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GIAエッセイ 六本木1982午前零時

■第26話・複雑な女ごころ ■2008年5月29日 木曜日 5時6分37秒

 彼女、おかしいよね。スタイリストが言う。いつもの酒場「L」の午前4時。客はほとんど帰った。この前だって相手が離婚して彼女と結婚しようとしたのよ。で、別れたの。彼女がふったのよ。今度もそう。おかしいわ折角結婚できるのに。店の後片付けが終わった写真家がワインボトルを持ってわれらのテーブルに座る。
 女の心はくるくる変わるキャッツアイだ。われら男にはまるでわからんねえ。写真家が言う。女のことはわからないが、彼女のことはわたしにはほんの少しわかるな。わたしが言い、ほほう、話のわかるおやじが現れたねえ、と写真家が茶化す。
 この間さ、彼女がこの店にきたときそんな話をしたよ。週刊誌に彼女と著名な音楽家との不倫の記事が載り、後を追うように別離の記事が載ったときだ。彼女って破滅型じゃないの。ほら、モノゴトがうまくいきそうになるといやになっちゃうってタイプ。スタイリストが言う。いるなあ、破滅型。それならわからないこともないな。
 写真家がグラスにワインを注ぐ。違うんだ。わたしが言う。彼女が言うには、家庭を大事にしている男が好きだって言うんだ。家庭をしっかり守っているから好きで、その家庭を壊してしまう男にはまるで魅力を感じないそうだ。わたしが言い、3人はそのまま無言になった。理解はむずかしいが、役者だった両親が早く離婚してしまった彼女の家庭を思い出していた。
【GIAメルマガVol.82】(たかの耕一takano@adventures.co.jp)
■第25話 恋するエリート ■2008年4月18日 金曜日 3時39分17秒

元大蔵省勤務。現代議士の秘書。彼女のその肩書きを見ただけで男たちは一歩引く。有名国立大学を出て霞ヶ関に勤め、永田町に移ったわけだ。そんな彼女が酒場「L」の客になったのは学生時代にファッションモデルをしていたからだった。
悩み?あるわよ、当たり前よ。彼女はワインを飲みながら気炎をあげる。代議士なんて人間のくずよ、魅力なんかないもの。そう言えば、西郷隆盛と坂本竜馬じゃ西郷が圧倒的に女性にもてたらしいよ。なぜかわかる? 写真家が言う。お前のためにわしは国を捨てる、と西郷は女に言い、国のためにお前を捨てる、と竜馬は女に言ったらしい。
どっちみち二人とも女性を捨てるんだけどね。そりゃ西郷のほうがもてる。わたしは答えた。まるで心が違う。西郷や竜馬みたいに国でも女でも夢中になる男なんかいないわ。彼女が言う。あんたはエリートなんだからどっちにしたって涎の垂れるような男がいるでしょうに。スタイリストが言う。問題はそこよ。お金はあるわよ。家柄もいいわよ。見掛けもまあまあ。そんな男はいくらでもいるの。でも、なぜかときめかないのよね。黒真珠の瞳をくるくる動かせて、彼女はわれらを見渡す。この贅沢者。スタイリストが叫び「L」の客たちが笑う。その秋、彼女はある劇団の貧乏役者と結婚した。正直者はソンよね。スタイリストがポツリと言い、わたしはなぜかほっとした。
【GIAメルマガ Vol.81から】(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
■第24話 シーンスポイラー ■2008年3月20日 木曜日 5時11分18秒

カウンターの女優は決して美人ではない。こちらに背を向けてゆっくりとウイスキーを飲み、タバコを吸っている。わたしはこの女優の不思議な魅力を分析できない。
深い深いアメシストの魅力。酒場「L」は週末とあって混んでいる。女優は主役を張ることはなく、名脇役として有名だ。彼女が脇を固めると、映画に厚みが出る。
でもね、主役を食っちゃうので俳優仲間での評判はイマイチらしいわ。窓際のスタイリストがそっと言う。30歳前後なのに風格がある。存在感。中身の薄いただ美人だけの女優は食われる。美人女優が必死に演技しても、自然体の彼女に負けてしまう。評判が悪いのは彼女のせいではない。若いときリンゴちゃんてあだ名だったのよ。頬っぺたが赤いのよ。いやになっちゃう。女優が振り向いてそう言って笑う。
青森出身。なまりを隠さない。演技ってむずかしいでしょ。スタイリストがかまをかける。頭のいい女だ。わたしはスタイリストに向かって小さく笑う。演技ねえ。
女優はふと天井を見る。演技なんてしたことないの。台本渡されるとその気になっちゃうの。台本の中の役がわたしで、本当のわたしが消えちゃうの。わたしは思わず背筋を寒くした。演技をしない。演技を越える。自分を消す。軽く言うがそれができない俳優が多いのだ。やがて彼女の脇役の仕事は減った。ほとんどが主役となり、いまでは外国での評価も高い。六本木の怪物のひとり。まだ現役で活躍中である。
【GIAメルマガ Vol.80からの転載】(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
■第23話 大粒の涙。 ■2008年2月20日 水曜日 21時18分46秒

