏がぽつりといった。「うちの事務所は、お笑いはやらないからね」。彼女は元祖バラドルとなったが、長続きはしなかった。アイドルが面白いことをいうところに価値があった。
お笑いのプロにはなれなかった。歌手復帰してレコードを出したが売れなかった。いま、彼女はブラジルに帰ったと聞く。テレビに責任はないが、消耗品だったな。写真家がいう。視聴者にも責任はないけど、消耗品だね。東京タワーの灯りを見ながら、わたしはふと悲しい気持ちになった。いま、バラドルの娘たちに改めてエールを送りたい。
【GIAメルマガVol.99】(たかの耕一takano@adventures.co.jp)
■第33話 自分さがし。  ■2009年2月19日 木曜日 3時20分32秒

紅白出場が決定したのに、彼女は出場するかしないかで迷っていた。なぜだ。マスコミはいろいろ憶測を流し、事務所もほとほと困り果てた。
彼女は、六本木の酒場「L」にいる。神谷町から歩いてきたの。彼女が言う。この雨の中を?スタイリストが聞き、そうよ、と彼女は答えた。なんで?雨に洗い流してもらおうと思ったの。なにを?自分を。なるほど、自分を洗い流す、哲学的ですな。カウンターの中で琥珀色に輝く液体をグラスに注ぎながら、写真家はひとりうなづく。
自分が変われると思って歌手になったの。なにも変わらないの。ヒット曲を出せば、自分が変われると思ったの。変わらないの。紅白に出るようなスターになれば、自分が変われると思ったけど、自信がないの。彼女は額に皺を寄せてウイスキーを喉に流し込み、写真家にお替りを頼んだ。
ピッチが早いね。わたしが言った。人にちやほやされるようになったけど、それってなにか違うのよね。彼女は、吐き出すように叫んだ。所詮、自分からは逃げられませんな。写真家が言う。自分を変えるのは自分でしょ、世間は変えてくれないわ、とスタイリストが言い、グラスに氷を入れる。自分を変えるために歌うのなら紅白に出場する意味はないな。歌はもっと単純だよ。聞いて楽しんでくれる人のために歌う。それでいいじゃない。わたしが言う。そうね。その通りだわ。彼女が言う。だが、結局彼女は紅白を辞退し、歌手生活にピリオドを打った。人って複雑ね。スタイリストが灯りの点いた東京タワーを見ながらぽつりと言った。
【GIAメルマガVol.98】(たかの耕一takano@adventures.co.jp)

■第32話 銃声の理由 ■2008年11月20日 木曜日 11時59分9秒

横浜のライブが終わると彼女は、第三京浜を飛ばして六本木まで飲みにくる。車の中でウイスキーをボトルから直に飲むと言われているが、ただの噂だろう。ほんのわずかに褐色を帯びた肌以外に、彼女の父親が黒人であることはわからない。
生甲斐は、歌と恋よ。彼女は記者の質問にそううそぶいた。いつも酔った目をしていたが、まっすぐに男を見つめる瞳は、闇の中のルビーのように妖しく燃えた。あれじゃ男はイチコロですわ。酒場「L」のカウンターの中で写真家が言う。声にも艶があり、その豊かな声量はとても20歳そこそことは思えなかった。
彼女は酔っては回りの連中とよく喧嘩をした。 アメリカに行くよ。 週刊誌の記者が言う。彼女アメリカデビューが決まってね。 日本の男たちがさぞ嘆くだろうな。 本当の理由は、父親探しだそうだ。泣かせるね。強がってみせるが、ふと瞳に漂う悲しい色は彼女の境遇にあることをみんな知っていた。父は彼女が生まれる前にアメリカに帰った。母は早くに死んだ。彼女は施設で育てられた。彼女が日本を離れる日、多くのファンが見送った。何人もの男が日本から彼女に付き添って行った。彼女の歌はアメリカでヒットした。やがて父親が見つかった。
彼女が父親を銃で撃ったのは、彼女の歌がヒットチャートの3位に上がった日だった。彼女は警察でも一切動機を話さなかった。まるで計画でもしていたように、彼女は父親に向けて銃を発砲したと言う。誰も銃撃の理由はわからない。だが、わたしにはほんの少しわかる気がした。彼女には、もう喧嘩の必要がなくなったのだ。
【GIAメルマガVol.88】(たかの耕一takano@adventures.co.jp)
■第31話 妹よ ■2008年10月16日 木曜日 7時12分2秒

新曲発表の記者会見に彼女は行かなかった。付き人の妹が姉の代わりに出席した。
記者たちは冗談半分に妹に新曲を歌えと迫った。妹は歌った。会場がざわめいた。それが実にいいのさ。音楽誌の記者がいう。六本木、酒場「L」のカウンター。写真家と話している。妹っていつか店にきたあの子か。かわいい子じゃないか。
 写真家は覚えている。ニコニコと笑っていたあどけない顔を思い出す。あの子いくつだ。14歳だ。おいおい14歳の子に演歌かよ。そう、レコード会社が乗っちゃって、契約したよ。新人歌手デビューだ。よかったじゃないか。姉妹で歌手ときたか。ところが姉は反対なんだな、これが。そりゃそうよ。窓際のスタイリストがいう。なんでよ。写真家が聞く。女心のわからない連中ね。姉さんと妹が競作なんて前代未聞のことよ。当然姉さんは嫌がるでしょ。妹は違う歌を歌えばいいだろ。妹はその歌でデビューしたいのよ。業界は面白い姉妹競作ネタをむしろ煽る形だった。10月、妹は華々しくデビューした。姉はレコード発売を中止した。妹のレコードはヒットし、紅白歌合戦の候補になった。妹には姉にないダイヤの輝きがあると業界は噂した。
 ところで姉さんのほうはどうしたのよ。再び酒場「L」だ。写真家が例の記者に聞いた。引退だってさ。どうしてさ? 妹のほうが断然うまい。それを一番よく知っているのは姉だ。自分は妹に勝てないと思ったんだろう。翌年、姉とばったり六本木で会った。妹のマネージャーをやっているという。わたしは今でも姉の歌のほうが味があって好きなのだが。
【GIAメルマガVol.87】(たかの耕一takano@adventures.co.jp)
■第30話 見かえり美人 ■2008年9月18日 木曜日 11時40分53秒

