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小谷年司の業界アラカルト

■尚美堂の江藤家三代をおくる ■2011年10月3日 月曜日 16時5分17秒

 九月十六日の朝、大阪・淀屋橋の尚美堂社長、江藤光哉さんが心臓発作のため急死された。私の会社とは、近年お取引は少なくなってしまったが、業界や同じロータリークラブの仲間として、その愛すべき人柄から、気持ちの良いお付き合いは続いていた。
 十八日、お葬儀が西宮の山手会館であった。江藤家は、代々クリスチャンなので、プロテスタント風の簡素で美しい飾り付けの中で、駆けつけた人はみんな光哉さんの若すぎる死を心から悲しみ悼んだ様子であった。阪神間に住む多くの知友に交じって、(社)日本ジュエリー協会の堀会長や本紙の藤井社長の姿もあった。その時に会った生駒時計店の生駒会長のお話によると、初代の江藤英吉郎さんの葬儀にも出たことがあるから、四代にわたる弔問と言っておられた。私ですら三代である。
 尚美堂の創業は一九〇〇年(明治三十三年)だそうである。二代目の順造さんは、その年の生まれで、生前十九世紀の遺物と私に仰言っておられた。尚美堂の基礎を築かれたのはこの方で、私が栄光時計に入社した昭和三十八年頃は、最大のお得意先であった。お互いの商品部には、当時としては珍しい、ダイアルなしの直通電話が通じていて、終日注文が入ってきていた。
 二代目・順造さんの経営スタイルは、業界では良く知られる名物番頭さん、山岡、上田、和田といった人々を手足のごとく使って、本人は涼しい顔でいる典型的な大阪の大店主人風であった。私も何度か欧州旅行にお供したり、同室になったこともある。聖書をいつも携え、祈りを捧げて、夜歩きもされない温容の人であった。同じロータリクラブに属していたが、いつも笑みを絶やさず、商売の生臭い話をされるのを見たことがなかった。後継者の基雄さんに先立たれても、孫の光哉さんに社長を譲るまで、社業に黙々と精励された。節制の生活を送られたためか、百歳まで、殆どお元気で存命だった。
 長男の基雄さんは、敬虔なクリスチャンだったお父上と全く反対の性格だった。父上と同じ神戸大学出身。酒豪というか浴びるほどウイスキーを飲まれた。親分肌で、いつも傍らに人がいないとさびしいと言う感があった。月に一度会食する業界の会があって、この人が出席すると俄然賑やかになり、時に馬鹿騒ぎとなった。言葉使いは乱暴だったが、その裏に屈折した優しさがひそんでいた。会社では、若くして専務であったが、四十九歳の若さで恐らく過度の飲酒のために、肝臓ガンで亡くなった時も専務のままであった。恐らく番頭衆が、社業は我々にお任せあれと、若旦那を排除していたと想像される。このままで良いのかと言う焦りと、このままだと当面は楽だという葛藤に悩まされておられたのではなかろうか。
 その頃宝石ブームが起こりかけた時期で、宝石学の近山昌さんの一の弟子として、全国宝石学協会の運動に専念されたのも、個人の目利きに頼っていた自社の仕入れ方法に対する反発と情熱の矛先の発見からのように見えた。亡くなられた時、活躍はこれからなのに気の毒に思ったが、今となってみると五十近くなって経営のトップになっても、どんな優れた才能を持ってしても、なかなか画期的な事業とならないような気がしている。基雄さんは大阪の青年会議所の活動でも積極的な言動によって、サントリーの佐治さんや仁丹の森下さんたちに伍して重きをなしていた。全国の時計宝飾業で青年会議所に入っている会員を糾合して、その組織の初代会長にもなっている。この青年会議所の定年である四十歳前後が、イノベーションに可能な就任時限だろう。
 さて、亡くなった光哉さんは激しかった父上の基雄さんとは性格も体型も顔つきも、これまた正反対であった。これくらい異なる親子も珍しい。父上は、やせて面長、剣士のような体つきで、神経質な表情を時に表し、怒りっぽかった。光哉さんは、いかにもラグビー選手らしい、がっちりした体型で、丸顔、いつもニコニコしていて、おおらかだった。同じロータリクラブで週に一度ぐらいは会うのだが、十五歳年少のため、親近感を抱いていたが、親交は結ぶまでには至らなかった。みんなから好かれ、色んな世話役、例えばクラブの幹事などをよく引き受けさされていた。業界でも同じで、大阪時計小売組合の次期理事長に内定したばかりであった。お付き合いも極端に良い方で、飲み会には大抵顔を出し、カラオケもお上手だったときく。ロータリークラブでも時々、ソングリーダーとして登場されていた。お子さんはいなかったが、泰江夫人との仲は、睦まじく、ご友人の弔辞では、大病をされた夫人に、「君が死んだら、すぐに後を追うよ」と公言していたようである。それがたった三日の病で、亡くなってしまうとはという悲しみと驚きの念が葬儀に参列した方々の間に強く漂っていた。享年五十九歳、深く哀悼の意を捧げたい。
■ダイアモンドの売り方(後編) ■2010年12月22日 水曜日 15時7分12秒