おーい、こっちおいでよ。いっしょに飲もう。女優はすでに酔っていた。業界人の多い酒場「L」でも彼女の存在はずばぬけて大きかった。映画プロデューサーが脇にいて、こちらに向かってお願いしますというように頭をぺこりと下げた。
彼女をここまで大きくしたのは、ある大物男優だと噂されている。あるとき競演したその男優は、突然ふとんを抱えて彼女の家にやってきて、家族がいるのにそのまま彼女の部屋に住みついたという。若いときからそれほど魅惑的な彼女であり、40歳を越えたいま、覗き込んでも尽きぬ琥珀のような神秘を全身に漂わせている。
丸くふくよかな顔は菩薩のようにこの世の悩みをすべて飲み込んだ。窓際のスタイリストとわたしは彼女のテーブルに同席した。テーブルの上のブランデーのボトルをつかんだ彼女は、スタイリストとわたしのグラスにどぼどぼとブランデーを注いだ。乾杯。女優がいい、突然彼女は大声で泣き始めた。バカにすんなよな。彼女は叫んだ。なにが運命だ、バカやろう。どうしよう。口元までグラスを運んだわたしとスタイリストはそのまま手を止めて呆然と女優を眺めた。大粒の涙が頬を伝って流れるのを拭こうともせず女優はまた、バカやろうと叫んだ。女優が軽井沢で事故死したというニュースを聞いたとき、わたしは「L」での彼女の大粒の涙をふと思い、事故ではないと直感した。
【GIAメルマガ Vol.78からの転載】(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
■第22話「逃げたカナリア」 ■2007年12月19日 水曜日 16時37分23秒

 ただのマリッジブルーよ。彼女はいった。結婚式の2日前だった。なにいってるのよ、 これ以上の玉の輿はないじゃない。窓際のスタイリストがいった。アイドル歌手と名門の御曹司の結婚式は、赤坂のホテルで行われ、来賓の数は2,000人を越すといわれ、費用総額は10億円ともいわれた。
彼女の指には大粒のダイヤの結婚指輪が輝いた。
一週間後、酒場「L」に客は少なかった。小雨が六本木の舗道を濡らしている。引退には悩んでたわね、彼女。でも、今頃はパリかローマにいると思うけれど。スタイリストがいう。新婚旅行ねえ、うまくいくといいがなあ。写真家がいい、わたしは頷く。
 写真家とわたしは、こういうカップルを何組か知っている。そのほとんどが破綻したことも知っている。破綻の理由は2つ。1つは、名門の家風に溶け込めないこと。もう1つは、自分の才能を捨て切れないこと。ただのマリッジブルーよ。スタイリストがいい、カナリアが歌を捨てるのはむずかしい、と写真家がいった。わたしもバツイチよ。スタイリストの言葉にわたしと写真家が笑った。ワインでも開けようか。写真家がいい、東京タワーの見えるテーブルにつき、3人で乾杯をした。彼女の幸せのために。カナリアが籠の中におとなしく納まるように。雨は本降りになっていた。カランと扉の開く音がした。振り向くと、そこに雨に濡れたカナリアが立っていた。
【GIAメルマガ Vol.77からの転載】(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
■第20話・パンチ娘 ■2007年10月18日 木曜日 14時41分44秒

 17才でデビューした彼女は、米軍キャンプで歌っていたというだけあって黒人歌手のようなパンチのある歌い方をした。次々と歌はヒットし、街にあふれ、テレビにも引っ張りだことなった。
若いながら才能は煌びやかなダイヤモンドの輝きを放っていた。だが、彼女は火を消すように突然姿を消した。人々は噂した。海外で航空事故に遭い、いま療養中だと。5年後、彼女が復帰したとき、誰もが驚愕した。丸くピチピチしたイメージはなかった。顔を整形していた。歌もあのパンチ力がなく、ブルースをしっとりと歌い上げる歌手になっていた。いいよ、おれたち大人にはいまのほうがいい。
酒場「L」のカウンターで写真家が言い、わたしも同意する。彼女は、東京タワーの見える窓際の席にいて、バーボンのグラスを手に静かに笑った。わたしは前のほうが好きよ。窓際のスタイリストがいう。女は正直だ。そして残酷だ。はっきり言ってもらったほうが気がラク。彼女は言った。ひどい事故だったの。何回も手術したわ。2年間、声が出なかった。いまは、歌えるだけで幸せ。そう思わなくちゃ。ヒット曲が出ないまま、やがて彼女はロスに移り住んだ。日本で売れないことが辛かったのだろうか。一度売れると変われないものよ。スタイリストが言った。歌えるだけで幸せなんて嘘。ヒットしなくちゃ幸せじゃないのよ。女は正直だ。そして残酷だ。【GIAメルマガVol.75からの転載】(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
■第19話・かくれ恋 ■2007年9月20日 木曜日 15時1分51秒