 ぱっと見るとはっと息をのむ美人。じっと見ていると引き込まれる。女性はだれも素敵な魅力を秘めているものだ。彼女はふと振り返ったときの表情がたまらない、と男たちは噂した。
酒場「L」の客たちは、尻が重い。午前零時はまだ宵の口である。3時になると帰り始め、4時から5時に元モデルのママが店を片付け始める。見かえり美人が帰るのは3時。男たちはそれを待っている。帰り際にふと振り向いてほのかに見せる笑顔。ハワイのサーファーがアリューシャンの波を待つように、それを待つ。
 瞳は漆黒の黒真珠のようにほんの小さな灯にも反応する。憂いを含んだ表情が、何かを語りかける。彼女はジャズシンガー。歌う黒真珠。3人の男が彼女に恋をした。そのうちの1人と結婚した。ひとりはその後「L」に来なくなり、ひとりは彼女をモデルに小説を書いた。あんな結婚すぐ終わるわよ。窓際のスタイリストの予言通り結婚生活は1年で終わった。
で、どうなのよ、未練はないの。写真家が別れた男に聞く。彼女は仕事で渡米中。別れ際に泣いたね。男が言う。ほう、強く見えてもやはり女性だな。私が言う。いや、泣いたのは私のほう。別れ際に振り向いて見せたあの憂い顔、夢に見ます。ワインを開けよう。写真家が言った。ああ、1983年。男は、あの頃から弱かった。
【GIAメルマガVol.86】(たかの耕一takano@adventures.co.jp)
■第29話 どっちもどっち。 ■2008年8月21日 木曜日 7時56分24秒

女の子は自慢したいからわたしを誘うのよ。彼をわたしに見せて自慢したいのね。それがいけないのよ。彼女がスタイリストに言い、スタイリストがこちらを見て微妙な笑いを送ってくる。
夕立があり六本木に一瞬涼しい風が吹いた。彼女は雑誌のモデル。午後9時を過ぎ客たちが酒場「L」に集まり出した。女ってずるいの、恋をして少し経つと刺激が欲しいから友だちを誘うのね、自分よりきれいじゃない子をね。でも、ときどき彼の気持ちを試すようにわたしみたいな美女も誘うの。あらま、自分を美女だって、よく言うよあんた。スタイリストはそう言いながら、モデルの深い漆黒の真珠の瞳を覗き込む。確かにきれいだわ。こんな子を彼に紹介する女のほうが悪いわ。スタイリストは思う。わたしを恋の刺激剤やお試しの道具に使うと、ふとわたしに悪気が起きて彼にオーラを送っちゃうの。軽くね。すると彼がわたしに夢中になるの。ね、それで、わたしのどこが悪いの。試す女が悪いと思わない。わからないな、どっちもどっちって気がするけど。わたしはそう答える。本当にわからない。デートの刺激剤が必要なのはわかる。でも、確かに彼女のような美女を誘うのはわからない。女の心って複雑だ。彼女が帰ると、スタイリストが言った。恋を終わらせようとする女が彼女を利用してるだけよ。うまく別れるためにね。うーむ、女心は、不可解だ。
【GIAメルマガVol.85】(たかの耕一takano@adventures.co.jp)

■第28話 同級生 ■2008年7月29日 火曜日 5時48分51秒

アイドルは恋をしてはいけない。今よりもその頃のほうが厳しかった。ふたりの恋はそんな中で始まった。彼女たちは女性デュオとして次々にヒット曲を飛ばし、すでに社会現象であるとまで言われた。
酒場「L」の奥のテーブルに女性デュオのマネージャーがいる。女性だ。彼女は沈んだ様子でブルートパーズ色のカクテルを飲んでいる。大変だよね。窓際のスタイリストが言った。アイドルのスキャンダルねえ。写真家が言った。あそこまで売れたら事務所としては隠したいところだなあ。恋も恋、結婚だってさ、とスタイリスト。それも相手は同級生の男性だって。マネージャーがカクテルグラスを持ってこちらのテーブルにくる。
週刊誌にすっぱ抜かれたからね。マネージャーが言う。わたしだって結婚話にまで進んでいるとは思わなかった。同級生だからって油断したわ。まあ、こればっかりはしかたがないだろう。写真家が言う。結婚したら引退ってことになるしなあ。結婚そのものも実は大変なのよ。あのふたりも仲のいい同級生。そして彼も同級生。ふたりとも彼が好きなのよ。わたしたちは絶句した。どうなるの? スタイリストが聞いた。わからない。マネージャーが下を向いて首を振る。結局ふたりとも結婚しなかった。レコード年間売り上げ数億と言われるふたりはデュオを解散し芸能界を去った。ふたりはなにもかも捨てた。女心は不可解だ。
【GIAメルマガVol.84】(たかの耕一takano@adventures.co.jp)
■第27話 雨に咲く花 ■2008年7月29日 火曜日 5時47分41秒

 かわいそうだけどあの子、不幸が似合うのよ。窓際のスタイリストが言う。中国人を 母にもつモデル。透き通る肌は青磁を思わせる奥深い白。頬のあたりにはうっすらと 血管さえ浮いている。髪は濃いブラウン。黒に近い。トパーズの瞳。引き込むような青みを帯びている。
酒場「L」から見える東京タワーの赤い灯が小雨に煙る。彼女のあの涙顔はファインダーから覗くと胸がキュンとする、と写真家は言い、泣き顔モデルだな、と言う。昨日ロケから帰ったみたいだからそろそろ現れるかもね、とスタイリ スト。
ロケってどこへ行っていたのさ。香港みたいよ。彼女の父親が売れ始めた彼女を事務所から独立させて個人事務所を作ったが、莫大な借金を残して消えた。同時に 恋も終わった。ロアビルの裏の駐車場の紫陽花が雨に打たれて揺れていた。そうだ、今日のような小雨の日は、彼女は紫陽花のようにひときわ美しいはずだ。あるいは、ひときわ不幸なのか。
カランと扉の開く音がして、彼女が現れた。小首をかしげるように誰ともなく挨拶すると、近くのテーブルに座り、小さく紫色のカクテルの名を言った。ファインダーを通さなくてもわたしの胸はキュンとした。いっしょに飲みませんか。わたしが言い、ありがとう、と彼女が答えた。スタイリストが余計なことを言うな、という顔をする。確かに。いま紫陽花にかける言葉をわたしも持っていない。すぐ後ろから入ってきた背の高いイタリア系の若いモデルを紹介し、奥のテーブルに座った。スタイリストが目配せをした。新しい彼かなあ。そう聞いてくる。さあて、彼であってもなくてもいいさ。わたしが目で答える。でも、彼女、また美しく咲く予感がわたしにはあった。恋に破れる予感だ。
【GIAメルマガVol.83】(たかの耕一takano@adventures.co.jp)
■第26話・複雑な女ごころ ■2008年5月29日 木曜日 5時6分37秒