 前稿では百貨店で高いダイアモンドが売れなくなった理由の一つとして、熱心で知識に富んだミスター・ダイアモンドが社員にいないことからくると言った。さらに高価なダイアモンドが売れなくなった大きな原因がもう一つある。
マリリン・モンローが唄う「ダイアモンドは女性の最善の友」と言う歌を覚えておられる方も多いだろう。勿論、キラキラと輝いて美しいせいだが、財産でもあるからである。日本の女性はダイアモンドの買い物と言ってもお惣菜同様、やっぱり信用のおける百貨店である。ハリー・ウィンストンやグラフと言った高級宝石店に予約してお出かけになるお金持ちは、そういらっしゃらないと思われる。百貨店でも展示会の場合が多い。この展示会というのが曲者で凄く大粒のダイアモンドは大体一時的に日本へお出ましになっている場合が殆どである。買い手がつくとそれぞれの中間業者が利益を取る。大粒石のマージンの世界的相場は金額によって異なるが、精々数パーセントである。百貨店に2、3%の利益しかない商品は、純金ぐらいしかない。純金並みのマージンをダイアモンドに適用せよと百貨店に要請しても通じない。では何故、各段階で高いマージンを取るのか、それは返品されることが恐ろしいからだ。利益が沢山入っていると返品された時は利益の分がなくなるではないか、リスクを避けるにはマージンが少ないほうが安全ではないかと思われるが、支払いの済んだ自分の在庫ではないから次のリスクの保険のような感覚でマージンを取るから国際的な価格と、かけ離れた値段の設定になる。当然、返品の危険性がなければ多額の値引きが可能になる。現行の商慣習では購入者の返品権利は増す一方でこれではあぶなくて大粒ダイアモンドは売れそうにもない。
原油や金、プラチナ同様、ダイアモンドはドルベースで取引される。ドルの値段も返品時のリスクに加算される。純金は1〜2%の手数料で取引されるから金の値が10%上昇するか、円がドルに対し10%上昇すれば、購入者は原価取引値に対し、買った値で再販しても得をする。枠代もかかっているダイアモンドに50%の利益が原石の取引値に対し乗っているとすれば、いくら原石が値上がりしても円が上昇しても再販した購入者が儲かるには余程のインフレが起きないと難しい。上質のダイアモンドは確かに資産性はあるが金と比べるわけにはいかない。金だってダイアモンドだって値下がる可能性もある。こういった点でも正しい購入者教育は必要かつ不可欠である。教育というより事前の理解を得ておく必要がある。

 ダイアモンドの価値に対する信頼性はかなりの高さでデビアスの独占の強さにのっとっていた。現在の市場支配力は50%と言われていて価格指導力はあるにはあるが、他の鉱山が追随した方が得だと思っている時は有効だが、事情によって安売りした時の対策も考えておかねばならない。昔の磐石の価格統制を貫くのは困難になっている。ダイアモンド産業の基礎となったのは一九世紀末の南アフリカ、キンバリー鉱脈の発見からである。鉱脈がくさび形となって地下千米以上管状にのびており、これをダイアモンド・パイプと呼ぶ。ここから業界の隠語としてパイプラインという言葉が使われ出した。鉱脈の採掘から始まり、全原石がロンドンに集まり、年十回のサイトで言わば配給された原石が世界中でカットされ、商人の手で市場に宝飾品原材料または宝飾品そのものとして流出するまでの一直線のコースまたはそれにかかわる人々を指す。 全ての道はローマに通ずるとローマ帝国では言われたが、全てのダイアモンドはデビアスに通じていた。その道がパイプラインであった。そのパイプラインに混入物が入り込んで来たので複雑な現状となっている。パイピラインをフォーエヴァーマークで再構築しようとしているのが今のDTCといえる。