恋多き女なのに、いつも寂しさが漂う彼女だった。寂しいから次から次と恋をするのよ。女にはそういうところがあるの。スタイリストがいう。夜になっても六本木のアスファルトは熱い。酒場「L」は冷房が効いている。でもさ、今年で3度目の熱愛報道だぜ。週刊誌を片手に写真家がいう。ちょっとやりすぎだぜ。カランと扉を開ける音がして話題の主のモデルが入ってきた。トパーズを思わせる褐色の肌が「L」の照明に浮かび上がった。隠さなくてもいいのよ、週刊誌。彼女は微笑んだ。また熱愛記事ね。お相手は歌舞伎役者。そうでしょ。この前はF1レーサー、その前はなんだっけ。彼女はカウンターに座り、ジンフィーズを飲んだ。恋に疲れてるみたいよ。スタイリストがいう。彼女は立ち上がり、わたしのテーブルにきた。疲れるわ。わたしの顔を覗き込んでいう。そうだね。わたしはジンのボトルのキャップを開け、グラスに注ぐ。人のいい彼女はいつも誰かの恋のかくれみのになって、他人の恋を守っている。それを知るのはわたしだけだ。偽の恋のほうが疲れるわ。彼女が小さな声でいう。ほんとの恋がしたいのに。ほんとの恋で疲れてみたいのに。恋多き女、恋のジプシーといわれているが、ほんとの恋を知らない彼女だった。恋は数じゃないのよ。質よ。そういうと彼女は振り向き、ほんとの恋に乾杯とグラスを掲げた。静かに雨が降り始めた。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガVol.74からの転載】
■第18話・カレンダーガール ■2007年7月11日 水曜日 15時52分4秒

夏になると仕事が増える。水着のモデルとしてデビューした彼女には、いつも夏のイメージがつきまとう。地中海に行ってたの、ロケで。久しぶりに酒場「L」に顔を出した彼女は焼けた肌を見せていった。夏の少し前だった。見るたびに魅力的になっていく。ドラマの話が進んでいるの。胸元のダイヤモンドが揺れて、きらりと光った。白い帆をいっぱいに張って順風の青い海を行く船のように彼女は堂々としていた。ドラマは好評だった。だが彼女の出番は7月だけで、水着のシーンしかなかった。8月以降にテレビで彼女を見ることはなかった。ブラジルでモデルをやってるらしいわ。秋風が吹く頃、窓際のスタイリストがいった。そうか。日本が夏だけだったらもっとチャンスがあるのになあ。わたしがいい、それだけの力しかなかったということね、とスタイリストがいった。彼女、カレンダーガールなのよ。それはなんだい。シングルモルトをストレートで飲みながらわたしは聞いた。季節商品てことさ。カウンターの写真家がいう。季節を利用することは簡単だが、季節を超えることはむずかしい、そういうことだ。この世界は利用したものをどう超えるか、問題はそれよ。スタイリストがいった。厳しいね。わたしはため息をつき、胸元で揺れた彼女のダイヤモンドを思い出していた。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第17話・2番目のひと ■2007年6月11日 月曜日 15時51分24秒

いいのよ。彼女はさびしく笑った。小学校のときから何でもいつも2番だもの。初恋のひとにも2番っていわれたし、成績も2番、運動会でも2番、学芸会でも主役は他の子。お姉ちゃんはいつも1番だったけど。彼女は窓の外の照明が灯ったばかりの東京タワーを見る。酒場「L」のカウンターに写真家の姿はなく、写真家の妹がシェーカーを振っている。あんた、そんなにキレイだし、オリンピックにも行けたし、天が二物を与えたんだから文句いうとバチがあたるよ。スタイリストがいい、写真家の妹がそうよそうよと同意する。確かに彼女は、スポーツ選手でありながら女優のように美しかった。わたしは彼女の手のカクテルグラスを見た。窓から差し込む六本木の光を映して、グラスの中のオリーブの実が黒真珠のように深く輝いている。でもね、あの子は永遠に2番よ。彼女が帰ってからスタイリストがいう。そうよね。写真家の妹もいう。なんで? わたしは聞く。オーラね。あの子1番のオーラじゃない。2番のオーラ。なるほど、そういうものか。わたしはいい、何かわかる気がした。いい子なのよ。でも1番には、人を蹴落とす欲が必要なの。彼女には、それがないの。いい子はダメ。彼女はその年に引退して結婚した。わたしはホッとし、ご主人に1番といわれればそれでいい、永遠にひとのいい2番でいい、そう思った。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第16話 愛されて ■2007年5月11日 金曜日 15時50分47秒