 彼女、おかしいよね。スタイリストが言う。いつもの酒場「L」の午前4時。客はほとんど帰った。この前だって相手が離婚して彼女と結婚しようとしたのよ。で、別れたの。彼女がふったのよ。今度もそう。おかしいわ折角結婚できるのに。店の後片付けが終わった写真家がワインボトルを持ってわれらのテーブルに座る。
 女の心はくるくる変わるキャッツアイだ。われら男にはまるでわからんねえ。写真家が言う。女のことはわからないが、彼女のことはわたしにはほんの少しわかるな。わたしが言い、ほほう、話のわかるおやじが現れたねえ、と写真家が茶化す。
 この間さ、彼女がこの店にきたときそんな話をしたよ。週刊誌に彼女と著名な音楽家との不倫の記事が載り、後を追うように別離の記事が載ったときだ。彼女って破滅型じゃないの。ほら、モノゴトがうまくいきそうになるといやになっちゃうってタイプ。スタイリストが言う。いるなあ、破滅型。それならわからないこともないな。
 写真家がグラスにワインを注ぐ。違うんだ。わたしが言う。彼女が言うには、家庭を大事にしている男が好きだって言うんだ。家庭をしっかり守っているから好きで、その家庭を壊してしまう男にはまるで魅力を感じないそうだ。わたしが言い、3人はそのまま無言になった。理解はむずかしいが、役者だった両親が早く離婚してしまった彼女の家庭を思い出していた。
【GIAメルマガVol.82】(たかの耕一takano@adventures.co.jp)
■第25話 恋するエリート ■2008年4月18日 金曜日 3時39分17秒

元大蔵省勤務。現代議士の秘書。彼女のその肩書きを見ただけで男たちは一歩引く。有名国立大学を出て霞ヶ関に勤め、永田町に移ったわけだ。そんな彼女が酒場「L」の客になったのは学生時代にファッションモデルをしていたからだった。
悩み?あるわよ、当たり前よ。彼女はワインを飲みながら気炎をあげる。代議士なんて人間のくずよ、魅力なんかないもの。そう言えば、西郷隆盛と坂本竜馬じゃ西郷が圧倒的に女性にもてたらしいよ。なぜかわかる? 写真家が言う。お前のためにわしは国を捨てる、と西郷は女に言い、国のためにお前を捨てる、と竜馬は女に言ったらしい。
どっちみち二人とも女性を捨てるんだけどね。そりゃ西郷のほうがもてる。わたしは答えた。まるで心が違う。西郷や竜馬みたいに国でも女でも夢中になる男なんかいないわ。彼女が言う。あんたはエリートなんだからどっちにしたって涎の垂れるような男がいるでしょうに。スタイリストが言う。問題はそこよ。お金はあるわよ。家柄もいいわよ。見掛けもまあまあ。そんな男はいくらでもいるの。でも、なぜかときめかないのよね。黒真珠の瞳をくるくる動かせて、彼女はわれらを見渡す。この贅沢者。スタイリストが叫び「L」の客たちが笑う。その秋、彼女はある劇団の貧乏役者と結婚した。正直者はソンよね。スタイリストがポツリと言い、わたしはなぜかほっとした。
【GIAメルマガ Vol.81から】(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
■第24話 シーンスポイラー ■2008年3月20日 木曜日 5時11分18秒

カウンターの女優は決して美人ではない。こちらに背を向けてゆっくりとウイスキーを飲み、タバコを吸っている。わたしはこの女優の不思議な魅力を分析できない。
深い深いアメシストの魅力。酒場「L」は週末とあって混んでいる。女優は主役を張ることはなく、名脇役として有名だ。彼女が脇を固めると、映画に厚みが出る。
でもね、主役を食っちゃうので俳優仲間での評判はイマイチらしいわ。窓際のスタイリストがそっと言う。30歳前後なのに風格がある。存在感。中身の薄いただ美人だけの女優は食われる。美人女優が必死に演技しても、自然体の彼女に負けてしまう。評判が悪いのは彼女のせいではない。若いときリンゴちゃんてあだ名だったのよ。頬っぺたが赤いのよ。いやになっちゃう。女優が振り向いてそう言って笑う。
青森出身。なまりを隠さない。演技ってむずかしいでしょ。スタイリストがかまをかける。頭のいい女だ。わたしはスタイリストに向かって小さく笑う。演技ねえ。
女優はふと天井を見る。演技なんてしたことないの。台本渡されるとその気になっちゃうの。台本の中の役がわたしで、本当のわたしが消えちゃうの。わたしは思わず背筋を寒くした。演技をしない。演技を越える。自分を消す。軽く言うがそれができない俳優が多いのだ。やがて彼女の脇役の仕事は減った。ほとんどが主役となり、いまでは外国での評価も高い。六本木の怪物のひとり。まだ現役で活躍中である。
【GIAメルマガ Vol.80からの転載】(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
■第23話 大粒の涙。 ■2008年2月20日 水曜日 21時18分46秒

おーい、こっちおいでよ。いっしょに飲もう。女優はすでに酔っていた。業界人の多い酒場「L」でも彼女の存在はずばぬけて大きかった。映画プロデューサーが脇にいて、こちらに向かってお願いしますというように頭をぺこりと下げた。
彼女をここまで大きくしたのは、ある大物男優だと噂されている。あるとき競演したその男優は、突然ふとんを抱えて彼女の家にやってきて、家族がいるのにそのまま彼女の部屋に住みついたという。若いときからそれほど魅惑的な彼女であり、40歳を越えたいま、覗き込んでも尽きぬ琥珀のような神秘を全身に漂わせている。
丸くふくよかな顔は菩薩のようにこの世の悩みをすべて飲み込んだ。窓際のスタイリストとわたしは彼女のテーブルに同席した。テーブルの上のブランデーのボトルをつかんだ彼女は、スタイリストとわたしのグラスにどぼどぼとブランデーを注いだ。乾杯。女優がいい、突然彼女は大声で泣き始めた。バカにすんなよな。彼女は叫んだ。なにが運命だ、バカやろう。どうしよう。口元までグラスを運んだわたしとスタイリストはそのまま手を止めて呆然と女優を眺めた。大粒の涙が頬を伝って流れるのを拭こうともせず女優はまた、バカやろうと叫んだ。女優が軽井沢で事故死したというニュースを聞いたとき、わたしは「L」での彼女の大粒の涙をふと思い、事故ではないと直感した。
【GIAメルマガ Vol.78からの転載】(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
■第22話「逃げたカナリア」 ■2007年12月19日 水曜日 16時37分23秒