 こういったブランド戦略とは別にダイアモンドそのものの価値、宝石としての美しさを信じて疑わない人も少なくはない。その中の一人に畏友の諏訪恭一さんがいる。諏訪さんが昨年末、世界文化社から「ダイアモンド・原石から装身具へ」という写真入りの本をアンドリュー・コクソンという人との共著で出版された。その一年後、今度は英語版が出た。コクソンという人はデビアスで長年原石の鑑定をしていた人でDTCの役員も勤められた。根っからミスター・ダイアモンドである。この人と日本のミスター・ダイアモンドであり、ミスター宝石でもある諏訪さんとの出会いから生まれた幸福な本である。この本では美しいダイアモンドは美しい原石から出来上がることを写真で納得させられる。冷ややかに光っている研磨済みダイアモンドでも氏素姓は重要である。お二人の文章は知識としても素晴らしいが、表現の隅々にお二人のダイアモンド人生が滲み出ている。ダイアモンドを愛することは一ヶ一ヶの石に愛着を感じることであることが伝わってくる。ダイアモンドの価値は希少性にある。たとえ人造ダイアモンドが出来ても判別は必ず可能だが、それは製造コスト問題であって天然の石の希少価値を傷つけることはないとこの本には書かれている。いくら良く出来ていてもコピーはあくまでもコピーに過ぎない。理想的に美しいサファイアやルビーでも人造宝石が売れない心理的理由はここにある。この本を業界の人は是非、一読いや何度も何度も呼んでほしいと思う。ダイアモンドの売り方は結局一つ一つ丁寧に石をルーペで見て美しさを欠点と共に納得し、仕入れと自分の愛着点をきちんと説明して販売することに尽きるようである。(栄光時計株式会社 会長 小谷年司)
■ダイヤモンドの売り方(前篇) ■2010年12月22日 水曜日 15時3分6秒

 ダイヤモンド原石の輸入が自由化されたのが1960年であった。
この年に生まれた人は現在50歳になる。この年代より以前の、ダイヤモンドなんか見たこともないという日本人が多かった時代の多くの人々には、想像もつかなかっただろう。ダイヤモンドブームに火がついたのは、戦時中に供出というか、事実上は国家の没収に近かった国有ダイヤモンドが放出された1966年あたりからである。翌年から、デビアス社が代理店のJ・W・トンプソン社を通して、ダイヤモンドのPR活動を開始している。広告代理店を使ったのはアメリカではかつて、司法長官だったロバート・ケネディが独占禁止法の敵とデビアス社を名指していて、アメリカには直接進出は出来なかった。日本でも同じリスクを避けたいとの思惑だったとされている。それだけデビアス社の独占力が絶大であったとも言える。
 今から40年程前には日本の小売店でもダイヤモンドの知識は殆どなかったようである。デビアス鉱山会社といっても知る人は少なかった。まず勉強という訳で英国の宝石学協会の鑑定士資格(F・G・A)またはアメリカの宝石学校の同じ資格(G・G)をとるために、多くの人が国内や外国留学して勉強する人々が急激に増えた。
アメリカの方がやはり実務的であるので人気が高くG・I・A(アメリカ宝石学校)の生徒の大半が日本人といった時代であった。この宝石学学習のブームを作ったのが、甲府で宝石研磨技術の指導をしていた近山晶さんで、1966年にF・G・Aの資格を取得以来、研磨よりも宝石知識の普及のために精力的な活動を開始された。業界人の中には近山さんの厳しい指導を受けた方が多い。全国宝石学協会の創始者の一人であり、宝石学の一大権威であったその初期のお弟子の中の一人に今井多一郎という変わった人がいた。私も一度お会いしたことがあるが、一種の鑑別絶対主義で、全てダイヤモンドの価値は理想的なカットにいかに近いか、それと色、キズ、重さで自動的に決まると言ういわば科学的で数値的鑑定の原理主義者であった。この基準の中でカラーの判定が曖昧であることは、この間の鑑別機関の事件で明らかでもあるし、意図的ではなくとも野球の球審のストライク、ボールの微妙な判定に似ることもある。内包物の小さな黒点は大きなキズと異なり、全体の品質との関係は直接的ではない時もある。しかし、重さだけはゴマかすことは出来ない。さて、カットだが、客観的な数値測定は可能だが、石の重さを出来るだけ確保し、輝きを守るため、そのバランスが問題となる。なかには重さを保持するあまり、甘いカットの石も混じってくる。今井氏は、ここを突いて「歪んだピラミッド」と称して理想的なカットでないダイヤモンドを売る販売店をインチキダイヤとして自分の指導する小売店に言いふらさせた。セイコーが販売していたフェニックス(不死鳥)というダイヤモンドが標的にあげられ、いかにも価値のないダイヤモンドを売っているという誇張された指摘とキャンペーンには信用第一を重要視するセイコーは堪えきれず、このブランドのダイヤの販売を断念することになった。哀れフェニックスは死んでしまった。週刊誌にも取り上げられた事件になったので、憶えておられる人も多いだろう。当時のダイヤモンドの知識はその程度であったので、理論的にはセイコーは打ち勝つことも出来ただろうが、一般人の理解を得るのは大変と判断したと見られる。ダイヤモンドの価値は計数によって客観的に決まるという幻想にみんなが酔い始めた頃であった。その後、今井氏はその指導下の小売店も消えてしまったが。
以来、特にデパートでは慎重になり、自社内にG・GとかF・G・Aの資格保有者がいるにも関わらず、鑑別は鑑別機関の発行に頼ることになったのは一種の責任転嫁である。小売店の殆どがこれを見習ったことは言うまでもない。日本程、鑑別会社が乱立した国は世界に類をみない。その頃から参入して来たティファニーやカルチェは自社の保証書だけでダイヤモンドを販売する姿勢は変えなかったが、それは特殊な例外で自分達には真似出来ないと日本の小売店は鑑別書頼りに傾いていった。良識のあるダイヤモンド業者は、この傾向を苦々しく思っていたが、多くは時代の流れで仕方がない。それに業界全体が鑑別料を取っているのだから、競争条件は同一である。ダイヤモンドの売上げは増える一方だし、鑑別書頼りの販売は楽であった。さらにラパポート・レポートなるものが出現して、ダイヤモンドの価値は鑑別書とこのレポートを手にすれば石そのものはルーペでチェックせずとも値段の方は素人にも見当がつくようになった。こんな風に簡単に値決められるブリリアントカットは面白くない。カラー・ダイヤや変型か、新種カットの方が値が通ると試してみるが、市場性ははるかに少ない。そうする内に、バブルははじけ、ダイヤの世界生産の三分の一を消費した日本も十分の一以下に落ち込み、ブライダル市場はダイヤの若者向ブライダル専門店にさらわれ、宝石店は苦難の時を迎えるに至っていると言ってよい。ブライダル専門店だって、若者たちがいつまでも、三分石前後の画一的な婚約リングで満足しているとは限らない。
ダイヤモンドを売るにはどうすればよいか。遠回りのようだが販売店はやはり、ダイヤモンドについて最新の正確な知識に裏づけられた愛情を持つしかないと思われる。それに、気に入った石は自分のリスクで買い取るという勇気である。優秀な人材にF・G・AやG・Gの資格を取らせ、十分な資力を持っている多くの百貨店がダイヤモンドを直接買い取り、直営売場の経営に乗り出そうとしていた。基本的にこの考え方は正しいから、デパートに入っている問屋はみんな、将来排除されるかもしれると恐れおののいたと言ってよい。それが私の見聞きする限り、みんな数年のうちにうまく行かなくなった。
その原因は色々あろうと思われるが、ひとへに担当者が知識はあってもダイヤモンドに対する愛情と勇気を兼ね備えることが無かったせいと言える。
頑固なミスター・ダイヤモンドが、百貨店の現在機構の中で存在することが出来なかったことが原因とも言える。(栄光時計株式会社会長 小谷 年司)
■フォーエバーマークは信頼のマーク(下) ■2010年9月28日 火曜日

