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昭和十三年四月の組合の総会で組合事業から身を引く決意をした
功労金を資金に、中支那方面の経済視察団を募集して決行した

《昭和十二年》 私は輸出組合を作ってから商工省との関係も良好で、当時東京都から助成金として二十五万円を受領した。それを契機に昭和十三年四月の組合の総会で組合事業から身を引く決意をした。辞任することについて各氏から留意する言葉が聞かれたが、組合という組織から身を引くことによって、若い人たちを応援する立場から抜け出したい気持ちもあり、新陳代謝の意味も込めて身を引いたのである。辞任する功労金として金一封を貰った金を資金に、中支那方面の経済視察団を募集して決行することにした。

時計は戦時需要増のため値段が引き上がるだけだった
輸出入に関する臨時措置の法律商工省第31号で白金地金の配給統制規則が制定された

《昭和十二年》 昭和十二年法律第920号で、輸出入に関する臨時措置の法律商工省第三十一号で白金地金の配給統制規則が制定された。このような発令は、戦争が拡大するにつれ、次々と発令され貴金属品や時計附属品を扱う生産業者は、私が作ったこの輸出業組合に入る以外に道はなかったと思う。そんな状況だから組合事業はスムースに進んだ。しかし、私は時計業界にも顔を出していたので、当時の国産時計メーカーは、すでに軍需工業への要求に片寄らざるを得なくなっていたようで、恐らく時計の生産面では思うようにはいかなかったようである。だから時計の価格は、品不足によりますます高騰していった。また輸入制限によりスイスからの輸入も途絶えていたようで、時計は戦時需要増のため値段が引き上がるだけだった。

輸出実績に基いた資材使用許可の組合認可が正式に降りた
「東京輸出金属雑貨工業組合」という名称の新組合が誕生した

《昭和十一年》 昭和十一年には、金に対する使用制限が発令されたのと、真鍮地金の使用についても品種や量的に制限をうけることになった。従って、その緊急対応策を打出そうと努めたのが井村氏を組長とする「東京時計附属品製造同業組合」であり、その改組というわけである。
結果は、作りあげた前述の輸出実績表に基いた資材使用許可の組合認可が正式に降りた。そこで又、緊急会議を開いた結論、私の意見も容れて「東京輸出金属雑貨工業組合」という堂々たる名称の下で新組合を発足させることになった。この時の発会式会場は、小森宮さんの貸家の二階ではなかったかと思う。
勿論、今は焼けてその形跡もないが、中野新助、小森宮、井村松五郎、浦田竹次郎、青山仁作、大須賀正太郎、青木房吉、持田憲作、山田乙ニ、宮田伊太郎、中村竹松の諸氏に梶田久治郎、谷田賀良倶氏等が幹部役員として顔を出していた。
貴金属業者が真鍮地金業者に転換しようという秋であるから何れも真剣たった。結論は、軽金属の輸出メーカー体制という組織に踏み切ることに決めたのである。
何故そのような方途を採ったかというと、当時地方庁では工業畑の団体(組合)には補助金が支出されていたのである。少しく前に述べた「東京徽章工業組合」というのを設立して、現金十五万円とフレクション七台を貰いうけた経験に基いた私が意見を出したので、それでは補助金収入の工作も頼むということから、完全な金属資材を取扱う統制業務の組合制度へ急にテンポを変えることにしたのである。
組合の資本金一切を決めるために発起人会を作り、扱い品目の内容まで改めた。この時の資本金は十五万円で第一期四分の一の払込だったと覚えている。品種は、時計クサリ、針、ネックチェーン、ブローチ、腕クサリ、バックル、徽章、コンパクトに喫煙具とライターを加えることになった。
当時の時計業界には、喫煙貝類は余り含まれていなかったのだが、ライター関係を新規に加えることにより、組合員の加入勧誘にも新分野を開拓することにしたのである。
当時、蔵前に「喫煙具工業組合」が設立されていたが、資材の取扱が余り多くはなかったようである。そこで、この方面の業者の加入が実現すれば、商工省への面も大きな舞台が持てようということで、とにかく定款に取扱品種の条項を挿入することにした。
そして、加入の勧誘によって顔を出して来たのが、金丸氏と広田氏であり、これらが代表して理事面に連なることになった。このとき既に、戦争状態は、北支事変を拡め、中支の一部に食い込みつつあった時である。当時の私は、ㇵッスルしてアメリカの輸入資材中の故銅ナンバーワン(電線)二十沌の獲得に成功していた。そのため組合の完壁性を欠いていた喫煙具業界の業者は、この組合への加入を申込んで来た。当時の組合の所在地は、私と中野氏で決めた壽町の銭湯の隣に五十坪の二階建家屋を買い取って、事務所に改造して使用したのである。東京都からの補助金二十五万円も決まったので、いとも朗らかな組合の発足休制であったのである。