 ただのマリッジブルーよ。彼女はいった。結婚式の2日前だった。なにいってるのよ、 これ以上の玉の輿はないじゃない。窓際のスタイリストがいった。アイドル歌手と名門の御曹司の結婚式は、赤坂のホテルで行われ、来賓の数は2,000人を越すといわれ、費用総額は10億円ともいわれた。
彼女の指には大粒のダイヤの結婚指輪が輝いた。
一週間後、酒場「L」に客は少なかった。小雨が六本木の舗道を濡らしている。引退には悩んでたわね、彼女。でも、今頃はパリかローマにいると思うけれど。スタイリストがいう。新婚旅行ねえ、うまくいくといいがなあ。写真家がいい、わたしは頷く。
 写真家とわたしは、こういうカップルを何組か知っている。そのほとんどが破綻したことも知っている。破綻の理由は2つ。1つは、名門の家風に溶け込めないこと。もう1つは、自分の才能を捨て切れないこと。ただのマリッジブルーよ。スタイリストがいい、カナリアが歌を捨てるのはむずかしい、と写真家がいった。わたしもバツイチよ。スタイリストの言葉にわたしと写真家が笑った。ワインでも開けようか。写真家がいい、東京タワーの見えるテーブルにつき、3人で乾杯をした。彼女の幸せのために。カナリアが籠の中におとなしく納まるように。雨は本降りになっていた。カランと扉の開く音がした。振り向くと、そこに雨に濡れたカナリアが立っていた。
【GIAメルマガ Vol.77からの転載】(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
■第20話・パンチ娘 ■2007年10月18日 木曜日 14時41分44秒

 17才でデビューした彼女は、米軍キャンプで歌っていたというだけあって黒人歌手のようなパンチのある歌い方をした。次々と歌はヒットし、街にあふれ、テレビにも引っ張りだことなった。
若いながら才能は煌びやかなダイヤモンドの輝きを放っていた。だが、彼女は火を消すように突然姿を消した。人々は噂した。海外で航空事故に遭い、いま療養中だと。5年後、彼女が復帰したとき、誰もが驚愕した。丸くピチピチしたイメージはなかった。顔を整形していた。歌もあのパンチ力がなく、ブルースをしっとりと歌い上げる歌手になっていた。いいよ、おれたち大人にはいまのほうがいい。
酒場「L」のカウンターで写真家が言い、わたしも同意する。彼女は、東京タワーの見える窓際の席にいて、バーボンのグラスを手に静かに笑った。わたしは前のほうが好きよ。窓際のスタイリストがいう。女は正直だ。そして残酷だ。はっきり言ってもらったほうが気がラク。彼女は言った。ひどい事故だったの。何回も手術したわ。2年間、声が出なかった。いまは、歌えるだけで幸せ。そう思わなくちゃ。ヒット曲が出ないまま、やがて彼女はロスに移り住んだ。日本で売れないことが辛かったのだろうか。一度売れると変われないものよ。スタイリストが言った。歌えるだけで幸せなんて嘘。ヒットしなくちゃ幸せじゃないのよ。女は正直だ。そして残酷だ。【GIAメルマガVol.75からの転載】(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
■第19話・かくれ恋 ■2007年9月20日 木曜日 15時1分51秒

恋多き女なのに、いつも寂しさが漂う彼女だった。寂しいから次から次と恋をするのよ。女にはそういうところがあるの。スタイリストがいう。夜になっても六本木のアスファルトは熱い。酒場「L」は冷房が効いている。でもさ、今年で3度目の熱愛報道だぜ。週刊誌を片手に写真家がいう。ちょっとやりすぎだぜ。カランと扉を開ける音がして話題の主のモデルが入ってきた。トパーズを思わせる褐色の肌が「L」の照明に浮かび上がった。隠さなくてもいいのよ、週刊誌。彼女は微笑んだ。また熱愛記事ね。お相手は歌舞伎役者。そうでしょ。この前はF1レーサー、その前はなんだっけ。彼女はカウンターに座り、ジンフィーズを飲んだ。恋に疲れてるみたいよ。スタイリストがいう。彼女は立ち上がり、わたしのテーブルにきた。疲れるわ。わたしの顔を覗き込んでいう。そうだね。わたしはジンのボトルのキャップを開け、グラスに注ぐ。人のいい彼女はいつも誰かの恋のかくれみのになって、他人の恋を守っている。それを知るのはわたしだけだ。偽の恋のほうが疲れるわ。彼女が小さな声でいう。ほんとの恋がしたいのに。ほんとの恋で疲れてみたいのに。恋多き女、恋のジプシーといわれているが、ほんとの恋を知らない彼女だった。恋は数じゃないのよ。質よ。そういうと彼女は振り向き、ほんとの恋に乾杯とグラスを掲げた。静かに雨が降り始めた。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガVol.74からの転載】
■第18話・カレンダーガール ■2007年7月11日 水曜日 15時52分4秒

夏になると仕事が増える。水着のモデルとしてデビューした彼女には、いつも夏のイメージがつきまとう。地中海に行ってたの、ロケで。久しぶりに酒場「L」に顔を出した彼女は焼けた肌を見せていった。夏の少し前だった。見るたびに魅力的になっていく。ドラマの話が進んでいるの。胸元のダイヤモンドが揺れて、きらりと光った。白い帆をいっぱいに張って順風の青い海を行く船のように彼女は堂々としていた。ドラマは好評だった。だが彼女の出番は7月だけで、水着のシーンしかなかった。8月以降にテレビで彼女を見ることはなかった。ブラジルでモデルをやってるらしいわ。秋風が吹く頃、窓際のスタイリストがいった。そうか。日本が夏だけだったらもっとチャンスがあるのになあ。わたしがいい、それだけの力しかなかったということね、とスタイリストがいった。彼女、カレンダーガールなのよ。それはなんだい。シングルモルトをストレートで飲みながらわたしは聞いた。季節商品てことさ。カウンターの写真家がいう。季節を利用することは簡単だが、季節を超えることはむずかしい、そういうことだ。この世界は利用したものをどう超えるか、問題はそれよ。スタイリストがいった。厳しいね。わたしはため息をつき、胸元で揺れた彼女のダイヤモンドを思い出していた。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第17話・2番目のひと ■2007年6月11日 月曜日 15時51分24秒