愛されるより愛するほうが幸せという人もいれば、愛するより愛されるほうが幸せという人もいるのよ。彼女はいう。そうだろうね。わたしは答えながら、さて、わたしはどっちだろうと考える。酒場「L」はそろそろ店じまいだ。写真家もスタイリストもすでにわれらのテーブルに集まって、酔いの余韻の波間を漂っている。そうね、こうちゃんは愛するほうを望んでるけど本当は違う。愛されるほうがいいの。ファッション誌の副編集長の彼女はいう。放っといてくれ。わたしはいう。当たりだ。写真家が笑う。おたくは長男だ。義務的に弟や家族を愛さなければならないが、実は愛に飢えていると見た。そうよ。彼女がいう。きみは長女か。わたしは彼女に聞く。末っ子よ。末っ子か、じゃあ愛されて育ったんだな。となると愛されるほうが幸せなんだな。そうかもね。一概にはいえないでしょ。スタイリストがいう。一概でいいの。みんなに当たらなくても確率論だから。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第15話 寒いから ■2007年4月11日 水曜日 15時50分13秒

いつも愚痴をこぼしていた。まだ少女の面影を残している。でも、もう30歳よ、と嫉妬まじりに教えてくれたのは窓際のスタイリストだ。童顔にナイスバディというアンバランスが彼女の魅力だ。大きな瞳はくるくると動き、間接照明の下でもキャッツアイのように輝く。酒場「L」の混む時間は午後10時から3時間くらいだ。彼女はいつも今日が明日に変わる時刻に現れ、2時間ほどいて帰る。もう、頭にきちゃった。その日も12時過ぎにドアを開けるなり彼女はいった。一週間も家に帰ってこないの。連絡もなしよ。窓際のスタイリストがすぐ反応した。だって、結婚してるわけじゃないでしょ。わたしはいった。男にはいろいろあるからね。どんないろいろよ。モデルが突っかかる。まあ、いろいろないろいろですな。カウンターの写真家がいう。ろくに仕事もしないでさ。モデルがブツブツいいながら、マルガリータを飲む。でもさあ、なんでそんな男と一緒になったのさ。スタイリストがいう。そりゃそうだ。わたしがいう。うん、寒かったから。モデルが答える。写真家がうむと唸る。わたしも唸る。バカみたい。スタイリストがいう。粋だ。この子はどこでこんな粋な会話を覚えたのか。なぜ、あんな男と。うん、寒かったから。こんな偉大なるユーモアをいえる女性はそういない。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第14話 ヒヤシンス ■2007年3月11日 日曜日 15時44分50秒

売り出し方がおかしいのよ。ヒット曲は演歌だった。シンガーソングライターでデビューしたが売れなかった。泣かず飛ばずの3年間だった。4年目にレコード会社を変え、名前を変えて演歌を歌わされた。ヒットした。売れればいいのさ。この世界、売れれば天国売れなきゃ地獄。自分なんか捨てなよ。カウンターの奥で写真家がグラスを磨きながらいう。でも、自分じゃないわたしなんかいや。贅沢ねえ。それって自慢にうちかしら。窓際でスタイリストがいう。違うわ。テレビ局が演歌歌手を欲しがっていただけ。テレビの都合で違う生き方をさせられるなんて、わたしはいや。酒場「L」に客は4人しかいなかった。こんな夜は人生を語るのも悪くない。ヒヤシンスの女なんてわたしじゃない。輝きたいもの。女はダイヤみたいに輝きたいものなの。ヒット曲は、港の酒場でひっそりとヒヤシンスみたいな恋をする女の歌だった。ヒヤシンスなんていや。彼女が壁にグラスを投げつけても、写真家は黙っていた。だれだってダイヤになりたいのよ。だけどそうはいかないのね人生って。スタイリストがいう。その年、彼女は紅白歌合戦を辞退し、人気絶頂のまま蒸発してしまった。長野県飯田の保育園に子どもたちのために歌を作って歌う保母さんがいる。その保母さんは、ダイヤのようにきらきら輝いている。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第13話・デストロイヤー ■2007年2月11日 日曜日 15時44分13秒

歌舞伎役者を父に持つ女優は、年齢より若く見える。内側からほとばしるオーラがあった。光に透かすと奥できらりと光を放つダイヤだ。大きく黒い瞳は、口を開くたびにさまざまに光り、まるで瞳の光が言葉のようだった。伝統を守るって伝統を壊すことよ。そういった。事実、彼女はたえず新しい役柄に挑戦した。酒場「L」の窓の向こうで東京タワーが赤く輝く。恋もそうよね。窓際のスタイリストがいい、わたしも写真家もどきりとする。女優は恋多き女だ。女はときとして相手の心臓を平気で刺す言葉を発する。女優の堂々たる口ぶりに嫉妬したなとわたしは思った。女優は写真家の作ったLスペシャルを飲んでいる。ウォッカベースの強い酒だ。彼女の相手は格闘家が多かった。恋も守りに入ったらダメね。わたし挑戦者が好き。チャンピオンになるとダメになる。輝いているのは挑戦者。女優がいった。最近のお相手は若いキックボクサーだと聞く。なによ、あのコ、かっこいいこというけどただのデストロイヤー、チャンピオンをダメにする壊し屋じゃないの。扉を開けて出ていく女優の後姿にスタイリストがいった。歌舞伎の名門に生まれた女の子に伝統は重いのよ。写真家がいい、わたしはふと胸が熱くなった。時代劇に出演してもその演技は流行のドラマのように自然に思えた。武士は死ぬために生きているのじゃないのね。生きるために生きているの。酒場「L」の週末の嬌声にも負けない声は澄んでいた。武士道に挑戦ですな。カウンターの向こうで写真家がいう。時代劇って新しさが引き出せるのよ。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第12話・傷つき上手。 ■2007年1月11日 木曜日 15時37分10秒