その頃の業界と業界新聞の関係
諸般の情勢によりすべてが縮小

《昭和十四年》 私が経営していた商品興信新聞は、私か旅行中でも社員によって進められていた。むろん活発であったが、既に業界事情は諸般の統制に従って業種も縮少され、広告の収入も少くなっていたので、これと併行して新聞社の数も減少した。五指にも足らない位に減っていたと覚える。昭和十四年には、「九・一八」が発令されて、物品販売価格についても制限処置が採られることになった。これは資材使用制限による物品の僅少化から来る物への値上りを抑制する手段であったのだ。
小売界の店頭値段も定価通りに売って、店は少なくなって品アサリ時代ということにもなっていた。
時計卸界の状況は、舶来時計の輸入禁止、置時計、目覚時計の製造禁止に伴って商品は不足、その影響で需要インフレが旺盛となっていたので、商品界の勁動きは活発化される一方であった。そのために打出した九・一八ではあるが、事実はこの抑制策に反比例して物価が上昇していたのは事実である。しかし反面、品物不足のために商売が思うにまかせえないなどのことから経営不可能状態の時計卸商らも散見されるようになっていた。

「東京輸出雑貨組合」は時代の花形的存在だった
昭和十二年の金及び真鍮資材の使用制限によって

《昭和十二年》 東京輸出金属雑貨工業組合の設立は、当時(昭和十二年)金及び真鍮資
材の使用制限によって、貴金属や時計の附属品関係の生産品が制限されることになったいわゆる窮屈な時代から抜ける緊急措として業者側の新規構想で出発したものだけに、その組合的存在は時代の花形格を示していた。数少ない品種の時計附属品の取り扱い業者は、この輸出組合に陸続として加入した。私のやっている新聞(商品興信新聞)も資材統制をうけた業者側の影響があったので、余りパっとしない時代であったが、それでも依然優位に立っていたことはいう迄もない。然し、当時の新聞は数が少くなったばかりでなく、時代柄、その対象を人という関係におかれていたときでもあったので、新聞と共にその代表者の人間の価値が中心になっていろいろのこと柄をもたらしたものである。案外物ごとに懸命であった梶田久治郎氏や合月の第一人者と自負していた道斉浅次郎氏らも時代の風潮を説いて、人と人との時代であるといいあっていたほどであった。

貴金属界に企業会社が設立した時代に
地金商の田中、徳力、石福三社により「日本貴金属株式会社」が設立された

《昭和十二年》 従ってこの時代は、金の使用が制限されたので貴金属は正に火の消えたような状態となって終った。だから業界に画期的な現象がやって来たことになる。昭和十二年十二月二十八日には、「日本貴金属株式会社」が設立されて金地金の取り扱い業者の田中、徳力、石福などの関係者が結合して、この会社を設立することになった。これなどは戦争がもたらした貴金属界の画期的な現象を示したものといえる。
そして会社の事業は、白金地金の統制規則に従い、かつそれを徹底させるにあった。
昭和十二年、法律第九二〇号で輸出入に関する臨時措置に関する法律商工省第三十一号で、白金地金の配給統制規則が制定された。
このような発令は、戦争が拡大するにつれて、つぎつぎに発布されたので、貴金属品と時計附属品につながる生産者群は、とにかく私か作ったこの輸出組合に入ること以外に途がなかったのだといえよう。そんな具合であったから、組合事業は理想的に進んでいた。しかしこの間、私は時計界の一部にも時どき訪れて見たが、国産メーカー群はすでに軍需工業への要求に片寄らざるを得なくなっていたので、時計の生産面も思うようには行かなかったようだった。
だから時計の値段は、品不足をかこってますます高騰する一方、また輸入制限によりスイスからの輸入も絶えたようになっていたので、時計は戦時需要増のため値段が引上がるだけだった。私は、輸出組合を作ってから商工省との関係も完成したし、東京都からの助成金二十五万円も受領して組合を理想的に運営し得たので、翌年の十三年の四月の総会を契機にこの組合から退陣することにした。その功労賞に金一封を貰ったので、これを費用にして中支那方面の経済視察団を募集して決行することにした。
この席上、私の辞任声明を前にして、お馴染の組合員らが、「まだ辞めるのはいいじゃな
いですか」と慰留な言葉をかけてくれたが、人というものはその場の出引か肝要であるということを年頭において、かつ組合という組織からズバリ抜け出ることの方が、あとの事務的処理の諸般に亘り、軽やかにやれるように思えたからである。いうなれば新陳代謝の意味でもあり、また姑的立場を除くことの手段の一つにもなると考えられたからである。