いいのよ。彼女はさびしく笑った。小学校のときから何でもいつも2番だもの。初恋のひとにも2番っていわれたし、成績も2番、運動会でも2番、学芸会でも主役は他の子。お姉ちゃんはいつも1番だったけど。彼女は窓の外の照明が灯ったばかりの東京タワーを見る。酒場「L」のカウンターに写真家の姿はなく、写真家の妹がシェーカーを振っている。あんた、そんなにキレイだし、オリンピックにも行けたし、天が二物を与えたんだから文句いうとバチがあたるよ。スタイリストがいい、写真家の妹がそうよそうよと同意する。確かに彼女は、スポーツ選手でありながら女優のように美しかった。わたしは彼女の手のカクテルグラスを見た。窓から差し込む六本木の光を映して、グラスの中のオリーブの実が黒真珠のように深く輝いている。でもね、あの子は永遠に2番よ。彼女が帰ってからスタイリストがいう。そうよね。写真家の妹もいう。なんで? わたしは聞く。オーラね。あの子1番のオーラじゃない。2番のオーラ。なるほど、そういうものか。わたしはいい、何かわかる気がした。いい子なのよ。でも1番には、人を蹴落とす欲が必要なの。彼女には、それがないの。いい子はダメ。彼女はその年に引退して結婚した。わたしはホッとし、ご主人に1番といわれればそれでいい、永遠にひとのいい2番でいい、そう思った。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第16話 愛されて ■2007年5月11日 金曜日 15時50分47秒

愛されるより愛するほうが幸せという人もいれば、愛するより愛されるほうが幸せという人もいるのよ。彼女はいう。そうだろうね。わたしは答えながら、さて、わたしはどっちだろうと考える。酒場「L」はそろそろ店じまいだ。写真家もスタイリストもすでにわれらのテーブルに集まって、酔いの余韻の波間を漂っている。そうね、こうちゃんは愛するほうを望んでるけど本当は違う。愛されるほうがいいの。ファッション誌の副編集長の彼女はいう。放っといてくれ。わたしはいう。当たりだ。写真家が笑う。おたくは長男だ。義務的に弟や家族を愛さなければならないが、実は愛に飢えていると見た。そうよ。彼女がいう。きみは長女か。わたしは彼女に聞く。末っ子よ。末っ子か、じゃあ愛されて育ったんだな。となると愛されるほうが幸せなんだな。そうかもね。一概にはいえないでしょ。スタイリストがいう。一概でいいの。みんなに当たらなくても確率論だから。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第15話 寒いから ■2007年4月11日 水曜日 15時50分13秒

いつも愚痴をこぼしていた。まだ少女の面影を残している。でも、もう30歳よ、と嫉妬まじりに教えてくれたのは窓際のスタイリストだ。童顔にナイスバディというアンバランスが彼女の魅力だ。大きな瞳はくるくると動き、間接照明の下でもキャッツアイのように輝く。酒場「L」の混む時間は午後10時から3時間くらいだ。彼女はいつも今日が明日に変わる時刻に現れ、2時間ほどいて帰る。もう、頭にきちゃった。その日も12時過ぎにドアを開けるなり彼女はいった。一週間も家に帰ってこないの。連絡もなしよ。窓際のスタイリストがすぐ反応した。だって、結婚してるわけじゃないでしょ。わたしはいった。男にはいろいろあるからね。どんないろいろよ。モデルが突っかかる。まあ、いろいろないろいろですな。カウンターの写真家がいう。ろくに仕事もしないでさ。モデルがブツブツいいながら、マルガリータを飲む。でもさあ、なんでそんな男と一緒になったのさ。スタイリストがいう。そりゃそうだ。わたしがいう。うん、寒かったから。モデルが答える。写真家がうむと唸る。わたしも唸る。バカみたい。スタイリストがいう。粋だ。この子はどこでこんな粋な会話を覚えたのか。なぜ、あんな男と。うん、寒かったから。こんな偉大なるユーモアをいえる女性はそういない。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第14話 ヒヤシンス ■2007年3月11日 日曜日 15時44分50秒

売り出し方がおかしいのよ。ヒット曲は演歌だった。シンガーソングライターでデビューしたが売れなかった。泣かず飛ばずの3年間だった。4年目にレコード会社を変え、名前を変えて演歌を歌わされた。ヒットした。売れればいいのさ。この世界、売れれば天国売れなきゃ地獄。自分なんか捨てなよ。カウンターの奥で写真家がグラスを磨きながらいう。でも、自分じゃないわたしなんかいや。贅沢ねえ。それって自慢にうちかしら。窓際でスタイリストがいう。違うわ。テレビ局が演歌歌手を欲しがっていただけ。テレビの都合で違う生き方をさせられるなんて、わたしはいや。酒場「L」に客は4人しかいなかった。こんな夜は人生を語るのも悪くない。ヒヤシンスの女なんてわたしじゃない。輝きたいもの。女はダイヤみたいに輝きたいものなの。ヒット曲は、港の酒場でひっそりとヒヤシンスみたいな恋をする女の歌だった。ヒヤシンスなんていや。彼女が壁にグラスを投げつけても、写真家は黙っていた。だれだってダイヤになりたいのよ。だけどそうはいかないのね人生って。スタイリストがいう。その年、彼女は紅白歌合戦を辞退し、人気絶頂のまま蒸発してしまった。長野県飯田の保育園に子どもたちのために歌を作って歌う保母さんがいる。その保母さんは、ダイヤのようにきらきら輝いている。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第13話・デストロイヤー ■2007年2月11日 日曜日 15時44分13秒

歌舞伎役者を父に持つ女優は、年齢より若く見える。内側からほとばしるオーラがあった。光に透かすと奥できらりと光を放つダイヤだ。大きく黒い瞳は、口を開くたびにさまざまに光り、まるで瞳の光が言葉のようだった。伝統を守るって伝統を壊すことよ。そういった。事実、彼女はたえず新しい役柄に挑戦した。酒場「L」の窓の向こうで東京タワーが赤く輝く。恋もそうよね。窓際のスタイリストがいい、わたしも写真家もどきりとする。女優は恋多き女だ。女はときとして相手の心臓を平気で刺す言葉を発する。女優の堂々たる口ぶりに嫉妬したなとわたしは思った。女優は写真家の作ったLスペシャルを飲んでいる。ウォッカベースの強い酒だ。彼女の相手は格闘家が多かった。恋も守りに入ったらダメね。わたし挑戦者が好き。チャンピオンになるとダメになる。輝いているのは挑戦者。女優がいった。最近のお相手は若いキックボクサーだと聞く。なによ、あのコ、かっこいいこというけどただのデストロイヤー、チャンピオンをダメにする壊し屋じゃないの。扉を開けて出ていく女優の後姿にスタイリストがいった。歌舞伎の名門に生まれた女の子に伝統は重いのよ。写真家がいい、わたしはふと胸が熱くなった。時代劇に出演してもその演技は流行のドラマのように自然に思えた。武士は死ぬために生きているのじゃないのね。生きるために生きているの。酒場「L」の週末の嬌声にも負けない声は澄んでいた。武士道に挑戦ですな。カウンターの向こうで写真家がいう。時代劇って新しさが引き出せるのよ。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第12話・傷つき上手。 ■2007年1月11日 木曜日 15時37分10秒