恋に時効なんかないわ。窓際のスタイリストが東京タワーの上空に瞬く星を見ていう。お前さんは恋が下手だからな。いつまでもひとりの男に固執する。カウンターの写真家が笑う。恋は数では語れないでしょう。わたしはウイスキーを飲みながらスタイリストのかたをもつ。入り口に近い左側のいつものテーブルからも星は見えた。
酒場「L」はまだ混む時間ではない。でも、あの子、特別よ。1ヵ月と続かないんだから。ワインでも開けようか。写真家がいう。ロマネコンティ。祝い事もないのに? そう、何にもないからワインを開けよう。いいわね。スタイリストがいう。短い恋に乾杯ね。扉が開いた。噂の主のモデルが微笑みながら入ってきた。男がいっしょだった。ふたりは奥のテーブルについた。ワインを奢りますか。写真家がグラスをふたつもって行った。モデルのグラスに注ぐワインはルビーのように輝いた。またひとつ恋が始まるわ。スタイリストがいい、そして終わるのさ、とわたしが小声でいった。乾杯。奥の席に向かって、われらはグラスをあげた。傷つくことだがけが上手になっていくわね、あの子。スタイリストがぽつんといった。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第11話・海に咲くひと。 ■2006年12月11日 月曜日 15時36分23秒

海を見に行かない?彼女が言った。いまからよ、車あるの。いいね、でもオレ、運転できないよ、酒飲んでるし。大丈夫、わたしも飲んでるから。横浜の米軍基地の入り口にいいバーがあるの。モデルから女優に転向した彼女は、昨年女優として多くの賞を獲得した。大変な美人だが、それは表面上だけの美ではなく内側からにじみ出てくるものだ。トパーズの輝きに似た瞳は、だれもが吸い込まれるほど深く、神秘を湛えている。「L」では一緒に飲むが、外で2人で酒を飲むのは初めてだ。深夜のドライブを断る理由はない。お安くないね。カウンター越しに写真家が冷やかす。午前零時を回っている。葉山で育ったの。海はわたしの命よ。ハンドルを握りながら彼女は言った。湘南という名は徳富蘆花が有名にしたの。不如帰を書いた作家よ。主人公の浪子は短命だった。蘆花ってひどい人ね。せめて小説くらいは幸せにして欲しい。残酷なのは現実だけでいいわ。高速を降り、東神奈川の埠頭に向かう。バーはアメリカの香りに溢れ、サザンオールスターズの写真が貼ってあった。ボイラーメイカーを2人で飲む。熱しつつ醒ますという酒だ。わたしたちは米兵たちと夜通し騒いだ。その年の冬、女優は死んだ。浪子のように短命だった。凍えそうな青山祭場で、彼女は海に帰ったのだと思った。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第10話・制服は脱がない。 ■2006年11月11日 土曜日 15時35分36秒

ぜひ、写真を撮らせてくれ。写真家の頼みに彼女はいつもノーと首を振る。制服の彼女は背が高く、その物腰は流れるように美しい。動作のひとつひとつにメリハリが利いていて、会話の歯切れもいい。どんなに飲んでもいつも毅然としている。大きく自己主張の強い目。すうっと見事なラインを描く鼻。口元はしっかり結ばれている。その肌は透明感に溢れ「L」の窓から差し込む月明かりに照らされると水晶のように輝くのだ。隣の席の女優より輝いて見える。自衛隊なの? 警察なの? スタイリストの問いにいつも曖昧に笑うだけだ。30代前半と見たな。写真家が言った。いやはやトウシロウは怖いね。ほら、女優が負けてるよ。制服がいいんです。張り詰めた感じでほろ酔いが実にいい。わたしは答える。ある日、彼女が言った。しばらく海外にいくので日本を留守にします。なによ。どこへ行くのよ。スタイリストが聞く。愛国心ね。そう言って彼女は美しく笑うだけだ。似合うね、カクテルグラスが。写真家がため息をつき、あの美貌で愛国心ときましたか、とわたしが言った。あのう、写真撮っていただけますか。彼女は写真家に言った。願ってもないことです。写真家がうなずく。制服のままでいいですか。ヌードじゃなくて。愛国心をヌードにしたいところだけど、制服で撮りましょう。いま、彼女の行方は不明で、制服の写真だけが残っている。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第9話・模様替え ■2006年10月11日 水曜日 15時26分47秒