硬骨漢の性格
硬骨漢の性格が誘いの手に乗る私ではなかった事が幸いした

《昭和十四年》 その次のエピソードは、当時組合の事業というものはこのような資材の配給がどこでも専一に行われていた。私は商品興信新聞を発行している傍ら組合の面倒も見ていたので、組合事務長を兼ねた理事者の肩書で事務を行っていた。更に資材配給の再割り当てが欲しい為、各所の伸銅製作所から賄賂を使ってまで資材の供給を図ったものだ。勿論私の前にも札束を積んで、誘いの手は多くあったが、そのような手に乗る私ではなかった。硬骨漢の性格がここでも現れ、理事だった宮田伊太郎氏が「藤井君は硬すぎるよ」と笑いながら言われたことを覚えている。お陰で当時統制違反の罪に問われることもなく、それが私の誇りであった。

軽金属の輸出メーカー組織として「東京輸出金属雑貨工業組合」が発足
軽金属の輸出メーカーとしての体制つくり

《昭和十四年》 この当時の商工大臣の岸信介大臣が一般物資に対する統制令を出していた。しかし、昭和七年頃から始まった戦争状態は、次第に拡大しながらも国民は慣れ始めてきた。統制令では、金の使用が禁止され、地金の銅の使用も禁止令が出ても、それに対処する方法がまず先んじられた。昭和十一年には金に対する使用制限が発令され、真鍮地金の使用についても品種や量的に制限を受けるようになった。それへの緊急対応策を打ち出そうと努めたのが井村氏が組合長を務める東京時計附属品製造同業組合であり、その改組した新組合であった。その名も「東京輸出金属雑貨工業組合」で、資材使用許可の認定が正式に降りた。貴金属業者が真鍮地金業者に転換しようとしているときだけに何れも真剣そのものであった。結論としては、軽金属の輸出メーカーとしての体制で組織として踏み切ることに決めたわけである。改組して新組合になった時の会場は、小森宮さんの貸家の二階であった。当時の役員は、中野新助、小森宮、井村松五郎、浦田竹次郎、青山仁作、大須賀正太郎、青木房吉、持田憲作、山田乙二、宮田伊太郎、中村竹松、梶田久治郎、谷田賀良倶氏など。

「東京輸出金属雑貨工業組合の設立当時」
時計附属界の大転換時代に備えて

《昭和十四年》 浅草・烏越の井村組長宅に決めてあった「東京時計付則品製造同業組合」の組織を戦時体制時代に急ぎ処すべく計画で輸出に関する統計実績を作ったその書類が、
申請締め切り日にようやく間に合い、輸出工業組合への切り替えの可能性が生まれた。急遽、新生組合の許可が下りたらどうするかの緊急役員会が招集された。勿論、新規に組合を設立しようとしているのだから、準備会は何回も開かれるのが当然である。貴金属業界では、全く新しい統制命令にぶつかったのだから、唯単に政府(当時は商工省)の指令に従うより仕方がなかった。当時の商工大臣は、岸信介氏の前任者だったような気がする。
岸氏は、次官時代に統制経済の点で少壮青年官吏として国民からも嘱望されていた。それが栄進したあとで大臣になったのだが、この当時は戦争が苛烈化しつつあったときだったので、国民間の気持ちは当局の指示以外にいうところはなかった。だから当時の統制官は、ただ単に統制を発する人は、岸信介氏であると思っていた位である。
この岸さんが、一般物資に対する統制命令を出したものである。然も、昭和七年頃から始まった戦争状態は次第に拡大されて行ったので、国内ではその戦争というものの空気に既に馴れ染めかけていた。だから統制令が出て、金の使用が禁止され、又は銅地金の使用が制限されたと発表されても、それは困るということを訴えるよりは、それに対処する方法が先ず考えられたものである。つまり戦争への転換ということになっていたのである。

金属資材を取り扱う業務の団体作りに奔走、喫煙具団体を作る
当時の地方庁では、工業畑の団体や組合には補助金が出されていた

《昭和十四年》 何故このような方途を採ったかというと、当時の地方庁では、工業畑の団体や組合には補助金が出されていたので、完全な金属資材を取り扱う業務の団体作りに奔走したのである。以前にも述べたが、東京徽章工業組合を設立して、政府から補助金として現金十五万円とフレクション7台を譲り受けた。
組合の資本金一切を決めるための発起人会を作り、扱い品目の内容をまとめた。この時の資本金は十五万円で、第一期四分の一払いだったとおぼえている。品種は、時計クサリ、時計針、ネックチエーン、ブローチ、腕クサリ、バックル、徽章、コンパクト、喫煙具、ライター関係を新規に加えた。
当時時計関係には、喫煙具類はあまり含まれていなかった。ライター関係者を新規に加えることにより組合員の開拓にもなり、商工省への顔も経ち、定款に取扱品目の条項を挿入した。当時顔を出したのが、金丸氏と広田氏であり、両者が活躍して組合を作った。当時の組合所在地は、東京・台東区の寿町のお風呂屋の隣に面した50坪の二階建てを買い取って事務所に改装したもの。補助金25万円が決まっていたのでいとも大らかな組合発足体制であった。



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