恋に時効なんかないわ。窓際のスタイリストが東京タワーの上空に瞬く星を見ていう。お前さんは恋が下手だからな。いつまでもひとりの男に固執する。カウンターの写真家が笑う。恋は数では語れないでしょう。わたしはウイスキーを飲みながらスタイリストのかたをもつ。入り口に近い左側のいつものテーブルからも星は見えた。
酒場「L」はまだ混む時間ではない。でも、あの子、特別よ。1ヵ月と続かないんだから。ワインでも開けようか。写真家がいう。ロマネコンティ。祝い事もないのに? そう、何にもないからワインを開けよう。いいわね。スタイリストがいう。短い恋に乾杯ね。扉が開いた。噂の主のモデルが微笑みながら入ってきた。男がいっしょだった。ふたりは奥のテーブルについた。ワインを奢りますか。写真家がグラスをふたつもって行った。モデルのグラスに注ぐワインはルビーのように輝いた。またひとつ恋が始まるわ。スタイリストがいい、そして終わるのさ、とわたしが小声でいった。乾杯。奥の席に向かって、われらはグラスをあげた。傷つくことだがけが上手になっていくわね、あの子。スタイリストがぽつんといった。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第11話・海に咲くひと。 ■2006年12月11日 月曜日 15時36分23秒

海を見に行かない?彼女が言った。いまからよ、車あるの。いいね、でもオレ、運転できないよ、酒飲んでるし。大丈夫、わたしも飲んでるから。横浜の米軍基地の入り口にいいバーがあるの。モデルから女優に転向した彼女は、昨年女優として多くの賞を獲得した。大変な美人だが、それは表面上だけの美ではなく内側からにじみ出てくるものだ。トパーズの輝きに似た瞳は、だれもが吸い込まれるほど深く、神秘を湛えている。「L」では一緒に飲むが、外で2人で酒を飲むのは初めてだ。深夜のドライブを断る理由はない。お安くないね。カウンター越しに写真家が冷やかす。午前零時を回っている。葉山で育ったの。海はわたしの命よ。ハンドルを握りながら彼女は言った。湘南という名は徳富蘆花が有名にしたの。不如帰を書いた作家よ。主人公の浪子は短命だった。蘆花ってひどい人ね。せめて小説くらいは幸せにして欲しい。残酷なのは現実だけでいいわ。高速を降り、東神奈川の埠頭に向かう。バーはアメリカの香りに溢れ、サザンオールスターズの写真が貼ってあった。ボイラーメイカーを2人で飲む。熱しつつ醒ますという酒だ。わたしたちは米兵たちと夜通し騒いだ。その年の冬、女優は死んだ。浪子のように短命だった。凍えそうな青山祭場で、彼女は海に帰ったのだと思った。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第10話・制服は脱がない。 ■2006年11月11日 土曜日 15時35分36秒

ぜひ、写真を撮らせてくれ。写真家の頼みに彼女はいつもノーと首を振る。制服の彼女は背が高く、その物腰は流れるように美しい。動作のひとつひとつにメリハリが利いていて、会話の歯切れもいい。どんなに飲んでもいつも毅然としている。大きく自己主張の強い目。すうっと見事なラインを描く鼻。口元はしっかり結ばれている。その肌は透明感に溢れ「L」の窓から差し込む月明かりに照らされると水晶のように輝くのだ。隣の席の女優より輝いて見える。自衛隊なの? 警察なの? スタイリストの問いにいつも曖昧に笑うだけだ。30代前半と見たな。写真家が言った。いやはやトウシロウは怖いね。ほら、女優が負けてるよ。制服がいいんです。張り詰めた感じでほろ酔いが実にいい。わたしは答える。ある日、彼女が言った。しばらく海外にいくので日本を留守にします。なによ。どこへ行くのよ。スタイリストが聞く。愛国心ね。そう言って彼女は美しく笑うだけだ。似合うね、カクテルグラスが。写真家がため息をつき、あの美貌で愛国心ときましたか、とわたしが言った。あのう、写真撮っていただけますか。彼女は写真家に言った。願ってもないことです。写真家がうなずく。制服のままでいいですか。ヌードじゃなくて。愛国心をヌードにしたいところだけど、制服で撮りましょう。いま、彼女の行方は不明で、制服の写真だけが残っている。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第9話・模様替え ■2006年10月11日 水曜日 15時26分47秒

宝塚出身の女優は、背が高く、その物腰は流れるように美しい。男役だったせいか、動作のひとつひとつにメリハリが利いていて、会話の歯切れもいい。毅然としながら輝く様は、見事にカットされたダイヤを思わせる。大きく自己主張の強い目。すうっと見事なラインを描く鼻。口元はしっかり結ばれている。よく喋るが、口元の印象はいつも一直線に結ばれている。姉御肌だ。30代後半。恋の噂はまったくない。あれはまさしく男ですよ。男より男らしい。女だから理想の男がイメージできるんだな。そのイメージ通りに生きている。見事です。写真家がいう。その通り。わたしは答える。われら男どもに理想の女性像が描けるようにね。でも、理想は理想であって、リアルではない。彼女には生活感がないぞ、と写真家。それが人気の秘密でもあるでしょう、とわたし。その女優が恋をした。相手は映画監督だ。部屋をすべて模様替えしたという。恋人を変えるたびに部屋を模様替えするのよ、彼女。有名よ。ヘアメイクの女性が言った。1ヵ月もしないうちに別の恋の噂が週刊誌に掲載された。映画の相手役の男優だった。また模様替えをしてるんだな。忙しいだろうな。写真家とわたしはそう言いながら乾杯をした。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第8話・グッドバイ ■2006年9月11日 月曜日 15時25分57秒