フォーエバーマーク本社訪問記(栄光時計株式会社会長 小谷 年司)

幸いスティーヴン・ルシア社長は在社していて、一時間ほど会って話しをする機会を得た。
ルシアさんは、アメリカ人でデビアス社のマーケティング・マネージャーとして全盛バブル時代の日本を担当していて、よく会合で議論をした仲である。のちに出世して、またオッペンハイマーの姻戚ともなって、今やフォーエバーマークの総師である。中央販売機構は、全面的にアフリカに移したのでなくロンドンでもサイトは続行している。ソーティングは人件費の安い向こうだが、でも一部はやっている。アフリカは遠いものなあ、とのこと。デビアスの繁栄は、常に黒人との妥協策にあった歴史を思い出した。これで疑問点の一つが解けた。フォエバーマークについて、これまで書いた意見を述べてみると、私もこれはブランドではなくて“信頼のマーク”とみなしている。もう少し底を広げなくてはいけないと考えていると言っていた。小さな小売店でも、これはフォーエバーマーク入りのダイヤだから買って安心ですよと言えるようにすべきという当方の意見に対する答えだった。
例えば、私のところに、どこで、ダイヤモンド買えばいいのかを友人に質問された時には、「みんなが“グラフ”のような高級ブランド店で買う訳にはいかないから、最寄りの小売店でフォーエバーマークのダイヤの中から選べば良い」と言いたいのだよとルシアさん言う。日本での戦術とは隔たりがあるようだが、と水を向けると、「社長になったばかりだからね、そのうち変えるよ」という話だった。
今では、石のサイズは0・14カラットから刻印が入るようになったし、カラーは機械で読み取っているから、正確で一定だし、朝と夕方の光で判定が変わる事もなく、みんなダイヤモンド原石を買ってくれたサイトホールダーから預かって、アントワープで打っているよ。

フォーエバーマークは“有力な弱者のツール”