宝塚出身の女優は、背が高く、その物腰は流れるように美しい。男役だったせいか、動作のひとつひとつにメリハリが利いていて、会話の歯切れもいい。毅然としながら輝く様は、見事にカットされたダイヤを思わせる。大きく自己主張の強い目。すうっと見事なラインを描く鼻。口元はしっかり結ばれている。よく喋るが、口元の印象はいつも一直線に結ばれている。姉御肌だ。30代後半。恋の噂はまったくない。あれはまさしく男ですよ。男より男らしい。女だから理想の男がイメージできるんだな。そのイメージ通りに生きている。見事です。写真家がいう。その通り。わたしは答える。われら男どもに理想の女性像が描けるようにね。でも、理想は理想であって、リアルではない。彼女には生活感がないぞ、と写真家。それが人気の秘密でもあるでしょう、とわたし。その女優が恋をした。相手は映画監督だ。部屋をすべて模様替えしたという。恋人を変えるたびに部屋を模様替えするのよ、彼女。有名よ。ヘアメイクの女性が言った。1ヵ月もしないうちに別の恋の噂が週刊誌に掲載された。映画の相手役の男優だった。また模様替えをしてるんだな。忙しいだろうな。写真家とわたしはそう言いながら乾杯をした。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第8話・グッドバイ ■2006年9月11日 月曜日 15時25分57秒

高校を出てからだから7年ぶりなの。まったく偶然なの。モデルはいう。渋谷駅、そうメトロの階段。彼女は、地下鉄をメトロといった。初恋っていうわけじゃなくて、なんとなく憧れていた先輩なの。彼は、野球部だった。わたしは階段を降りていたわ。彼は階段を駆け上がってきたの。肩がぶつかって、振り向いて、彼だとわかったの。うれしかったわ。カフェでお茶を飲んで、そうね20分くらいで別れたの。酒場「L」は空いていて、窓外の東京タワーが小雨の奥で煙っていた。真珠の小粒のような優しい雨が、ちかちか輝きながら落ちていた。いいね。美しい話だ。カウンターの向こうで写真家がいった。故郷のあるやつはいいな。そういった。東京生まれのわたしも、その言葉にうなづいた。電話があったのよ、彼から。会いたいって。ダメ。わたしと写真家は同時に叫んだ。美しい思い出にしておくべきだ。写真家がいった。わたしは単に、こんないい女が男と会うということだけで反対していた。男の原始的な思いなのだ。どうしてよ。窓際のスタイリストがいう。恋のチャンスよ。いい話じゃない。ダメだ、男は変わっているはずだ。東京は男を変えるからな、わたしがいい、女も変わるわよ、とスタイリストがいった。わたしは東京ですっかり変わったわ。カウンターの端で、沖縄出身のゲイがそういって笑った。ゲイを含めた女性たちは、会えといい、男たちは、会うなとなった。この違いはどこからくるのだろうとわたしは思った。会うわ。モデルはいった。ダメだ。いいじゃないの。思い出が汚れる。モデルは彼と会った。そして、別れた。その後「L」でも彼女はその話を一切しなかった。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第7話・荒馬と女 ■2006年8月11日 金曜日 15時25分15秒

噂はすぐに広まった。音楽家の男は妻帯者だったが、現在の妻とは離婚訴訟中だと言った。それが男のくどき文句のひとつで、だれかれかまわずにそのことを言った。「L」の連中は少々鼻につく感じを抱いていた。彼が新しいガールフレンドを連れて「L」にきた。小粒の真珠のようにきらきらと輝く女性だった。カナダの深い湖のように深く神秘的な瞳だった。タキよ。彼女は自分の名前をそう言った。ジンジャーエールを飲んでいた。お酒ダメなの?窓際のスタイリストが聞いた。うん、車なの。タキは残念そうに、それでもうれしそうに笑った。マスタングの新車に乗ってきたの。凄いね。わたしは言った。彼女は、ムスタングとは言わずにマスタングと言った。マスタングは荒馬という意味で、映画バニシングポイントに登場した人気車だ。ムとマの発音の違いにこだわるのは、むしろ都会の女ではないとわたしは思った。だが、タキには洗練された美しさがあった。彼に買ってもらったの。音楽家が気まずそうに頭に手をやった。いや、彼女の誕生祝にね。おい、誕生祝にマスタングを贈ったのか。カウンターの写真家が驚いた。マスタングの女、タキの噂はすぐに六本木に広まった。広尾の交差点があるじゃない、うん、そう、トンネルのとこ、あの交差点を赤信号であの子突っ走ったのよ。ゲイが写真家に言った。でも、かわいい子よね。あんな男に引っかかるなんて、もったいないわよ。おや、女性にも興味がおありなのか。写真家が言った。やがて、音楽家がひとりで「L」にきた。タキのやつさあ、マスタング売り飛ばして消えちゃったよ。えっ。みんなは驚いた。600万だぜ、600万。音楽家が大騒ぎをするが、なぜかみんなの心の中に清々しい風が吹いた。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第6話・傷だらけのジーナ ■2006年7月11日 火曜日 15時24分34秒