高校を出てからだから7年ぶりなの。まったく偶然なの。モデルはいう。渋谷駅、そうメトロの階段。彼女は、地下鉄をメトロといった。初恋っていうわけじゃなくて、なんとなく憧れていた先輩なの。彼は、野球部だった。わたしは階段を降りていたわ。彼は階段を駆け上がってきたの。肩がぶつかって、振り向いて、彼だとわかったの。うれしかったわ。カフェでお茶を飲んで、そうね20分くらいで別れたの。酒場「L」は空いていて、窓外の東京タワーが小雨の奥で煙っていた。真珠の小粒のような優しい雨が、ちかちか輝きながら落ちていた。いいね。美しい話だ。カウンターの向こうで写真家がいった。故郷のあるやつはいいな。そういった。東京生まれのわたしも、その言葉にうなづいた。電話があったのよ、彼から。会いたいって。ダメ。わたしと写真家は同時に叫んだ。美しい思い出にしておくべきだ。写真家がいった。わたしは単に、こんないい女が男と会うということだけで反対していた。男の原始的な思いなのだ。どうしてよ。窓際のスタイリストがいう。恋のチャンスよ。いい話じゃない。ダメだ、男は変わっているはずだ。東京は男を変えるからな、わたしがいい、女も変わるわよ、とスタイリストがいった。わたしは東京ですっかり変わったわ。カウンターの端で、沖縄出身のゲイがそういって笑った。ゲイを含めた女性たちは、会えといい、男たちは、会うなとなった。この違いはどこからくるのだろうとわたしは思った。会うわ。モデルはいった。ダメだ。いいじゃないの。思い出が汚れる。モデルは彼と会った。そして、別れた。その後「L」でも彼女はその話を一切しなかった。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第7話・荒馬と女 ■2006年8月11日 金曜日 15時25分15秒

噂はすぐに広まった。音楽家の男は妻帯者だったが、現在の妻とは離婚訴訟中だと言った。それが男のくどき文句のひとつで、だれかれかまわずにそのことを言った。「L」の連中は少々鼻につく感じを抱いていた。彼が新しいガールフレンドを連れて「L」にきた。小粒の真珠のようにきらきらと輝く女性だった。カナダの深い湖のように深く神秘的な瞳だった。タキよ。彼女は自分の名前をそう言った。ジンジャーエールを飲んでいた。お酒ダメなの?窓際のスタイリストが聞いた。うん、車なの。タキは残念そうに、それでもうれしそうに笑った。マスタングの新車に乗ってきたの。凄いね。わたしは言った。彼女は、ムスタングとは言わずにマスタングと言った。マスタングは荒馬という意味で、映画バニシングポイントに登場した人気車だ。ムとマの発音の違いにこだわるのは、むしろ都会の女ではないとわたしは思った。だが、タキには洗練された美しさがあった。彼に買ってもらったの。音楽家が気まずそうに頭に手をやった。いや、彼女の誕生祝にね。おい、誕生祝にマスタングを贈ったのか。カウンターの写真家が驚いた。マスタングの女、タキの噂はすぐに六本木に広まった。広尾の交差点があるじゃない、うん、そう、トンネルのとこ、あの交差点を赤信号であの子突っ走ったのよ。ゲイが写真家に言った。でも、かわいい子よね。あんな男に引っかかるなんて、もったいないわよ。おや、女性にも興味がおありなのか。写真家が言った。やがて、音楽家がひとりで「L」にきた。タキのやつさあ、マスタング売り飛ばして消えちゃったよ。えっ。みんなは驚いた。600万だぜ、600万。音楽家が大騒ぎをするが、なぜかみんなの心の中に清々しい風が吹いた。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第6話・傷だらけのジーナ ■2006年7月11日 火曜日 15時24分34秒

あれはジーナだ。ハワイロケから帰ったディレクターがいう。ワイキキで子どもに波乗りを教えていた、という。後ろ姿がさびしいから、声をかけなかったよ。だけど、ジーナに間違いないよ。恋多き女、ジーナ。傷だらけのジーナ。「L」ではそう呼ばれていた。水着のモデルで一世を風靡したモデルだった。ハーフだ。彫りの深い顔立ち。豊かな表情。時に明るく、時に沈んだトパーズの輝きをもつ瞳。海外にもよく出かけた。フランスで恋をし、イタリアで恋をし、アメリカでも恋をした。恋をするたびにジーナのメイクやヘアースタイルは変わった。相手の男に合わせて自分を変えた。ジーナは尽くす女だ。だが、ジーナの恋は長続きしない。男はみんな独占欲が強いからね。ジーナはそういった。誰だって独占したくなるよ。わたしはいった。もてる女の悲しさがジーナにはある。ジーナと恋をしても、男たちは、いつもはらはらさせられるのだ。致命的だった。本当の恋をジーナは知らないのかもしれない。恋に破れるたびにジーナは落ち込み、傷だらけになる。相手より自分が傷ついたと考える。男なんて星の数よ。立ち直るときのジーナの口癖だった。星は手が届かないからいいのさ。わたしはそのたびにそう答えた。皮肉だった。ハリウッド映画に出演する話が舞い込んだとき、みんなは祝福した。あんた、また新しい恋をするのね。窓際のスタイリストがいった。今度の相手は、ケビン・コスナーよ。ジーナが答え、そりゃ最高だね、とみんながいった。「L」の客全員で乾杯をした。ジーナの消息はそれで途絶えた。ハワイにいたというさびしい後姿の女性、ジーナではないとわたしは思う。映画でも見ないし、ケビンとの恋の噂も聞かないが、ジーナにはハリウッドにいてほしい。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第5話・純愛のゆくえ ■2006年6月11日 日曜日 15時23分55秒

若い恋はいいものだ。彼女はタレントの卵、彼は写真家の卵。「L」の面々は、暖かく見守っている。ふたりとも故郷の方言丸出し。まだ、原石だ。磨かれてはいない。その方言にも好感が持て、たどたどしい都会語にも笑えた。誰にでも皮肉たっぷりに説教をする小言女優もかける言葉が暖かい。夜が更ける前にふたりはタクシーの群れを横目で見、寄り添いながら地下鉄で帰る。それもほほえましい。あるとき、彼女のヌード写真を彼が撮影し、コンテストに入賞して話題になった。いい写真だった。このやろう、とみんなが彼の頭をこずき、彼女は顔を手で隠した。六本木には珍しい純愛のカタチだった。どんな名カメラマンもかなわねえよなあ。カウンターの中で有名写真家が首を振って笑った。惚れた男にしか見せないいい表情見せるんだよ。彼女のマネージャーが血相変えて「L」にきた。誰もその男と口をきこうともしなかった。ふたりは売れてきた。その年のクリスマスの夜。彼がひとりで「L」にきた。彼女、仕事で、これません。いま、テレビに出てます。いえ、テレビはつけないでください。彼がいい、そうよね、ふたりとも夢に向かってるんだから、がまんがまん。窓際のスタイリストがいった。初春、桜が咲く前にふたりは別れた。スタイリストからその話を聞いた。まあ、売れるとそうなるさ。写真家がいい、誰もが純愛映画のエンドマークを心のスクリーンに映していた。お互いに好きなのに別れるのね、スタイリストが小声でいい、夢に生きるのも人生よ、写真家が答えた。その後、ふたりとも「L」にこなくなり、彼女はその夏、マネージャーと結婚し、引退した。ひとつ、純愛は消えた。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第4話・パリ2人旅 ■2006年5月11日 木曜日 15時23分9秒