このマークのついているダイヤモンドは、日本人は気にしないだろうが、反社会性の強い紛争ダイヤモンドではないこと、高温・高熱による変造品でないこと、人造ダイヤでもないこと、そして何よりも、フォーエバーマークの良質なダイヤモンドであることを証明している。とにかく、信頼の証明だと何度も繰り返す。
昔話をまじえて話をしている内に、あっという間に一時間が経ってしまい、別れを告げて外に出た。会談に入る前に控え室で待っていると、ニッキー・オッペン・ハイマー氏がこっちをチラッと見て、少し立ち止まって我々の前を横切って行った。かなり貫禄がついていたので、誰だか最初分からずに、挨拶しそびれたのは、残念な事をした。
ダイヤモンドのテーブルに刻印をして販売する主要な目的は、デビアスの鉱山あるいは、デビアスが他の鉱山から購入したダイヤモンドを買って下さいということにある。その実施には、紆余曲折があったが、やっと軌道にのりつつあるという気がした。
日本の小売店も本気になって研究する時期にきている。我々問屋・メーカーは当然だ。これは有力な弱者のツールと思われる。ダイヤモンドは、生活に必要なものではない。結婚指輪も必需品から何か精神的に意味のあるものが求められるようになっている。高いブランドに移るのもその表れの一つである。必需品なら安い方に移る。必需品ではないから、良いものを売らなくては、顧客はない。良いものに対する信頼の証明として、利用するには適切ではないだろうか。(栄光時計株式会社 会長 小谷 年司)
■フォーエバーマーク本社訪問記(中) ■2010年8月18日 水曜日 11時26分21秒

いよいよフォーエバーマーク時代の幕開けか

そんな時に、今回の鑑別書問題が起こった。ダイヤモンドで一番沢山売れるのは、0・3ct前後の石である。大手の業者は三分石を1個ずつルーペでみて値段を決めて仕入れたりしない。時間的にやってられないから、鑑別書が付いていることを前提に手早く見分けて仕入れるのである。あるいは、鑑別したらこの位のグレードがでるだろうと、ざっとみて仕入れて売る方もグレードの提示ぐらいは口頭でする。
小売店頭でも鑑別書をハナから要求する客は、余程信用のない店以外では居ない。小売側がサービスのつもりで提供している。費用は川上の方に負荷される。小売店が直接、輸入なり古物で仕入れる以外、大体仕入先持ちである。その数千円のコストは当然、値段に反映する。鑑定というのは、本来、購入者が第三者機関に頼むべき性質のものである。その第三者機関と売り手と一緒になっている限り、今回のような甘い鑑別事件は常に再発の可能性を秘めている。要するに、ダイヤモンド鑑別書は、販売のツール(道具)にすぎない。カルティエやハリー・ウィストンのダイヤモンドは鑑別書は付いていないが、ちゃんと売れている。だから、弱者のツールと言って良いだろう。
一方、購入者の方からみると付いてないより付いている方が安心という気になるのは確かである。私個人の感覚からみて、今の鑑別書は、三分くらいの小さな石に対して、項目が細かすぎる。科学的な分析という衣がなければ、お金が取れないからだろうと憶測したくなる。魚屋が明石の鯛と言えばすむものを、何処の沖で水深何メートル何という漁師が釣り、日はいつで、目の下何センチ重量何キロ等々と言っているようなものである。
とはいえ、日本人にはこういった鑑別書を好むという傾向が無きにしも有らずである。茶道具の箱書きにそれが出ている。しかし、作者名の書かれた箱書きがなければ、値打ちはかなり減る。アンテイーク・ジュエリーでも、売った店の箱はボロボロでも、必要とされる。こっちの方は、古今東西違わぬようだが。ダイヤモンド鑑別書の方は、小売店が保存して売った物に、固有のを合わせるのも面倒だが、購入者もいつまでも置いておけるものか。
その点、フォーエバーマークは安心である。刻印するのもコストが掛かるが、鑑別書程度だろう。固有番号も刻印されているので、このインターネットと大量のデーターベースの時代に照会は簡単だろう。盗難に対しても、ダイヤモンドにはマークが入っていて、簡単に消せないということが判れば、泥棒も故買もできなくなる。まあ、そろそろフォエバーマークの時代になるかなと、私は重い腰を上げて、ロンドンのフォエバーマークの本社へ息子の社長を連れて、紹介かたがた新しく社長になった旧知のスティーヴン・ルシアさんに会いに行った。
(栄光時計株式会社会長:小谷年司)
■ロンドンのフォーエバーマーク本社訪問記(上) ■2010年7月29日 木曜日 11時24分53秒