あれはジーナだ。ハワイロケから帰ったディレクターがいう。ワイキキで子どもに波乗りを教えていた、という。後ろ姿がさびしいから、声をかけなかったよ。だけど、ジーナに間違いないよ。恋多き女、ジーナ。傷だらけのジーナ。「L」ではそう呼ばれていた。水着のモデルで一世を風靡したモデルだった。ハーフだ。彫りの深い顔立ち。豊かな表情。時に明るく、時に沈んだトパーズの輝きをもつ瞳。海外にもよく出かけた。フランスで恋をし、イタリアで恋をし、アメリカでも恋をした。恋をするたびにジーナのメイクやヘアースタイルは変わった。相手の男に合わせて自分を変えた。ジーナは尽くす女だ。だが、ジーナの恋は長続きしない。男はみんな独占欲が強いからね。ジーナはそういった。誰だって独占したくなるよ。わたしはいった。もてる女の悲しさがジーナにはある。ジーナと恋をしても、男たちは、いつもはらはらさせられるのだ。致命的だった。本当の恋をジーナは知らないのかもしれない。恋に破れるたびにジーナは落ち込み、傷だらけになる。相手より自分が傷ついたと考える。男なんて星の数よ。立ち直るときのジーナの口癖だった。星は手が届かないからいいのさ。わたしはそのたびにそう答えた。皮肉だった。ハリウッド映画に出演する話が舞い込んだとき、みんなは祝福した。あんた、また新しい恋をするのね。窓際のスタイリストがいった。今度の相手は、ケビン・コスナーよ。ジーナが答え、そりゃ最高だね、とみんながいった。「L」の客全員で乾杯をした。ジーナの消息はそれで途絶えた。ハワイにいたというさびしい後姿の女性、ジーナではないとわたしは思う。映画でも見ないし、ケビンとの恋の噂も聞かないが、ジーナにはハリウッドにいてほしい。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第5話・純愛のゆくえ ■2006年6月11日 日曜日 15時23分55秒

若い恋はいいものだ。彼女はタレントの卵、彼は写真家の卵。「L」の面々は、暖かく見守っている。ふたりとも故郷の方言丸出し。まだ、原石だ。磨かれてはいない。その方言にも好感が持て、たどたどしい都会語にも笑えた。誰にでも皮肉たっぷりに説教をする小言女優もかける言葉が暖かい。夜が更ける前にふたりはタクシーの群れを横目で見、寄り添いながら地下鉄で帰る。それもほほえましい。あるとき、彼女のヌード写真を彼が撮影し、コンテストに入賞して話題になった。いい写真だった。このやろう、とみんなが彼の頭をこずき、彼女は顔を手で隠した。六本木には珍しい純愛のカタチだった。どんな名カメラマンもかなわねえよなあ。カウンターの中で有名写真家が首を振って笑った。惚れた男にしか見せないいい表情見せるんだよ。彼女のマネージャーが血相変えて「L」にきた。誰もその男と口をきこうともしなかった。ふたりは売れてきた。その年のクリスマスの夜。彼がひとりで「L」にきた。彼女、仕事で、これません。いま、テレビに出てます。いえ、テレビはつけないでください。彼がいい、そうよね、ふたりとも夢に向かってるんだから、がまんがまん。窓際のスタイリストがいった。初春、桜が咲く前にふたりは別れた。スタイリストからその話を聞いた。まあ、売れるとそうなるさ。写真家がいい、誰もが純愛映画のエンドマークを心のスクリーンに映していた。お互いに好きなのに別れるのね、スタイリストが小声でいい、夢に生きるのも人生よ、写真家が答えた。その後、ふたりとも「L」にこなくなり、彼女はその夏、マネージャーと結婚し、引退した。ひとつ、純愛は消えた。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第4話・パリ2人旅 ■2006年5月11日 木曜日 15時23分9秒

よした方がいいんじゃないの。みんな、心の中ではそう思っていたが、口に出してはいわなかった。いっても無駄なことがわかっているし、いえば2人の女性から機関銃の玉のように反撃の言葉が飛んでくるのは明白だ。あなた方2人で旅にいくなんて、喧嘩しにいくようなもんだ。そういいたい。だけど、誰もいわない。2人は作家だ。かたや歌手活動もし、レコードも発売し、テレビドラマにも出演するほどのマルチタレントぶり。かたや本格純文学作家(と当人は思っている)。どちらも極め付きの自己チュウ。なぜか、この酒場では姉妹のように仲がよい。強い光を放つ眼が似ている。猫の眼。くるくる変わるキャッツアイ。だが、くるくる変わるのは眼だけではない。気持ちもくるくる変わる。これが困る。これが2人ともだから困る。その2人がアシスタントも付き人も付けづにパリにいくという。あるコピーライターがCM出演を依頼したら、両方に頼まないとおかしいんじゃないの、と頼まないほうからいわれ、結局断ったら2人ともそのコピーライターと口をきかなくなったと驚いていた。2人はパリに2人だけで行き、別々に帰国した。Lではその後、2人いっしょのところを見なくなった。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第3話・ゴールド・フィンガー ■2006年4月11日 火曜日 15時10分28秒