よした方がいいんじゃないの。みんな、心の中ではそう思っていたが、口に出してはいわなかった。いっても無駄なことがわかっているし、いえば2人の女性から機関銃の玉のように反撃の言葉が飛んでくるのは明白だ。あなた方2人で旅にいくなんて、喧嘩しにいくようなもんだ。そういいたい。だけど、誰もいわない。2人は作家だ。かたや歌手活動もし、レコードも発売し、テレビドラマにも出演するほどのマルチタレントぶり。かたや本格純文学作家(と当人は思っている)。どちらも極め付きの自己チュウ。なぜか、この酒場では姉妹のように仲がよい。強い光を放つ眼が似ている。猫の眼。くるくる変わるキャッツアイ。だが、くるくる変わるのは眼だけではない。気持ちもくるくる変わる。これが困る。これが2人ともだから困る。その2人がアシスタントも付き人も付けづにパリにいくという。あるコピーライターがCM出演を依頼したら、両方に頼まないとおかしいんじゃないの、と頼まないほうからいわれ、結局断ったら2人ともそのコピーライターと口をきかなくなったと驚いていた。2人はパリに2人だけで行き、別々に帰国した。Lではその後、2人いっしょのところを見なくなった。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第3話・ゴールド・フィンガー ■2006年4月11日 火曜日 15時10分28秒

悪いことかしら。売れっ子のメイクアップアーチストの彼女がいう。だってマッサージの勉強したんだもの。それってわたしの特技なのよ。評判は決してよくはなかった。メイクアップの技術で客を開拓するのではなく、マッサージで売れっ子になっている、といわれている。いいんじゃないか。わたしはいう。だってメイクの腕が悪かったら誰もきみには仕事を頼まんだろうしな。彼女は一流のモデルや女優のメイクを担当している。基本的にモデルや女優本人が満足するならそれでいい、とわたしはいう。スタジオで撮影の合間にモデルや女優の肩を彼女は揉んであげる。これが非常にうまいのだ。そんなんで仕事を増やすのは邪道よ。周りの同業者に白い目で見られているらしい。現にこの酒場でも何人かの女性から「おかしいんじゃない」と聞かされたことがある。だが、そんなことは今までにもいくらでもあった。要は、そうしても周りからブツブツいわれるかいわれないか、それだけのこと。きみの人格によるんじゃないか。わたしの口からそうはいえないけれど、いう方もいわれる方もどうかなあ、と思う。そんなことをうじうじいっていたら、最後はわたしが煮え切らない男といわれ、両方から文句をいわれてしまった。敵か味方かはっきりしろ、と女性たちはいうのだろうか。まいったなあ。男は結構その辺いい加減に生きてるんだから。でも、ゴールド・フィンガーと呼ばれ、仕事が増えるのはいいんじゃないか。
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■第2話・タヒチからの電話 ■2006年3月11日 土曜日 15時7分49秒

驚いてたわ、あのカメラマン。ロックグラスを飲み干し、カウンターまで歩いていき、ウイスキーのお替りをしたのは美人で評判のスタイリストだ。深く黒い真珠の瞳は、理知的だ。小さめの鼻は、手を差し伸べたくなるひ弱さを感じさせる。ぷっと厚みのある口元が、セクシーだ。それでタヒチから電話なのか。だって、わたしが誘ったんじゃないもん。Sさんがホテルのわたしの部屋で飲もうというから、飲んだだけ。でも、ベッドに入れば男はだれでもその気になるさ。愛がなければダメなの。嘘でもいいから愛が欲しいの。嘘じゃあ愛の意味がないだろ。彼女からの電話はこうだった。「いま、あなたを裏切るわ。あなたをだましたくないから、知らせるわね。うん、Sさんよ」。ベッドでその電話を聞いていた有名カメラマンのSは、飛び上がって逃げ去ったという。そりゃそうだ。とんでもない話だ。もう何回目になるだろう、彼女からのこんな電話。その度に、わたしが相手の男を裏切った気分がして釈然としない。もう止めてほしいもんだ。「ドタキャンのA子」という噂はわたしの耳まで届いている。この酒場でも知っているものも多い。しかし「嘘でもいいから愛がほしい」と、相手が結婚しているのを承知で訴えるA子が、なぜか愛しくなるのだ。なんか、悲しいよね。ライトアップされた東京タワーに目をやる黒真珠の彼女に「もう電話なんかするなよ」とわたしはいえない。いいよ、また、さびしい電話をしても。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第1話・女優の結婚 ■2006年2月11日 土曜日 14時48分38秒

午前零時が過ぎた。女優は「これからが私の時間よ」とどっしり腰を据える。夕方から降り始めた霧のような小雨が六本木の交差点を濡らしている。ビルの3階にある酒場「L」からはライトアップされた東京タワーが見える。東京タワーができた頃マンモスタワーと呼んでいたのを知る者は少ない。上空に向かって並んだライトがチカチカと小雨に瞬いている。女優は29歳。連続テレビドラマに出演中。先週写真週刊誌に有名野球選手との熱愛がスッパ抜かれた。結婚はごめんよ、あんな男。女優がいう。世間体ばかり気にしてさ。浮気、ケチ、嫉妬。男の3拍子そろってんだから。女優はわたしに噛みつく。浮気、ケチ、嫉妬。これが男よ。でもさあ、テレビ局がうるさくないか。わたしが尋ねる。大丈夫、プロデューサーがわたしに惚れてんのよ。女優が大声で叫び、あっちこっちの席から歓声があがる。女優の指に輝くダイヤ。そのプロデューサーからのプレゼントだろうか。色恋については、男のほうが女々しくって、女のほうが雄雄しいんだ。女優が叫び、酒場中の女性が拍手を送る。こっちで飲もうよ。わたしに同情した写真家がカウンターの中から誘う。逃げるのかよ。女優が突っかかる。逃げたい。わたしがいい、みんなが笑う。誰か代わって。若いヘアーメイクの青年が代わった。その年、週刊誌に載った野球選手は最高殊勲選手に選ばれた。女優はテレビの番組を降ろされ、ヘアーメイクの青年と結婚した。その酒場に、女優はこなくなった。指輪を変えたな。ふと、そう思った。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】

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