流通側から見たノーマークのダイヤの在庫は、どうなりますか

今年の夏は、南アフリカのワールドカップ大会で大騒ぎだった。NHKも南ア紹介の番組に力を入れて、特番を制作していた。南アフリカの鉱物資源に注目した番組があり、ボツワナ共和国のダイヤモンド産業が取り上げられた放送を目にする事があった。以前からボツワナのジュワネング鉱山は、効率よく、良質なダイヤモンドが産出するデビアス鉱山中のエースと言われていた。
番組では、今回デビアス社に25年間の採掘権を引き渡すにあたって、ダイヤモンドのサイト本部をロンドンからボツワナに移す交渉に成功したといって、新しいソーティング・センターとサイトの場所のモダンな建築が画面で紹介されていた。いずれ今の鉱山は枯れる。しかし世界中から、ダイヤ原石が集まり、ここで取引が出来るなら商売は永遠に残り、国家の為になると黒人の高級官僚らしい人が自慢げに説明をしていた。
サイトとは年10回、ダイヤ原石の引き渡しがなされる行為で、これまではロンドンのデビアス中央販売機構で行われてきた。いつの間にか、ロンドンのサイトもアフリカに移ってしまったのかと驚いて、聞いてみるとロンドンでも、これまで通りサイトは開催されているらしい。NHKの担当者が、白人支配から独立して頑張る新生アフリカというメッセージを出したい為に、あたかも中央販売機構がすべてボツワナに転出したかのようにみえる演出をしたらしい。こういうメディアのやり方を“明言しない嘘”という。嘘ではないが真実ではない。
ダイヤモンド鑑定機関が国内で判定を故意に甘くしたと言う事件もこの夏に起こった。この10年間、デビアスの独占体制が崩れ、ダイヤモンドは相変わらず栄光時計鰍フメシの種であり続けているが、そのメシの味が、どうもすっきりしなくて、混乱しているダイヤモンドの流通全体に興味を失っていた。しかし、迷走にみえたデビアスの方向も定まってきたかなという予感もあった。
デビアスとは元々、アフリカに入植したオランダ人の名前である。デビアス家の農場からダイヤモンドが発見されたので、その鉱山を買い取ったセシル・ローズ(のち南アフリカの首相)がデビアス鉱山株式会社として本社をそこに置いて以来、デビアスはダイヤモンドの代名詞となった。ダイヤモンドは生活必需品ではないから、独占して価格をコントロールしないと、景気によって需要が変動すればと、鉱山が年々安心して操業できなくなるという信念をローズは持っていた。その信念は、ハリー・アーネストそして今のニッキーのオッペンハイマー一家に引き継がれている。
デビアス社は、一時は世界の80%以上の市場を占有して、「ダイヤモンドは、永遠」というキャンペーンを長年張り続けて来た。しかし、1970年代から、オーストラリア・ロシア・カナダとデビアスに属さない独立鉱山が次々と出現して、独占体制が利かなくなった。デビアスが多額のキャンペーン費用を払っても、他の鉱山は宣伝にタダのりするだけになった。業を煮やしたデビアスは、デビアスの商標を別会社に小売店の名称として譲渡した。従前のようにサイトを通して販売してカットされたダイヤモンドに「ダイヤモンド・イズ・フォエバー」(ダイヤモンドは、永遠)のキャッチフレーズから取った、フォーエバーマークを特殊な方法で刻印する方法も開発した。

近視眼的ではありますが現実的な不安も

勿論、刻印はダイヤモンドの輝きに全く影響を与えない。近年この刻印済みダイヤモンドの販売に傾注することにして、社名まで「フォーエバーマーク」に変えてしまった。不退転の決意といっていい。ところが、これまでダイヤモンドを売ってさえいれば何らかの形でデビアスに貢献していると思っていた業界人に、マークの刻印されたもののみ売ってくれと言われても、デビアスの功利主義にしかみえない。
総元締めのデビアスに依存しながらも。デビアスはいつも自分が儲かる物ばかり押し付けると言う被害者意識を持つ業者も多いのである。心理的には、本物のダイヤモンドなら何を売ったって良いだろう、刻印分割高ではなかろうかという気分になるのも当然で、フォーエバーマーク市場への浸透が最初はかばかしくなかったのも、無理はない。また、日本市場への導入化も、高級ブランド特有の費用の分担、販売方法への規制、店舗による一定地域市場支配といった手法を採用して来ているので問題もあった。極端な例だが、コシヒカリを高級ブランド化して、店舗を限定するようなものである。ダイヤモンドは、あくまでも素材であって鉱山から採掘されるものである。また一方、流通側からみてノーマークの在庫はどうなるんだろうという近視眼的ではあるが現実的な不安もある。(つづく)
(栄光時計株式会社会長:小谷年司)
■宝石は“なぜ売れなくなったのか”@ ■2010年2月12日 金曜日 15時5分40秒