悪いことかしら。売れっ子のメイクアップアーチストの彼女がいう。だってマッサージの勉強したんだもの。それってわたしの特技なのよ。評判は決してよくはなかった。メイクアップの技術で客を開拓するのではなく、マッサージで売れっ子になっている、といわれている。いいんじゃないか。わたしはいう。だってメイクの腕が悪かったら誰もきみには仕事を頼まんだろうしな。彼女は一流のモデルや女優のメイクを担当している。基本的にモデルや女優本人が満足するならそれでいい、とわたしはいう。スタジオで撮影の合間にモデルや女優の肩を彼女は揉んであげる。これが非常にうまいのだ。そんなんで仕事を増やすのは邪道よ。周りの同業者に白い目で見られているらしい。現にこの酒場でも何人かの女性から「おかしいんじゃない」と聞かされたことがある。だが、そんなことは今までにもいくらでもあった。要は、そうしても周りからブツブツいわれるかいわれないか、それだけのこと。きみの人格によるんじゃないか。わたしの口からそうはいえないけれど、いう方もいわれる方もどうかなあ、と思う。そんなことをうじうじいっていたら、最後はわたしが煮え切らない男といわれ、両方から文句をいわれてしまった。敵か味方かはっきりしろ、と女性たちはいうのだろうか。まいったなあ。男は結構その辺いい加減に生きてるんだから。でも、ゴールド・フィンガーと呼ばれ、仕事が増えるのはいいんじゃないか。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第2話・タヒチからの電話 ■2006年3月11日 土曜日 15時7分49秒

驚いてたわ、あのカメラマン。ロックグラスを飲み干し、カウンターまで歩いていき、ウイスキーのお替りをしたのは美人で評判のスタイリストだ。深く黒い真珠の瞳は、理知的だ。小さめの鼻は、手を差し伸べたくなるひ弱さを感じさせる。ぷっと厚みのある口元が、セクシーだ。それでタヒチから電話なのか。だって、わたしが誘ったんじゃないもん。Sさんがホテルのわたしの部屋で飲もうというから、飲んだだけ。でも、ベッドに入れば男はだれでもその気になるさ。愛がなければダメなの。嘘でもいいから愛が欲しいの。嘘じゃあ愛の意味がないだろ。彼女からの電話はこうだった。「いま、あなたを裏切るわ。あなたをだましたくないから、知らせるわね。うん、Sさんよ」。ベッドでその電話を聞いていた有名カメラマンのSは、飛び上がって逃げ去ったという。そりゃそうだ。とんでもない話だ。もう何回目になるだろう、彼女からのこんな電話。その度に、わたしが相手の男を裏切った気分がして釈然としない。もう止めてほしいもんだ。「ドタキャンのA子」という噂はわたしの耳まで届いている。この酒場でも知っているものも多い。しかし「嘘でもいいから愛がほしい」と、相手が結婚しているのを承知で訴えるA子が、なぜか愛しくなるのだ。なんか、悲しいよね。ライトアップされた東京タワーに目をやる黒真珠の彼女に「もう電話なんかするなよ」とわたしはいえない。いいよ、また、さびしい電話をしても。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】
■第1話・女優の結婚 ■2006年2月11日 土曜日 14時48分38秒

午前零時が過ぎた。女優は「これからが私の時間よ」とどっしり腰を据える。夕方から降り始めた霧のような小雨が六本木の交差点を濡らしている。ビルの3階にある酒場「L」からはライトアップされた東京タワーが見える。東京タワーができた頃マンモスタワーと呼んでいたのを知る者は少ない。上空に向かって並んだライトがチカチカと小雨に瞬いている。女優は29歳。連続テレビドラマに出演中。先週写真週刊誌に有名野球選手との熱愛がスッパ抜かれた。結婚はごめんよ、あんな男。女優がいう。世間体ばかり気にしてさ。浮気、ケチ、嫉妬。男の3拍子そろってんだから。女優はわたしに噛みつく。浮気、ケチ、嫉妬。これが男よ。でもさあ、テレビ局がうるさくないか。わたしが尋ねる。大丈夫、プロデューサーがわたしに惚れてんのよ。女優が大声で叫び、あっちこっちの席から歓声があがる。女優の指に輝くダイヤ。そのプロデューサーからのプレゼントだろうか。色恋については、男のほうが女々しくって、女のほうが雄雄しいんだ。女優が叫び、酒場中の女性が拍手を送る。こっちで飲もうよ。わたしに同情した写真家がカウンターの中から誘う。逃げるのかよ。女優が突っかかる。逃げたい。わたしがいい、みんなが笑う。誰か代わって。若いヘアーメイクの青年が代わった。その年、週刊誌に載った野球選手は最高殊勲選手に選ばれた。女優はテレビの番組を降ろされ、ヘアーメイクの青年と結婚した。その酒場に、女優はこなくなった。指輪を変えたな。ふと、そう思った。(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)【GIAメルマガからの転載】

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