魅力のない宝石は海に捨ててしまえ

 新年そうそう宝石関係の人々が参加したセミナーの講師をつとめた。会の名はJ S C といって旧知の松室明雄君が主宰している宝石好きの人が参加している会だ。私の話は例によって雑談に似たものであったが「宝石がなぜ売れなくなったか」について考察してみた。
日本人の誰でもが宝石に関心を持ち,買いたいと思うようになったのはそう昔の話ではない。せいぜい40年前のことだろう。百貨店の売り場に宝石が並び始め,女性たちは憧れの心でダイヤモンド、真珠、ルビー、エメラルド、サファイアがウインドのなかでキラキラが輝くのを眺めていたものだった。宝石が売れないということは魅力がなくなったからであろう。宝石の魅力は言うまでもないがその希少性と神秘性にある。当然高価なものであるから持てる立場という優位性も付随する。ところが近年の科学技術の進歩によって、また購買側の収入の増加もあって比較的安価になった。色石について言えば、焼いたり、油をしみこませて、美しくする処理技術を施すのが当たり前になってしまった。素人には判別がつかないが、専門の業者はだれでも知っている。仕入れた宝石が欲しくて買い手がついても、2度と手に入らないからと売らなかった宝石屋は伝説の彼方にきえてしまった。それに理想的な美しさを持つ人工の色石も京セラなどが造っているが、希少性と神秘性に欠くせいかあまり売れてない。処理
技術の高さは趣向品の評価において得点は低い。かって宝石商の重大な関心事であった人造エメラルドのメーカーとして名の高かった、ギルソンやチャザムの消息もわが国ではあまり聞かなくなった。
ダイヤモンドにしても10年ぐらい前に高温高圧(HPHT)処理によって、美しくない石が美しくなることが明らかになった。また、一方人工ダイヤモンドの研究も進んで、コストだけが問題だが、色石同様、工場内で生産が可能になった。天然のダイヤモンドは当然、良い石もあれば悪い石もある。良い石だけ売っていれば問題は無いが、そうはいかない。採掘すれば大抵は悪い石で、良い石は稀だからである。ダイヤモンドが永遠であるためには「茶色や光らない石はみんな海に捨ててしまえ」と絶叫したわが敬愛する山口遼さんは正しかった。そのような石をオーストラリアのアーガイル鉱山と提携したがために売らざるをえなくなっていたデビアス社ですら、提携を解消した際に重役のアンソニィ・オッペンハイマー氏がこう呟いたことを私は直接耳にしている。「今までにD・フローレスで1カラット以上の石が一つも出てこなかった鉱山とオサラバして清々した」と。もっとも、極々、少量ではあるが美しいピンク・ダイアモンドの産出にかけては世界の中でこの鉱山の独壇場ではあることを、アーガイルの名誉にかけて付け加えておく。
(栄光時計株式会社:会長)
■宝石は“何故売れなくなったのか”A ■2010年2月12日 金曜日 5時5分0秒

宝石の判定は美人の判定同様主観も入ってくる

真珠も現在は全部養殖である。丁寧に作られたものは値打ちはあるが,悪貨は良貨を駆逐するの原則どおり、本当に玉とよべるものは少数派である。香港の展示会にいって机上に山積みされて安く売られているアコヤや淡水真珠をみると一般の人は幻滅するだろう。
養殖とは産業の一種であって高価で有り得るかもしれないが、希少性、神秘性とは関係がない。美しいアコヤの真珠は作り上げるまでに手間ひまのかかるものであって、ワインに似ている。同じ品種の葡萄から作られた一本のボトルでも五百円のもあれば、五万円のものもある。ワイン好きはその値に納得するが、真珠の方はどうであろう。ワインでもおなじことだが、初めて買う人にはその差が理解できないに違いない。
以上のようなことをのべたあとの講師には故近山晶さんの娘さんである大久保洋子さんが演壇に立たった。近山氏はわが国宝石学中興の祖であり、宝石学なるものを研究室から業界全体に知らしめたのは、偏に近山さんの業績であった。宝石学は鉱物学の一分野であり、自然科学研究の常として、研究対象から神秘性を除くことになる。宝石学は言わば宝石の解剖学であって、人体の研究、ひいては医学の研究には生理学とか解剖学は必要だろうが、その研究をいくら進めても、人間そのものの魅力の解明には到達しない。宝石の魅力は、色合いやカットのもたらす輝きとか、また大きさ、形からくる美しさにあって、美人の判定同様主観も入ってくる。数値によってだけでは決められない。
大阪出身の作家,開高健の最晩年の作品に、一種の宝石小説「玉、砕ける」がある。宝石に魅された孤独な一人の中国人が夜な夜な、金庫から宝石を取り出して、触り、眺め一人で悦に入るシーンがあった。宝石屋のウインド越しではなく、宝石を所有して、それと対峙して石そのものの冷たい美しさを楽しむ人々が過去には多く存在した。今でもいるかも知れないが、まあ絶滅状態と言って良いだろう。宝石自体、この数十年間の処理技術の進歩によって、どこまで天然のままなのかよくわからない。どうしても鑑別書に頼ったり、買った店の信用にたよったりせざるを得ない。ところがそのお店が鑑別機関に頼るのだから世話はない。もっとも鑑別機関の功績も大であって、宝石の普及とともに雨後の筍のごとく現出して競争したせいか、日本の市場から贋物の宝石が殆ど姿を消してしまったと言える。真性の宝石といってもピンからキリまで有る事は言うまでもない。例えば、原価10万円の宝石に、1万円近くの鑑別料を支払うべきものであろうか。骨董品と宝飾品には似たところがある。投資と考え高価な買い物をする場合は別として、役には立たないとは解りつつ気に入ったから買う人が大多数であろう。ほんとの値打ちはよく解らないが、とにかく大事にしまっておかねばと思い込ませるところが、骨董品や宝飾品の魅力である。いや宝飾品の場合は過去形になりつつあるかもしれない。石そのものの魅力が勝負であるべき宝石にブランドなるものが登場して、宣伝に多額の投資をして信頼を人間心理の方から得るようになってきた。本来は宝石の魅力を保証し,増幅すべき副次的要素の方が主役に転じつつある。価値の次元が移ってしまっている。ここで、全くの余談になるが、「人気女子プロゴルファーが婚約指輪に3カラットもあるハリー・ウィンストンのダイヤモンドを贈られて大喜び」という記事が週刊誌に載っていた。同じものを贈るにしても包装紙はやはり三越と言う感覚だろうか。しかも贈ったのは、タレント俳優とはいえ、時々自分がデザインの監修をした宝石のプロモーションにもよく出られるひとだから、宝石には詳しい筈である。普通の人の宝石に対する価値の理解度は推して知るべしと言える。
(栄光時計株式会社:会長)
■宝石は“何故売れなくなったのか”B ■2010年2月12日 金曜日 5時4分5秒

宝石も“幸福な無知”であった時、人々は争って買い求めた

さて大久保さんの講演は,彼女が2009年タンザニアで行われた国際宝石学協会の総会での報告だった。タンザニアはアフリカ中部の北でケニアと国境を接していて,キリマンジェロ山やヴィクトリア湖がある国である。ケニヤはオバマ大統領の父親の出身地でもある。もちろん大久保さんは大統領のルーツを訪ねに行ったのではなくて、タンザナイトに宝石の勉強に行かれたのである。その報告はとてもおもしろかったけど、タンザナイトの鉱山が国有であって、採掘や販売が厳しい国家管理の下にあるときいてはっと,気が付いたことがあった。タンザニアのような未開と思われる国においてさへも、国際的に流通する鉱物を産出する鉱山には国家の規制とか国際資本の網が掛けられている事実である。今や世界中の宝石鉱脈がこのような状態にあるといえる。宝石の鉱脈が発見されたと聞いて、多くの山師が殺到し、勝手に掘りまくると言う光景はもはやあり得ない。そこからうまれる一攫千金の夢とか、宝石をめぐっての闘争、強奪、殺人といったロマンも消滅してしまっている。
宝石の最終購買者はまだこのような事情を正確には知らないだろう。売り手は殆ど知っている。その気分は何らかの形で伝達されているに違いない。宝石を欲しいと思っている人も漠然とであろうが、宝石が必ずしもロマンチックな状況下で掘り出されているのではないのに気付いているだろう。トヨタの工場から出てくる車と鉱山からでてくるダイヤモンドとは同じ文法に従っているということに気が付き始めているのではなかろうか。
特に,第二次世界大戦以後、科学技術の進歩、宝石に関する正確な知識の伝播、先進諸国における革命の機会の消失、世界各地への送金の自由化、(金持ちがいざというときに持ち逃げに便利な宝石を買わなくなった)といったことが宝石を買うモチベーションをかなり阻害している。税金逃れのための資産と言っても、今の日本の宝石事情からすれば、一般的に換金時の値が低すぎて現実的ではない。換金時の損を想定すると、税金を初めから払っていた方がましなぐらいが現状である。
ジャン・ジャック・ルソーは彼の名を一躍高めた「学問芸術論」(1750年)の中で「学問と芸術が完全なものに進歩するにつれて、われわれの魂は腐敗した」と言っている。このことは多少宝石にもあてはまる。宝石も「幸福な無知」の状態にあった時、最大の魅力を発揮し、ひとびとは争って買い求めたと言える。宝石が牧歌的な環境にあり、人々が素朴な宝物賛美の気持ちで買いたいと思っていた時代はとっくの昔に消え去っている。
(栄光時計株式会社:会長)

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